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| Dearest |
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| 「…ねえ、そういえばさっきのお客様の話は何の用だったの?」 |
| ミシカがふと、思い出して隣に座るクライヴに問うた。若し、言えないのだったら |
| 無理しなくてもいい、と続けて言ったが。 |
| 「依頼には見えなかったから、ちょっとだけ気になったの」 |
| そう小さく笑うと、温かいココアを口に含む。 |
| 彼女が人となって大地に降り立ってからもうすぐ半年になる。暦ではもう春が来て |
| いて、恐らく聖都の辺りでは春の花が咲き乱れている頃だろう。レグランスに至って |
| は海で水遊びをしていることだって十分にある。しかし、スラティナの地はまだ春遠 |
| く、夜の冷えは大分和らいだものの、まだ侮ることは出来ない。 |
| 一緒に暮らし始めたこの冬の間、クライヴが仕事で留守の時以外、夕餉の後は |
| 湯浴みを済ませ夜着に着替えたら、沢山の薪を赤々と燃やす暖炉の前で二人で |
| 毛布に包まり、温かいココアを飲み、その日の出来事を話すということがすっかり |
| 日課になっていた。流石に真冬程の厳しい寒さではないので、毛布に丸まってい |
| る必要は、もう無くなったが。 |
| 何気ないことだけど、思ったことを素直に口に出せるので、言外こそしなかった |
| が、二人はこの事が気に入っていた。 |
| ミシカが訊いてきたことは、彼女が街に買い物に行ってる間に訪れた二人連れの |
| 客のことを言っているのだと、クライヴにはすぐ判った。 |
| 帰ってきてドアを開けた瞬間の、彼女が見せた訝しげな表情。その後直ぐに客達 |
| は帰って行ってしまったので、彼女にはさぞ今日の残り、消化不良の出来事であっ |
| たと思った。 |
| 「あれは…聖都の教皇からの使いだ」 |
| 「…ロクスから?」 |
| 意外な人物の名が挙がったので、ミシカは素直に驚いていた。 |
| 「本当は本人が直々に来たかったらしいが、即位・戴冠の儀が近いから側近を寄越したそうだ」 |
| かの一件以来、教皇として導く立場に立つ覚悟をとうとう決めたらしいロクスが、 |
| 秋にある大祭を期に正式に教皇になることが決定し、今は教育や準備に奔走して |
| いるのだろうことは容易に想像できて。この辺境の土地にわざわざ足を運ぶのは流 |
| 石に無理だったのだろう。 |
| 「でも、それ程の用事って…?」 |
| 「…ある意味、依頼だ」 |
| 「ハント?了解したの?」 |
| 「いや、違う。これは君ともちゃんと相談したいと思って、まだ返事はしてない。早く返事が欲しいとは言われたがな。……教国の領地のひとつを俺に委ねたいと言ってきた」 |
| クライヴを訪ねて来たのは、ロクスから信頼を得ている直属の神官と、教皇領全 |
| 体の把握を任されていた女性の政務官だった。 |
| 彼らが言うには、教皇領のひとつ、今いるスラティナから一番近いところの領主に |
| なってくれないか、ということだった。 |
| どうして、自分にその役を頼みたいのか。自分は所詮一介のヴァンパイアハンタ |
| ーであって、主となる器ではない。自分以上の才を持つ人間はエレクシアには腐る |
| ほどいる筈だ。クライヴは正直にそう言った。 |
| しかしかの聖都侵攻の折、セレニスが無差別に放った魔法で有能な僧侶達は皆 |
| 死んでしまった。生き残ったのは半数、下手をしたら四半数も残っていないと。 |
| 秋の大祭には出来るだけエレクシア全体の体制を立て直しておきたいのだが、人 |
| 材を発掘している余裕はそうはない。そこで、天使の勇者に声をかけてみようと、ロ |
| クスは思いたったのだ。少なくとも武術に長ける。教皇の力の及びにくい辺境の地 |
| においては、魔物とも、人間とも小競り合いが多々あることは必至。そして、導く事 |
| に関していえば彼と常に共に生きる道を選んだミシカの存在があることをロクスは |
| 承知していた。だから、尚のこと彼に依頼をしてきたのだ。 |
| 「…そういうこと、なんだが…」 |
| 「それで、クライヴはどうしたいの?」 |
| クライヴを見上げたミシカの銀糸の髪がさらさらと揺れた。暖炉の明かりがその動 |
| きに揺れて踊るのが眩しい。 |
| クライヴは迷わずに、整理した自分の考えを話し出した。 |
| 「君さえ良ければ、俺はこの話を受けるつもりでいる。…レイブンルフトがいなくなった今、前ほどにアンデッド達は現れないだろうと思う。そうなれば俺一人だとしても、ハンターで暮らしていくのは心許無い。それに、もう一人ではない…君もいる。尚のことだ。正直人を統べる自信は全然無いが、その辺は向こうも考慮してくれているらしくて、領と言っても小さな村らしいから、それならばまだ大丈夫な気もしてな…」 |
| 「クライヴがそう思ってるなら、私は付いて行くだけだわ」 |
| ミシカはそうやんわりと笑うと、クライヴの肩に頭を乗せて寄りかかる。 |
| 「そう言ってくれて、嬉しい」 |
| クライヴは素直に言葉に表現した。 |
| そして、肩に寄りかかっているミシカの顔をそっと覗き込むと、そのまま静かに唇 |
| を重ねた。 |
| ミシカは悪戯っぽく笑うと、ややあって切り出した。 |
| 「…笑わないで聞いてくれる?私ね、ひょっとしたら女の人がもっと別な用で来たのかと思って内心穏やかじゃなかったのよ」 |
| 「もっと別の用って?」 |
| 「……察してよ。だってあの人、とても綺麗な人だったから」 |
| 考えもしなかった彼女の発言に、クライヴは内心ぎょっとした。まさか、彼女がそ |
| んな風に考えていたとは想像すら出来ないことであったから。 |
| そう思うと同時に、クライヴは内心苦笑する。確かに、夕方訪れた女性は美人の |
| 類に入れられると思う。何せあの教皇の部下だ。ミシカにその浮名の数々を聞かさ |
| れていたし。しかし、彼女は自分の美しさに全く気付いていないのか、とも思った。 |
| 白磁の肌も、プラチナを編んだような銀髪も、遥かに澄み渡る空の色をした瞳も、全 |
| てが誰をも凌駕していることを。惚れた弱みの色眼鏡ということを除いての視点で |
| も、そう思う。確かに、彼女を想う前のクライヴでも、彼女はとてもこの世で見えるこ |
| との出来るとは思えない程に美しいと感じていたから。 |
| そこまで考えて、クライヴはたと気付く。果たして、彼女の抱いていた感情の名 |
| は。 |
| 「ミシカ……ひょっとして、嫉妬していた?」 |
| ずはり図星を指摘されて、真っ赤になってミシカは肯いた。それを見て、クライヴは |
| 彼らしくなく爆笑した。 |
| 「ひっ…どい!そこまで笑わなくったっていいじゃないの!!」 |
| 未だに笑いが収まらずに腹を抱えているクライヴを背中に平手を打って、抗議して |
| いたミシカであったが、不意に強く抱きしめられて驚いていた。 |
| 「ちょ…クライヴ…!」 |
| 薄い夜着越しに伝わるミシカの体温はいつもよりもずっと温かい。今はそれすらも |
| 愛しくて。 |
| 「そう言う意味じゃないよ。…嬉しくて」 |
| 最後の部分は小声だったが、でもはっきりと聞き取れた。 |
| 「嬉しくて…可愛いと思った」 |
| 「……やっぱりからかってる?」 |
| 「全然。本気で言ってる」 |
| 意外であったけど、嬉しいのは本心。それほど、自分を思ってくれているという証 |
| であったから。 |
| 「意外とでも思ってたの?」 |
| 「…正直、そうだった」 |
| まだ愛しい娘の身体を抱きしめたまま返事をする。 |
| ミシカはふっと長い息を吐くと、少しだけ身を離してクライヴの両の頬を自分の手 |
| で挟む。 |
| 「私は…もうずっと前から嫉妬深いのよ?」 |
| ハントの依頼に来る女性だったり、一緒に街を歩いてて、彼を振り返る人だった |
| り、その度に胸には小さなかがり火がちりちりと燻った。自分は彼の一番近い場所 |
| にいるというのに。 |
| そしてミシカはこう続けた。 |
| 「…きっとそれは天使の頃からよ」 |
| そう言って口許を綻ばせた。両の手を外すと再び置いていたココアのカップを手に |
| 取る。 |
| 「ま、それならきっと俺も似たようなものだ」 |
| 「そうなの?」 |
| 「君は俺の知っている人間の中で一等綺麗だから」 |
| さらりと言ったが、実はそれは凄い愛の告白であったりして。言われたミシカは一 |
| 瞬きょとんとする。 |
| 「…まさか…」 |
| 「君こそ気付いてる?街を歩いてて振り返る人間は殆ど君を見ているんだよ」 |
| 恐らくは今彼女が言った振り返る人間というのは男女問わず彼女を見ているのだ |
| ろう。昔の自分はさておき、今の自分だったらきっと振り返っていると思う、その美し |
| さに。 |
| 「だから気になる。ミシカの一挙手一投足の全部」 |
| 「……例えば?」 |
| くすりと笑って訊いてくるミシカの額の髪を少しかきあげてクライヴは答える。 |
| 「此処最近、ずっと顔色が悪かったりしていることとか…食が細くなったこととか」 |
| 「……!」 |
| 唖然。そんな表情を隠せていない。 |
| 「…気付いてた?」 |
| 「毎日一緒に暮らしていて気付かなかったら、余程の無頓着か、馬鹿だろうな」 |
| 髪をかきあげた額をそっと掌で包み込む。別段熱いわけではない。けれど、彼女 |
| が『気付いてた』と訊いたということは、何かがあるのかもしれない。 |
| 「体調が悪いのか?だったら医者に行った方がいいんじゃないか?」 |
| 「うん…さっき、買い物で街に降りた時に行って来た」 |
| 「何か大事なことでもあったのか?」 |
| 「まさか、そうじゃないわ…」 |
| ミシカは少しだけ含み笑いをした。そして少しあってそれを否定する。 |
| 「…嘘。大事ね」 |
| そう言うと唇をクライヴの耳元に寄せた。 |
| 「さっき『もう一人ではない…君もいる』、そう言ったわよね…それは違うわ」 |
| クライヴは意味を理解しあぐねてミシカの方に向き直る。彼女は照れたように笑っ |
| て白状した。 |
| 「ロクスが秋の大祭で教皇になって、私たちが教皇領に移る頃にはもう一人…いるのよ?」 |
| クライヴの紫電の瞳が一瞬大きく見開かれた。 |
| 「…本当…に?」 |
| まるで言葉を枯らしてしまったようなものの問いにも、ミシカは確かに肯いた。 |
| 「…はい」 |
| 言葉と、揺るぎない微笑が全てを肯定する。 |
| 「い、痛いよ。クライヴ!」 |
| 大切なその人をぎゅっと強く、その腕に収めて銀髪の中に顔を埋めた。ミシカの抗 |
| 議の声も聞こえない |
| 「……ありがとう、でいいのか?この場合は」 |
| 「うん…私も嬉しい……ありがとう、クライヴ」 |
| 一年前の自分には、まさか次の春にこんなことが有るとは考えらなかった。 |
| 復讐の先になんて、何も見出せなかった。 |
| あんなに憎んでいた父親。その役回りが自分に回ってくるだなんで。 |
| でも不思議と心は和らいでいた。 |
| きっとこれが『奴』との違いなのだと、クライヴは思う。 |
| Thanks a lot |
| We'll be happy together |
| 本当に、愛しい人よ…。 |
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