アフリカ

 

新しい教会のはじまりについて

 

 

 

1.スウェーデンボルグ

2.聖母から司祭へ

3.天的な資質を持っている

4.新しい教会の初まりについて

 

 

 

 

1.スウェーデンボルグ

 

 

天界の秘義2604(以下、太字は当方による)

 

他生における異邦人の間ではアフリカ人は他の者よりも容易に天界の善と真理とを受けるため、最も愛されている。彼らは従順な者と呼ばれることを特に願っており、信仰のある者と呼ばれることは願ってはいない。彼らは基督教徒は信仰の教義を持っているため、信仰のある者と呼ばれることが出来るが、しかし彼らはそれを受けない限り、または彼らの言うところでは、それを受けることが出来ない限り、信仰のある者とは呼ばれることは出来ないと言っている。

 

 

 

真の基督教107

 

然しアジヤ、アフリカ、インドの人々のように、主に就いて何事も知らない人々は、若し彼らが一人の神を信じ、その宗教の教えに従って生活するならば、その信仰によって救われるのである。

 

 

 

天界と地獄514

 

これらの者の後に、更に北寄りに、色々な異教を奉じた民族の教育所がある。彼らは世ではその宗教に従って善良な生活を送り、それによって一種の良心を得、公正なことを行ったが、それは彼らの政府の法律のためというよりは、宗教の律法のためであって、その律法を神聖に守らなくてはならぬものであると信じ、決して行為では破らなかったものである。すべてこれらの者は教えられると、容易に主を承認するようになるが、それは神は見えない方ではなくて、人間の形を持った見える方であるということがその心に刻みつけられているためである。これらの者は数では他の凡ての者にまさっており、その中でも最良の者はアフリカから来ている。

 

 

 

天界と地獄515

 

しかしマホメット教徒は世ではその宗教を奉じて、後に基督教に回心した天使たちから教えられている。異教徒も同じようにその各々の天使たちから教えられている。

 

 

 

真の基督教835

 

異教徒はその性格と諸天界を経て主から光を受ける能力とに応じて区別され、この点に於いて或る者は気候、人種、教育、宗教によって他の者に優れている。アフリカ人は他の凡てに優っている。

 

 

 

 

真の基督教837

 

 アフリカ人は内的な判断に優れている故、私は神、贖罪者なる主、内なる人及び外なる人というような深い主題について彼らと語った。

 

 

真の基督教838

 

 アフリカ人達は内的には他の異教徒よりも合理的であるため、これらの言葉を聞くと直ちにその真理を認め、また各々その理知に応じた喜びを以て認めたのである。

 

 

 

真の基督教839

 

我々は最後に内的な人と外的な人とについて語り合った。(中略)更に、内的な人は、多くの澄んだ硝子窓を持った家の二階または三階に住み、町を広く見渡すことが出来、その内の凡ゆる家を知っている人々に似ているが、しかし外的な者は、窓が厚紙で出来ている最低の階に住み、そのためその家の外の物は何一つ見ず、単にその中に在る物のみを眺め、しかもそれを蝋燭か火の光によってのみ認める者らに似ている。更に、内的な人間は天駆りつつ遠く広くその下にある物を凡て眺める鷲に似ているが、外的な人間は柱の上に立ち、地面を歩いている牝鶏のために時をつくっている牡鶏のようなものである。最後に、内的な人間は、自らの知っている物は知識の大洋の中の一滴に過ぎないことを認めるが、外的な人間は自らは凡ゆる物を知っていると空想する。鋭い内的な視覚を持つアフリカ人は凡てこの事の真理を認め、そのために非常に喜んだのである。

 

 

 

 

真の基督教840

 

 これがアフリカ人の性格であるために、彼らは現今或る啓示を持ち、それは外へ拡まりつつあるが、未だ海岸に達していない。彼らは人間は信仰のみにより、それ故意志と行為から独立して単なる考えと言葉とにより救われると信ずる欧州の外来者等を軽蔑する。彼らは宗教的な人間はその宗教に従って生活しなくてはならない、若しそうでないならば、天界から何物をも受けないため、必然的に愚劣になり、また邪悪になると語っている。彼らは巧妙な邪悪を愚鈍と呼ぶが、それはその中に死があるからである。私は第三世紀にアフリカのヒッポの監督であったオーガスティンと幾度も語り合った。彼は自ら現今彼処に居り、その住民達に主礼拝を鼓吹している、この新しい福音は近くの地域に拡げられる希望があると語った。私は天使たちがこの啓示を歓んでいることを聞いたが、それは現今まで理解は信仰に服従しなくてはならないという教義により閉じ込められていた人間の理性との交渉がその啓示により開かれるからである。

 

 

 

 

最後の審判とバビロンの滅亡51

 

 審判はマホメット教徒に対すると殆ど同じ方法で異邦人に対しても行われた、しかし彼らは彼らのように円を描いて導かれず、ただ西の近道から導かれ、そこで悪い者は善良な者から分離され、悪い者はそこで、深淵へ斜めに伸びている二つの大きな深い割れ目の中へ投げ込まれたが、善良な者は基督教徒の居る中央の上方の、東方のマホメット教徒の地の方へ向って導かれ、その住居は南方の広大な範囲にわたって、マホメット教徒の後と向こう側とに与えられた。しかし異邦人の中で世で神を人間の形の下に拝し、己が宗教上の主義の生活を送った者たちは天界の基督教徒と連結した。なぜなら彼らは主を他の者以上に承認し、崇拝するからである。彼らの中最も知的な者はアフリカから来ている。そこに現れた異邦人とマホメット教徒との群は巨万を単位にしてのみ数えることが出来るほども大きかった。この莫大な群に対する審判は僅か数日中で行われた。なぜなら人は各々その者自身の愛とその者自身の信仰とに委ねられた後で、直ちにその者自身に似た者のもとへ行くように決定づけられ、連れ去られるからである。

 

 

 

 

(ムーア人またはアフリカ人は白くなりたがっている)

霊界日記432

 

 私はアフリカ人といった、ムーア人または黒人が、他生では黒くありたいとは願わないで、白くなりたがっていることを聞いた。彼らは、備えをした後は、神メシアの天使たちが凡て輝く白色をしており、内的な者たちは白い着物を着ることを愛しているため、白い色を美として尊重している。1747年「59歳」12月30日。

 

 

 

(身体から自由にされ、他生に入って来て、懲らしめられ、罰しられ、責め苛まれることを求めている霊たちがいることについて)

霊界日記453

 

 他の者たち、即ち、ヨーロッパ人の気質に反した気質を持った霊魂たちもまたいる。私は彼らがアフリカから来ていることを話された。これらの者は、他生へ入って来る時、懲らしめられ、つっけんどんに扱われることを愛し、そのことにより善いことを望んでいて、もし罰しられないなら、怒るのである。(中略)かくて彼らはその幻想〔妄想〕を棄て去り、自分たちは天界へ入れられると信じるが、彼らが今言っているところでは、天界へはたれ一人刑罰と苦悶を受けない限り入ることは出来ないのである。これらの人々はそのことを信じ、それを深く彼らの良心の中に貯えていたのであり、それで彼らもまた同じように扱われるのであり、そこから彼らは彼らから楽園のものと呼ばれている喜ばしい光景の中へ入って来る報酬を得るのであり、かくて彼らは彼らを苦しめた輩を嫌悪した後で、楽園を、また非常に多くの歓ばしい光景を眺めるのである。彼らは暫くの間私と話した。その言葉には、布を擦り合わせる音のような、一種の何かがぶつかり合う音が、混ざっていて、そのことにより彼らは区別されている。このことから、また前に私に話された事柄から、アフリカからは他の地方よりも多くの者が天界へ入れられていることが明白である、なぜならこれらの事柄の中には良心は一種の真理の道に置かれているからである。1748年〔60歳〕1月7日。

 

 

 

霊界日記453イ

 

 彼らは、自分たちが全く真理の道を歩んでいることをその楽園の環境から知っているため、そのことを書いてくれるように私に望んだ。彼らは、自分たちは天界ではたれであろうとも、自分たち自身の種族のみでなく、凡ての者を愛している、と言い、かくて彼らはその中に凡ての者に対する全般的な愛を抱いている。彼らは自分の身体の黒いことを嫌悪している、なぜなら彼らは自分らの霊魂は白いが、その身体は黒いことを知っていて、そのことを忌み嫌っているからである。その後彼らはそうした噛み合う言葉を持たなくなるが、その思考は謂わば、天使の思考となり、彼らは、今もそうであるが、頭の上方にいるのである。

 

 

 

(身体の死後つっけんどんに扱われようと願っているアフリカ人が更に話していることについて。)

霊界日記454

 

 彼らは事態が彼ら自身にいかようになっているかを熱心にまた進んで話そうと願っている。彼らの言葉の向け方から、私は、彼らが何一つ誤ったことを言わないように願っており、内的な事柄を求めていることを認めることが出来る、なぜなら彼らはその言葉を吟味するからである。彼らは、自分たちが虐待されている時は、自分たちは黒色をしているが、その後ではその黒色を棄て去って、霊魂の白い色を身につけ、かくて天界に入って行く、と言っている。彼らは今は、自分たちがあの苦しい知覚を得たことを―それを彼らは後では幻想〔妄想〕に帰したのであるが―不思議に思っているのである、なぜなら彼らは今は、自分たちはそうした知覚は何ら持たないで、ただ楽しい、楽園のようなものを持っているに過ぎない、と言っているからである。1748年〔60歳〕1月7日。

 

 

 

 

(究極の[最も外なる]天界における凡ゆる霊たちの中で最悪の者らは自らが基督教徒であると言明した者らであり、またユダヤ人である。)

霊界日記480

 

 私は多くの経験から、最も外なる天界における凡ゆる霊たちの中で最悪の者は世で基督教徒と呼ばれている者らであることを知った。これらの者の大半は何ら信仰を持ってはいないで、真の信仰に属した事柄をことごとく迫害し、憎悪しており、自らが教えを受けることに堪えることもしない。彼らは頑強に自説を主張し、実に、極めてたばかりに満ち、主に反抗し、イエスに対する信仰に反抗し、忠実な者に反抗して、かくも甚だしいたばかりの糸をつづり合わせているため、こうした(憎悪が)彼らの『精神』または根深い性質に密着していることに驚かないわけにはいかない、なぜなら彼らはその際その気質から行動しており、その気質に放任されるときは、復讐神(フューリーズ)さながらの者となるからである。実に、マホメット教徒は、教えられることが出来て、自らが導かれることに甘んじ、容易に信仰を受けるため、そのことには非常に驚くのである。基督教徒に次いで最悪の者は、アブラハムを神として拝した者らを除いたユダヤ人であり、これらの者もまた非常にたばかりに満ちている。凡ての者の中でも最も柔和な者たちはアフリカ人であり、彼らについては前を参照(432、453番)。1748年〔60歳〕1月15日。

 

 

 

霊界日記4776

 

天界から発している教義について、また聖書について話し合った者たちは、すでに言ったように、前の者たちのやや右におり、彼らはアフリカへの入口にいることが認められた。

 

 

 

霊界日記4777

 

次に、漠然とした幻においてではあったが、いかような方法で、その天界の教義がアフリカの中で進展するかが示された、即ち、その場所からアフリカの内部の方へ進展はするが、依然、その中央までは達しないのであり、その際、地中海に更に接近している、アフリカ内部にいる者たちのもとへ進路を変え、かくて長い距離を進みはするが、海岸までは進みはしないのである。次に、しばらくして、内部の地帯を通ってその進路を元の方へ向けてエジプトまでも達し、また、更にそこから進んで、トルコ政府の下に在るアジアの或る地域に達し、また周囲のアジアの或る地帯にも達するのである。ここから、天使たちは以下のことで喜んだのである、即ち、主が来られることが今や切迫しており、教会が―それは今では欧州では死滅しつつあるが、それが―アフリカにおいて新しくされ、そのことが主のみにより、啓示により、行われはするが、基督教徒から宣教師たちによっては行われはしないのである。その国々の人々もまた基督教の宣教師たちからいかような教義も受け入れないように警戒されはするが、しかし実にその宣教師の言葉を聞きはするが、その者らを信じてはならないのである。そうした理由からまた、かの天界の教義はその海岸の近くにいる者らに明らかにはされないのである。なぜなら基督教徒はそこへ来て、スキャンダル[名折れになること]を持ち込むからである。なぜならこれらの者は凡ての者にもまさって何一つ信じてはいないし、また不敬虔な生活を送っているからである。

 

 

 

 

霊界日記5516

 

今や私は、先ず、北の道により、後には、西の道によりアフリカ人のもとへ連れられて降った―なぜなら彼らは真中から遠く離れた西に、そこの北の角の方に住んでいるからである―最初私は地上の石の宮殿に似た一種の宮殿へ来たが、そこには若干の人々がいた、その後で、更に遠くへ進み、そこに立ち止まり、その際、真中から、またはかの大学から、遠方へ遣わされている莫大な数の者たちの言葉を聞いたのであり、交流が与えられて、以下のことが発見された、即ち、その国民らはアフリカ人であり、その宗教的信念に従って善く生き、一人の神を、またその神を人間の形の下に承認したのである。

 

 

 

霊界日記5517

 

 私は少しく彼らと主について話した。彼らは、自分たちは情報〔教えられること〕を求めており、真理を知ることを愛している、と言った。私は彼らに以下のことを話した、即ち、人間の形の下に一人の神を承認して、善良な生活を送った者たちは、教えられて、明るくされることが出来る者たちであるが、そのことはその者たちは真理を求める情愛の中にいるためである、なぜなら生命の善は真理を欲求するにまさって何ものも欲求しないからである、なぜならそれは善く生きる方法を知ろうと欲するからであり、そのためその者たちは教えられる時喜ぶのである、と。彼らはそのことを承認して、喜んだが、後で、私はまた、天界の教義から神的諸真理〔神の諸真理〕を教えられている非常に多くの霊たちと天使たちとがそこへ遣わされていることを聞いたのである

 

 

 

 

霊界日記5518イ 

 

 約言すると、アフリカ人はその宗教とその律法とを愛し、それに従って生きており、それで、彼らはそうした性格のものであり、即ち、内的なものである。彼らは以下のことを教えられた、即ち、キリスト教徒はその宗教に従ってそのようには生きはしないで、その民法に従って生き、単に宗教の教義的なものを記憶の中にのみ留めて、生命〔生活〕のためにそこからは稀にしか考えはしないで単に教義のためにしか考えるに過ぎないのである、なぜなら彼らは自分らは教義の信仰のために救われて、生命〔生活〕のために救われはしない、と信じており、生命〔生活〕の教義を持ってもいないからである、と。このことを彼らは非常に怪しんで、それがそうであることを信じようとは欲しないで、以下のように信じていたのである、その宗教に従って生きはしない人間は一人としていない、もしそれに従って生きないなら、その者は愚物にならないわけにはいかない、なぜなら、その時は、彼は天界からは何一つ受けはしないからである、と。

 

 

 

続最後の審判とバビロンの滅亡76

 

これが世にいるときですらアフリカ人の性格である故、現在、彼らに啓示がなされ、それは中央から始まって、周りに伝えられているが、しかし海には達していない。彼らは彼らの主を天地の神として承認し、訪れて来る地方の修道僧や、また三重の神性とただ考えるのみで救われると言う基督教徒を笑って、言う、礼拝をしている者で、その宗教に従って生きない者は無い、それに従って生きない者は、天界から何物も受けないから、愚鈍で、邪悪なものになるに違いない、と。彼らはまた巧妙な邪悪を愚鈍と呼んでいる。なぜならその中には生命はなくて死があるからである。私は天使たちがこの啓示のために喜んでいるのを聞いた。なぜなら信仰の事柄の上に引かれていた盲目のカーテンによってこれまで閉じられていた人間の合理的なものとの連絡が、その啓示により彼らのために開かれたからである。「主に関わる、また聖言に関わる新エルサレムの教義」と「新エルサレムのための生活の教義」の中に今や公にされた真理がその国に住んでいる者たちに天使的な霊により口授されていることが天界から私に言われたのである。

 

 

 

続最後の審判とバビロンの滅亡78

 

 彼らは言った、ヨーロッパから来た外国人は入ることを許されていない。もし誰かが、特に修道僧が彼らの国へ入り込むなら、彼らはその者たちにその知っていることを尋ねる、その者たちが己が宗教上の信念について何か特殊なことを述べると、彼らはそれを耳障りな、無意味なことと言い、それからその者たちを何か有用なことをするように、仕事に追い立てる、もし仕事をしようとしないなら、その者たちを奴隷として売り払ってしまう。彼らの法律はその者たちを意のままに懲らしめることを許しているのである、もし彼らがその者たちを何か有用なことを為すように強制することも出来ないなら、その者たちは遂には僅かな価格で最低の階級に売られるのである、と。

 

 

 

 

 

2.聖母から司祭へ

 

 

聖母から司祭へ1981、5.13

 

 あなたは、アフリカのたくさんの国々の道を歩いています。この巨大な大陸は、その大勢の子らの貧しさのために、単純な心と善良さのために、こんなにも私の心に愛されています。

 

 

 

 

3.天的な資質を持っている

 

 

霊界日記4783

 

これらの事柄から、主が最後の審判について話されているところで、主が言われているものに意味されていることが明白となったのである、それは[最後の審判は]主が来られること、代の終結[完結]と呼ばれており、その時にはまた神殿は破壊されるに違い無いのである(マタイ24・1−3)。天使たちは主が来られることについては、以下のように言った。即ち、新しい教会が興されなくてはならない度毎に、主御自身が来られて、教えられなくてはならないのであり、そのことは最古代教会と古代教会とが設立された時と同様であり・・・・・・・・・・・・、特に、ユダヤ教会が設立された時と同様である。即ち、その際主はモーセに藪の中で現れ、更にシナイ山で現れ、また予言者たちを通して現れ給い、予言者たちにより、主御自身から発している聖言が与えられたのであり ― 同じようにまた、今そのもとに新しい教会が設立されなくてはならない者たちのもとにも(現れ給うのであり)、その者たちに主御自身が天使たちにより教えられるのである。更に、アフリカ人はこの地球内の他の者以上に天界の教義を受け入れるのであり、そのことはそこから来ている霊たちから知ることが与えられたのである。これらの者は、主にかかわる教義を、天使たちから、進んで受け入れるのである。彼らは、主は全く人間として現われ給うに違い無い、そのことは他の方法では起り得ないことを、彼ら自身の中に、他の者にもまさって、植え付けているのである。彼らは信仰の諸真理のみでなく、その諸善を受け入れる能力を得ているのである。彼らは天的な資質を持っている。

 

 

 

 

霊界日記5518

 

 アフリカ人は、この地球では他の凡ての民族にもまさって明るくされることが出来る民族である、なぜなら彼らは、内的に考え、真理を受け入れ、それが真理であることを、他の民族とは、例えば、ヨーロッパ人とは異なって、その根拠から承認するといったものであるからである、ヨーロッパ人は外的に考えて、その事柄を記憶の中に受け入れ、また彼らは、それが真理であることを以下の根拠以外のものからは認めもしないのである、即ち、彼らは幼少期の頃からそのように教えられてきており、またたれかがそのように言っており、その者は知っている、と彼らは信じているためであり、かくて、権威から受け入れているのである。私たちの地球ではアフリカ人は、天的な王国にいる天使たちが得ている資質を得ている者たちであり、ヨーロッパ人〔欧州人〕は霊的な資質を得ている者たちであり、その相違の性質は「天界の秘義」の中に参照することが出来よう。

 

 

 

4.新しい教会の初まりについて

 

 

新しい教会の初まりについて

 

霊界日記4770

 

後で、教会の中にいる無神論者の仲間が現れた。それが消え去ると、多くの者により、以下のことが言われた。即ち、諸国民の或る所で、天界から或る啓示が起り初めている、と発表されている、即ち、霊たちと天使たちとが彼らと話し、天界の教義を教え、特に主について教えており、そこの者たちがそれをかき抱き、かくして天界から新しい教会が起りつつあるのである、と。その際彼らはこのことについて話し、以下のように言われた、そのようにして、新しい諸教会が前に設立されたのであり、即ち、ユダヤ教会は、奇蹟により、またモーセとシナイ山から話す生きた言葉により、かくて霊たちと天使たちとを用いてユダヤ教会が設立され、基督教会は奇蹟により、また人間が霊たちと話すことにより設立されたのである。なぜなら霊たちは使徒たちと話し、さらに、その奇蹟の他に、多くの者はまた外国語で話したからである。そこから天界に喜びが起った。

 

 

 

霊界日記4771

 

このことは前面の左の方に、恰もアフリカの近くのアジアの或る所に起るように見えたのである。

 

 

 

霊界日記4772

 

その際その所から多くの者たちが、即ち、その者たちの霊が現れて、天使たちと話して、主から天使たちを通して、天界の教義に属しているような事柄について教えられ、自分らはそのことを自分らの民に伝えようと言った。その後で偽善者らが来、或る者らは地獄から来て、それに反した事柄を持ち込んだが、しかし、前の霊たちはそのことに耳を傾けはしないものの、それでも聞いて、反対の事柄を知り、更に良く真理を明らかにされようと願った。なぜなら照示が与えられる所には、それに反したものの考えもまたそこになくてはならないからである。

その後で、その天使たちは以下の事実について共に話した。