★★★私と流星との出会いは★★★ |
私が、初めて流星を見たのは、小学5年生の頃です。この頃は、近所の子ども達と夕方遅くまで遊んでいました。天気の良い日には、必ずといって良いほど、一番星探しをしていました。いつでも、最初に見つけたのが、殆ど私でした。その内に2つ,3つとみんなで数えていくつ見えるか競っていました。そんなある日のことでした。西の空に、明るい火球が流れました。みんなで驚いたものでした。それからというもの、また、火球を見ようとよく夕方の空を眺めていました。
次に、記憶に残っているのは、中学3年の時に兄と一緒に、近くの不老川で、あの騒がれた72年のジャコビニ流星群を見たことです。しかも、この時は、2〜3個しか見られず流星群ってこんなものかと思いました。しかし、この年の12月のふたご群は、21時台に2〜3個が見え、22時の1時間に10個程度見ることができました。でも、やっぱりこんなものかと思いました。そして、高校2年になり、天文と気象や天文ガイドという本を読み、流星がたくさん見られる時期がわかりました。そして、12月のふたご群で、同じ22時の1時間に30個以上見ることができました。しかも、流星観測星図に記録していたので、今もどんな様子であったかがわかります。
いよいよ、高校3年になり、天文同好会のメンバーと8月のペルセウス群を数時間観測し、その結果をまとめ、学園祭で発表しました。この年には、分裂した流星を見ました。そして、大学は、天文で有名な所へと決めました。74年の☆ふたご群の大火球を写真で捕らえた天文研究会へ。不思議なことに、個人として埼玉県でもこの火球を写真に捕らえていた人とこの研究会でいっしょになりました。この頃の観測場所は☆東京の御岳山の小屋でした。
その後、コンピュータを使ってどんな所から飛んできたかが分かる軌道計算を始めることになりました。その中に分裂火球とふたご群の大火球もあります。そして、大学天文連盟の流星分科会と情報交換しながらたくさんの流星の軌道を求めるようになりました。さらに、関東写真流星連絡会(KPM)や日本流星研究会(NMS)や流星物理セミナー(MSS)等の団体とも情報交換しながら、データを集めたり計算結果を発表したりするようになりました。