漫画法話01
工事中につき失礼いたしますが、ちょくちょく更新させていただきます。


「救われる」ってどうなること?

「救われる」って死んでからのこと?

それなら「救われるかどうか」って、

今の私には関係ないのかな?
「今、救われるんだよ!」

「今、救われる」から、

今、本当の自分に出会えるんだよ。





「本当の自分」ってどんな自分だろう?


親鸞さまは「とても罪深い私」とおっしゃっているよ。
生きている間中、他の人を恨んだり、ねたんだり、やきもちを焼いたり、自己中心的な私のすがた。
今まで気付かなかったことに気付くってことが

「救われた」ってことなの?



明かりの届かないところでは、自分の姿

も他人の姿もみることが出来ないけれど、

明かりの届くところに出ると、自分の姿も

相手の姿もみえるようになるよね。

その、明かりの届かない世界を「泥の中」

と例えて、その「泥の中」から「仏の光の

世界」へと「救いとる」ことをお誓いくださ

ったのが阿弥陀さまなんだよ。

だから、泥の中から「すくい取られた」人

は、今までみえなかった自分や他人の本

当の姿に気付くことが出来るんだよ。

うーん、なんだかむつかしいね?
「自分だけよければ良い」ってことに気付くことが
なんで救われたことになるのかな~?

そのはなしは、また今度ね!

……ZZZZZ

※準備中の未完成の原稿にリンクさせてしまいました、まだ作業中ですので一端リンク解除させていただきます。

つづき→

つづく!