それはある晴れた日の、暖かな陽気が生きる者にとって喜ばしいことであろう休日でのこと。
いつもの様に、リンクスはとある街の近辺を、アルカヤの守護天使ミュエルの命により探索
していた。
探索から小3時間ほどたった後、リンクスとその肩に乗るアルマジロの太郎君(仮名)は、 ちょっと休憩しようと思い、こぢんまりとした宿の、これまたこぢんまりとした庭先の花の
上にちょこんと腰掛けた。
暖かい日差しをめいっぱい浴び、ほにゃらかと顔を幸せそうに緩め、リンクスはここぞと
ばかりに太郎君(仮名)とのんびりしていた。
リンクスは思った。今日はとってもいい日だと。
お日様は優しくみんなを照らしてくれるし、海の匂いは心地いいし。
海、とそこでリンクスは、すぐ側から波の音が聞こえてくるのに気がついた。
海の姿を探して、ぐるっと首をひねってみると、ちょうど腰掛けたその位置の後ろ
の、少々壊れた木の柵の向こうに、空と同化してしまいそうなほどの蒼い海があった。
その白い波しぶきがなんだかとっても眩しくて、思わずふらふらとしょっぱい水に近
づいたリンクスは、その波間に普段あまり会わない(会いたくない)人影を見つけた。
こののちにリンクスは、海に誘われてしまったことをとっても後悔したとか、今日
はアルカヤが終わる日なのかと思ったとか、生きてて一番恐い日だったとかと、仕事
仲間の妖精さん達に語ったという。
天界は相変わらずの快晴で、穏やかな微風がペテル宮の廊下を吹き抜けている。
天使カイエルは、義姉である天使ミュエルに会うために、彼女の部屋へと足を運んでいた。
義姉は最近忙しそうだ。
再び地上界の守護天使に任命されてからというもの、以前と同じようにまた、顔をあまり
合わさなくなった。
仕方のないこととはいえ、義姉を心から敬愛しているカイエルは、寂しいのと心配な
思いで胸がいっぱいで、一日と彼女と顔を合わせないと落ち着かなかった。
今日も、どうでもいい理由をつけて、あまり邪魔にならない程度の時間、ミュエルに
会いに行こうとしていた矢先だった。
「……ん、あれは……?」
その途中、廊下でやけに慌ただしい妖精を見つけ、思わずその首根っこを、猫を掴む
かのように引き寄せた。
「うわああっ!?」
突然後ろに引っ張られたリンクスは、肩から太郎(仮名)をずり落としながらも、
何とか倒れないよう態勢をとりなおしながら、自分を引き寄せた人物を見上げた。
赤色の小さな瞳が、鳶色の髪と朱金色の瞳をした、見覚えのある若い天使の姿を逆
さまにとらえた。
「あっ、か、カイエル様……!」
「お前、確か……リンクスと太郎(仮名)だよな?」
赤毛でアルマジロ付きのこの少年妖精を、カイエルは義姉の部屋で何度か見かけた
ことはあった。確かミュエルのパートナーとなっている妖精のはずだ。
が、こうして言葉を交わしたことはなかったので、一応確認を取ってみる。
「は、はい、そうです」
リンクスは急な角度で曲げていた首を直しながら、今度はカイエルと向かい合って答えた。
ふと、天使は正面を向いた妖精の目の辺りに、水のつたった軌跡を見つけ、眉根を寄せる。
「何だお前、泣いてたのか?」
「あ、え?あ、その、こ、これは、あの……」
「何かあったのか?」
慌ててその跡を隠そうとするその姿がよけいに気になって、カイエルはさきほどよ
りも穏やかな声で尋ねた。
リンクスは逡巡した後、思い出したように涙目になりながら、上ずった声で何事か
を言おうとした。
「あの、あのっ」
徐々に興奮で高潮していく頬に、再び泣きはしないかと懸念したが、その前に赤毛
の妖精は、吐き出すように一言だけ言い放った。
「クライヴ様が笑ってたんです!!」
「………………………………は?」
カイエルは訳が分からなかった。
クライヴという人間は知っている。義姉の管理している、アルカヤの勇者の一人
だ。何度か直接会ったこともあるし、彼の生い立ちの事情も少しばかり義姉から聞か
されていた。
まあ、お互いの性格と、ミュエルのことがあってか、そりは全く合わなかったのだが。
確かに数えるほどしか会ってはいないが、あまり笑うような奴ではないと思う。
思うがしかし……
仮にも勇者であるのだし、リンクスがその笑みに涙するほど、性格や根性がねじ曲
がっているような奴でもないとも思ったが。
頭にいくつもの疑問符を浮かべながら、とりあえずカイエルは聞き返した。
「それが……どうかしたのか?」
「だから、クライヴ様が……」
「クライヴだって人間だろ?笑うのは当たり前だろうが」
「でもクライヴ様が……」
カイエルは少しクライヴに同情した。
アルカヤを守る勇者が、たかだか笑っただけでこんな風に言われるとは……
「おいリンクス……いくらアイツがあんまり感情を出さない性格でも、そりゃないだろ?」
「でも、でも……!」
「たしかにその名の通りどちらかといえば性格暗い方だし、よく考えてみれば半分人間
じゃないうえ夜行性で、太陽の光に当たっただけで貧血起こして倒れて姉ちゃんに看病
されてるようなちょっぴり虚弱体質気味な勇者だけどよ、それでも今んところ立派に勇者
やってけてるんだし」
「ぼ、僕そこまで言ってないです……」
同情してはいるが、彼に対する根本的な態度は変わっていないものだから、ひどい
言いようである。
「あ、そ、そうです!クライヴ様、太陽の光に当たったまま笑ってたんです!」
先ほどの暴言ともとれるカイエルの台詞の中に、リンクスが言いたかったことが一つだけ
でも入っていたため、妖精は顔を輝かせた。
「それは……確かにおかしいな」
少し首を傾げ、その原因を色々と思いあぐねいていたところに、さらに追い討ちをかける
ようなリンクスの台詞が続いた。
「しかも、海辺と砂浜の間をにこやかに笑いながら、裸足で走ってたんですよ!」
「……………………」
カイエルは考えたままの格好で、その場に石のように固まった。
それは確かに恐いだろう、きっと。
というか、カイエルにはそんなクライヴの想像が出来なかった。
もはやそれは空想というか幻想というか、とにかくこの世のものではないような気がした。
「ね、恐いでしょ?」
思い出したのか、リンクスが再び涙して、今度はカイエルにしがみついた。
カイエルは何だか凄く嫌な予感がした。
「……良くないことの前触れか何かか……?」
あまりに恐ろしくて想像できないものなだけに、背筋に冷たい汗が流れる。
実物見たリンクスと太郎(仮)はさぞ恐かったんだろうと、今度は本気で心からそう思い、
しがみついたままのリンクスを優しく撫でた。
その姿を見ながら、彼はぼんやりと考える。
(……んな恐いもの、姉ちゃんに見せるわけいかないよなぁ……)
リンクスはまだミュエルの部屋には行っていないはずだ。その前に自分と会ったのだから。
片手はリンクスを撫でたまま、もう片方の手で頭を掻きながら、はぁと一つため息を
ついて、カイエルは決心した。
「……行ってみるか」
それが後々の後悔の始まりだったということは、想像に難くないのだった。
つづく……
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