素人無線(cq_hb)

CQ Ham Radio/
アマチュア無線ハンドブック


 CQ出版社からの「電信修業小習い事」の12回連載記事の執筆依頼がきて、ついに断りきれず1年間(1982 July-1983 June)記事を書いたことは、別のページでもふれましたが、CW歴も短く、腕も未熟な私がその任でないことは本人が一番よくわかっているつもりでした。
 しかし、CQ出版の編集部の担当の方に、上手にすすめられついに引き受けたのでした。
 幸い、サラリーマンの本業の方は自分でどうにかやりくりできるような仕事をしていましたので、会社にも迷惑をかけず、なんとか予定の期間記事を送り続けることができました。
 偶然にも本業の方も、会社で製造している機器類の取扱説明書やシステムのオペレーションマニュアルのたぐいを制作する部門に配属され、自分で原稿を書くことはなかったのですが、日程管理とか原稿の督促、DTP(デスクトップパブリシング=ドキュメントづくりの電子化)の推進などを担当することになりました。 なんだか、趣味が本業のような本業が趣味のような、仕事のノウハウに共通点も多く、ある意味でよい勉強になりました。

 CQ誌の記事を通じて、全国からいろいろとお便りなども頂戴しました。 総じて、記事の内容に賛同を頂くことが多く、大いに感激したものです。 なかでも私が苦労した点を、同じように多くの人達が経験しておられたもようで、自分だけができないのではないということが逆にそれを乗り越える元気になったようでした。 筆者にとっては大変に嬉しいことでした。
 電信術では大先輩のOM諸兄から「若い連中に、プロの教本を読むより、あの記事を読め、いっておいた」などと、感想(?)を聞かされると、正直舞い上がって喜んだものです。

 ちょうど記事を書いている時、CQ出版社の創立何周年だかの記念の年が巡ってきて、いろいろと記念行事などがありました。 おかげで「一執筆者」として記念パーティなどのイベントに呼んでいただき、記念品を頂戴するなどラッキーなこともありました。 他に立派な記事を沢山書いておられた方が大勢おられたと思うのですが、タイミングというものは不思議なものだと思いました。

 閑話休題

 ドキュメントの仕事をやるようになって、若干反省していることは「ちょっと根性が悪くなったかな?」ということです。

 まず第一に、他人の書いた文章、市販の本、テレビのスーパーなどの、テニオハ、スペルミス、論理の飛躍などが気になって、テレビを見ながら時々文句をいうのでXYLがあきれるようになりました。(細かいことにこだわるのはA型の悪いところとか。Hi)
 でも、N*Kの女子アナが、“Street”を“ストレート”などといい間違ったりすると、一瞬「こんな単語も読めないのがアナウンサーやる時代になったのかな」と耳を疑ったりします。
 しかし、シドニーオリンピック女子マラソン金メダルの高橋選手がゴール直後「みなさんの声援で背中をおして走ることができました。 すごく楽しい42キロでした。」といっていたのが、正しくは「みなさんの声援に背中をおされて・・・」か「みなさんの応援が私の背中をおして・・・」となるのでしょうが、あの過酷なレースを戦ったあとであることを考えれば、むしろ「名言」といえるでしょう。
(また、行間を読むような形で、あえて彼女のセリフを文章で表現すれば「みなさんの声援で、(私は自分の)背中をおして・・・」と書くべきか? ま、こんなこたーどーでもええことだが!)

 もとにもどって、・・・

 その直後でした、こんどはJARL(日本アマチュア無線連盟)の「アマチュア無線ハンドブック」改訂プロジェクト事務局から連絡があり、電信をマスターすることについての一章を担当して欲しいと依頼されました。 これには正直、心臓が飛び出すくらい驚きました。 日本全国、電信術の先輩オーソリティーや名人はきら星の如くいます。 その大御所諸兄をさしおいて、私のようなかけ出しが書けるようなコラムではないと思えたのです。 旧版のハンドブックを見れば、どの記事もすばらしくレベルの高いのもばかりです。 このへんのことを事務局に申し上げたのですが、「あなたにぜひお願いしたいといっておられるOMさんがいて・・・」とこちらのいうことをきいてくれません。 しかたなく、内容については周囲の先輩・ベテランに聞きながらまとめることを覚悟して引き受けました。
 原稿は、パソコンのテキストベースか一般的なワープロで作り、フロッピーで持って来るようにとの指示があり、ついにPC9800を購入することになりました。
 今もって、当時5インチのフロッピー1枚で文書作りができた「一太郎3」のすばらしさには敬服していますが・・・・、花子にせよ、The Cardにせよ、松桐シリーズにせよ、実に良くできていたと思います。
 おかげで原稿書きを通じて、当時の一太郎、花子の裏技までマスターすることができ「パソコンおじさん」を自任できるようになりました。 このPC術は、その後の会社の仕事や他の趣味のためにもなっているので、よかったといえます。 同じ成果が上がるのなら仕事は楽にやれる方がいいに決まっています。
 原稿が出来たとき、周囲のOM諸兄にしっかり見てもらってJARLに持ち込みました。 他の原稿はほとんど集まっていて、編集局をイライラさせているのではないかと心配になり「他の原稿はもう出そろいましたか?」とおそるおそる聞くと、「いや、あなたが初めてです。」といわれてしまいました。
 それから待つこと3年近く、難産の末「ハンドブック改訂版」が店頭に並んだのでした。 やっぱり、執筆者の諸兄も本業が忙しくなかなか原稿が集まらなかったとのことでした。 こんなところに、本業でふだんから原稿集めに泣かされていることが逆に編集者に迷惑をかけてはいけないという気持ちが先に立ってしまったようです。
 「CWの覚え方」という章を執筆しましたので、本屋さんで立ち読みでもしてみてください。(記事の方は、その後の電波法の改正などで、JARLの方で若干の修正を加えています。)

 自分のアマチュア無線歴の中で、「1アマ挑戦」を契機に後にも先にもないような盛り上がりをみせた「すごく楽しい数年間でした」。(これは、受け売り、Hi)

ひとまず、この部屋の出口に着きました。 また別の部屋でお会いしましょう。 See you again! 88/73

(13, Oct. 2000 記)



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