水子供養について
〇問い
「浄土真宗では水子供養は出来ないのでしょうか?」
〇お答え(例)
★浄土真宗では「水子供養」はございません!
というより「水子」という考え方そのものがございません。
例えば、
@母の胎内で亡くなった命
A出産時に死産した命
B生まれて何日かで亡くなった命
C100歳で亡くなった命、
であっても「いのちの在り方」として分け隔てをしないということです。
それに、―「水子」だから特別な供養をしなくてはならない―のでもありません。
親鸞さまのお言葉に
「良い薬があるからといって、わざわざ好きこのんで毒を飲むものではない」
(歎異抄13)という喩えがあります。
また、
「人は誰でも、しかるべき縁がととのえば、どのような行いもしてしまうものである」
(同13)という言葉がございます。
※是非「歎異抄」の13条をお読みください。→意訳2008pdf13tannisow.pdf へのリンク
さてさて…
★浄土真宗のご本尊は、阿弥陀如来です。
阿弥陀如来は、「すべての生きとし生けるものを平等に分け隔てなく必ず仏のさとりの世界へすくいとる」ことを本願として、常に(今ここに)はたらいていてくださっています。
0歳児だとか100歳だとか、男だとか女だとか、一切分け隔てをしないのです。
その、「必ず救う」という阿弥陀如来の願い・はたらきに対して『報恩感謝』の気持ちで勤めるのが浄土真宗の「法要」(ほうよう)になります。
したがいまして、浄土真宗では《葬儀》において故人の成仏を祈願することは一切いたしませんし、年回忌等につきましても「供養」というかたちはとらずに、すべてこの「法要」のかたちを執ります。
★そのような事から、浄土真宗では小さい子のお参りであっても通常通りの「法要」のかたちをとります。
大事なのは、「手を合わさずにはいられない親の心」ではないでしょうか?
例えば、「タタリ・サワリ」を恐れてそれを鎮めるために供養するのではなく、まず、悲しい思いをした自分自身が「仏さまのみ教え」(すくい)に出会わせていただく事が、法要の最大の目的であると心得て頂きたいと思います。
※「亡き我が子」(亡き家族)を、どの世界に見ていくのか?にもつながっていくと思います。
★何時でもお寺にご相談ください、一緒に仏前でお参りして「阿弥陀さまの願い」を共に聞かせていただきましょう。
@先ずはお電話ください、日取などを決めます。(お寺の都合もございますので必ず確認してください) |
Aお寺に来る前に「持ち物」を用意してください。(お持ちいただくものはここを参照ください) |
B専能寺はどこにある?→簡単な地図はこちら(詳細は電話でお尋ね下さい) |
浄土真宗本願寺派 真光山 専能寺
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