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=武蔵五日市線・多摩川鉄橋= 2008年3月2日

最近電車に乗って遠出していない。でも家の周りはよく歩いている。家から20分も歩くと多摩川に。
対岸の「福生ふっさ」側遊歩道は人も多いが、こちらあきる野側は歩く人も少ない。

青梅線拝島駅で五日市線に乗り換え間もなく多摩川鉄橋を渡る。終点武蔵五日市駅まで20分の単線の盲腸線です。
中央線は全部新型電車ですがこちらは時々旧型も走っている。写真に撮るにはオレンジ色の旧型が好きです。
名前は知らないが、野鳥も多く見かける。


=武蔵五日市線・多摩川鉄橋= 2006年12月2日

12月2日(土)晴れ 今日も歩いた。
多摩川遊歩道を通って福生付近で玉川上水へ。上水沿いを歩く。上水の水はいつも変わりなくゆっくり流れているが、多摩川の水は冬枯れで少ない。多摩川鉄橋にかかる武蔵五日市線電車も久しぶりに撮影。今日は往復歩き。


=五日市線多摩川鉄橋(2)= 2005年5月3日

奥多摩の山中に源を発し 東京湾に注ぐ一級河川多摩川。河口から50キロ上流の福生付近の写真です。
少し上流の羽村の堰で玉川上水に取り込まれているので川の流れは多くありません。
福生側は遊歩道も河川敷公園もとても充実しています。ゴールデンウイークさなかの5月4日 家族連れなどで賑わっていました。
4枚の写真は、私のお気に入りの五日市線鉄橋付近で撮りました。上流から運ばれた種が根付いたのでしょうか 灌木もたくさん
生えています。我が家から近いところに多摩川と秋川があり癒される事が多いです。


=五日市線多摩川鉄橋(1)= 2005年2月6日

多摩川鉄橋を渡る武蔵五日市線電車。2月5日午後写す。左の土手はあきる野側です。
そばで見る橋桁も、鉄橋も案外古かった。そして今は亡き永井さんを中心に
「秋川市の戦争を語り継ぐ会」が掘り起こした60年前、この現場で起こった出来事を思い出した。

昭和20年7月28日、午前11時50分拝島発五日市行き三両編成列車は空襲警報発令中、拝島駅を出る。発車直前、汽車の煙で拝島駅が敵の目標になることを恐れ、多摩川を越し切り通しまで列車を離す方がよいとの駅長の判断であった。多摩川鉄橋にさしかかると、突如北西より米軍艦載機P51の編隊が現われ、そのうち二機が急降下、蒸気機関車および主として前方車両目指し銃弾を浴びせ、執拗に旋回する。機関士は対岸、東秋留村二宮の雑木林に車輌を隠そうと急ぐが、一発目は機関車の現空気溜に当たり非常ブレーキがかかる。列車一両目がようやく土手にさしかかった地点である。・・・・略 死者3名、重傷者11名、軽傷2名 話はずっとずっと続くのですが・・死者やけが人の救出に当たった地元の方達の話、当時16歳機関助手の方の話、片足切断で八王子の病院に入院、3日後の8月1日八王子全滅の大空襲にあって命からがら逃げた方の話など。(検証1981年夏)