〜講演会から〜

「生死一如」
 竹田市 西光寺 前住
秦 徹鷹 さん
1997年9月13日(土)コンパルホール 304室

 仏の教えでは真のさとりが開けると、「生」も「死」も同じ様な状態で受け入れられると云う事を「生死一如」と申して居ります。この「生死一如」と云う事に就いてお話をするのですが、生の方に就いては八十数年生きて参りましたから幾らか体験をお話しする事が出来ますが、死は全く無経験で(誰も体験した人は居ないと思いますが)斯うと云う体験したお話が出来ませんので、先輩の教えや、先哲の遺した記録書物等で、大方そうであろうと云う私の想像でお話をさせて貰います。  
 仏教では「死」を往生とも云います。往生とは読んで文字の如く、往き生れると云う意味で、仏の国に往き生れる事を云うのです。普通 一般に何にか困った時、「往生した」とよく云いますが、これは全く間違いで、私は往生の意味を、人生の完成へ向上目指して、生死をくり返して一歩々々進んで行く状態を往生と受け止めて居ります。  
 医学方面に私は無智でありますが、書物で読んだり医師のお話等を承りますと、我々人間の細胞の組織は、すごい速さで生滅をくり返して肉体を維持して居ると聞いておりますが、精神的な面 も同じ事で私の心は生滅をくり返し乍ら一歩々々向上の方に向って居ると思います。今今いまと云って居る間に今は無いのです。  
 ここで皆さんに大変失礼な質問をさせていただきますが、お怒りならず馬鹿笑いしながらお答えになって下さい。 「あなたは昨日は生きて居られましたね。今日はごらんの通り生きて居りますね、明日はどうですか?」(少し間をおいて会員よりの返事を待って)解らない! ですね。たとえばこれが大学の入試で必ず書かねばならないとなると、解らないと書くより外ありません。本当ですか? あなたは今明日のいのちは解らないと考えて居られますか?  解らないは、たてまえで、ほんねは明日のことが解らないと考えて生活しておる人は一人もおりません。斯く申上げて居る私も明日の約束をしております。何だか変ですね! 明日のいのちが解らない私が明日の事を約束するなんて! それは理屈だよと云うのがおちです。大病を患っておる方なら別 として、世の中に明日のいのちは解らないと考えて生活しておる人は一人も居ません。この辺が問題なのです。あてにならないものをあてにして生きてる私ではないでしょうか?  
 私は毎月一回市立の老人ホームに、般若心経の講話に30年近く行って居りますが、般 若心経には此辺の問題が説かれてあります。「諸法は空の相」とありまして、私共が現在心の依り所として頼りにして居るものが、本当に頼りになるものか甚だ疑わしいものです。然し今の私共は斯うしたものを頼りにして居る人が殆んどです。そこで「私には此れが絶対」と云うものを早く見定めなさいと心経は教えて居ります。今日お集まりの会「生と死を考える会」の目標も此の点にあるのではありませんか?  あの神戸で発きた事件や奈良での殺人事件の彼等は、「死」とか「いのち」と云うものをどう考えて居るのでしょう。今の社会機構の中に斯うした犯罪のおきる何かが 存在する様な気がしてなりません。人間として、なさけないと云うより外はございません。聞くところによりますとあの少年の母親は教育熱心な、今で云う教育ママとの事ですが、その教育の中に欠けたものがあったのではないでしょうか。一般 的なエリート教育のみに執われて、人としての情(心)の躾けに欠けていた事が考えられます。この事は此の母親に限った事ではありません。今の社会的機構と云うものが虚像に執われて人間不在を叫ばれて居る所以です。斯うした片寄った教育、躾に依って養われた現代病(精神的)だと思います。その結果 が死、いのち、人間の尊厳性を軽く考える仕組になって居る様に思われます。
 ある仏教系の保育園を卒園した小学校一年生の子供がクラスで協同飼育していた兎が死んだのを見てすごく悲しみ、「先生、お寺の和尚さんに来て貰ってお経をあげて貰ったら」と訴えたとのこと。何んと優しい心情ではありませんか。この様な心を大事に育て、情操の教育が出来たら、いのちの大切さが解り、あの様ないたましい事件は防げたと思われます。然し「母ちゃん、甲虫(カブトムシ)が死んだ。電池入れ替えて。」と云う様な教育では、死のなんたるや、いのちの大切さなど解るはずがありません。  
 最近ある学校のPTAの若いお母さんが「学校の給食時合掌させて『いただきます』と云わせる事は宗教教育を禁止している法律に違反するので直に止めさせて欲しい」と、市の教育委員会に申込んだそうです。何と云うなさけない母親でしょう。禁止を申入れるよりむしろ、賞賛して御礼を申すべきではないかと思います。学校教育で宗教教育を禁止したのは、学校で特定の宗教教育はしてはいけないと云うことで、合掌する事は感謝の表現であり、「いただきます」と云うことは、野菜から魚、動物凡てのいのちをいただいて私は生かされて居るので、だから「いただきます」と感謝をこめて合掌させる事が何が悪いのです。むしろ各家庭で食前食後この様な行為をする人達が少くなりましたのは残念でしようがありません。人間形成の第一歩の躾です。斯うした事が出来ない様な人間は犬や猫と変りありません。昔は「物を粗末にすると眼がつぶれる」とか「悪い事をすると地獄に行く」と云う様な事が日常茶飯に云われて居りました。今の時代そんな事をと笑われるでしょうが、此れが良いとか悪いとか云うのではありません。斯うした事を日常茶飯時耳にし育って行くところに、知らず知らずのうちに人間の心の奥底にいぶし 銀の様にしみ込んで心の裏付となって来たと思います 。
  今の社会機構は人間の死とか、いのちの大切さ等を知る機会の「死」に出合う機会が少くなりました。肉親の死でも昔は吾が家で孫、子供等に看取られて死を迎えたものですが、今はすぐ病院へ。いよいよ病が重くなると肉親の者も遠ざけられ、集中治療室で全身管だらけになって事終ってから医師から死を告げられると云う現況です。医師は死期の迫った事が解るはずですから事情が許すなら最後は肉親の者に看取らせていただきたいと思います。出来るなら最後は家庭に帰していただき安らかな死を、と私は願って居ります。斯うした死の悲しみに何度か会う毎にいのちの大切さが解って来ます。逆に生も同じです。或る日突然病院から、「弟です」「妹です」と家庭に連れ込まれて家族の一員になる訳ですが、誕生は家族として末長く共に生活をしますから了解出来ます。  
 仏教では「人の世に生を受く」と、何処からかいのちを授かってこの世に生まれたとしてあります。悠久の先祖のいのちの流れの中に親を縁として私はいのちを受けついで生まれたのだと思います。静に胸に手をあてて目を閉じてみて下さい。どっくどっく と悠久の祖先からのいのちの聲が聞こえて来るでしょう。だから人として生まれたからには四苦八苦して、いただいたいのちを大切に生きぬ こう。どの様な苦しみにも堪える力がそこから生れて参ります。  
 年をとります事も苦しみの一つです。先日私の友人から次の様な四つの歌をハガキに書いて送って参りました。
(1) 八十路とは老の坂だと思ったが   花も見られる鳥も鳴いてる
(2) 強がりを云ってはみても 歳はとし   足はよろめき ものは忘れる
(3) 仕遂げたい仕事があれば今しばし   年貸したまえ 南無観世音
(4) これからは仏にまかせ生きるだけ   お頼み申す 南無阿弥陀仏  
 年を重ねた者の老いの気持ちが良く現わされて居ります。特に(3)の歌の様な心がまえが必要と思います。只単に長寿を願うのでなく、中味のある充実した生き方が尊いと思います。仏教でも老苦と説いてあり、年をとる事は本当に苦しみです。世間が良く年をとる と申しますが、とる とかな字で書きますと余り解りませんが漢字で書いてみますと、年を取 る、年を盗 る、年を執 る、夫々に内容が違って居るように思います。その様に歳のとり方にもいろいろあります。私は三番目の執 ると云う字の様な、年と共に内容の充実した生き方がしたいものです。  
 最近法律で死の判定に二つの見方が制定されましたが、「人のいのちは地球より重い」と迄云われて居ります様に、人の死は最も厳粛なもので、最高の尊厳視が為さるべきだと思いますのに便宜上の二つの判定のあり方には私は強く抵抗を感じます。  
 北海道のある寺の住職夫人が49才の若さで癌で亡くなりました。本人は「癌をいただいて見えないものが見えてまいりました」と。いよいよと云う状態の前夜子供達三人(大学生を上に三人)をよびよせ、「いよいよ私の人生大学の卒業期が来ました。お葬式は私の人生大学の卒業式で翌日からお浄土の幼稚園の入園式でもありますので、皆は悲しまずに喜んで下さい」と云い遺し亡くなりました。人の死をこの様な受止方が出来る精神力はどこから生れて来るのでしょう。朝夕に仏を拝み絶対の仏に帰依して、生死一如の世界にまで到達された姿です。  
 私も数年前住職を長男にゆずり、家内と二人で隠寮で生活して居りますが、数年前より家内が、パーキンソンの難病に罹り昼夜の別 なく介護の毎日をすごして居ります。食生活は若い者から三度三度給仕して貰いますが、八十路をすぎて楽をしようと思ったのに、夜間数回も所用で起される事は可成苦痛です。然し「此れが私の人生だ、楽をしようと思う事が間違いで」と自分に云い聞かせて、老妻を看乍ら写 経を楽しんで居ります。随分以前から般若心経の写経はして居りましたが、最近は我々の宗旨で所依の経典と云われて居ります。仏説阿弥陀経と云うお経を半折の用紙に中を白く名号を浮かせて経典を書写 して居ります。字数にしますと三千字程ありますが、家内の様子をみながら無心に書写 させていただいて居ります。経にも写経の功徳は不可思議であると云われて居りますが、写 経をして居りますと実に云い様の無い安らぎの心が生れてまいります。何物にもたとえ難い素張らしい気持ちにさせられます。本当の生き甲斐と云う様なものを感じます。出来上がった作品は志のある方に差上げて喜んで頂いて居ります。おかげ様で家内も幾らかではありますが快方にむかって居り、喜んで居ります。  
 唐の善導大師が願文の中で、  
 命終の時に臨んで心転倒せず、心錯乱せず、心失念せず、心身に諸の苦痛なく、
 身心快楽にして  禅定に入るが如し 仏の国に往き生れ 六神通を持て 此国に還り来りて
 
 と説かれてあります。仏の国に往った私は心となりて此世に、と書いてあります。  
 又往生要集と云う書物には、「臨終の三想」と云う事が云われて居ります。私は最近義弟を54才で、甥を45才で何れも癌で亡くしましたが、二人の臨終に立会って此の教の通 りである事を実感しました。私も今死んだら仏の国に往き生れると確く信じて居ります。然し最後の死にざまは解りませんが! 私も若い頃昭和42年の5月6日朝突然倒れて臨死の状態になった事があります。目の前はぼうーと暗くなり、眉間から油あせが流れだし意識は朦朧と。その時、「しまった」、と「死」・・・「然し今此所で死んだら寺は家族は!」と、死がこわいのではなくあとの事を考えて、「もっと凡ての事を整理しておけば良かった」と痛感しました。私共はいつかは必ず来る此の時の為、毎日毎日を充実した暮しをしたいものです。「日々是好日」と云う言葉がありますが実にその通 りです。「好日」とは心満された日と云う事で、いろいろと問題が起きるのが人生だが、それを堪え偲んで、夜床に入る折り、「あー今日の一日も好かったなあー」と云える様な心満された日を「好日」と云います。  
 私の知人に昔の師範学校長をして居た人が居りますが、この方は在職中に眼病を患いとうとう失明してしまいました。私と仏教の教えに就いて、テープレコーダーで交際をつづけて居りましたが自分の今の心境を判読せねば解らない様な文字で  
 失明が良き縁となりみ仏の 道求めゆく吾は幸せ
 と書き送ってまいりました。失明と云う逆境にありながら、幸せと喜べる此の境地を心満たされた好日と云うのです。又最後に辞世として  
 み光に草も木も生え匂い映ゆ この大生命にとけ入る吾は

 と書き遺し亡くなりました。この様な死生観に到達する事を生死一如と云うのだと思います。  
 詩人の西条八十氏が妻を亡くして墓石の碑文に  
 吾等楽しくここに眠る  はなればなれに生れ、
 めぐり会い  みじかき時を愛に生き  悲しく別れたれど、
 ここにまた  心となりて永久に眠る
 
 説明するまでもありませんが、素張らしい生と死のあり方を訓って居ります。私も出来る事なら斯くありたいと努力して居ります。毎日を心満された人生を送ってこそ最高の死が迎えられると思います。