空き缶再び□ 2003/10/27(Mon) 06:26:53 またしても玉ねぎ剣士がPKにあったのである。 「放置してるのが悪いんだろ」 というもっともな意見を聞いて、うんうん確かにそうだ。 と感心する玉ねぎである。 キミらのような人間が、コンビニにたむろするガラの悪い連中に 一言、活を入れてまわってくれれば世界は救われるかもしれない。 さて、そのことはいいとして。 δで魔法上げするメリットとしてチャージ時間が短い事が上げられるが、それだけではない。 コルノシスの街では、なんと対人攻撃が効かないのだ。 おかげで、δコルはしばしばGMの暇つぶしイベントに使われることとなる。 しかしシステムというものは必ず穴があるもので、 魔法を唱えることはできるので、たとえ他キャラに攻撃魔法が効かないとしても カウントを上げることはできる。もちろんリングの耐久度もMPも減るので不正ではない。 さらにメリットとしては、会話マクロさんの存在である。 定期的にMPを回復してくれるので、複雑なことをしなくて済む。 つまり、魔法上げに最適な地だと私は思う。 だがしかし、やはりシステムには穴がある。 ダメージ系の魔法は効かないが、それ以外は余裕で効きまくる。 というわけで、冒頭のふやけた玉ねぎのあり様なのである。 ここで更にδについて考えてみたのである。 ゲームの理論というのを知っているだろうか? コンピュータゲームの理論ではない。囚人のジレンマとかああいうやつである。 知らない人は適当に本屋で調べてくれである。 まさにδ次元がそうじゃないかと思ったのである。 お互いが協調しあえば、双方が最大利益を得る。 しかし、一方が抜け駆けすると、そいつは得をするのだが最大利益を得ることはできない。 エラで言えば、後々遺恨が残ったりする。それはもちろん不利益に繋がる。 この辺の駆け引きが、ああゲームだなぁと思ったのである。 何よりも、自分と自分の回りだけが得をすればいいと言って 自分の世界を狭めるのはなんとも寂しい話しじゃないか。 と、これはあくまで私の感覚である。理想論である。 ある人は言ったのである。 しない善よりする偽善 <今日の玉ねぎ> HP 326 MP 414 ハプ 38 パラ 38 |