窓際の人

 くい、と顔を覗かせてその人は問い掛けた。
 「何か、欲しい物はありますか?」
 そう言われて、心の中で彼は“またか…”と考えた。
 1月の終わりから、何故か彼女はそわそわしている。考え込んでいる彼女と目
が合うと、いつもの笑顔が返ってくるのだが、その次にはこんな台詞を投げかけ
られる。
 「別に無い。」
 いつもの問いに、いつもの返事。答えるクライヴがその後に目にするのは、残
念そうな…ラビエルの顔。
 「クライヴ…前から聞いているのですが、まだ見つかりませんか?」
 「ラビエル…前から答えているが、まだそれを聞くのか?」
 日頃なら自分が答えると、そこで会話が終了するのだが、今日は彼女は引き下
がらない。
 「答えて欲しいから、聞くのですよ?クライヴ。」
 「無いのだから、別にいいだろう?」
 「良くないです。」
 その返事に思わず彼は無言になり、二人の間に小さな沈黙。先月からのやり取
りに、いささか不毛さを感じていたクライヴは、はっきり疑問を口にした。
 「何故、俺の欲しい物をそんなに聞きたがる?」
 「ええっ!?こんなに尋ねているのに、心当たりが無いのですか!?」
 ラビエルが心底驚いた顔で、声を上げた。
 大きな瞳は驚きで見開いた後、それから笑顔で細められた。相変わらず豊かな
表情に、無言でクライヴが見守っていると、今度はくすくすと声を漏らして口が開く。
 「以前から…貴方が勇者の頃から思っていた事なのですが…」
 「・・・・?」
 「本当にクライヴは、自分自身の事に…無関心ですねぇ!」
 さらりと言われて、誉められているのか否か考える。やっと出た言葉と言えば。
 「心当たりが無いんだ。無関心と言われても、ラビエルが何を言っているのか…
本当に分からない。」
 片言のような呟きに、優しい眼差しはそのままで。
 「クライヴは…自分の事に無関心で、それでいて…」
 続きに耳を傾ける。
 「それでいて、他の人の事には…気を遣われる方なのですけどね。」
 予想外の言葉に、再び返事が出来なかった。


 買い物に出かけて歩いていった、彼女のいない小道に視線を向けている。
 雲のない晴天で、雪国にしては久々の好天に、ラビエルは張り切って出かけて
いった。
 窓辺から見える空の色を見上げ、ぼんやり漆黒の髪を掻きあげてみる。静かな
室内で、一つの溜息を洩らす。
 「ラビエルの言うことが…」
 ―― 分からない時が、あるのだ。
 途中からの言葉は、静寂が飲み込んでいった。先刻の会話の続きを思い出す。
 「他人の事に、気を遣う?俺が…?」
 「ええ。クライヴは、優しい人ですよ。」
 彼女の言うことが、心当たりが無くて自然と眉をひそめる。そうしてもう一度
相手を見たが、ラビエルといえば一人納得したように、にこにこしているばかり
だった。
 それから後に、出掛ける彼女を送り出した今。
 一人で考えてみたが、その意味が分からないままだった。窓からののどかな風
景に、また溜息が零れる。
 これまでの彼といえば、血の宿命に抗う殺伐とした生活であったし、元々感情
の変化が豊かな人物ではなかった。
 ラビエルと一緒に過ごし始めて、約4ヶ月。自分を選んでくれた彼女に、素直
に喜びがあったが、彼女が訪れて転換された日々に、未だ戸惑いの毎日である。
 彼にしてみれば以前に比べると、会話もする機会が増えたし、それに伴い笑う
ようにもなった。そんな変化の中に、戸惑っている彼がいる。
 ―― ラビエルの反応に、困惑する事がまだある。
 先刻の会話がそうであったり、例えば些細な出来事に。日々彼女が自分に向け
る表情は明るくて、眩しくて。そんな相手に満ち足りた気分になるが、幸せな自
分を感じながらも、慣れない、追いつかない感覚に微かな不安もよぎる。
 一人でふと、部屋でぼんやりする時に湧き上がってくるこの思いが、贅沢な事
だと分かっていても。
 緑の間から漏れる光の粒を、もう一度窓辺でクライヴは眺めた。
 「ラビエルは、いつ頃戻るのだろうな。」
 ぽつりと呟いた言葉に、彼自身は気付いていない。


 耳を澄ますと、規則的な物音が聞こえてきた。音のする方へと、階段を降りて
行く。台所をパタパタと、左右に行き来している聞き慣れた音。
 ―― 皿を持って、テーブルに向かっているな。
 慌てなくとも、テーブルは逃げないと以前いった事を、思い出す。
 ―― それにしても。今日はやけに音が多いな。
 「ラビエル?」
 「クライヴ!?もう起きてしまったのですか!?」
 ドアの先では、こちらに気付いて大きな声を、ラビエルが上げた。両手は皿で
塞がっている。顔だけ向けて、彼女は残念そうに零した。
 「折角…もう少しで準備が終わって、貴方を驚かせる事が出来たのに…。」
 「何のことだ。」
 又分からない言葉に問い掛けたが、皿をテーブルに置いた彼女は、言った。
 「とりあえず…そこのいつもの場所に、座っていてもらえますか?もう少しで、
終わりますから。」
 “いつもの場所”と言う窓辺を見ると、初めて見る小さな木製の椅子がある。
その椅子に腰を掛けると、見た目よりも安定感があって、落ち着けた。
 彼女の言う通り、待つ傍らに窓に視線をやると、眺めるにはうってつけの青空
が広がっている。
 「貴方に聞いても、結局無い、と言われたので…私の独断で決めてしまいました。」
 「?・・・・」
 背より向うから、ラビエルの声がする。
 「本当は、希望の物を準備するのが望ましいのでしょうけど…無い、と言うこと
だったので…貴方に必要そうな物を、考えてみたんです。」
 「言っている意味が…分からないのだが。」
 後ろで、吹き出すような音がした。
 「やはりクライヴは…自分の事に無関心ですね。今日は、貴方の誕生日じゃない
ですか!」
 可笑しさをこらえるように、彼女が言った。そしてやっと、クライヴは先月か
らの彼女の言葉と意味を、理解する。顔を向けた彼と目が合って、苦笑したが再
びラビエルは、手を動かした。
 「そこに立って…景色を眺めているでしょう?外出から戻った時、よく見かける
んですよ。」
 買い物帰りの彼女を、いつも外を眺めて待っている癖を、クライヴが改めて思
い出した。
 「時には窓にもたれて。腕を組んで遠くを見ていたり…それから、ぼんやり立っ
たままだったり…いつも同じ場所で。」
 彼の真意を知っている訳ではないが、クライヴの癖をラビエルは、細やかに口
にした。
 「いつも、思ってたんです。同じ場所に行かれるなら、ゆっくり腰を下ろして、
そこから眺めたら…もっとのんびりと、色んな景色が見えるのじゃないかと。…
そう思って、お祝いにその椅子を選んでみたのですよ?」
 テーブルの皿が、休まず次々と増えている。


 窓辺に立っていたのは、留守のラビエルを待ちわびて、そして不安を打ち消そ
うとしての事だった。
 繰り返すその姿に、無意識なのか彼女も気付いていた。
 満ち足りた日々にさえ、不安を感じている自分がとても、馬鹿らしく思えて来
る。その小さな椅子に座って空を、ラビエルを見ていると、彼女の様々な思いが
伝わってくる。
 自分はこんなにも手一杯だと言うのに。そんな自分を見て気遣うラビエルは、
目の前に、側にいると言うのに。
 ―― 彼女といて、何を不安がる必要があると言うのだろう?
 熱心に動き回る彼女を、目で追いながら今までの思いが吹き飛んでいく。
 「いつもお世話になっている貴方の、お役に立つといいのですが…。」
 ラビエルの言葉は、柔らかに彼の耳に残っていく。
 ―― 分からないことは、分かるまで聞けばいい。反応に慣れなくとも、慣れ
るまで向かい合うといい。
 「出来ました!!お待たせしましたね、クライヴ!!」
 仕度を終えた相手が嬉しそうに、目の前にやってきて手を差し出してくる。
 「こちらへ、どうぞ。」
 目を輝かせたラビエルが、何かを言う度、心に響いてくるようだった。
 聞けば聞くほど、安堵の思いが湧いてくるようで。
 ―― 君と一緒の時間は、
 「確かに…ここにあるのだからな。」
 自然と、思った事を口にしていた。
 ―― 分からないと、慣れないと…焦らなくともいい。ゆっくり、君と過ご
していこう。
 「はい?」
 目の前の細い手に、自分の手を伸ばしクライヴは抱き寄せた。
 「ありがとう。ラビエル…」
 耳元で、穏やかな声が彼女に届く。
 優しい抱擁に、不意をつかれた相手は一瞬ぼんやりしていたが、囁かれた言葉
に笑顔を浮かべ、返事の代わりに思い切り抱きしめた。
 窓辺から、差し込む光が二人にかかる。今日の快晴を物語っていた。


-END-


:管理人コメント:

窓から天使様の戻っているのを待っているクライヴは親を待つ子供のようで何だかとても微笑ましいです♪そんな中、2人ですごす穏やかな時間とこれからをも予見させる雰囲気が幸せに溢れてて読んでいてホッとします。
平凡ではありますがこういうのが一番の幸せですねvv


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