「一期一会」jittoku

「十徳に師の恩を謝す開炉かな」

 お茶を始めて21年目にして、ようやく茶名伝授の日を迎えました。 許状の日付は大変覚えやすく「平成元年2月3日」となっていました。 つまり、1・2・3と覚えられるのです。
 「茶名」は、いわゆる「免許皆伝」になるわけですが、早い人は私たち(3人一緒でしたので)半分くらいの期間で取得することも可能だそうです。 われわれはゆっくりゆっくり、のんびりとやりました。

 茶名授与の免状と同時に裏千家の「紋」をつけていいという「紋許」と資格証の「正引次」の免状がセットされていますが、男性には「十徳」の着用を許すというお許しが出ます。 十徳というのは生地が絽でできた羽織のような、上っ張りで利休が僧侶の衣からヒントを得てデザインしたといわれており、茶道ではこれが正装となります。

 お茶のけい古も進み、茶名というものが少しずつ見え始めると、いつの日か十徳を着て先生が亭主となる茶事の半東をつとめることができたら最高に幸せだなと思うようになってきました。(半東というのは亭主のアシスタントですが、亭主同等の巧者でないとつとまらないほどの実力を要求される役目です。) 夢のまた夢といえるでしょう。
 それはともかくとして、茶名をもらったら一緒に十徳を作ろうと同門の仲間と申し合わせておりました。 しかし、なかなか十徳を着るチャンスがなく延び延びになっていましたが、還暦の記念に作っておこうということになり親友の奥さんの知り合いの呉服屋さんで仕立ててもらうことにしました。 一反の反物を半分ずつ使うので、二人が一緒に作ると生地にムダができず、呉服屋さんにとっても大変好都合だそうです。 おかげでちょっと割安にしてもらいました。

 体型を一度みたいということで、みんなで日を決めて出かけました。 店に入ってあいさつをしたら、物指しでも出して寸法を測るのかなと思っているのに、世間話ばかりでいっこうにそのようなところにいきません。 ついに、一緒に行った、和服を作りたいという友人の生地の話しになり、「それでは、たしかに。」と話がすべて終わってしまいしました。 友人の奥さんがビックリして「寸法を採らなくてもいいんですか?」と心配して聞くと、「もうわかりました。」とのこと。 こんどは全員が「エッ!」となりました。 店の玄関を一歩入っただけで、その人の寸法はすべてわかるのだそうです。 実際に、丈がいくら、袖丈がいくら、と物指しを当ててみると、言葉通り寸分違わないのです。 これには一同たまげてしまいました。 これがプロの技というものでしょうか。
 といういきさつを経て、十徳ができあがりました。 しかし、先生には内緒にしておきました。

 炉開きの茶事とか初釜には着られるだろうとチャンスを伺っていましたが、先生のご家庭の事情からしばらくけい古を休むことになりました。 代わりに先生のご親戚の社中でけい古ができることになり、やがて新しい先生のもとで開炉の時期がきました。
 しかし、十徳の仕付けを解くのは先生の茶事で、初めての十徳姿をぜひ見てもらいたいと思っていましたが、新しい方の社中でも男性の十徳姿を見てみたいというリクエストもあり、せっかくの機会ということで先生には電話で次第を説明しお許しを得ると同時に、写真で報告することにしていよいよ初着となりました。

 女性陣にとっては、十徳を着た男性というのは、研究会に家元名代として指導に見える業躰さんくらいなもので、十徳を着たわれわれ二人を待合いでいきなり見て「業躰さんが2人いる!」とびっくりしたとか。 「どうかお手柔らかに。」とあいさつされてしまいました。
 ともあれ、その時の茶事は無事終わりました。 その時の気持ちを友人は、短歌に詠みましたので、私は下手な俳句で気持ちを表しました。 そして、またへたを省みず俳画と字で、色紙と短冊に書き、両先生と仲間に配りました。(上の写真参照)
 元の先生には、もちろん写真を小アルバムにまとめて一緒に持参しました。

 十徳はその後着るチャンスがなく眠っていますが、折りあらば取り出して着てみたいと思っております。 これからは十徳とともに、また新しい茶歴が始まることでしょう。

 「一期一会」、一日も早く写真でなく実際の姿を見てもらえる日の来たらんことを祈りつつ。(合掌)


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