「一期一会」shigoto

お茶

仕事
一より習い十を知り
十より返る
もとのその一


 「茶の湯」あるいは「茶道」というものは、その総合システムが実にみごとなハイアラキー(ヒエラルキー/階梯)で構築されています。 一番最後に修業する、一番複雑な点前手続きをどんどん簡素化していって、これ以上簡単にしたらお茶が点てられないというところからスタートします。
(一番複雑な書院の手続きから、どんどんシンプルに“わび”の世界にむけて進化させたというわけです。)
 ここまでのシステムを創り上げた利休のとてつもない偉大さに驚嘆するばかりです。 もちろん、利休の時代から500年もたっているわけで、利休一人が今の茶道すべてを作ったわけではないにせよ、そのほとんどの基礎を作ったことはまぎれもないことでしょう。

 さらに、その一番簡単な点前をさらに分解すると、点前に必要な所作の個々の単位にまで分割されてしまいます。 入門するとまずその個々の所作の練習から始めます。 これを「割稽古」といい、車の運転に例えれば「エンジン始動」、とか「ペダルの踏み方」などの個々の動作の練習ということになります。
 割稽古をマスターし、それらのコンポーネントを順序だって組み合わせると「盆略点前」という、もっともシンプルな点前でお茶を点てることができます。 この段階をクリアすればいつでも薄茶が飲めるようになり、家族へのサービスも可能となって、楽しさが倍増します。(目に見える形でまず成果が出ることになります。)
 最少限の道具があれば、一番基礎的な手続きで十分にお茶が楽しめます。 また、簡単故に一番応用範囲が広いのも嬉しいことです。

 稽古が進むにつれ、初伝、中伝、奥伝、奥秘とステップ・バイ・ステップで複雑に重厚になっていくわけですが、そのステップの積み上げ方に寸分のムダがなく、どの一つも省くことができないのです。

 さらに、点前手続きにおけるそれぞれの動作も実によく考案されていて、順序を間違えるとどこかで流れが止まってしまうか、さらによけいな動作をしないと続かなくなり、どうにもならなくなります。 また、よく使う道具の順に扱いやすい位置に置いてあり、手の無駄な動きを極力省くようになっています。

 お茶の最終目的は「茶事」(茶会)であり、「お客様を招いて最高においしいお茶を飲んでもらう」という目的を達成するための1プロジェクト(事業)の遂行(インプレメンテーション)に他なりません。 何年もかけて到達するような奥の点前も、それ自体は茶事という一大プロジェクトの中の割稽古というわけです。 したがって、点前だけが免許皆伝になっても、お茶会を主催するにはまだ足りないものがあるのです。 それは、懐石料理であり、いろいろな道具であり、茶花、などです。
 逆に、点前の方は初級、中級でも上記の条件が整えば十分にお茶会を開くことが不可能ではないということで、ある段階からお客様を招いて、ホストをつとめることもできます。
(運転技術だけマスターしても、車とガソリンがなければ、お客を目的地に運ぶことが出来ず。 運転技術がレーサー並でも車がポンコツでは快適には走れず、逆に車がスーパーカーでも腕が悪ければはやり快適というわけには行かないのと同じことで、それぞれにバランス<安分=分相応>が必要ですが・・・)

 たしか、江戸時代のエピソードとして本で読んだことがあるのですが、大工の弟子がしょっちゅう忘れ物をして失敗ばかりするので悩んでいたところ、親方が「お茶をやってみねー」と勧めたとかで、お茶を始めたら忘れ物をしなくなった、とありました。
 さらに(私の推測では)、この大工さんはお茶を通じて立派な棟梁(いわばプロジェクトマネージャー)として必要なノウハウを身につけ、立派な仕事を沢山こなし、新しい工法なども開発し、人間的にも技術的にも立派な多くの弟子を育てたと思われます。

 道具をもって座敷に入ったが最後、忘れ物があったらお茶が点たず、大失敗ということで一巻の終わり。 昔ならその場でお手討ちということもあったと思われます。(真剣勝負といわれています。 余談ですが、稽古中間違えてお客側に失礼なことだったりすると、先生から「今、首が飛んだよ!」などと指摘されたものです。) そのため、始める前に必要な道具を「仕組む」という手続きできちんと取りそろえます。

 以上、長々と書きましたが、お茶の基本的な考え方を気軽にふだんの仕事、またはお茶以外の趣味の世界に応用すれば何事もスムースに行くのではないかと思うのです。

 もっと楽しい話にするつもりでしたが、ちょっと硬い話になってしまいました。 しかし、若い頃お茶を始めたとたん「これは、IE(Industorial Engineering)とSI(System/あるいは Project Implementation)以外のなにものでもないな」と思いました。
 また、マネージメントやQC/VEなどのツールとして、OJTなど教育システムの構築など、とくにソフト的な面で応用範囲が広いと感じています。



 茶道がはたして自分の人間性をどのくらい高めたのか、あるいはぜんぜん変わっていないのかは自分ではまったくわかりませんが、サラリーマン生活の中での長い期間をシステム設計的な業務とプロジェクトのインプレを本業としていたので、いろいろな場面で何らかの形でお茶が役に立っていたような気がします。

 茶道に限らず「何々道」と“道”がつくものは、その道を極め尽くせるものではなく、その人が一生かかってどのレベルまで到達できるかが問題で、自分がどこまで行けるかよくわからないような遠大なものに一つくらい一生かけて挑戦するのも面白いと思っています。

 こんなたいそうな話はともかく、もしみなさんの中に今まで一度もお茶を飲んだことがないという方があったら、どんなところでもOKです、いちど席に座ってみてください。 お菓子もお茶もおいしいものが準備してあると思いますので、気軽に肩の力をぬいて楽しんでくればいいのです。 「茶碗を3回まわして」などという、まことしやかな“うわさ”など無視、出されたとおり何も考えずどうどうと飲めばいいのです。 茶碗を回さないで飲む流儀もあるのです。(お客様にその様な気を使わせないという気配りのようです。) 自分の知っている流儀があればその方法で、何もわからなければ自分流で、不安なら誰かに聞いて、一度飲んでみてください。

 利休の道歌その道に入らんと思う心こそ我が身ながらの師匠なりけれ

 「一期一会」、いずれどこかのお茶席でお会いしましょう。 楽しみにしてますよ。(合掌)


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