天界の秘義2044

 

「八日の息子」。これは何であれ清められることの初まりを意味していることは『第八日〔八日目〕』の意義から明白である。七日である『一週間』は、個々の人間であれ、全般的な教会であれ、その何れかを問わず、その人間の、またはその教会の改良の、再生の、試練の状態または時間といった何らかの状態の、または時間の一つの全体を意味しており、かくて一つの期間が、それが(第一部728番に引用した記事から認めることができるように)一千年の期間であれ、百年の期間であれい、十年の期間であれ、または十日の、十時間の、十分といったものの期間であれ、『一週間』と呼ばれているのである。そして第八日〔八日目〕は新しい一週間の最初の日であるため、それは何であれ、何かの初まりを意味しているのである。これはまた、割礼はそれ自身清められることを表象するものであったように、その時間も、すなわち第八日〔八日目〕もまた清められることを表象するものであったことを示しており、それはかれらがそのときさらに清められた状態に入って、そうした理由から清められたことを示しているのではなくて、『割礼』が清められることを意味したように、第八日〔八日目〕も、それが〔清められることが〕あらゆるときに行われなくてはならない、かくて新しい初まりから行われるものとして常に行われなくてはならないことを意味したという理由によっているのである。

 

 

天界の秘義2866

 

「この八人をミルカはアブラハムの兄弟のナホルに生んだ」。これは第二の部類の救われた者たちを意味していることは『八』の意義から、また『ミルカはアブラハムの兄弟ナホルに生んだ』と二度も言われていることから明白である。第八日は次の週の最初の日であるため、それで『八』は前に起こった事柄とは明確に区別されるものを意味しており(2044番参照)、それでここではそれは他の部類の者を意味しとり、その数はそうした意義のために附加されたのである。