工事中につき失礼いたしますが、ちょくちょく更新させていただきます。 |
|
---|---|
「救われる」ってどうなること? 「救われる」って死んでからのこと? それなら「救われるかどうか」って、 今の私には関係ないのかな? |
|
「今、救われるんだよ!」 「今、救われる」から、 今、本当の自分に出会えるんだよ。 |
|
「本当の自分」ってどんな自分だろう? |
|
親鸞さまは「とても罪深い私」とおっしゃっているよ。 生きている間中、他の人を恨んだり、ねたんだり、やきもちを焼いたり、自己中心的な私のすがた。 |
|
今まで気付かなかったことに気付くってことが 「救われた」ってことなの? |
|
明かりの届かないところでは、自分の姿 も他人の姿もみることが出来ないけれど、 明かりの届くところに出ると、自分の姿も 相手の姿もみえるようになるよね。 その、明かりの届かない世界を「泥の中」 と例えて、その「泥の中」から「仏の光の 世界」へと「救いとる」ことをお誓いくださ ったのが阿弥陀さまなんだよ。 だから、泥の中から「すくい取られた」人 は、今までみえなかった自分や他人の本 当の姿に気付くことが出来るんだよ。 |
|
うーん、なんだかむつかしいね? 「自分だけよければ良い」ってことに気付くことが なんで救われたことになるのかな〜? |
|
そのはなしは、また今度ね! ……ZZZZZ |
|
※準備中の未完成の原稿にリンクさせてしまいました、まだ作業中ですので一端リンク解除させていただきます。 つづき→ |
|