専能寺「無量寿堂」は遺骨捨て場ではございません…
そもそも、専能寺の歴代住職と共に『遺骨』を同じお墓に収めるという理念は、浄土真宗本願寺派の《大谷本廟》という合葬墓の基本理念に随順いたします。
無量寿堂建立を成し得た専能寺第14世住職の想いは、跡継ぎの無い門徒家庭に対して「合葬」を提案した形なのですが…
○「J○葬」(専能寺住職の勝手な呼称)を鑑みるに、
「お墓を持つのは経費がかかる」
でも「障りやら罰を恐れて」故人の遺骨を捨てるには忍びなく、
「忘れた」、「落し物」
という体裁を整えることで誤魔化す「死者との縁の切り方」のように…
処分に困った遺骨を、「専能寺無量寿堂に納めてしまえばいいんだ」などという考えの下
まるで「遺骨捨て場」として使われては困ります。
そんな気持ちで納骨されては…「厄介もの扱いされた故人」の心をどのように受け止めたらよいのでしょうか?
専能寺無量寿堂の理念に心より賛同し、喜んでご納骨をされている他の門信徒に対して失礼極まりないことです。
「遺骨捨て場」とならないようにとの思いから、専能寺無量寿堂永代懇志は高めに設定されています。