「一期一会」miyagi
宮城県出向中の思い出 |
サラリーマンをやっている限り避けて通れないのが「転勤」ではないでしょうか。 私もご他聞にもれず1975年5月から約3年間宮城県黒川郡大和町にある会社(地方工場)に出向しました。
私がお茶をやっていることは、会社のみなさんにすぐに知られていたようです。
会社の置かれた事業環境はドルショック、オイルショックの直後の低迷期で大変にハードな時期でした。 そんな中でもトップマネージメントは従業員の福利厚生を少しでも改善しようといろいろと苦労されていました。
その一部として会社の近くで廃屋の状態だった空き家を借り受けることができ、従業員クラブが誕生しました。
そんな中、誰からともなく「茶道部」を作ろう、という動きが出てきて、幸いなことに会社側の全面的なサポートも受けることができました。 社内にもすでに茶名を持っている女性もいて、すぐにでもスタートできる状態でした。 その方を指導員その1とし、私が指導員その2を務めました。
茶道部創設の「席開き」は、指導員その1女史(Oさん)のお師匠さんである、仙台(といううより裏千家)でも著名な坂元先生のご支援を受け、滞りなく盛大に行うことができました。
坂元先生は、裏千家当代のお家元の母君の従姉妹にあたられるそうで、しばしば京都の宗家を訪問されるとのことでした。 その坂元先生の前でお点前することになり、それまで初対面の先生の前でお点前したことなどなく、完ぺきにあがってしまいました。
それでも先生は「男の人で、そこまできちんとできるなんて立派ですよ」とやさしくほめて下さったのでした。 Oさんと私のことを「今度京都へ行ったら、あんた達のことをお家元によくいっとくからね。」と好評価していただき大変に栄誉なことでした。
そのすぐ後、会社の視察に東京本社S重役(非常勤で社長を兼ねていた)の来訪があり、トップ(常勤はK専務)が従業員クラブができたことを報告するとき「そうだ、社長に一服お茶を飲んでもらおう。」ということになり、急遽簡単なお茶会を催すことになりました。
クラブに会社幹部が集まって予定の会議が終わった後、参加者のみなさんに私のお点前で薄茶を飲んでいただきました。
S氏はその後、本社の社長、会長になられましたが、(たぶん、著名な先生が主催されるような立派な茶席では何度かお茶を飲まれたことはあると思いますが)単なる一介の従業員が一服のお茶を呈したということは初めてではなかったかと思っています。 まず、滅多にできない経験をしたことになります。
出向中も定期的な会議などで上京する機会がわりにたびたびあり、東京のけい古場でいつもの仲間といつものようにおけい古をすることもできました。 そういう意味では、元のけい古場でも、ちょっと休みの多い弟子というくらいの感じでした。
トップのK専務は、茶道について大変な関心と興味を持たれたようで、折にふれていろいろと質問がでました。 その都度、こちらは何とかして茶道部を他のクラブ活動以上にサポートしてもらいたいというねらいもあって、お点前の所作の合理的でムダな動きがないなところが、会社の中の作業改善(IE=インダストリアル・エンジニアリング)に応用できると力説しました。 これは、非常に説得力があったというか、薬が効きすぎた感じで、ついに社内の幹部会議で「みんな、お茶の手の動きを勉強せい!」というハッパになってしまいました。 仕事の面ではいいことばかりではなくつらいことの方が多かったものの、この一言だけは東京の先生にも「いいこといってもらったね。」とコメントしてもらったほどの名セリフでした。
Oさんも結婚で退職、私も3年間の年季があけて元の事業部に帰任しましたが、茶道部は解散どころか積極的に活動を続け、地元の先生の指導を受けておけい古を続けています。
とくに、海外からのお客様や研修生などに「お茶を一服」というもてなしが完全に定着しているようで、私のような出向者OBにも発行の都度社内報が送られてきますが、外国人の来訪者が嬉しそうにお茶を飲んでいる写真がよく載っています。 数ある系列の地方工場の中でも、日本の伝統文化の精緻である茶の湯をもって接待できるところは、ここにしかないのではないかと思います。
「一碗からピースフルネスを」の実践を、なんのてらいもなく、超自然体で軽くこなせることは、お点前の技量の云々ではなく、本当に温かい気持ちがないとできないことだろうと、敬服しています。
こんなすばらしい茶道部に成長させた、部員の熱意と向上心、指導された先生、それになによりその後の苦しい事業環境の変化のなかで変わることなくサポートし続けている会社の理解に、絶大なるエールを送ります。
やっぱり、お茶をやっていてよかったと思うこのごろです。(合掌)
上の写真は、宮城NECの社内報「もみの木」の最新号に掲載されたお茶会(2月)の模様です。
このように、休憩時間には茶道部の部員だけでなく、だれでも気軽に立ち寄って、一服のお茶を楽しんでいきます。
外部からのお客様にも、この場所でごく自然にお茶を楽しんでもらうのです。なんとすばらしい環境でしょうか。
(2001年8月13日記)