天界の秘義2075〔2〕

 

さて『九』という数字は連結を意味しており、まして九に十をかけてできた『九十』という数字はなおさらそのことを意味していることは(なぜなら『十』は前の1988番の終わりに言われたことから明白であるように、連結が遂行される手段となる残りのものを意味しているからである)、今以下に記される表象的なものと表意的なものからもまた認めることができよう。第七の月の九日目の夕方に、すなわち夕方から実に夕方にかけて、安息日を祝わなくてはならないことが命じられたのである。(レビ記23・27、32)。

 

〔3〕内意ではこれらの事柄は残りのものによる連結を意味しているのである、すなわち『九』は連結を、『十』は残りのものを意味しているのである。

 

 

天界の秘義2269

「かれは言われた、わたしがもしそこに四十五人を見出すなら、わたしは滅ぼしはしない」。これは善と真理とがともに連結されることができるなら、人間は滅びないにちがいないことを意味していることは、四十五の数字の意義が連結であることから明白である。単一の数字はその数字をかけたときすらもその単一の数字の意義を保有しており、従って大きな数字も小さい数字の意義に類似した意義を持っていることは既に示したところであり、四十五の場合も同様であって、この数字は九に五をかけた数字であり、それは九に五を掛けたものであるため、『五』と『九』とがもっていると同じ意義を持っているのである。『五』は僅かなものを意味していることは前に示したところであり(649番)、『九』は連結を、または連結しているものを意味していることは、2075番に示したところであり、かくてここの意義は、もし善が或る程度なりと真理に連結しているならば、である。