秋田

 

 

 

1.秋田の聖母

2.聖母から司祭へ

3.もし教会の人間が現今神の奇蹟そのものを万が一見るにしても

 

 

 

 

1.秋田の聖母

 

 

安田貞治著/日本の奇跡 聖母マリア像の涙 秋田のメッセージ/P1

 

 それは1974年12月号のカトリック・グラフ誌に取り上げられたことによって始まりました。秋田において聖母マリア像をめぐって不思議な現象がおこり、姉妹笹川さんを通じてのメッセージ、その他のことについて世評をあびたことが発端となりました。聖母の木像をめぐって、手のたなごころに傷ができたこと、その傷口から鮮血が流れ、信者も一般の未信者も、司教も司祭も同様にその事実を目撃し、それを証言している言葉も記載されていますが、それは神よりの奇跡としてではありませんでした。その後1975年1月4日(土)に三たび聖母像の目の部分から多量の涙が流れて、1981年9月15日まで、聖母マリアの御悲しみの祝日に、合計101回目の涙が流れましたが、それ以後今日に至るまで、紀元2000年においても、一滴の涙も流されておりません。それは不思議なことでした。

 

 

 

 

2.聖母から司祭へ

 

 

聖母から司祭へ1987.9.15 秋田(日本)

 

 わたしは、このわたしのご像の目から奇跡的な涙を流しました。このことは百回以上におよび、数年間にわたってでした。

 なぜ、わたしは、まだ泣いているのでしょう?

 それは、人類が改心して神にたち戻るようにというわたしの母としての招きを受け入れていないからです。

 人類は、神とその愛のおきてにそむく道を頑なに走りつづけます。

 神は公に否定され、侮辱され、冒涜されています。

 あなたたちの天の母は、公けにあざけられ、笑いものにされているのです。

 わたしの特別なよびかけは、受け入れられていません。わたしはかぎりない悲しみのしるしを与えてさえも、信じられないのです。

 あなたたちの隣人は愛されていません。毎日、そのいのちと財産は狙われています。

 人間はますます堕落し、不敬になり、悪意にみち、残酷になっていきます。

[ノアの]洪水よりも恐ろしい天罰がこのあわれな、堕落した人類の上にくだろうとしています。

天から火が降るでしょう。それは、神の正義がご自分の偉大な現れのときをすでに定めておられるという“しるし”です。

 教会が分裂の道、まことの信仰を失った道、棄教の道、それに謬説が誰にも反対されないで日増しに宣伝されている[まちがった]道を歩みつづけているので、わたしは泣いています。

 わたしがファティマで予言したこと、そしてここでわたしの小さな娘にまかせた第三のメッセージの中に示したことは、すでに、実現されつつあります。それで教会にとっても、その偉大な試練の時が来たのです。なぜなら、罪悪人が教会の内部に住いを定め・・・荒らすもの、いとわしいものが、神の聖なる神殿に入るからです。

 わたしの子らが霊魂が数多く失われ、地獄に行くので、わたしは泣いています。それに、祈るように、つぐないをするように、苦しむように、ぎせいを捧げるようにというわたしの招きを受け入れる人々があまりにも少ないので、わたしは泣いています。

 わたしが話すのに、耳を傾ける人がいないので泣いています。わたしは、奇跡的なしるしまでも与えたのに、それでも人々は信じませんでした。

 わたしは、強く絶え間ない方法であなたたちに現れましたが、あなたたちは、自分の心の戸をわたしに開いてくれませんでした。

 わたしの汚れなき心に奉献された愛する子らよ、イエズスが、その神的な愛の安全な柵の中に注意ぶかく守っておられる小さな残りであるあなたたちは、そうです。少なくともあなたたちは、切なるわたしのこの招きに耳を傾けて、これを受け入れなさい。―わたしは、きょうも、この場所から、世界のすべての国々に同じ招きをします。

 ご自分の栄光の輝きをもっておいでになるキリストを歓迎する準備をしなさい。

 主の偉大な日が、すでに来ているからです。

 

 

 

聖母から司祭へ1993.9.15悲しみの聖母の記念日

 日本の司祭たちと共にチェナクルムの形で行われた黙想会  東京(日本)

 

そうです、わたしは、この国において、あなたたちに特別なしるしを与えました。

 すなわち、わたしの子イエズスの十字架のもとで、悲しむ母としてわたしを表現するわたしの像の中の一つから、百回以上も多くの涙を流させました。

それと同時に、わたしは、あなたたちを待ち伏せている大きな危険を警戒させるために、メッセージも与えました。

 今こそ、わたしは、大試練の時が到来したことをあなたたちに知らせます。それは、わたしが前もって告げたことが、これからの数年に実現するからです。

 教会に棄教と大離教が起きようとしています。それにわたしが、この場所で、前もって予告した大天罰が、今、すでに門の入り口にまで来ています。

 空から火がふってきて、人類の大部分が亡ぼされるでしょう。生き残る人々は死んだ人々を羨むでしょう。なぜなら、あらゆる所が、破壊と死と荒廃と化すからです。

 そのために、わたしの小さな息子よ、わたしは、あなたが再びここに来ることを望みました。なぜなら、あなたは、天罰の時が来たことを、すべての人に言い、それから守られ、救われるために、人々はみな、わたしの汚れなき心の確かな避難所に入らねばならないと、いわなければならないからです。

 わたしの最愛の子らよ、自分たちの家に帰って、このわたしのメッセージを、すべての人に知らせなさい。

このメッセージは、あなたたちの天の母からの最後の呼びかけです。わたしは、あなたたちをみな呼び、わたしのマントの下に集めています。それは、あなたたちが、あなたたちのこれらの最後の時の苦しい試練のあいだ、わたしから慰められ、守られることができるためです。

 

 

 

 

3.もし教会の人間が現今神の奇蹟そのものを万が一見るにしても

 

天界の秘義7290[]

 

ましてや、霊界から発している何らかの物が存在していることが承認されてはおらず、起こりはしても、自然に帰せられはしない種類の一切の物が否定されている現今では、その奇蹟の効果は無いのである、なぜなら地上における神的なものの流入と統治に対する否定が遍く行き亘っているからである。それでもし教会の人間が現今神の奇蹟そのものを万が一見るにしても、彼は先ずそれを自然の中へ引き降ろし、そこでそれを汚し、後には幻影としてそれを斥け、果てはそれを神に帰して、自然に帰しはしない者を嘲笑するのである。奇蹟には何らの効果も無いことはルカ伝の主の御言葉からもまた明白である―

 

もし彼らがモーセと予言者とに聞かないなら、たとえたれかが死人から甦っても納得はしないであろう(ルカ16・31)。