「一期一会」chashitsu

「君に見せたいものがある」


 宮城の工場に出向し、縁あって茶道部創設に参画できたことは、出向中に何か記念になるのもを作ってくるという伝統を守ることができたということで出向者OBとして大変有意義だったと思っています。 あとあと「彼が茶道部を作った(内の1人)」といってもらえると思うとなにやらくすぐったいような気分になります。
 もちろん仕事の上では、いろいろなことを現地で立ち上げてくるのが出向者の大きな使命であるわけですが、それ以外に各OBそれぞれに、いろいろなモニュメントを残されております。 それは、図書室であったり、本館の展示室であったり、またパソコンクラブであったり、後々の人が広く活用できるような、会社のイメージを高揚するような、すばらしいものになっています。

 私の出向当時は1974年の非常に厳しい時期でしたので、工場も1棟がやっとできたところで、事務所から製造部門までぎゅうぎゅう押し込んだような状態でした。 本館を建てるための基礎に使うコンクリートパイルが空き地に横たわり、さらに余った空き地で、ドジョウの養殖をしたり、苗木を育てて、収入の足しにしようという計画が進められたほどでした。

 しかし、その後の全社員の必死の経営努力と景気の好転から何年か後には、ついに待望のすばらしい本館が建ち、われわれ出向者OBもお披露目の行事にご招待を受けることができました。
 会社トップ(私の出向時代のK専務が社長に昇格)からは「みなさんが苦労して下さったおかげで、やっとここまで大きくなった・・・」と、公式な、感謝をこめたあいさつがあり、工場の見学に入りました。 あちこちで顔見知りの人と懐かしの対面をしながら一巡して本館の会議室に戻ろうとしたときでした。 K社長がいきなり私の腕をつかんで「足立君!君にぜひ見せたいものがあるんだ。」と本館の幹部の個室があるフロアの一角にあったドアをあけて私を引っ張り込んだのです。
 そこには、なんと水屋までついた立派な茶室があったのです。 ふだんは茶道部のけい古と華道部の練習に和室を使っているとのことでした。
 私が出向していた時、みなさんと一緒に立ち上げた茶道部の活動が、経営トップをして本館の一番地の利を得た“一等地”に茶室を造るまでの高い評価をもらったという間違いのない証明であり、一生忘れられない出来事となりました。
 N社広しといえども、メインビルディングの中にお茶室まであるという所は他にないのではないでしょうか。 (たいていは、ちょっと離れた従業員クラブのような施設の和室でおけい古ができるというのが多いと思います。)

 これなら、海外からのゲストを迎えたときも、わざわざそのために場所をさがすような準備をしなくても、本当に手軽に、応接室でコーヒーを飲んでもらうような感覚で、薄茶一服を差し上げることができます。 なんとすばらしい発想とその実践でしょうか。 まったく頭の下がるような気持ちです。

 出向から復帰した後も、仕事の打ち合わせや、海外研修生の引率、海外ユーザーの工場立ち会いなどで何度か訪問するチャンスがあり、茶道部のおけい古用にお菓子を持っていったり、なんどかはお茶室で薄茶を頂くことができました。 「今度は一人で泊まりがけで来て下さい。」と茶道部員からいわれたものです。 日帰りの急ぎ旅やお客とのイベントが夜の仙台であったりで、終業後の夜のけい古に参加できないのでした。

 「一期一会」、裏千家に縁の深い宮城県の思い出をつづってみました。 また、お会いしましょう。(合掌)


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