ちょっと辛口(barrierfree)

バリアフリー?
“テメー達の頭ん中のバリアをぶっ飛ばせい!”

 政府は駅などに、障害を持つ人達の歩行や車椅子での移動のことを考えて、通路の段差をなくしたり、エレベータやエスカレータの整備を義務づけるような法律を作ろうとしているようだが、ひょっとしてこれに関係している連中は、施設に金をかけてちょこっと整備すればこの世の中から「バリア」がなくなるとでも思ってるんじゃネーだろーな?
 「バリア」ってーのは、地面の段差や階段なんかだけじゃネーぞ!
(誤解して欲しくないんだが、段差が今のままでいいとか、法律なんか要らないといっているのではない!)

 もう何年も前のことだが、蒲田の電子工学院に、アマチュア無線の資格を取るため国家試験を受けに行った時のことを思い出す。
 その日、たぶん学校側のちょっとしたミスか、休日だったので受験者達に影響がないと思って工事のスケジュールを入れてしまったのだと思うが、とにかく試験会場となっているビルのエレベータが動かなかった。 しかし、その日は車椅子の受験者がいた。 アマチュア無線は国家試験の中でも障害者に一番大きく門戸を開いたすばらしい制度だ。 盲人の人も沢山合格しているし知り合いのハムも沢山いる、もちろん車椅子の人もいるし、しゃべるのが不自由な人の交信もよく聞こえる、「アマチュア無線業務」が出来るということが証明できれば誰でも合格するし、無線局の免許もおりる。
 車椅子の受験者も試験場に行こうと学校側に交渉していたと思うが、なにしろ時間は迫ってくるし、事務所にも留守番程度のスタッフしかいない。 車椅子の彼は内心困惑していたと思う。
 とその時、周りにいた同じく何人かの若い受験者達が、誰からともなく声をかけあって車椅子ごと持ち上げて、3階だか4階だかの試験のある教室まで、ワッショイ、ワッショイと運び上げてしまった。 試験開始の5分前くらいだった。 そして、みんな自分の受験する教室の方へ大急ぎで引き上げていった。 アッという間のできごとで、どんな言葉を交わしたかもわからないくらいだった。
 この一件だけで、オレが郵政大臣だったら、これに携わった連中を全員「合格」にしたいくらいだった。 心の中で拍手喝采したもんだった。 試験の前なんか、ちょっとの間を惜しんで参考書などを暗記したり、アンチョコを見たりで人のことなどかまっていられない心理状態だと思うのだが、その時だけは「日本の若者」をすっかり見直してしまった。 (また、全部アマチュア無線を志している連中だということも超嬉しかった。)

 「バリアフリー」というのは、こういうことではないかと思うが、どうだい。 つまり、障害者や行動が不自由な人々が、だれでも、どこへでも、いつでも自由に行けたり、好きなことが何不自由なく出来る社会の実現ということではないのかい?

 さらに、お年寄り、身体のどこかに不自由なところがある人、そして一般の人にとっても、次にあげる連中は、やっぱり「バリア」だ。 ハッキリいって「社会の迷惑」だ。

 ・図体だけはやたらとデカく、人のじゃまになるところでコミックなんか読んでるヤツ
 ・ところかまわず座り込むジベタリアン
 ・乗り物の座席に座って足を組むヤツ、通路の真ん中まで足を投げ出すヤツ
 ・乗り物の乗降口で通せんぼしてボケーッとしているバカ、荷物を置くバカ
 ・人に脅威を与えるように傘を持ったり、振り回すヤツ
 ・混んでる乗り物の中で本を読むヤツ
 ・となりの人が困っているのに吊革を3つも4つもつかんでいるノータリン
 ・硬いバッグをショルダーにして硬いところを人にぐりぐり押しつけるバカ
 ・リュックの金具で人のいやがるところをひっかくヤツ
 ・駅前に山のように放置してある自転車とバカヤローの持ち主
 ・点字ブロックの上に置いたどっかの荷物や箱やそれを置いたヤツ
 ・商店街の道路にはみ出した商品やそれを置いたバカ
 ・エトセトラ、エトセトラ、etc.
(これがみんな“バリア”の類だ! 他人の行動を妨げて危険にし、不愉快な思いをさせている。)

 つまり、いくら金をかけて(政府がやれば金をもうける職種と人種はかなり、あの人達に限定されるのだが・・・)設備や施設(ハード)を作っても、人間の心の中(ソフト)を温かくしなければ、それこそ何の効果もないということ。
 人間の心を温かくするのは、もはや容易なことではない。 教育制度も家庭でのしつけも、日本人は自分達の持っていた多くの良い伝統を、かなり長い時間をかけてぶちこわしてきた。
 伝統というものは、ある意味ではこわれやすく、ある意味ではなかなかしたたかだから、良いところはまだまだ沢山残っているだろうが、地球上で絶滅した「種」が二度と現れないように、一度こわれると復活しないものもあると思う。
 しかし、その場合は新しく良い伝統を作っちまえばいいのだ。
 社会はハードとソフトで出来ている。

 介護ロボットだの、盲導犬の普及だの、点字ブロックだの、障害者の助けになる物はどんどん改良して、新しくいい物もどんどん作って欲しいと願う者だが、学校と家庭での教育やしつけをもうちょっとなんとかする方にも知恵と金を使って欲しい。
 さらに気になるのは、駅などにエレベータやエスカレータを作って、何かの災害や事故で障害者などが取り残されたら誰が助けるのだ。 みんな我先に自分だけは助かろうとして障害者のことなんか振り返るヤツなんかいなくなるぞ。 いっぱい犠牲者が出るにちがいない。 新しい「大江戸線」なんか、地下7階にホームがあるぞ。 いったいどうするんだい!
 こんな時、どんなことがあっても駅員がイニシアティブをとってまわりのお客も協力して、みんなが助かるような行動がとれるよう、日常の訓練が必要なのではないか。
 一般の人が、どんな非常事態にも冷静に、出来るだけ多くの人々が助かるように行動できるようになるには、半端な訓練ではだめだ。 “練度”を上げるためには、よほどしっかりしたシステムがないとどうにもなるまい。
 オレがまだガキだった頃、日本はアメリカなんかと戦争やってたが、毎日「避難訓練」というのがあった。(勘違いしないで欲しいのだが、オレは戦争を礼讃してはいない。) 広島に落ちた原爆の爆心地近くの幼稚園に通っていたが、ちゃんとコンクリートで出来た立派な防空壕が作ってあって、日課の防空演習で幼児はもっぱら避難訓練をしていたが、いつも手をつないで逃げることになっていた女の子が超可愛かった。 ヘヘ! よかったねー!
 “バリアフリー”という言葉だけがかっこよく一人歩きしているようだが、ここんとこまで考えとかないと、バリアフリーにするための設備が、かえってとんでもないバリアに変身してしまう。 たいていの駅はエスカレータを一基付けるために、もともと込み合ってしょうがない階段まで幅が3分の1はせまくなっている。 ホームの真ん中をエレベータが遮っている。 缶ジュースなんかの自動販売機もあっちこっちに置いてある。 これも一種のバリアじゃねーか!

 最近、ちょっと残念にも思うし危機感として実感しているが「日本人は一度落ちるところまで落ちないと再起できないかもしれないな!」とヒシヒシと感じている。 若い連中はしらけているし、学校へ行っても勉強しないヤツの方が多いくらいだし。 少しは仕事に関係ある本でも読まないとライバルにけ落とされるんじゃないかと心配してやりたいような若い社会人がコミックに血道を上げている。

 議員さんとお役人さん達よ! わかったかな! わかったら真ん中の足を上げてみい!

じゃ、またな!?

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2000DEC12
(H12.12.12・・・12の三並びだ)