〜講演会から〜

「現代医療におけるホスピスの働き」
淀川キリスト教病院 ホスピス長
恒藤 暁 さん
2000年9月9日(土)コンパルホール 文化ホール

【現代医療の問題点】
  現代医療におけるホスピスの働きについてスライドをご覧いただきながら発表します。
16世紀の外科医のアンブロワーズ・パレは医師の役割、医療の役割をこのように言っています。  
  「時に癒し、  しばしば苦痛を和らげ、  常になぐさめるために」  
 近代医学の進歩には目覚ましいものがありますけれども、このパレの言葉は現代医療の目指すべきものと何ら違いはないように思われます。治療のみが重視され過ぎ、苦痛の緩和やなぐさめることがおろそかになっているのが現状ではないでしょうか。
現代医療における問題点について考えてみたいと思います。現代医療の問題点の第1は治癒中心であることです。現代医療の第1の目標は患者さんを治癒に導くこと、即ち病気を治すことです。治癒までに導かれる場合には、現代医療は効率的に力を発揮します。しかし全ての患者さんを治癒に導けるとは限りません。ある人は現代医療で治せる病気は1割、多く見積もっても2割程度であると言っています。現代医療では高血圧や糖尿病を治癒させることができません。また癌の場合も全体の3分の1しか治癒させることができません。したがって治癒を目指しても治癒することの望めない病気が依然多くあり、私たちは治癒を望めない病気といかに生きるかが問われていることになります。そして医療経済的にも厳しい時代となり限られた医療資源や人材をいかに配分するのが望ましいかを真剣に考える必要が高まってきていると思います。現代医療の粋を集めても治癒に導けない進行癌又は末期癌患者さんに対しては残念ながら適切に対応できない場合が多いようです。死の直前まで副作用の強い抗がん剤が投与されたり、意味のない治療が行われたりしていることがあります。また高度の医療技術を駆使しながら延命を図っているに過ぎず、患者さんを必要以上に苦しめていることがあります。治癒を第一に考えている医療従事者は治癒の可能性のある患者さんに対しては積極的に治療しますが、治癒の可能性のない患者さんには足が遠退いてしまい、患者さんを孤独と不安な状況に落し入れてしまっています。このように現代医療は治癒不可能な患者さんにとって必要な援助を十分提供していることが少ないと思われます。  
 現代医療の問題点の第2は症状緩和が不十分なことです。現代医療は検査・診断・治療が非常に進歩し、専門化・細分化されています。何らかの症状のある患者さんは医療機関を受診すると、採血・採尿・レントゲン写 真・心電図などの一連の検査に加え、疑われる病気に応じた検査を受けることになります。これらの検査結果 を総合して診断がなされ、そして治療が開始されます。このような医療の流れの中に末期癌の患者さんも取り込まれ、検査や治療が優先されてしまう傾向にあります。多くの医師は検査や治療に熱心です。 しかし患者さんを苦しめている症状の緩和に関しては対症療法とみなしてしまい興味や関心が低いのが現状です。また医学教育においても検査・診断・治療に重点がおかれ、症状緩和についての教育・研修が十分とはいえないのが現状かと思います。  
 現代医療の問題点の第3は精神的援助が不足しているということです。現代医療は病気というものに対して治療するが、病気になった人の心に対して援助することは十分ではありません。体を見て心を見ずということになりやすいのです。患者さんは身体的苦痛が和らぐことを望んでいますけれども同時に精神的な支えを必要としていることが少なくありません。患者さんのベッドサイドに坐り、患者さんの言葉に傾聴し、感情に焦点をあてることが大切となります。患者さんと共に時間を共有しようとする姿勢から精神的援助が始まります。ホスピスにおいては何かをすることではなく、傍にいることが重要となります。しかし多忙な現代医療においてはこの実践は容易ではないように思われます。  
 そして第4番目の問題点としてはチーム医療が不足していることがあげられます。現代医療はチーム医療であると言われます。チームで取り組むことによって良い医療サービスを提供することが可能となります。しかしチーム医療は必ずしも容易ではありません。その理由としては医師がチーム医療の重要性を認識せずに非協力的であること。またチームメンバーの知識や経験などの力量 が不足していること。そしてチームリーダーやコーディネーターが不在であること、などがあげられるかと思います。進行癌又は末期の癌の患者さんは様々な必要性が認められます。その必要性を把握し、それに対応するためには医師や看護婦だけでなくソーシャルワーカー・宗教家・理学療法士・作業療法士・薬剤士・栄養士・ボランティアなどの協力が必要となります。お互いの特性や役割を尊重し、意思の疎通 を図りながらチーム医療を実現していくことが重要となります。  問題点の第5番目としては個性が重んじられてないことがあげられます。患者さんにとって末期の時期は人生の総決算の場となることがあります。二度とやり直しのきかない期間に大切な特別 な配慮をしてゆくことが重要となります。人は息をひきとるその時まで何らかの力を持っており、その力を用いることが望まれます。患者さん一人一人の残された力を察知し、引き出し、生きがいに結び付けることが個性の尊重につながります。しかし現代医療では患者さんの個性を無視したパターン化された医療が行われており、そのパターン化は医療従事者の都合や考え方で決められていることが少なくありません。

【 ホスピス】
ホスピスとは「治癒を目的とした治療に反応しなくなった病気を持つ患者さんに対して痛みを初めとする様々な苦痛を緩和し、その人らしい生を支えるための施設や活動」を指します。そして先ほど取り上げました現代医療の問題点に取り組むことに努めています。つまりホスピスでは治癒中心ではなく、身体的症状を和らげ、また精神的援助を十分に行い、チーム医療を目指し患者さんの個性を重んじるようにしています。
この方はシシリー・ソンダース博士で、近代的なホスピス運動の母と言われている方です。ソンダース博士は以前は看護婦でしたが、その後ソーシャルワーカーとなり、ある末期の患者さんとの出会いを通 して医学を志し、1957年39歳の時に医師の資格を得ました。その後末期患者における鎮痛薬による痛みの治療の研究に取り組み、1967年英国のロンドンの郊外にありますセントクリストファー・ホスピスを設立されました。以来ソンダース博士は医師として末期患者の援助にあたると同時に教育・研究活動に力を入れています。今日ではこのセントクリストファーは世界のホスピス運動の中心となっています。このホスピスの影響でイギリスでは約200の独立型ホスピスが、アメリカでは約3000の在宅ホスピスが生まれています。そして現在60ケ国以上にホスピス運動が普及しています。私もセントクリストファー・ホスピスで研修を受け、ソンダース博士と話をさせていただく機会が与えられました。また3年前にソンダース博士が来日され素晴らしい講演会が東京・大阪で開催されました。
セントクリストファーホスピスの正面玄関の上のシンボルはセントクリストファー、つまり聖人クリストファーの形を糢ったものです。聖人クリストファーは旅人を背負って川の渡し守をしていました。ある暴風雨の夜、一人の子供に川を渡してほしいと頼まれて、その子供を肩に背負って渡した時に川の途中で子供の体重が非常に増え、背負っていくのが大変になりましたけれども、全身に水を浴びながらようやく向こう岸に着くことができました。そしてこの子供は後のイエス・キリストであったという伝説があります。このクリストファーという言葉はギリシャ語ではクリストホロス、つまりキリストを運んだ者という意味だそうです。人生の暴風雨の中に川を渡るようなことを私たちは経験せざるを得ない場合があります。闇の中を歩む時に道を案内してくれる人が共にいるということが、いかに心強く、励まされることになるということを強調しているシンボルだと思います。
セントクリストファー・ホスピスは5階建ての建物で2階から5階が病棟で、全部で60数床のホスピスになっています。そして窓が南向きで全ての部屋に日が差し込むように設計されています。
建物の横にセントクリストファー・ホスピスの訪問看護ステーションがあります。セントクリストファー・ホスピスは1967年の設立から2年後にすぐ在宅ケアに取り組んでいて、その後イギリスでは在宅ケアがまたたく間に充実したという歴史があります。入院だけでなく在宅ケアもバランスよく行っているというのがホスピスケアと思います。

【全人的苦痛
ソンダース博士が提唱したトータルペイン、つまり全人的な痛みを表したものです。英語でペインといわれるものは単に痛みだけを指すのではなく、苦痛または苦悩という広い意味があります。従ってトータルペインは全人的苦痛とも言われます。末期患者さんには身体的苦痛のみならず精神的・社会的また霊的苦痛に対して援助を提供することが重要であるということを図式したものです。
従ってこの全人的苦痛とは「患者さんに出現する苦痛を身体的苦痛のみとして一面 的に捉えるのではなく、精神的苦痛、社会的苦痛、そして霊的苦痛(スピリチュアルペイン)も含め総体として捉える概念」であり、それらの苦痛への援助が重要となります。

【身体的苦痛
全人的苦痛の第1は身体的苦痛です。患者さんには痛みを初めとした全身倦怠感・食欲不振・呼吸困難などの身体症状が見られます。耐えがたい身体的苦痛は人間としての尊厳を損なわせ、周囲の人々との関わりを困難にします。また安易な死に結びついてしまうことすらあります。これらの身体的苦痛を最大限に和らげることがホスピスにおける必要条件となります。しかしたとえ身体症状が和らげられても病気による麻痺や全身衰弱のために移動や排泄などの日常生活動作が障害されると患者さんの苦悩は高まり、他者の援助や介助が必要となります。身体機能の喪失をどのように患者さん自ら受け入れ、またどのような援助を受けるかは、その人の価値観に関わることであり十分に配慮することが必要となります。

【 身体的苦痛の緩和の要点】
身体的苦痛を緩和するための第1は、モルヒネなどの鎮痛薬を適切に使用することです。癌患者さんの約4分の3と非常に高率に痛みが出現しますので痛みを和らげることが重要となります。そしてこの痛みの治療はモルヒネなどを初めとする鎮痛薬による適切な治療が中心となってます。特にこの痛みの治療は過去10年間目覚ましく進歩しましたが、残念ながらまだ十分には普及しているとはいえない状況であります。  
 2番目はコルチコステロイドを適切に使用するということです。末期の患者さんには全身倦怠感や食欲不振が見られます。これらの症状を改善するためには副腎皮質ホルモンであるコルチコステロイドを適切に使用することが大切になります。  
 3番目は向精神薬の使用です。精神症状だけでなく身体的苦痛、身体症状を和らげるためには精神安定剤といわれる向精神薬の使用が必要となる場合が少なくありません。  
 4番目は、持続皮下注入法です。末期の患者さんは腸閉塞や嚥下困難・全身倦怠感などのために薬を内服することが困難となります。このような時に持続皮下注入法という新しい方法が開発され実施されるようになり、非常に有用です。この持続皮下注入法とは小型の携帯ポンプで微量 の薬物を24時間持続的に皮下に注入する方法であり、小型の携帯ポンプさえあればどこでも誰でも容易に行え、かつ迅速に安全に確実に症状を緩和することができる非常に素晴らしい方法です。今後この方法が普及することが望まれています。  
 5番目は輸液です。末期の患者さんにおける輸液の是非、プラス・マイナスということに関して最近ようやく議論されるようになりました。輸液が患者さんにとってプラスになって苦痛を和らげる場合と、そうでない場合とがあります。したがって輸液の有効性と限界について正しく理解することが重要です。  
 そして最後は鎮静です。よくテレビドラマなどでは最後の逝く時に患者さんが周囲の人々に感謝と別 れの言葉を残し、突如息をひきとるということがあります。しかし現実では最後の数日は全身の著明な衰弱と臓器不全といわれる状態になり、意識がしっかりした状態で苦痛のない状態に保つことが困難になる場合が少なくありません。このような場合に苦痛を緩和するための鎮静というものが非常に重要な位 置を占めます。そしてこの方法は苦痛を取る手段であって安楽死とは全く異なるものです。これらの方法を適切に患者さんの状態に応じて行うことが身体的苦痛の緩和になるというふうに私たちは思っています。

【 精神的苦痛】
全人的苦痛の第2は精神的苦痛です。患者さんには身体的苦痛とともに精神的苦痛が出現します。その主なものとしては不安・いらだち・孤独感・恐れ・抑うつ・怒りなどです。また症状が悪化するにつれて環境や地位 ・役割・所有物また愛情の対象、自分の身体、また自分自身の喪失体験を次から次へと重ねていかざるをえません。精神的負担は大きくなっていきます。精神的苦痛の援助の基本は十分に時間をとって患者さんの言葉に傾聴すること。それとその時患者さんの感情に焦点をあてながら理解的態度で接するということです。 精神的援助の原理
精神的援助の原理について、クラインベルが Caring +Confrontation = Growth というふうに英語で表現していますけれども、 Caring というのは配慮、思いやり、積極的関心という意味内容です。これは具体的には関係作りを構成する要素、つまり傾聴・受容・共感を意味します。 Confrontation という言葉は解決と訳される言葉ですけれども、ここでは関係作りという土台の上に営まれる相互検討、自己吟味、自己洞察を意味します。この Confrontation は通常患者さんの言うことに十分に耳を傾け、十分な信頼関係が築かれた上になされるものであって、このことが不十分であると「よく事情がわかってないのに決め付けられた。意見をされた。」という形になってしまい、Confrontation が対立となってしまいやすいことに注意しなくてはいけません。したがって注意深く聴きつつ慎み深く問うことによって初めて Growth。つまり相手と自分の両者の成長・発展・自己実現が見られることとなります。したがって精神的援助の出発点としては傾聴・受容・共感が非常に重要です。

【 精神的援助の基本】
患者さんに接する時の精神的援助の基本の実践的なポイントについてお話しします。私どものホスピスにおいて心掛けていることです。精神的援助の基本は十分なコミュニケーションを図りながら、患者さんとの信頼関係を築き上げていくということになります。精神的援助の第1は、ベッドサイドに坐り込むということです。患者さんのベッドサイドに立って話をすることを避けるようにします。そして視線が水平になり、そこに平等意識が生れると思います。対等の人格として接するということが大事であると思います。  
 第2番目は傾聴し感情に焦点をあてる。患者さんの感情また個人的な事情に傾聴します。傾聴とは積極的に特別 な関心を持って耳を傾けることです。患者さんが本当に聴いて欲しいこと、またそのつらい気持ちや悩みを聴けるようにすることが大切です。それと同時に患者さんの言葉の背後にあるつらさ、苦しさ、悲しさなどの感情に気付き適切な間をもって「つらいですね」「苦しいですね」「悲しいですね」というふうに感情を表す言葉を情を込めて伝えることが大切です。  
 3番目は安易な励ましを避けるということです。安易な励ましをすることや非現実的なことを保証することはコミュニケーションを断絶させかねないことであって、安易な励まし、また非現実的な保証はしないということが大切なことです。  
 4番目は理解的態度で接するということです。理解的態度とは医療従事者が、患者さんの言葉「このような理解で正しいんであろうか?」ということをもう一度問い返すことです。この理解的態度をとることで、会話は持続し、患者さんに会話をリードさせることになります。  
 5番目は共に闘うことを知らせるということです。臨床の現場においてはどのような言葉を選ぶかが重要であります。例えば「どうもこれは少し長期戦のようですね」という表現をとるのがよい場合があります。また病気のことを癌や腫瘍などと言わずに、「共通 の敵」とか「てごわい相手」と表現することによって、医療従事者が患者さんと共に闘うという姿勢を伝えることが大切です。  
 6番目は、病状の変化に対する説明、予想される体の弱りに対する説明をするのが良い場合があります。例えば「この病気には山や谷がある」というように病状が波のようで、上がり下がりするように表現するとよい場合があります。  
 7番目は、質問の機会を与えることです。診療の終わりに「今、何か質問や注文はありませんか?」と問い掛けるようにします。この問いを通 して患者さんの疑問や悩みを取り出すことにより良いコミュニケーションにつながることがあります。また患者さんに説明した内容や伝えたことが十分に理解されていると思っていたことが質問をすることにより理解されていないことがわかってきたりします。  
 8番目は希望を捨てないということです。どれほど弱っていてもまた自分の病気を熟知している人でさえ回復の希望を持っている場合があります。時には奇跡が起こるのではないかという期待を持っている場合もあります。この希望や期待が非現実的なものであってもそれを見守り支えていくということは重要です。その時の患者さんの気持ちや心に寄り添うように心掛けることが大切です。  
 最後は非言語的コミュニケーションを図ることが大切になります。手を握る、または腕をさする、髪の毛をなでるなどのスキンシップが患者さんを慰めることがあります。また明るく振る舞うことや笑顔で優しく接するということも大切になります。患者さんが衰弱し言語的コミュニケーションが不可能になった時も医療従事者はベッドサイドで患者さんと共に時を過ごすという援助が残されています。何かをするのではなく、そこに存在する、そこにいるということが重要だと思います。

【 社会的苦痛】
全人的苦痛の第3は社会的苦痛です。患者さんは身体的また精神的な問題に加えて、入院に伴う経済的な問題、例えば医療費・入院費・生活費や生活上の問題に悩むことがあります。また闘病が長期化したり、また慢性化した場合、職業上の問題や社会復帰の問題などで社会的な問題は複雑化します。時に家族にとっては葬儀のことや遺産相続のことが問題になる場合があります。社会的な問題が患者さんやご家族の方の悩みの中心になっていることもあるので、ここへの援助を考慮するということが大切です。

【 社会的苦痛への援助】
社会的苦痛の具体的な援助の種類としては4つあると思います。
  第1は情報サポートといわれるものです。これは社会資源や代わりとなる方法に関する情報を提供するということです。情報を提供することにより患者さん自らが自分の生活を考える、生活を改めるということになります。患者さんやご家族の方が必要とする実際的、また実践的な助言や情報は多様かつ複雑です。病状や社会また経済的状況によって問題は一人一人異なりますので、このような患者さんやご家族の方を援助するには自分自身が情報提供者として何ができるかということを考えます。また自分が十分に情報提供ができないと判断した場合にはそういう必要な情報はどこで得られるかということを尋ねることが大切です。  
 
2番目の情緒的サポートというのは患者さんの能力また社会的評価、仕事上の役割などについて自己のイメージのいだきに対して積極的傾聴と共感的な関わり、また支持的な環境を形成することです。社会的存在としての個人に向けた社会的援助ということはホスピスで非常に大切になります。  
 3番目は道具的なサポートで、実際の社会又は福祉制度の活用、又は装具また福祉装具の手配など療養生活に必要な道具を準備するということです。  
 そして4番目のモチベーションのサポートとは療養生活や心理的な困難な課題の解決に向けて継続的に取り組んでいくためのモチベーション、つまり動機の維持を意図として伴奏的なサポートという意味になります。このサポートには患者さんとより深く対話することが大切なこととなります。

【 WHOの健康の定義】
全人的な苦痛の第4はスピリチュアルペインです。世界保健機関 WHO は1948年に設立され、その憲章の前文に健康が定義されました。そして1998年に50周年を契機として憲章が見直され、昨年の世界保健機関の総会において憲章にある健康の定義は改訂されました。スピリチュアルという言葉が英語で追加され、日本語で「健康とは、完全な身体的、精神的、スピリチュアルおよび社会的福祉の動的状態であり、単に疾病または病弱の存在しないことではない」というふうに訳されますけれども、スピリチュアルという言葉が挿入されました。実際のその総会ではその議案の討議は時間の関係で見送られましたけれども、この議案の中で "spiritual wellbeing" つまり「スピリチュアルな福祉」という概念が取り上げられたことは注目に値します。このように健康の意味を広範囲な次元で捉えるのがWHOの考え方ですけれども、21世紀の医療においては spiritual wellbeing 又は spirituality スピリチュアリティという概念が非常に重要になると思います。

【 スピリチュアリティ】
スピリチュアリティという言葉も日本語に訳さないで、カタカナで表現されますけれども、「スピリチュアリティとは人生の危機に直面 して生きる拠り所が揺れ動き、あるいは見失われてしまったとき、その危機状況で生きる力や、希望を見つけ出そうとして自分の外の大きなるものに新たな拠り所を求める機能のことであり、また、危機の中で、失われた生きる意味や目的を自己の内面 に新たに見つけ出そうとする機能のことである」と表現されます。

【 スピリチュアルペインの表現】
スピリチュアルペインの表現という形で考えるとわかりやすくなると思います。「スピリチュアルペインというのは生きる意味と価値の問いかけ」と表現した方が理解しやすいように思われます。つまり患者さんは病気の進行に伴い様々な苦痛や症状・障害が出現し、当然今まで行っていたことができなくなり、自分に対して持っていた自信や確信を失い、自己に対する認識を変えざるを得なくなった時に危機的な状況になります。そして自分の死が近づいていることを感じる時に人間は死を免れることのできない存在であるということを意識することになります。自己の存在が消滅してしまう恐れを感じたり、存在の意味を失ったりむなしさを覚えたりして患者さんは苦悩することになります。このように末期の患者さんはいやがおうでも人生や自己の存在の意味を悩み、あらためてそれまでの人生、自己のあり方を振り返り、人生の締めくくり方を考えざるをえない状況におかれます。このような根源的な苦悩に対して人生や自己の存在の意味を見いだせるような援助が重要となります。患者さんが具体的にスピリチュアルペインとして表現されるものとしてはこのようなものがあげられます。第1は不公平感で、「なぜ私がこういう病気になり苦しまないといけないのか?」という思い、また問いかけであります。第2は無価値感で「家族や他人の負担になりたくない」第3は絶望感で「そんなことをしても意味がない」第4は罪責感で「ばちがあたった」第5は孤独感で「誰も私のことを本当にはわかってくれない」第6は脆弱感で「私はだめな人間である」第7は遺棄感で「神様も救ってくれない」第8は刑罰感で「正しい人生を送ってきたのに」第9は困惑感で「もし神がいるのならば、なぜ苦しみが存在するのか」第10は無意味感で「私の人生は無駄 だった」。このように表現される方が少なくありません。このようなものがスピリチュアルペインに相当します。

【 スピリチュアルケア】
そしてこのスピリチュアルペインに対してスピリチュアルケアということが重要になります。その要点の第1は患者さんをあるがままに受容する、受けとめるということになります。第2は患者さんの言葉に傾聴し、言葉の背後にある意味を感じ取ります。第3は共感的態度で誠実に接するということ。第4は人生観や価値観、死生観また霊的苦痛(スピリチュアルペイン)を自由に話せるように温かい雰囲気を作るということです。5番目は患者さん自身が気付いていないスピリチュアルニーズ、必要性を言語化、意識化させるということ。第6番目は瞑想や祈り、リラクセーションのための静かな時間を提供する。7番目は自然と触れ合える機会を提供するということです。特に大自然に触れると魂が癒されるということを経験する場合が少なくありません。8番目は音楽や絵画などの芸術に触れる機会を提供するということです。特に海外のホスピスでは音楽療法、また芸術療法というものが盛んに取り入れられています。9番目は患者さんが宗教行為や儀式に参加できるように配慮したり、必要であれば適切な宗教家を紹介するということです。最後はライフレビュー(life review)つまり人生を振り返るということになりますけれども、人生の意味を再発見したり注目に値する経験を見いだせるように支援をする。こういうものがスピリチュアルケアになると思います。  
 ライフレビューというのは、患者さんの過去についての話や考え方を援助者が引き出し、共感しながら支持的に傾聴するということです。つまり患者さんが自分の人生を回顧いわゆる振り返りやすいようにコミュニケーション技術を使用しながら進めていきます。人生に十分な意味と価値を与えてくれるような過去の出来事に患者さんの視点を向ける、又向けさせるように働き掛けるということになるかと思います。それにより人生の意味や価値を再発見したり、重要な体験を見出すことになり、今まで生きてきた人生や今ここにある自分又は自己の存在ということを再認識、また意味づけすることになる場合があります。  
 このようにスピリチュアルケアというのは全ての人の生き方の根源に対する援助であり、宗教の有無に拘わらず自分自身の人生観・死生観に従って援助することになります。つまり患者さんのスピリチュアリティに積極的に関わり、援助することが求められていますし、そのためには援助者自身の死生観、また生と死を見つめる訓練や教育が今後さらに重要になっていくのではないかと思います。

【 インフォームドコンセント】
近年患者さんの人権運動ということが言われるようになって患者さんの意思と自己決定権、自分で治療を選択するということを最大限に尊重するということが重要になってきています。これはいわゆるインフォームド・コンセントといわれるものです。このインフォームド・コンセントとは医師が患者さんに診断や治療の内容を伝え、患者さんがそれを理解し、選択に基づいて同意するということを意味します。現代の医療においてもまたホスピスにおいてもこのインフォームド・コンセント、そして自己決定権の尊重ということが益々重要になってきています。  
 インフォームド・コンセントの内容としては、第1は診断の援助に基づいた現在の病状を正しく患者に伝えること。第2は治療に必要な検査の目的と内容を患者さんにわかる言葉で説明すること。第3は治療の危険性を説明すること。第4は成功の確率を説明すること。第5はその治療以外の方法があれば説明すること。6番目はあらゆる治療を拒否した場合にどうなるかを伝えることです。この場合単に伝えるだけでなくて患者さんが理解したことを確認することが重要となります。この結果 、患者・医師関係は医師の指示に従って診断・治療を受けるといった従来のあり方から医師の十分な説明を受け、理解・同意した上で患者自らが診断や治療を選択するというふうに変わってきています。

【 患者に望まれること】
そして患者さんに望まれることとしては、このようなものがあげられると思います。第1は日頃から健康や医療について関心を持ち、知識を豊かにしておくということ。第2は病気になった時にどのような医療を受け、どのような生き方を選ぶかについて日頃から自分の意思を持つとともに家族と話し合っておくということ。第3は特に癌の告知や末期における延命措置などについては事前に意思を明確にしておくということ。第4は自らの病状や予後、治療の目的・内容・展開・期待される効果 ・副作用などについて遠慮無く医療従事者に尋ねる態度を身に付けること。第5はよりよい医療を受けるために自分の生活や生き方について医療従事者に理解してもらうように努めること。最後に情報や生きる支えを得ようとすること、があげられます。

【 家族のアセスメント】
ホスピスにおいては患者さんの援助と同時にご家族の方の援助も大切にしています。ご家族を援助するために大切なこととしては家族の方をアセスメント、評価するということです。「家族は患者さんが所属する社会の最小単位 である」とよく言われます。そして患者さん自らが持つ強力な援助資源であります。ご家族を援助するということが患者さんの援助資源として有効に機能し社会的援助につながります。そしてご家族の援助にはこの適切なアセスメントが必要となります。  
 
家族のアセスメントの第1はご家族の方が患者さんの病状、また予後といわれる今後の病気の見通 しについてどのように理解しているかということを知ることです。よく医療従事者は患者さんのそばにじっといるから家族は当然わかっているものだというふうに見なしがちですけれども、ご家族の理解は現状とは異なる場合が少なくありませんのでそのことを聴くということが大切になります。第2は家族構成と既存の問題を知るということです。例えば家族の構成員の結婚・出産・育児また患者さん以外に病気のある人がいないかどうかということを確認することも大切になります。3番目はサポート資源の状況を評価するということ。4番目はコミュニケーションスタイルといわれますけれども、家族間同士でどのようにコミュニケーションを深めるかを理解することが大切になります。6番目はコーピングスタイルというふうに表現されますけれども、問題に対して今までどのように対処してきたか。対処行動というふうにいえますけれども、私たちの人生には様々な不都合なこと、問題が起きますが、今まで過去に起きた問題に対して家族の方はどのようにその問題に取り組み、その問題を克服してきたかということを理解することが大切です。そして最後は患者さんとの関係を理解するということが重要になります。そしてこの家族のアセスメントにおいては、いわゆるストレスといわれるものが家族にどの程度影響を与えるかということ、またそのストレスに対する対処する能力を知ることになります。そしてアセスメントの結果 、家族の援助の必要性が明らかになり援助の目標や方針が決まり、具体的な計画を立てるということになると思います。

【 家族の援助】
私たちが心掛けている家族の援助の第1としては「今何が一番心配ですか?」ということをご家族の方に尋ねるということです。つまり家族の思い、また家族の心配事、また関心が何であるかということを尋ね聴くということです。家族が知りたいと思っていることと医療従事者の思いとは、ずれている場合や差がある場合が多々あります。まず家族が知りたいと思うことを尋ねるということが大切であるように思います。  
 2番目は、必要な情報を分かち合うということです。ご家族の方に患者さんの病状を説明する場合も単に情報を提供するというのではなくて、悪い知らせを家族の方と分かち合うという姿勢が大切になります。この分かち合うというのは共に悩みどうするのが最も良いかということを考える姿勢です。  
 3番目は、ご家族の話に傾聴し感情を表出できるような機会を作るということです。  
 4番目は末期の患者さんには急変、急に病状が悪化するということがあります。ですからその急変の可能性があるということを伝えることが大切です。表面 上は落ち着いているように見えても末期の状態においては、いつ何時急変するかもしれないということをお伝えし、ある程度心づもり、心の準備をしていただくということが大切な家族の援助です。  
 5番目は、いかなる場合、また急変が起きた場合でも最善を尽くすということをお約束する、伝えるということです。但し、この最善を尽くすということは、できることを全て行ったり、単に時間的に延命を図ったりするというわけではありません。場合によっては控える、何もしないということが最善になる場合もあります。そして大切なのは患者さんにとって何が一番いいかということを考えながら進めていくということです。
 6番目は、家族に説明を求められる前に説明するように努めるということです。多くのご家族の方は、医療従事者が忙しいと思っておられて、聞きたいことがあっても遠慮して聞かないということがありますけれども、ホスピスにおいては、尋ねてこられる前にこちらから先にお話しする、説明するということを大切にしています。  
 7番目は、ご家族の方に説明した後に「今何かお尋ねになりたいことはありませんか?」ということを付け加えるようにしています。説明して十分に理解していただいたと思っても、この一言をかけることでこちらが予想されない質問とか予想されないことを尋ねてこられたりして、今まで説明したことが十分に理解していただいてなかったということが時々あります。  
 8番目は、介護による疲労が軽減できるように配慮するというです。特にご家族の介護というのは非常に大きな身体的・精神的負担になりますので、休養や気分転換ができるように工夫するということが大切です。  
 9番目は、基本的介護の知識や技術をお教えするということです。ご家族が患者さんの身の周りのお世話や介護に役立つことができるようになるということは大切ですし、また家族の援助にもなります。ご家族としてはどのようにしていいかわからないということが非常にストレスになります。ですから家族ができることをお教えし、していただくということは非常に大切です。  
 10番目は、家族を支援する社会的資源、主に福祉制度、そういうものを活用できないかということです。

【 悲嘆に影響を与える要因】
患者さんがお亡くなりになった後の家族、つまり遺族についてお話しします。悲嘆というのは死別 に対しての精神的・情緒的反応をいいます。人は重要な喪失の際に悲嘆を経験します。そして悲嘆に影響を与える要因としては次のようなものがあります。1番目の死別 者との関係というのは、お亡くなりになった方が自分の両親なのか自分の配偶者なのか自分の子供なのかという、その関係がその悲嘆に影響を与えるということです。  2番目の死別のタイプというのは、今日は主に癌の患者さんのことを想定してお話ししてますけれども、必ずしも亡くなるのは癌だけではなくて、突然の事故死ということがないわけではありません。また癌であっても突然具合が悪くなって亡くなる方と、徐々に具合が悪くなってご家族が心の準備をしてお別 れするという場合とでは悲嘆に対する影響が異なってくるということが報告されています。  
 3番目は死因ですけれども、病気で亡くなったのか事故で亡くなったのか、また自殺されたのかまた他殺されたのかという、そういう場合によってかなり悲嘆に対する反応が異なるということがいわれています。  
 4番目は死の状況です。穏やかな最期であったとか、非常に苦痛・苦悩を伴う最期であったとかです。亡くなる最期の時がご家族にとっては一生忘れられない記憶であり、いい意味では忘れられない記憶の場合と、良くない意味で忘れられない最期の時があります。  
 5番目は遺される人の特性です。悲嘆をする人の年令で、若くして配偶者を亡くした、それともかなり高齢な時に配偶者を亡くしたということでは随分違いますし、男性と女性の違いもあります。又社会的な地位 の違いなどがこの悲嘆に影響を与えるということが言われています。

【 悲嘆のプロセス】
悲嘆というのは死別に対する精神的・情緒的反応といいましたけれども、これに関してはプロセス又は段階があることがわかっています。英国の精神科医で悲嘆に関する専門家として非常に有名なタークスという方は、悲嘆を4つの段階に分類しています。
 第1の段階は麻痺状態と感覚鈍麻と表現される段階です。これは多くの人々が死別 に対して現実を十分に受け入れることが困難な時期を指します。信じられない、また受け入れられない、本当とは思えない、「なぜ?」と訴えることがしばしばであり、非現実感、とても現実であると思えない感じや麻痺、感覚が鈍くなっている状態が数時間から数日間続くと言われています。  
 第2の段階は追慕と切望と表現される段階ですけれども、亡くなった人、故人を捜し求めずにいられない衝動に駆られる時期です。亡くなった人が戻ってくることをしきりに願い、また喪失が永遠であることを否定しようとしています。不安と緊張を伴い、声を出して泣くなどの傾向がみられます。また怒りや自責の念、当惑などが起こったりし情緒的にいわゆる混乱している状況が見られます。  
 第3段階は混乱と絶望といわれる段階で悲嘆の苦痛の強さは軽減し、無関心や絶望の時期です。この時思考力は低下し、将来のことは考えられず、その日暮らしをすることが多くみられます。  
 そして最後の第4段階は再構成と立ち直りと言われている段階ですが、この時期は食欲低下、また体重減少といわれる症状が改善し、記念行事、一周忌の時に悲嘆は見られるけれども気分は比較的軽くなり、エネルギーを取り戻すといわれます。このように悲嘆においてもそれぞれの段階があって、その段階に応じて援助していくことが大切になります。

【予期悲嘆】
予期悲嘆とは死別が予期された場合に実際に死が訪れる前に死別した時のことを想定して生きる。つまり患者さんがお亡くなりになる前に家族の方が嘆き悲しむということです。前以て悲嘆、苦悩することによって現実の死別 に対する心の準備が行われます。死についても何らかの先触れがあり、将来残される人となる人は死別 を予期した期間に喪の準備を始め悲嘆に伴う様々な反応を経験します。この予期悲嘆が適切に行われた場合、死別 後の危機、また悲嘆のプロセスも順調に経過することが多いと言われています。そしてホスピスにおいては予期悲嘆のある家族への援助や遺族ケアというのが非常に重要になります。予期悲嘆をご家族が行うことによって喪失に対する心の準備を行い、また死別 が現実になった時に、その衝撃や悲嘆を少しでも軽くするのに役立ち、また回復も早いと言われていますけれども、予期悲嘆を経験すると非常に罪責感を感じたり、またそういうことを表現するのがよくないというふうに思っておられるご家族がおられますので、「この時期にそういう悲しみが出てくるのは当然であり、その悲しみを十分に表現した方がいいですよ。」ということを伝えることが大切です。時にはご家族が十分に泣けるようなプライバシーを保てるような環境を部屋を準備することが大切です。  
 今までお話ししたのは予期悲嘆のいいプラスの面ですけれども、場合によってはこの予期悲嘆もマイナスに働く場合があります。特に予期悲嘆の期間が長引いた場合や、死が現実化するはるか前に残される人が患者さんに対して時期尚早な情緒的な撤退を起こして、その経過で気まずい関係になってしまうということがあります。具体的に言いますと、患者さんの目の前で患者さんが亡くなった後のことを家族内で話しをするということ、看護・介護に気持ちがついていかないということがあります。この場合患者さんとご家族との距離が非常にあいてしまいます。一方これとは反対にこの患者さんとの距離を著しく無くしてしまう場合があります。つまりご家族の罪責感や喪失感を取り除こうとして医学的に過度の処置を要求したり、また眉唾物の治療法を非常に求めたりする場合があります。また予期悲嘆も非常に長引くと憤りが生じたり、怒りになったり、罪悪感が生じたりすることが家族内に見られることがあります。ホスピスケアを行っていく上で家族の援助の中でこの予期悲嘆を適切にアセスメントし、対応していくということが重要になります。

【 死別に関する誤解】
遺族への援助ということについて医療従事者においてよく言われる神話といいますか、迷信または誤解というものがあります。これらは医療従事者、またその遺族の方に接する周りの人々に非常に影響を与えるので、正しい理解をするということが大切になってきます。バーネルという人が書いているものを引用して、少しご紹介します。  
 死別に関する神話の第1は、時間が全てを癒すということを信じやすいということです。確かに時間は癒しの過程を助けますけれども、数年経ってもまた数十年経っても悲嘆が癒えない人もおられます。ですから時間が経てば全てが解決するというわけではないということを理解することが大切です。  
 2番目は、悲嘆は6ヶ月〜1年続く。しかしこの悲嘆の強さと持続期間は人によって異なります。先程も言いました死別 に影響を与える要因・因子にも関係しますけれども、死別者との関係性が非常に大きく影響を与えます。  
 3番目は、喪失について考えないようにするほど苦しみは少ない。遺族を励ますように「そのことは過去の事だから他のことをしたら」ということを助言しますけれども、悲嘆の苦しみからの回避、逃げるということは悲嘆のプロセスを複雑にしたり遅らせたりすることになり、援助にならない場合があります。  
 4番目は、喪失に触れない方が死別体験者にはいっそう助けになる。3番と重複しますけれども、喪失に触れる方が一般 的には援助になります。ただしその場合は遺族の方と自分との関係性が重要となります。十分にその遺族の方と信頼関係、人間関係が築かれてから喪失に触れることになります。  
 5番目は、怒りと罪責感は異常な悲嘆反応の中でのみ生じるということがありますけれども、正常な悲嘆のプロセスでも怒りや罪責感がほとんどの場合に認められます。  
 6番目は、泣いたり悲嘆について話したりする人は、感情を表出せず喪失を決して口にしない人よりもずっと苦しい思いを過ごしているということがあります。表現する方がつらいのではないかと思いますけれども、必ずしも表現しないから悲しくないというわけではないということ。むしろ表現をすることが悲嘆のプロセスを促進すると言われています。
7番目は、悲嘆は家族をお互いに親密にさせるということですけれども、しかしこの悲嘆は家族構成に様々な反応を起こすので、一概にはこのように言いきれないと思います。  
 8番目は、子供達は幼過ぎて死を理解できないので死の概念について話し合うのは子供が大きくなるまで待つのが最良であるということですが、子供の年令相応に死について話し合うということが重要になります。小さい子は小さい子なりに死について話をする。お母さんの死、お父さんの死ということについて話をする方が子供にとって子供の成長にとっていいことになります。  
 9番目は、愛する人の遺体を見ないで済ますことができれば、通常それは遺族にとってずっと安楽である。特に事故や突然の死の場合に遺体との対面 ということは非常につらいし、しない方がいいというふうに言われてますけれども、遺体と対面 する方が悲嘆のプロセスを促進させるのでいいのではないかと思います。しかし無理強いをしてはいけないというのが原則になります。  
 10番目は、薬物・アルコールは悲嘆のつらさを緩和するということですけれども、薬物・アルコールは悲嘆のプロセスをむしろ遅らせることになります。  
 11番目は、悲嘆しすぎると健全な精神を喪失するということですけれども、これも正しくなくて、悲嘆の段階で情緒的かつ精神的に不安定になることがありますけれども、ほとんどの場合には落ち着いてきます。  
 12番目は、悲嘆が前もって予想されている人は悲嘆のプロセスに楽な場合があるというのも必ずしも正しくありません。
13番目は死別を体験している家族はあまり気が動転しているので病理解剖や臓器移植の求めに応じて話し合うことがよくないとありますが、これは人によって異なりますけれども、時には病理解剖や臓器移植の話し合いは遺族にとって癒しの機会また他の人を助けることになるプラスになる場合があります。  
 14番目は怒りの悲嘆は正常な情緒反応ではなく、その表出を奨励すべきではないとありますが、むしろ怒りでもどのような感情でも表出することを促すことが大切だということになります。  
 15番目は愛する人の喪失を迅速かつ短時間に受容することは、その人が成熟し強い意志を持ち悲嘆プロセスをうまくやりこなしていることの表れであるということですが、このような場合に理性的に対応しているのではなくてむしろこのように平静を装っているという場合は悲嘆のプロセスがうまくいっていない場合があって、悲嘆のプロセスが遅れている可能性があります。  
 16番目は亡くなった夫とコミュニケーション、つまり話し続けるという妻は病的な心理規制を用いていて悲嘆に対応しているとありますが、必ずしもそんなにしょっちゅうあることではないんですが、これは対処規制、コーピングといわれるものを行なっている場合があり、必ずしもこれ自体が有害という悪いというわけではないというふうに考えられます。  
 最後は自殺者の遺族と話をする際には自殺についての話題を持ち出してはならない。自殺の悲劇に直面 している家族は罪責感や羞恥心など複雑な感じを抱いていますけれども、悲嘆を援助するためには援助者はそれを避けて通 るわけにはいかないということです。  
 このように悲嘆に対する誤解、又は迷信といわれるものがありますが、これらの大部分は悲嘆にくれている遺族よりもむしろ援助者の不安を緩和するために言われているような側面 があります。大切なのは悲嘆の中にある遺族の表現する苦しみを分かち合うということ。それと誠実な関わりということが遺族にとって本当に必要な援助となると思います。

ここで一つの詩を紹介したいと思うんですけれども、ライムホルト・ニーバーという神学者の祈りという詩があります。  
 神よ変えることのできないものを受け入れる平静を与えたまえ。  
 変えることのできるものを変える勇気を与えたまえ。  
 そして変えることのできるものと変えることのできないものとを識別する智恵を与えたまえ。  
 
 この詩の中にあるように変えることのできるものと変えることのできないものを正しく識別 する智恵ということが私たちにとって非常に大切なのではないかと思います。時に変えることができるものを変えることができないと思っていたり、また変えることができないものを一生懸命変えようとしている場合がありますので、変えることのできるものと変えることのできないものを正しく識別 する智恵が私たちにとって必要だと思います。

最後にホスピスケアの真髄ということについてお話しして終わりにしたいと思います。これはイギリスのホスピスに関する本に書いてある絵を引用したものですけれども、4つの場面 があります。左上の絵は、患者さんに対して医師が白衣を着て注射などの処置をすることで医師としての役割を果 たしています。  
 そして2番目左下の絵は、宗教家が、特にイギリスでは宗教家が病院又はホスピスに自由に出入りできる状況になっていますけれども、宗教家が宗教儀式を行なうことで宗教家としての役割を果 たしてゆきます。  
 そして右上の絵は、医学的処置や宗教儀式は既に行なってしまっており、援助者は両手に何も持たず患者さんに接しています。この場合はまだカウンセリングということが残されています。  
 そして最後の右下の絵は、患者さんも援助者も互いに人間として裸同士でいる。手には何も持たず援助者の与えることのできるものは自分自身であることを示しています。ホスピスケアにおいてこのように知識や技術だけを言うのではなく、病気を持ち悩み苦しんでいる人への全人的な関わりが要求されます。

【 終わりに】  
 終わりに医学において重要なことは何であろうかということを考えますと、それは患者さんと出会い患者さんを理解することというふうに極言することができるのではないかと思います。そしてこのためには患者さんやそのご家族の方々の感情や考えを理解し尊重することが重要になります。つまり豊かな人間観なくして患者さんとの真の出会いはなく、良い医療は生まれないように思います。そして患者さんとの真の出会いがなければ患者さんの真の命を発見することはできません。そして患者さんの命を見いだすことのできない医療は人間不在の医療とならざるをえません。患者さんの命を見いだす医療を目指していきたい、そのように願っています。長い時間ありがとうございました。以上で私の講演を終わりにさせていただきます。ご静聴ありがとうございました。