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「大丈夫か?エリシス。」
「え、ええ・・・。」
震えを押さえ、なんとか声を絞り出しながら頷く。
エリシスはちらりと彼の肩ごしに、背後に累々と広がる無残な魔物達の屍の山に目をやった。
わかっている。元々は油断して姿などを見せてしまった自分が悪いのだ。
これは、魔物に襲われかけた彼女を助ける為にクライヴが咄嗟にとった行動の結末。
だけど・・・これでは・・・。
怒りのままに刀を振るい、逃げかけた魔物までも背後から容赦なく斬り捨てていく様は、
まるで・・・本物の悪魔のようだった。
彼を魔法で援護するのも忘れ、ただひたすらにその光景に息を呑み、見守り続けた。
正直言って、怖かった。
何故、そこまでする必要が・・・。
疑問と不審感にとらわれながらも、彼に助けられたのだという意識から、エリシスは何も
言葉を発することができずにいた。
「そうか・・・。君が無事なら、それでいい・・・。」
「・・・・・。」
ほっと安堵の息を洩らす彼に礼を述べることさえできず、思わずうつむいて視線をそらせた。
肩に置かれた手が重い・・・。
最近ときどき彼のことがわからなくなる。
初めて会った時も、クライヴは何かを求めるようにただ闇雲に刀を振るっていた。
でもその時は、少なくとも恐怖は感じなかった。
むしろそんな行動の中にしか己の存在意義を見出せない彼を、救ってあげたいと思った。
彼の心の内にひそむ苦しみに気づいたから・・・。
変わり始めたのはいつだったろう。
クライヴは勇者として天使である彼女の導きのままに、各地を訪れ悪魔に襲われた村や
人々を救ってくれた。闇の中でヴァンパイアハンターとして一人孤独に生きてきた彼も、
少しずつ光ある方へと歩み始めたのだと思っていた。
しかしある時、突然北を目指すと言ってクライヴは姿を消し・・・。
ちょうどその辺りからだった。彼の様子に不審を抱き始めたのは。
その後も今まで通り普通に依頼をこなしてくれていたが、何かが・・・。
上手くいえないが、苦しんでいる人々を救う為ではなく、戦いの場を与えられる事に彼の
真の目的が隠されている気がしてならなかった。
まるで・・・ただ血を欲しているかのような・・・。
考えて少しぞっとした。
ふいに腕を掴まれる。
「きゃっ!」
唐突のことだったので小さく叫び声をあげてしまう。
「・・・血が、出ている・・・。」
「あ・・・。」
見ると手首のあたりに小さく切り傷ができていた。
ほんのかすり傷程度だが、場所が悪かったのか血が流れ出している。
「平気です。このくらい。」
笑顔で答えながら慌てて引っ込めようとするが、彼にしっかりと腕を掴まれていて離れない。
クライヴは彼女の手を間近に引き寄せ、その傷口にゆっくりと顔を近づけた。
「・・・クラ・・・んっ・・・。」
唇が傷口に触れた瞬間、走った痛みに思わず顔をしかめ、声を洩らす。
彼はそのまま血のついた肌に舌を這わせていく。
クライヴ・・・?
濡れた感触が伝い、そこから広がる軽い痺れに包まれながら呆然と彼を見返すエリシス。
クライヴは彼女の内心の動揺もまったく気にもとめず、傷口を丹念に舐めとっていった。
動悸が早まる。
いつまでも無心に舐め続けている彼。
このままだとどうにかなってしまいそうだった。
「あの・・・ありがとうございます。クライヴ・・・。でも、もう大丈夫ですから。」
少し強引に手を引っ込め、慌てて背を向けた。
「・・・・。」
手首をきゅっと握りしめ、うつむくエリシス。
しばらく沈黙した後、やがて彼女はぽつりとつぶやいた。
「また、来ますね・・・。」
翼を広げ、はばたこうとしたその時。
「・・・エリシス。待って、くれないか・・・。」
後ろからかかる声。
「・・・・・。」
彼女の中に迷いが生じる。
今振り返ってはならないような、何故だかそんな感じがする。
本当はこのまま立ち去りたかった。
怖い・・・というよりも、どうしようもなく悪い予感がする・・・。
だけど勇者の頼みを聞かないわけにはいかない。
天使であるエリシスには、彼の言葉から逃げることはできなかった。
「・・・はい。」
彼女は長い間をおいてから、ようやくクライヴの方に向き直る。
だがまともに彼の顔を直視できず、ただただその場に立ちつくす。
伸ばされた手が視界に入ってくる。
ぴくっと反応し、思わず数歩後ずさった。
背中にあたる感触。
いつのまにか木に追いつめられるような形になっていた。
クライヴは片手を木につけて、天使が逃れられないように腕で囲いながら、
ようやく口を開いた。
「君が欲しい・・・。」
はっと目を見開くエリシス。
彼の求めるものの真意を理解しかね、動揺する瞳を彼に向けた。
「ク、クライヴ?」
「・・・・だめか?」
じっとこちらを見つめ、試すように覗き込む蒼い瞳。
その不思議な光と深さに吸いこまれそうだった。
「そうじゃ・・・ありません、けど・・・。」
まるで何かに操られているように、ほとんど無意識にそう答えるエリシス。
やがて重ねられる唇。
触れるだけではない、奥まで蹂躙するような深いキス。
驚いて固く閉じかけた口をこじあけ、熱いものが侵入してくる。
激しさに息ができない。
苦しくて彼女の目の端にうっすらと雫が浮かんだ。
だがそれよりも、思った以上の甘さに驚きと戸惑いを隠せなかった。
溶けるような初めてのその感覚に徐々に理性を奪われていく。
ようやく彼の唇が離れた。
「クライヴ・・・。」
恍惚とした表情で見つめ返すエリシス。
クライヴはそのままゆっくりと彼女の肌をたどっていく。
耳から顎、うなじから、鎖骨へ・・・。
キスの余韻で意識が朦朧としていて、自分が何をされようとしているのかさえ
考えられなかった。
「・・・っ!」
突然首筋を襲った痛みに、エリシスは顔をゆがめる。
な、なにを・・・?
首に顔を埋めているクライヴの表情はわからない。
今何が起こっているのかも、よく理解できなかった。
ただしだいに襲ってくる恐怖と激しい痛みが更に強さを増していく。
「・・・・っあぁ!!」
たまらずに叫んでしまってから、きゅっと唇を噛みしめた。
身体が、全身が熱い。
自分の奥から何かが吸い取られ、奪われていくような感覚と同時に、暗くどす黒いものが
彼女の中に流れ込んでくる・・・。
天使としての純潔がそれに拒否反応を示す。
「う・・・ぅ・・。」
額にじっとりと汗がにじむ。
クライヴの肩に掴まりぎゅっと服を握りしめながら、痛みにも恐怖にも必死に耐えた。
やがて彼の身体が離れ、エリシスはそのままずるりと崩れ落ちる。
「これが・・・天使の・・・血?」
口元から滴る鮮血を手の甲で拭いながら、独白する。
生まれてはじめて啜った血はクライヴにこれ以上ない甘美な快感をもたらした。
木の幹に寄りかかるようにしてエリシスはうっすらと目を開き、そんな彼に視線を向けた。
ようやく気づいた。
彼が何を求めていたのか。
本能的に感じていた警告が、何を意味していたのか・・・。
人の血を求めるのはヴァンパイアの性。半分は生き延びる為、半分は快楽の為・・・。
そしてこの時になって彼女はようやく思い出していた。
ヴァンパイアハンターでありながら、彼も半分は吸血鬼であるという事を・・・。
「・・・ラ・・・イヴ。目を・・・醒ましてください・・・・。」
彼女の頬をひとすじの光が伝う。
異変に気づきながらも、それを止めることのできなかった自らの無力さ。
あの苦しみから彼を救えなかった・・・その悲しみが、彼女を襲う。
エリシス・・・?
汚れない涙を目にして、クライヴの奥底に眠っていた意識がほんの少し覚醒する。
そうか・・・。俺は、奴の血に屈してしまったのか・・・。
はだけた衣装からのぞく白い肌に、くっきりと鮮やかに浮かび上がる紅い筋。
自分のせいで、エリシスは・・・。
その姿を彼はやけに冷静に眺めていた。
俺が、傷つけてしまった・・・。彼女を・・・この汚れない純真な天使を・・・。
だがそれは甘い誘惑。
光に包まれた決して手の届かない存在だった天使を、彼女とは正反対の闇の住人で
あるはずの自分が・・・。
それは今までいくら願っても叶えられなかったこと。
でも・・・彼女は今、目の前に・・・。
腹の底からわき起こる欲望に、クライヴは自分がもう戻れないことを知った。
苦しげに眉を寄せたまま、すでに意識を失っているエリシスの額に彼はそっと口づけを
落とした。
もう引き返せない・・・。君を光の中に戻してやることも。
なによりようやく掴むことのできたこの手を離すことなど・・・。
血で汚れた手で、彼女の頬をゆっくりと撫でる。
その頬にうすく残る紅い跡。
なら、二人で堕ちよう・・・。
倒れた天使を抱きあげ、クライヴは静かに立ち上がる。
気を失いぐったりと動かない天使を腕に抱えたまま、大地に広がる魔物達の屍の中を
歩いていく。
やがて二人の姿は深い夜の闇の中へと消えていった・・・。
END
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