天界の秘義1825

 

『三才』が教会の時と状態の方面のあらゆるものを意味していることは、聖言の『三』の意義から明白である。『三』により教会のすべての時が、すなわち、その起原からその終りにいたる時が意味されており、かくてその状態のすべてが意味されている。

 

 

 

天界の秘義4495

 

 3・・・完成して終わりにすら達したもの。

 

 

天界の秘義4901

 

 3・・・完成したもの。

     最後のものと最初のものとが共になっているもの。終わりと始まりとが共になっているもの。

     (1825、2788、4495)

 

 

静思社/スウェーデンボルグ/聖書29

 

3・・・完成したもの。『存在している』全体のもの。完成した業。

 

 

黙示録講解820ロ[]

 

主はペテロに向かって、ペテロが自分は主を愛していますと答えたとき、『あなたはわたしの子羊と羊とを飼わなくてはならない』と言われたことは、ペテロが主に対する愛の善から真理の中におり、または諸真理から教義の中にいる者たちを表象し、そうした者たちは他の者たちに教える者らであるためであったのであり、そのことについてはヨハネ伝に以下のように記されている―

 

(ヨハネ21・15−17)

 

このことからペテロは主に対する愛の善から発した真理を表象したことは明白であり、このことがかれが今ヨナの子シモンと呼ばれた理由である、なぜなら『ヨナの子シモン』は仁慈から発した信仰を意味するからである、『シモン』は傾聴することと服従とを意味し、『ヨナ』は仁慈を意味する鳩を意味している。主に対する愛から真理の教義の中にいる者たちは、主の教会に属するであろう者たちに教えなくてはならないことは『あなたはわたしを愛しますか』と主がたずねられたことにより、後に『わたしの子羊を飼いなさい』と『わたしの羊を飼いなさい』とたずねられたこととにより意味されている。ペテロのみが教えるのではなく、ペテロにより表象された者が凡て、すでに言ったように、主に対する愛の中におり、そこから主から諸真理の中にいる者が凡て教えるのである。ペテロが三度たずねられたのは教会の十分な時を、すなわち、その初まりからその終りに至る時を意味するためである、なぜならそのことが『三』の意義であるからであり、それでかれは三度たずねられたとき、『ペテロは悲しんだ』と言われている。

 

 

 

 

三人

 

黙示録講解411ニ

 

凡ゆる真理の総合体を意味しているため、真理について述べられる。「十二」も同様。

 

 

 

三ヶ月たって 

 

天界の秘義4901

 

「ほぼ三ヶ月たって」(創世記38・24)・・・新しい状態

 

「ほぼ三ヶ月たって」により新しい状態が意味されていることは、前に言ったように、『月』により―その月へまた世の時間は区切られてはいるが―状態が意味され、『三』により最後のものと最初のものとがともになったものが、または終わりと初めとがともになったものが意味されているためである。霊界には状態が次から次へと絶えず進歩しており、従って一つの状態から他の状態へと状態は絶えず進歩しており、従って各々の状態の最後または終わりの中に最初のもの、または初まりが在り、そこから連続したものがあるため、それで『ほぼ三ヶ月たって』という言葉により新しい状態が意味されているのである。

 

地上の霊界または主の王国であるところの教会にあってもまた同じであって、一つの民族における教会の最後は常に他の民族における教会の最初のものとなっているのである。このように最後のものは最初のものの中へ連続しているため、主についてはいくども、主は最後であられ、また最初であると言われ(例えばイザヤ41・4、44・6、黙示録21・6、22・13)、そのことによりそれに関連した意味では永続的なものが意味され、最高の意義では永遠のものが意味されているのである。

 

 

 

啓示による黙示録解説416

 

そして『禍いなるかな、禍いなるかな、禍いなるかな、』により最も深い嘆きが意味されている。なぜなら『三』は凡てと満ち溢れたものとを意味しているため、三つ重ねることは最高度のものを意味するからである(505番)。