SACRED
                      



青白く君を月が映していた
いつまで待っても動きはしなかった
 力が一気に搾り取られていく。
 それは一瞬の出来事。
 触れたその瞬間にその手には雷神が舞い降りてきて。
 そして、視界のレベルはゼロに落とされた。
やがて眠気におそわれる
「このコリエンテスに、リナレスの聖堂から魔石を奪っていった人間がいるんです。…あ
いつは何を仕出かすか判らない…。申し訳ないんですけど、聖都の勇者が追い付くまでに
彼を探して、時間稼ぎ…してもらってもいいですか?」
 疲弊した雰囲気を色濃く纏って天使が自分の下に舞い降りたのは、つい昨日の夕方だった。
 そして、そんな彼女に休めと言う暇も無く、一晩中酒場を回ってやっと目当ての人間を
見つけ、路地裏に連れ出して追い詰めたというのに。
 時間は、もう直ぐ明け方。
 その瞬間、クライヴは弾かれたように目を見開いた。
 ヴァイパーに差し出された赤黒い魔石に触れたほんのその刹那に、隣に立っていた体が
儚く崩れ落ちたのだ。隠していたはずの翼が唐突に背中に現れて、ほの紅い羽根がはらは
らと宙を舞った。
「……ミシカ!?」
 慌てて、地に伏したその細い身体を抱き起こすが、閉ざされた目は開かない。忌まわし
い石に触れた手は、衝撃で赤い筋が縦横無尽に走っていた。
「…へぇ、予想以上に凄いな」
 仕掛けた当の本人すら、多少面食らった感があるように思えた。
 だけど、その面白がった物言いに、クライヴは一度抱えた天使を大地に預け、腰の剣に
手をやる。いつでも、その獲物を狩れるように。
「そう怖い顔しなさんなって。俺だって『天使そのものが傷付く』としか聞いてねぇよ…
ただ……」
 妙に含みを入れて喋るその様に、クライヴは激昂しかけるが、僅かに残った理性で無理
やり押さえつける。これ以上怒りに身を任せれば、きっとあのどす黒い血の奔流に飲み込
まれてしまうから。
 そうしたら、誰も助けてはくれない。
「ただ、何だ。…言え」
 クライヴの問いにヴァイパーは唇の端だけを器用に吊り上げて笑う。
「天使の傷付くは俺らみたいな肉体レベルの話ではないって事だ。もともと天使は精神体
で成り立っている生き物だ。そのもの…本質が傷付くという事はどういうことだ?」
 魂の死は、即ち消滅を意味する。
 さっと皮膚が粟立つ感覚。その瞬間、目の前の男のことなんて半ばどうでも良くなった。
クライヴは振り返ると再び地面に力なく横たわっている天使に駆けつけ、抱き起こす。
「ミシカ、目を開けてくれ!ミシカ!!」
 頬を少し強めに叩くけれど、その度に銀糸の髪が揺れるだけで、睫毛までは震えない。
「ま、お大事にってとこで」
 笑いを噛み殺しているのが明らかに、ヴァイパーはそれだけ言うと踵を返して去ってい
った。
 こういう時、自分は無力だと。何もしてやることが出来ないと痛感する。
「…目を…開けるんだ、ミシカ…」
 祈るように呟く。しかし、それはきっと彼女には届いていない。
 頬を撫でながら、悔しさを噛み締める。やはり、彼女をヴァイパーに近付かせてはいけ
なかった。何故あの時、もっと強く止めなかったのか。
どれだけの痛みを君に感じさせたろう
許しを乞うには罪が重すぎて
 その時、掌に生温かい感触を覚えてふと、確認してみる。
 そこには、べったりとした赤い液体。それが何かは訊かなくても明らかだった、しかし…。
「どうして…血が?」
 確かに、倒れる間際に現れた羽根も、血色で染まっていたが、ヴァイパーは傷付くのは
天使の本質であると言っていた。肉体レベルの問題ではないと。なのに、どうしてか。
 そう考えている間に、ミシカの全身からじんわりと血が滲み出してきていた。そして、
滲んだ箇所から、ぱっと裂けるように傷が出来ていった。こんな怪我の仕方は、長い旅で
色々見てきているクライヴでも初めて見る光景だった。流石の彼でも、困惑は隠せない。
 しかし、悠長に過ごしている時間はない。じきに夜も明ける。人通りが増えてくる中で、
翼のある者を抱えて歩くのは目立ちすぎるし、日差しの下、自分の体力が果たして保つか
も判らない。
 彼は意を決してミシカを横抱きにして抱えて立ち上がった。そして、ひっそりと宿に戻った。
帰る場所さえ無い僕はどこへ向かえばいい?
 宿に戻ってから、天使を取りあえずベッドに横にさせて、彼が逡巡したのは一瞬だけ。
いくら天使の本性は肉体を持たないとしても、このまま怪我を放置しておく状態は、少な
くとも良いとはいえない。
 クライヴは小さく謝罪の単語を呟いてから、ミシカの纏っていた血で染まった服を剥ぎ
取った。そして、丁寧に傷の手当てをしていく。部屋の中は気がつくと血の匂いで咽そう
になっていた。
 嫌な匂いだと、つくづくそう思った。特に、清廉の象徴ともされる彼女がこんな匂いを
纏っているなんて、俄かに信じ難いとすら思う。
 傷は全身余すところ無く、という印象を覚えるほどにあった。刀傷といったような類の
ものではないと彼は判断する。恐らく、魔法か何かで得た裂傷のように思えた。
 そもそも傷の由来からして不可識だ。傷が出来て血が出るというのに、今の彼女はまる
っきり逆の手順で出来た傷だったから。まさか天使の特異体質かとも思ったが、このアル
カヤにおいて肉体を作り上げる上で、敢えて人と違う作りにする必要も無いだろうに。
 ただ、唯一の救いとして、傷そのものは人となんら変わりなかったということで。ある
程度の治療は施したから、少なくとも肉体面は大丈夫だろうとクライヴは判断した。
瞳閉じたままでいいからそのまま離れずにいて欲しい
 まさか、アーウィンに叩き込まれた知識が、他人にも役に立つ日が来るなんて思っても
みなかった。自分は、常に一人で生きていくものだとばかり思っていたから。
 銀色の髪を持った、まだ少女の殻から抜けきっていない天使が、自分のもとに舞い降り
てこようとは、夢に思う筈も無く。第一、本物を見るまで、さして存在も信じていなかっ
た。否、幼少の頃は信じていたのかもしれない。自分を唯一庇って助け、育ててくれた老
夫婦が、とても信心深かった為、神や天使に纏わる神話や伝説をよく寝物語に聞かせてく
れたから。だけど、その信心深かった夫婦を、神があっさりと見限ったかのようなあの事
件が起きてからは、彼は信じる事を忘れてしまったようだった。
 信じる事を思い出せそうな時に、また嘲笑うかのように今度は天使を痛めつけるか。ク
ライヴは心の中で神を罵った。
 ミシカは目を覚ます気配がまるで無い。もしかしたら、身体は治ってもこのまま目覚め
ないという可能性だって拭いきれない。
「…ミシカ……」
 背中を嫌な汗が流れ落ちた気がした。その憂いを払拭したくて彼女の額にそっと手を当
てても、不気味にそこは冷たかった。
「…誰か、妖精はいないか?」
 部屋の血の匂いを入れ替えようと少しだけ窓を開ける。もう外は太陽が空を支配してい
る世界で、クライヴはカーテンをしっかりと閉めなおす。本当ならば既に眠っている時間。
だけど自分の眠りは、今は遠い暗闇の中。
眠る場所さえ無い僕はどこへ向かえばいい?
 彼の呟きに応えるように、薄暗い部屋のる一点が仄かに灯でも灯したように明るくなった。
「はぁい。クライヴ様ぁ、呼びましたぁ?」
 現れたのは、蒲公英の名を冠した妖精。呑気な口調は相変わらず。だけど、彼の後ろで
身じろぎもせずにぐったり横たわっているミシカの姿を見て、流石に血相を変えた。
「て…天使様ぁ!?ど、どどどうしちゃったんですか?酷い怪我ばかりしてますよぉ〜。
やっぱり無理しない方が良かったですよぉ…」
 慌てて彼女のもとに飛んでいくフロリンダに、今までの事を説明する。
「…傷は…心配しなくても大丈夫だと思うが…少し腑に落ちないところがある。何か知ら
ないか?」
 穏やかな口調を心掛けて着ぐるみの妖精に問うと、彼女は頭の中を何とか整理しながら
喋り出した。
「えっと……えっとですね、アララスが陥落したのは知ってますよねぇ?」
「…ああ」
 幾分活動範囲が聖都近郊な為、そういう情報は早く手に入る。帝国の魔女自らの進軍。
相当数の僧侶を手にかけたというのは、今の時分この近辺で知らない人間はきっといない
だろう。
「天使様はそこに向かった勇者様に同行して、帝国軍相手に戦ってるのをずーっと援護し
続けてたんですぅ。」
 恐らくは、フロリンダが今言っている勇者こそがミシカの言っていた『聖都の勇者』な
のだろうが。
「勇者様もへとへとって感じだったんですけどぉ、それ以上に天使様は今にも倒れちゃい
そうで…フロリン心配だったですぅ…」
 その情景を思い出してまたハラハラし出すフロリンダに、続きを何とか促す。
「それで…その後すぐに帝国の方の勇者様がぁ、聖都を攻略できたっていうパーティーで
皇帝を暗殺しようって言うからそれを止めに行ったんですぅ。…そしたら…そしたら天使
様がぁ……」
 珍しく言葉を濁すフロリンダにクライヴは少し驚かされる。
「…どうした?」
「結局失敗しちゃって…勇者様は捕まっちゃったんです。その勇者様を護ろうとして…天
使様は帝国の魔女の魔法を受けちゃってぇ……」
 涙ぐみながらフロリンダは続けた。今でも鮮明に思い出せると。昏く妖艶な笑みを浮か
べるセレニスの足元で力なく倒れるミシカ。体中に出来た傷からは血が止まらないで。
 レイラの機転で何とか逃げ出した所に、別の妖精が持ってきたヴァイパーの情報。
「直ぐに天使様が行こうとするから、フロリン、レイラ様と必死に止めたんです。だけど
…『今ならコリエンテスにクライヴが一番近いから。今すぐじゃないとヴァイパーを捕ま
えられない』って、行っちゃってぇ…もうご自分の怪我も治せる力も、なんにも残ってな
かったのにぃ…」
「…じゃあ…ミシカのこの怪我はその時のか?」
「多分そうですぅ…。治す力も残ってなかったから…せめて隠そうとしたのかもしれませ
ん…」
 クライヴはそれを聞いて前に彼女が言った事を思い出した。
『ある勇者の前では、別の勇者のことはなるべく言わないようにとかしてるの。今いない
人の話題とか、されてもきっと困るよね。自分の任務にだって集中できなくなっちゃうし
ね…』
 彼女はそれを間違いなく実行したのだろうが、そこで自分の身体すら無視するとは思わ
なかった。余計な案じは要らないということか。それは、何故だかクライヴにとってとて
も…淋しいと思えた。しかし、彼女の貫いた意地をもってしても、疲労までは隠しきれな
かったのは、多分本人も予想し得なかった消耗の所為か。
 フロリンダの言う通りならば、一応の合点がつく。魔石に傷付いたアストラル。もう殆
ど残っていない魔力ですらも石に奪われて、魔法で隠していた羽根や傷が隠し切れなくな
って現れた、ということになる。そうすれば、あんな変な傷の出来方になっても、おかし
くないと思う。
「…それで、ミシカは大丈夫なのか?」
「はいです。今フロリンも魔法かけてみましたし、しばらく休めばきっと元気な天使様です」
 呑気な口調が輪をかけて、その言葉の意味に安堵を加味させる。彼女を失わないで済む、
その事実に、心から喜ぶ自分にクライヴは気付く。
「で、フロリン、今ロクス様に付いてるんですけど、ロクス様なら、きっと、天使様の怪
我とか直ぐに治せちゃうかも、なんで、もう直ぐそこにいるんで連れて来ますねぇ」
 そう言うとフロリンダは軽やかに飛び立って窓から出ていった。
 その軌跡を辿って窓の外を見ていたクライヴだが、やがてベッドの方へと歩いて行って
近くの椅子に腰掛ける。普段ならばとっくに眠っている時間なのに、今はそんなことはど
うでも良かった。目の前で眠っているミシカが、消えてしまわない事が、何より大切だった。
横たわったままでいいからそのまま離れずにいて欲しい
「…こんな事…」
 思ったことが無い。その感情の名すら、しっかりと判ってはいないと思う。
 だけど、彼はそれ以上考えるのを止めた。目の前にいる彼女が確かである、今はその事
実を噛み締めれられれば充分だった。
 ふと、周りの気配が動く。顔を上げると青白い顔をしたミシカが睫毛を細かく震わせて、
重たそうにゆっくりと目を開けるところだった。
「…ミシカ?」
 部屋に、自分の声だけが響く。
「……クライ…ヴ?…私は……」
 ややあってか細い声が返ってくる。それから暫く置いて。
「そうだ…ヴァイパーは…!?…っ……」
 意識を失くす前の出来事を思い出し、飛び起きようとしたが、自分の身の上に起きたこ
とを把握するまでには至らないで、傷に悲鳴をあげる体がよろめく。
「…無理は…しない方がいい…」
 柔らかく抱きとめて、しかし、彼も無意識のうちに両の腕で、傷に響かないように、だ
けどしっかりとミシカを抱きしめていた。
「…クライヴ?」
 心地良さの中でミシカは問うが、返事は無い。彼女は、漸く自分の身におきた現状を知
った。
「…ごめんなさい…心配、かけましたか?」
「フロリンダに、全部聞いた…。じきに…勇者と来ると」
「そうですか…」
 ミシカは目を閉じる。優しい腕の中が、温かくて。
 クライヴは自分が、自分の腕が、ただ剣を握り締めて、死にきれない魔物たちを切り捨
てる以外にも、他人を抱きしめることが出来るのだということを初めて知った。豊かな銀
の髪に、そっと顔を埋める。
「手当て、クライヴがしてくれたんですか?」
「…ああ」
「助かりました…ありがとう」
 それ以上はお互い何も言わなかった。言う必要なんて、果たして無かったのかも知れない。
 クライヴは、胸に立ち上った気持ちの欠片をそっと口に含んだ。だけど、呟きはしない。
それを口外するのには、まだ何かが足りていないから。胸の中の果実がやがて鮮やかにな
るまで、それはとっておこうと。
 それまで、どうか…。

見失った二人だけの聖地を何度でも築きあげるから――SACRED

fin

(筆者様コメント)
何だかありきたりで頭の悪い小説になってしまいました。
イベントの絡み具合も微妙(?)に実際と違いますね。本当はもっとインターバルじゃ…。
ところで、タイトルと文中の言葉にピンときた方はきっと仲間ですね(笑)。
てゆーか、中途半端に甘くてごめんなさい。
どうも私は思いっきりラブラブというのが苦手らしく(滝汗)。
英語力の無さを取りあえず恥と思って敢えて晒しました。もう副題に「嘘と自爆の嵐」と
付けたいです(爆)。
今度あるならもうちょっと精進します。
…あるのか、次が?

秘蔵書庫へ