自己紹介
  みなさま今日は。今日も元気な足立です。

 1938年に広島市内で生まれました。 年代から見て「原爆は?」と、よく聞かれますが幸い国民学校1年生(7才)の夏休みで母の実家におり、約20キロ離れた位置での“原爆体験”となりました。

 子供の頃から腹が弱く、しょっちゅう腹痛に悩まされ、子供の頃を知る人から思い出話で語られるほどですが、中学3年の時、虫垂炎の手術を受け開腹したところ、急性ではなく「これは初めてではないな!」と執刀医がひとこと。 切り取った盲腸には何度か化膿した痕跡があったそうです。 永年の腹痛は慢性盲腸であったことが判明しました。 その後、腹の方はまったく快調(快腸?)で、時折飲み過ぎと食べ過ぎで失敗し胃を傷める程度で、どんな酒を飲んでもなにを食べてもうまいし健啖家を自認しております。
 また、物心がついた頃からすでに慢性中耳炎で、高校3年の時ついに内耳炎に進行、あやうく脳膜炎になるところで4〜5時間にわたる大手術を受けました。 田舎のいわゆる町医者での手術でしたが、実に見事な手腕だったらしく、自分では見ることができないのですが「実に芸術的な仕上がり」だそうです。
 聴力をできるだけ残すよう、鼓膜も、三つの耳小骨も半分残し、外から治療できるところはそのままにするもので「半根治手術」というそうですが、その後、別の耳鼻科に見せるとたいてい「どこの大学で手術しましたか?」と大変な興味を示されます。
 そんな事情で、生まれてこの方音をステレオで聞いたことがないということに最近気がつきました。 何年か前、叔父の使っていた補聴器を試しに悪い方の耳に着けてみたところ、音量が倍くらいになって頭の真ん中で音が聞こえたのにびっくりしました。 ふつうの人はこんな具合に聞こえているのかと初めて体験できたというわけです。 悪い耳の方向から話しかけられると、よく聞き取れないことがあり、周囲の人に迷惑をかけることが多いのではないかと反省することもあって、補聴器が必要かなとも思います。

 二十歳過ぎまではかなり大患いもしましたが、その後は思い出したように“はやりかぜ”にかかる程度ですこぶる健康です。

 1960年、大洋ホエールズが初優勝し、日本が高度成長期
にさしかかった頃、縁あって在京のあるメーカに就職し、1998年、横浜ベイスターズが優勝した年に無事定年を迎えました。 なぜか38年たっておりました。 現在は都内でケーブルテレビの仕事をしております。

 趣味は、いろいろと中途半端にかじっていて、アマチュア無線、水墨画、茶の湯、書道、パソコン、写真、活け花などですが、なるべくお金をかけないようほどほどにやっております。

 愛読書は、まず「ゴルゴ13」、創刊以来の愛読者です。 週刊誌では読まず、もっぱら季刊の別冊の方を追いかけています。(「あしたのジョー」や「巨人の星」は少年サンデーで読んだ年代です。)

 酒は、常々「ビールを発明したヤツにノーベル賞をやりテー!」といっているほど、遺伝的というか、のんべーのDNAがしっかりプログラムされているらしく、たいていの酒は飲んでしまいます。

 若い頃は、たばこも好きで、イギリスのダンヒル社にオリジナルのマイ・ブレンドの引き出しを作ってもらおうかと思うくらいパイプにこったこともあります。 しかし、ある時やっぱりやめようと一念発起して禁煙し、2回挫折した後、3回目に成功しました。 ほんとうにうまいと思って吸っていましたので、やっぱりやめるのはつらいことでした。 たばこをやめると酒がますますうまくなり、しかも二日酔いをすることがまったくなくなりました。 お酒をおいしく飲みたかったら、ぜひともタバコをやめることをおすすめします

 血液型: A、 体重: 現在66Kg前後、腹が出ています。 血圧: 140/80 で他のデータは年相応といったところでしょうか。
 老人性の白内障も始まっていると眼科でいわれましたが、友人に「白髪が生えるようなもんです。日帰り手術もできます。」といわれ、気が楽になりました。 今後どんどん治療技術も進歩するでしょうし、軽い気持ちで気が向くままに、進行を遅らせる目薬を注しています。
 目玉はプラスティックレンズ、歯は義歯、耳に補聴器、だんだんサイボーグに向かって進化しています。

 といった感じの、ごくごくふつうのおじさんです。



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