〜講演会から〜

「森田療法を学んで」
 「大分・生と死を考える会」会員
安藤 康彦 さん
1997年7月12日(土)コンパルホール 305室

(自己紹介)  
私は15年近くいろいろと悩みまして、森田療法で救われました。この15年間は毎月二回くらいコンパルホールや県外で、悩んでいる仲間に自分の体験を話したり森田精神療法理論を分かりやすく解説しています。
(森田精神療法の理論の概略)  
 よく仏教では、人生は苦、生きていることは苦しみだと言います。最近の鹿児島の大水で家が奪われた災害で、「被害を受けた方の身内の人はさぞ苦しんでいるだろう」とその苦しみを推察できます。また企業関係の汚職で幹部が自殺したという事件がありましたが、「さぞ苦しいだろう」「毎日警察に事情聴取されて大変苦しいだろう」「身内の人は大変困るだろう」というようにそういう苦しみには形があるので、他人にもよく理解できるわけです。ところが主観的・観念的な苦、つまり人生観とか価値観、思想に執着している苦しみというのは他人が見て「何をそんなに苦しんでるんだろうか?」となかなかわからないわけです。
1、森田神経質苦悩の諸相  
 そういう中に森田博士が名付けた「森田の神経質」という苦しみがあります。それは具体的にどういうことかといいますと、三大症状として三つに分けています。
(1) 普通神経質 主として不安感から体のことを悩みます。頭痛がする、眩暈がする、朦朧感がする。ある機会に心身の不調がもとで、そういう不快感に執着するようになったわけです。
(2) 不安神経質 「どうも胃腸がおかしい」と医者で何度調べてみてもどこも悪くない。しかし本人としては心臓が今にも止まりそうな苦しみを感じている。というような不安神経質です。
(3) 強迫観念 不潔恐怖とか病気の恐怖とか雑念恐怖とか、人前に出ることを恐怖に感じます。「ガスの栓がちゃんと閉まっているだろうか?」と気になる。ちゃんと閉めて家を出たんだけれども、ちょっと家を出て10メートルくらい行くとまた気になる。それでまた帰る。そしてとうとう家から出られない。また女の方で赤ちゃんを産んで、立派に育てなきゃいかんと思う。そうすると食べ物に何か変な物が入ってるんじゃないかとか、おしめが汚れてるんじゃないかということで、何回洗っても気になる。何回ゆすいでも気になる。四六時中そういうことを考える。ある観念が起こってそれを自分ではおかしくはないとわかっているんだけれども、どうしても強迫的に迫ってくるので、その観念と格闘しているという状態です。
 例えば不眠の場合ですが、夕べ徹夜したから眠ってない。これは病気じゃなくて単なる生理現象なんです。頭がボーッとする。不眠症というのは慢性的に眠れてない状態であり、不眠恐怖というのが森田神経質なんです。いつか体調が悪い時に眠れなかった。そして本に「眠らないと健康に悪い」と書いてあった。そこで「今晩はよく眠らなきゃいかん」、しかし眠ろう眠ろうと思うと益々眠れない。朝がきたらやっぱり眠ってない、本当は眠ってるんだけれども眠ってないような気がする。会社に行っても四六時中そういうことばっかし考えている。そういうことにとらわれている。そういう雑念恐怖というのがあります。人間はいろんな喜怒哀楽や、人と折衝したり、仕事したり、体調が悪い時にいろんな観念が頭に起こるわけです。ところが起こってくる雑念を邪魔ものにして、「雑念があってはいい勉強ができない」から雑念をなくして精神を集中して勉強しようと思う。雑念を取ることにとらわれるわけです。また人前緊張があります。例えば美人のところに行けば緊張する。上司から怒られれば緊張する。そういうのは自然現象なんですね。そして中には緊張することを、「これは自分の重大な弱点だ、異常だ」と考えて、心の中で「平然としよう、平然としよう」とするが、それができないわけです。自分が好きな人の前に行った時には、よく思われたいという気持ちがありますからどきどきします。「かくあらねば」と心の中で葛藤して四六時中そのことばっかし考えているというのが森田神経質の症状です。だから不安とか何とかで悩むのではなくて、起こってきた不安感、感情を取ろうと戦おうとする状態を森田神経質といいます。
2、森田博士以前の診断   
 明治の頃アメリカでベアードという医師が、「それは神経衰弱で神経が衰弱しているから起こるんだ」と論じてます。だから静養させたり休養させたりするわけです。ところがいくら治療しても治らないんです。森田博士が研究した結果 、「心のからくり」を発見したわけです。その後多くの人が治ることができるようになりました。例えば「出家とその弟子」の倉田百三さんですね。七転八倒した時の体験が「絶対的生活」に書かれています。勉強も仕事もできなくてだめだったというような、随分いろんな方が森田博士の教えに出会って立ち直ることができました。
3、森田博士の学説  
 森田博士の学説を発表したところが、当時の考え方と逆だし、官学優位の中で無視されて、ほとんど異端視されたんです。その中で九大の下田光造先生だけが支持されたんです。そして昭和の初めから10年間、東北大学の丸山教授との間で激しい論争が続いたんです。丸山教授はフロイトの学説をとっておりまして、「悩みの根本にはいわゆる性の欲望の抑圧がある」と言ってます。それに対して森田博士はそんなことはないと、激しい論争を10年間続けました。現在フロイトの学説はかなり変わって森田博士の教えに近くなってるみたいです。森田療法は最近だんだんと認められるようになって、森田療法学会、世界森田療法学会があり、マスコミにもいろいろ取り上げられるようになりました。
(1) 本体 
 健康人なら誰にでもある心理的生理的現象を本人が異常と思い込み、これにとらわれて発する主観的な苦しみであって、病気ではない。だから大いに活動せよ。学校をやめて自宅にいたら駄 目なんです。悩む暇もないくらい仕事しなさい、勉強しなさいというふうにしたわけです。これによって多くの方が治ることができました。
(2)  森田神経質苦悩の発生&発展&固着のメカニズム 
 ではなぜその森田神経質という苦悩が起こるのかということを森田博士が解明したわけですけれども、まずこういうことに悩む人というのは森田神経質という気質です。非常に気が小さくて、体のことだとかいろんなこと気にする素質です。自分のことはよくわかる。そして非常に負けず嫌いだ。人生をよりよく生きたいと思い、享楽的、快楽的には生きることができません。少しでも自分のためになる勉強をしたいとか、いいことをしたいと、向上心が強いのです。不安感を感じるというのは誰しもあるんです。会社で昇格試験の時には部長の面 接があるわけです。隣の控室にいるとみんな緊張しているんです。私一人かと思ったらみんな緊張しているわけです。そういう時に誤った考え方に変わるのです。みんなは緊張することは当たり前だと思ってるけれども、森田神経質になる人は「これは異常だ、平然とならなきゃいかん、こういうことがあってはいかん、こういうことは他の人にはない、私だけだ。」と考えるのです。それを思想の矛盾 といいます。そして精神交互作用 といって、ある感覚に注意を向ければ、その感覚は鋭敏となり、この感覚の鋭敏は更に益々注意をその方向に向けてついに固着状態にさせます。胃が悪いんじゃないかと思うと、胃が本当に悪いような気がする。そうすると胃が悪いことばっかりが気になる。明けても暮れても胃のことばかり気になるというわけです。本質は「火の車、作る大工はなけれど、おのが作りて、おのが乗り行く」と、自分の考え方の間違い、行動の間違いで作っているわけです。それをなかなか気がつかないわけです。
4、森田神経質苦悩の心理、機制(からくり)  
 物事にはしくみ、からくりがあって、これがわからないと益々五里霧中に入っていくわけです。機械には機械のしくみがあり、エンジンが壊れても、わかっている人が来たらすぐ治せるわけですね。わからない人が来たらあちこちいじくるわけで、場合によって壊してしまう。社会にもしくみがあるわけで、選挙とか政治とか流通 のしくみがあります。人間の体にもしくみがあり、大脳はどこの分野でどういう働きをして、その時どういう物質が出るということが解明されています。こういう「しくみ」や「からくり」の中には人間の意志でもって簡単に変えるということができるものと、できないものがあるわけです。循環器の働きのしくみを今度はこう変えてみようと思ってもできないわけです。そういうのには従うしかないわけです。  
 森田神経質の場合は、次のような特徴的な性格気質を持っています。
(1) 心配性 
 気が小さくて心身の状態を心配する。心身のコンディションを心配する。とりこし苦労する。
(2)  自己内省心 
 自意識が強くて自己観察心が強い。反省心が強い。
(3) 執着性 
 しつこいわけです。からっと忘れられないわけです。嫌なことや上司から怒鳴られても、気の軽い人は2〜3日たてば忘れるんですけれども、いつまで経ってもあの時はどうじゃこうじゃと、しつこいわけです。気分転換できにくいのです。
(4) 強い欲望 
 向上したい。学生だったら勉強していい成績をとりたい。人に負けたくない。有意義に生きたい。会社が終わって10時頃まで毎日パチンコしてると、人生にとって損だと思います。新聞を読んでも何かいいこと書いてるんじゃないかと、切り抜いたりします。そういうタイプが多いんですね。そして人に負けたくない、認められたいという欲望があります。  
 この四つがあって、特に(2)と(4)を持っているというのが森田神経質の特徴です。非常に弱い性格で、小心でなんですけれども、弱さの反面 、強さを持っているんです。弱いだけでしたら人に負けても「こんなものか」と思うんですけれども、反面 強いものがあるから強い葛藤をおこすわけです。そういう複雑な性格を持っているのが森田の神経質と言っています。  
 森田神経質者は思想の矛盾をおかしています。「かくあるべし」と、欲が強いですから、「人前で堂々となければいかん。緊張してはいけない。いつもコンディションが良くなければいかん。仕事は100%できなきゃいかん」と強情で完全欲が強いわけです。だからそういう強情で完全欲が強い、粘り強いことを実際の物事や仕事なんかに活かせれば学校の成績もまあまあですし仕事もできるんですけれども、それを自分の心身の状態に向けるもんですから、「いつも気分は最高でなければいかん」とか「雑念が全く無くて勉強しなきゃいかん」と不可能なことを可能にしようとしてるわけです。気分はいつも100%、コンディションをよくしたい、人前で堂々としたい、悩みが何もあってはいかん。そういうのは人間が持つ理想的観念的な欲望なんですね。ところが心理的事実は、体調のいい時もあれば悪い時もあるし、勉強のはかどる時もあるしはかどらない時もあるという状態が起こるわけですね。これを思想の矛盾 と言います。そして精神交互作用 が起こり、注意をそこに向ければ何か本当に病気のような感じがする。そうするといよいよ注意がここに向く。雪だるま式になって明けても暮れても胃腸なら胃腸、人前で恐怖する人は人前で恐怖すること、心臓のことが気になる人は心臓のことばかりと、ほかに目が向かないわけです。本人は必死になって治そうとするわけですね。治さにゃいかんと医者巡りしたりお寺に行ったりとかですね。倉田百三さんが「絶対的生活」の中で書いてますが、「これが努力によって治るならば自分はいくらでも努力したい。しかし努力することが何も役に立たないんだ。却って悪いんだ。」例えば眠ろう眠ろうと思って、真剣に努力すると益々目が冴えるということなんです。忘れよう忘れようとすることで、かえって頭の中に忘れないように叩き込んでいくんです。これらが森田神経質のからくりです。
5、神経質の苦悩が治るとは  
 からくりの原因がわかったから、森田神経質のいろいろな症状が治るということはどういうことかということは自ら出てくるわけです。不可能なことを可能にしようとしている。だから怖いことは怖いでいい。気になることは気になるでいい。気になるまま、あるがまま、本心の勉強や仕事をする、ただそれだけなんです。ところが悩んでる人はそれがなかなかわからないわけです。蛇を見たら気持ち悪い、その気持ちが悪いという気持ちを取る必要はないわけです。あるがままに仕事や勉強する。なぜ気になるかといったら、根底に強い欲望があるからです。雑念をなくして成績優秀でありたいとか、体の不安感、心臓の不安感を治して健康でバリバリしたい。それからなぜ人前で緊張するとかいうと、人前で堂々といい発表をして人から称賛されたいと思うからです。だから本心は向上発展欲なんです。治るためには、あるがままによりよく生きるというところに目を向けるという、ただそれだけなんですけれども、それが悩んでいる時にはなかなかわかりにくいということです。
6、克服手立てー療法  
 ではどうして治すか? いわゆる森田療法です。一般の神経症とか悩みは、それを取ってあげるわけです。医者に行けば、こうこうこうすれば悩みは取れますということになります。ところが森田神経質の場合は、あなたが不安感を取ろうとしているその考え方を取るわけです。不安感をあなたは取ってはいけないんです。そのままでいいんです。考え方というのは考え方の執着、はからいです。
 森田療法の現在の状況としましては入院森田療法、それから外来森田療法、それから私が所属しております生活の発見会という学習団体での学習運動があります。  
 入院森田療法 
  昔はほとんどこればっかしだったんですけれども、作業施設がある寮のような所に入院します。薬は全く使いません。薬とは関係のない悩みの世界ですから、薬は却って害なんです。健康保険が適用されませんので高額入院費用です。現在でしたら3ケ月で200万円ぐらい。私が24年前に入院しましたけれども一日3,500円でした。そういうことで入院森田療法の施設はだんだん減っております。サラリーマンが会社を3ケ月くらい休んで、200〜300万円を出して東京に行くということは難しいことです。
 第一期 最初は何もない部屋で一週間寝せるわけです。というのは不安感、苦しみを取ろうとする心が悩みを起こしているわけですから、苦しみに没頭させるわけです。苦しむだけ苦しませる。森田神経質は何とかかんとか頭の中でやりくりしようとするわけです。ところがくたびれ果 ててしまって執着を離します。人は物を持ったり、頭の中である観念を持ったりする時に、逆に執着させて取る場合があるわけですね。鉄棒なんかそうです。強く握れば握るほど最後くたびれてしまって離してしまう。人間の観念もそうです。苦しむだけ苦しませて、洗面 トイレ以外は何もさせなくて一週間寝せて煩悶即解脱を体験させる。最初は寝てて何もしなければ何かほっとした気がしますけれども、一週間くらい経つと、起きて何かしたくなるわけです。窓の外で声が聞こえれば「みんな何をしてるんだろうか?」と気になります。人間には食欲や睡眠欲や性欲とかいろんな欲望がありますけれども、欲望を起こすためには逆に抑えていれば起こってくるわけです。ずっと眠らせなかったら眠たくてしょうがない、腹を減らしておけばパクパク食べたくなると、そういうふうに何もさせなかったら逆に活動欲が起こるわけです。
 第二期 そして作業施設がある寮ですから、起きて庭の掃除とか工作をしたりしながら、先生の方からいろんな考え方の間違いを指摘していただける。普通 の病院では、帰りには「お大事に」と言うわけです。ところが森田療法は高い金を取られた上に中で怒られます。仕事してても「あんた、そういう仕事の仕方してるから駄 目なんだ」「自分の苦しみばかり考えてて仕事をやっても隅のほうは全然仕事してないじゃないか」と言われるわけです。  
 外来森田療法 森田療法に理解のある医者のところに行って、外来で面接して考え方や生活態度を聞いて、本人が実生活の中で治していきます。ところがなかなか本質的なからくりを知っている医者が少ないんです。例えばある奥さんがPTAの時に人前で喋ると緊張する方がいました。大分のある病院に行ったら「あんた、それは病気じゃないんだから、家でカラオケでも歌っときなさい、治るから。」と言われました。ところが本人はそれでは治らないわけですね。また25〜26歳の奥さんですけれども、体調が悪い時に心臓のことが気になりだしたわけです。大分のあちこちの病院を巡り歩くんですけれども、なかなか原因がわからないわけですね。たまたまコンパルか県立の図書館で森田療法の本を読んで「あー、そうだったんか」と気付いて、うちの生活の発見会に来て2年ぐらいで治りました。森田療法がわかる医者が少ないということです。  
  生活の発見会方式 
 水谷啓二という共同通信の論説委員をされた方が旧制第五高等学校の時で昭和5年頃ですけれども全く勉強もできないほど悩んで、東京の森田博士のところに行って治りました。その水谷先生が共同通 信に勤める傍ら自分の家を治療施設として、医者でないから自分が主宰をしながら医師の方からバックアップをとる形にされて、生活発見会というものを作りました。水谷先生は昭和45年に亡くなられたんですけれども、現在全国150ケ所くらい、ほとんどの県にあります。福岡県でしたら5ケ所ぐらいあります。そこで森田療法の勉強をし、治った先輩が体験交流して、そしてだんだん治っていくという生活の発見会の方式です。発見会は時々マスコミに紹介されておりまして、大分合同新聞も2年に一回ぐらい載せていただいております。その時には一晩に30人から40人ぐらい電話がかかってくるんです。そして今年の1月15日にNHKの教育テレビで「今日の健康」という時間に神経症のこと、生活発見会のことがちょっと放送されました。  
 メンタルヘルス岡本財団 
 ニチイの副社長を10年前されてました岡本さんという方が森田療法で治って、私財約40億円を出してメンタルヘルスの財団を作って、いろんな研究とか、各地での啓蒙活動の助成の財団として活動されております。 7、森田精神療法理論の一端  
 ではどういうことを勉強するのか、森田療法の中身はどういうことなのかということをお話しします。
 感情の法則 
 森田神経質の悩みというのは結局、不安感情に注意が固着してしまったというのが本質なんです。誰しも感情が流れてればいいんだけれども、それに固着してしまって流れなくなったというのが本質ですから、感情の勉強をするわけです。例えば、感情はそのまま放任し、その自然発動のままに従えばその経過は一登り、一下りしてついには消失する。いろんな感情が起こりますけれども、それは放っておけば、その感情を何とかして変えようとしなくても、いつのまにか消えていく。感情は同一の感覚に慣れるに従って鈍くなり感じなくなるものである。初体験の時には非常にみずみずしい感覚で感じるんですけれども、だんだん慣れていけば、いつのまにか感じなくなる。放っておけば、いつのまにか感じなくなる。結婚の時にはみずみずしいけれども結婚して何年か経つともう旦那の顔を見ても興味もわかない。そういうのと同じです。
 感情と行動の法則 
 感情は自然現象なので意思の自由にはならないが、行動は意思の自由が有る。人間は喜怒哀楽からいろんな感情が起こるわけですけれども、それはしかるべき心理状況の時に起こってくる自然現象なんです。人から褒められればうれしくなるし、宝クジが当たればじっと沈み込もうと思ってもできなくて、飛び上がるばかりに嬉しいわけです。人から悪口を言われれば腹立つ。そういうのは自然現象なんです。そして感情は行動や環境の変化に伴い速やかに変化流転する。いろんなことが心配で心配でしようがない。しかしその心配なことにちょっと取り組めば、さっきまで心配してたことが流れてしまう。速やかに変化するわけです。それとかプラスの行動にはプラスの感情がわく、マイナス行動にはマイナスの感情がわく。プラス、マイナスというのは自分の本心のことですね。自分がしたい、やりたいと思うことをやれば、自ら喜びとか楽しいという感情がわくわけです。ところが自分の本心がしたいということを逃げると後で不快な感情が起こるわけです。本当はしたいということを言葉でなんとかかんとかごまかしてしまう。「この仕事がなんとかかんとか」と言ってごまかしてしまうと、家に帰っても心配になるわけですね。そういうふうに人間の感情は働くわけです。
 人間の基本的な欲求
(1) 個体保存欲 
 食欲、自己防衛欲、怪我が嫌だ、病気は嫌だ、運動したい、活動したいとか、睡眠欲、休息欲ですね。
(2) 種族保存欲 
 年頃になれば異性が欲しくなるし、子育てとか人類愛とかです。
(3) 社会的欲求 
 仲間が欲しい、仲間の中でも評価されたい、人から褒められたい、それが進むと優越したい。もうちょっと進むと支配したい。  
 (1)(2)は全ての生き物であるわけですね。個体を保存して種族を残す。人間とか、猿とか、高等な社会動物になると (3)社会的欲求というのがあるわけです。いわゆるグループを作る、群れを作るという社会的欲求があるわけです。
(4) 精神的欲求 
 人間の場合その上に精神的欲求というのがあります。自己実現欲、知識とか芸術とか道徳とか宗教とかを求める、そういう欲求があります。人間は(1)(2)(3)までは強いんです。(4) 精神的欲求とか (5) 観念的欲求になると少しある人とない人がでてきます。
(5) 観念的欲求 
 いわゆる頭の中で考えた「かくあるべし」の欲求ですね。観念の刺激を得ると欲しくなる。もともと物が欲しくなくてもテレビのコマーシャルで流されれば、欲しいようにさせられるわけです。知らなかったら欲しいという気持ちが起こらないのに、テレビのコマーシャルを見ると欲しくなるわけです。それとか会社で「隣の課には美人の女性がおる」ということを聞かなかったら何とも思わないんですけれども、「美人がおる」と聞いてしまえば、ちょっと顔を見たいという気持ちが起こるわけです。いわゆる観念の刺激によって起こる。森田神経質の人はそこが発達しておりまして、観念的欲望が強いもんだから理想の状態を求めるわけです。勉強ができればいいとか、いつも頭の中がすっきりした方がいいとか、観念的な欲望が強いわけですね。だから森田神経質の悩みというのは子供には起こらないんです。森田神経質は中学生や高校生か、それから後に起こるわけです。言葉、観念の刺激によって反応するというのが森田神経質の特徴です。逆を言えば森田神経質で悩む人は、ちょっと理屈が多い。あーじゃこうじゃ理屈が多すぎる。理屈でもって何とかかんとかやり繰りしようとします。  
欲望の充足と感情の因果関係 
 いろんな欲望が満たされた時には喜びがあるが、いつも満たされているともう感じなくなる。欲望が阻害されている時には苦痛なんです。仲間外れにされていると苦痛、欲望が阻害されるんじゃなかろうかという予感が不安なんです。うまくいかないんじゃなかろうかという予感はとりこし苦労です。そこが森田神経質の特徴です。人間にはいろんな欲望が入り乱れて複雑にからんでいるわけです。そして貪欲なために、自分が今満たされている物には目が向かなくて、もっともっとあれが欲しいと満たされていない物に目が向く。あれも欲しい、これも欲しい。手に入れたらまた次が欲しくなる。ここに人間の宿望みたいなところがあるんじゃないかと思います。森田博士が神経質の研究をして、生の欲望が強いんだ、生きたいという欲望が強いから起こるんだということに気がついたわけですね。だから欲望と不安ということは同じことで、表裏の関係なんだ。死の恐怖は生の欲望の半面 であり、生の欲望の強い程死の恐怖も強い。死はこれを恐れざるを得ないものである。いわゆる裏表の関係ですね。、例えばバルセロナ・オリンピックの時の柔道の古賀選手の場合、後で検査したら胃に穴があいてた。それとソウル大会の時に岡田選手など日本の柔道選手がバタバタ負けましたが、その時の新聞を見たら「岡田選手たちは前の晩に眠れなかった」と書いていました。「金メダルを取りたい、勝ちたい、人から評価されたい。メダルが取れんで日本に帰ったらみんなから何と言われるかわからん。」という社会的欲望があるから緊張するわけですね。勝っても負けてもいいやということだったら緊張せんわけです。だから欲望と不安というのは同じことの裏表の関係です。そして不安感とか恐怖感は不愉快な物であるけれども、これは人間に必要なもので、怪我をして痛くなかったら血がどんどん出るわけです。酒を飲み過ぎて胃が悪くなかったらどんどん酒飲むわけですね。だから不安感とか恐怖感というのは火災報知機の信号と同じで、必要なもんだということです。人間本来の生き方はそういう感情の不安感について心を労することでなく、欲望を乗り切ってベストを尽くすことであるということを森田博士は言ってます。
8、生きがい療法  
 生きがい療法という療法に森田療法の一部が利用されています。倉敷の伊丹先生が、目標を立てれば精神的要素から免疫性がアップして癌に勝つということも実践されてるみたいです。癌患者がモンブランに登ったことも森田療法の一部を応用されているということです。
9、森田博士の教えと宗教の関係  
 これは完全に私の個人的な見解になります。森田博士は神経質を証明するために、東洋哲学とか宗教を非常に研究され、参禅もされたみたいです。禅や浄土真宗の言葉をふんだんに使っておられます。「あるがまま」とか、「心は万境に従って転ずる」とか「悟り、自覚、迷い、煩悩、徳、涅槃」とか、「煩悶即解脱」とかいろんな言葉を使っています。森田博士は自分の療法は禅から出たものでなくて便宜上用いていると言っておられます。但し宗教にも一つのヒントを与えるんじゃないかということも言っております。私どもの生活発見会の前の斉藤理事長は今は亡くなられたんですけれども、生涯を敬虔なプロテスタントとして過ごされた方です。いろんな学者とかいろんな人の見解がありまして、森田は禅だとか、森田は浄土真宗だとか、森田博士は昭和の親鸞上人であるとか言われています。神経質が治るのは仏教の悟りを得ることと同じであるとか、森田療法は科学的に悟りを得る方法だとも言われています。しかし仏教というのは不生不滅の命が我々の本体であり、無限で永遠の命の自己であることを悟るということが仏教じゃないかと私は思っています。また森田博士の教えはいろんな煩悩を持った人間の心の働きの事実じゃないかとも思ってます。森田で治ることは悟りだと言ってますけれども悟り悟りと言っても、その悟りの中身が違うんじゃないかと思うんですね。俗な言い方をすればこの世はしょせん色と欲だと悟る人もいるわけですね。この世は金だと悟る人もいるし、聖徳太子が言ってるように、この世の中の物は、結局諸行無常だから執着する必要はないんだと悟る方もおられるわけですね。道元禅師は、「生を諦め死を諦めるが仏家の一大なり」と言ってます。生死の一大事を諦めるのが仏教なんだと。神経質な人は観念的な欲求が強いから、かくあるべしで迷いの中に落ち込んでいくわけですけれども、森田療法で治った後は宗教に向かう人は向かえばいいんじゃないかと私は思っています。
10、他の精神疾患との関係  
 よく仏教で応病与薬といいます。病に応じて薬を与える。森田療法は森田神経質という悩みに対して森田療法という薬を与えることが基本ですけれども、一部他の疾患に対して応用がきくところがあります。希望者は私を救っていただいた高良興生院の阿部先生のビデオがありますので参考にして下さい。例えば体の病気というのは医者がみればわかるわけです。しかし心の荒れというのはわからんわけです。心身症といってみたり、分裂症といってみたり、うつ病といってみたり、そういうことで十何年前アメリカで診断基準を作ったというのがDSMー3といいます。森田神経質の場合はからくりがあるのが特徴なんです。ヒステリーは医学的にみたら神経症の一種で無意識的なからくりがあります。それは疾病逃避、疾病利得。病気に逃げる。逃げることによって得をする。そういうからくりがあるわけですね。例えば大勢の人の前で緊張して悩むとか、職場に行けないとか、学校に行けないっていうことがあります。ヒステリーの人はそれで得したと思うわけです。ところが森田神経質の人は学校や職場に行かなかったら、最初2〜3日は安心したと思うわけですが、1週間も経つとこんなことしてたら自分の人生は駄 目になる。本心は学校に行きたい、仕事したい、社会的に活動したいのですから、森田とヒステリーは逆なんです。これは阿部先生に聞いたままを話してるわけですけれども、森田適応外というのは何十人に一人か時々来ます。うつ病の場合は、葛藤性、反応性というか、ある考え方に執着してくたびれ果 ててうつ病になったという時には一部森田療法の適応になるみたいです。それ以外はほとんど森田適応外ということです。基本的にはアルコール中毒はまず無理です。アルコール中毒に没頭しているようになったら森田神経質にならんわけです。森田神経質者は自殺とか犯罪はまずないんです。自分の心の煩悶をどう決着しようかと、葛藤を起こしてるわけです。森田療法は万能ではない。ただし健康的な生活をすれば心は健康になるというのは万人共通 なことなんです。プラスの行動性はプラスの感情が起こすということ、恋人に会って気持ちが良くなるというのは森田神経質だけじゃないんです。上司から褒められて嬉しがるといのは森田神経質だけじゃなくすべての人に共通 するわけです。プラスの行動をすればプラスの感情がわくということで森田療法の一部が万人の健康維持や健康増進に応用される面 があります。
11、森田療法関係の図書  
 一般向けがたくさんありましてですね。「神経質の本体と療法」白揚社、「森田療法のすすめ」白揚社、「森田精神療法の実際」白揚社など。県立図書館にも7〜8冊ありますし、このコンパルの下にも3〜4冊あります。
(森田療法と子供の教育)  
 森田療法と子供の教育、幼児教育というのは非常に密接な関係があります。森田博士は明治の終わりから、既に子供の教育について盛んに論じております。森田療法確立以前に、モッテソォリー教育法に注目して共鳴していました。モッテソォリーはイタリアの女性の精神科医で、精神病の研究から白痴教育、白痴教育から幼稚園教育を創始しました。私たちの生活発見会で都会の方では教育関係者が多くいまして、森田博士の教えを子育てにいかそうという会が催されております。森田博士は、神経質な子供は神経質的な親の養育環境、養育教育方法からの影響が大きいと述べてます。そして森田学習を通 じて、「自分は学力だけが大事だと思ってた」とか、「子供にかくあるべしと型にはめようと育てていた」とか、「それが間違っていた」とかいうふうな研究報告も出ております。森田博士の基本的な考え方は、見たり、聞いたり、味わったり、匂ったり、触ったりという五感の媒介によってのみ人間の精神面 の発達が得られるということです。五感が育たないことには理知とか理解や精神全体が育たないんだと森田博士は言ってます。精神の発達には五感の訓練を通 しての発達を重んじなければならない。その中で特に触覚を重要視されています。三重苦のヘレンケラー女子が立ち直ったのも結局触覚がものをいったというわけです。映画で水を手に触らしてみて water というところがあります。人間関係でもよくスキンシップと言います。  
 心身の自然発動を盛んにして、生き物が本来持ってるいろんな能力を発達させることが大事だと森田博士は言ってます。教育は常に身体的実行的訓練を基礎としなければならず、この訓練を離れた教訓や説諭は必要ないばかりか却って有害である。学校教育というのはある体験を抽象的、概念的に文章にしたものです。だから農業をいくら勉強しても実際に農場で実習しなきゃいかんわけです。いろんな体験をすることが大事であり、具体的には体験教育だということです。私たちの会に大学を出た人が時々来るわけですけれども、大抵いい大学出てるんですが、「何をしていいかわからん。友達ができない。それで大学を中退した。」という方がいます。だからいかに知識偏重になっているかということです。森田博士はすでに大正か、昭和の初め頃、今日の教育は知識に偏っていると言ってるわけです。それから森田療法とカウンセリングは基本的には逆です。基本的にはカウンセリングは支持で、森田療法は非支持です。森田神経質の悩みというのはからくりとメカニズムがわかっているから、どうすればいいかわかっているわけです。だから嫌なことに突入させる、背水の陣でいろんなことをさせるのです。気分は気分としてどんどんさせる、尻を叩くわけです。  
 最後になりますけれども、私は神経質に生まれて中学校一年の時にとらわれが始まって、それからいろんなことを悩みました。今50歳を目の前にして、いろんな複雑な思いをする時があります。一つには長年仕事や勉強もろくにせんかったという気持ちの後悔の念と、また森田神経質に生まれていろんなことを経験した強い喜びと両方があります。今はいろんな人に出会って、お導きをいただいたということは本当に有り難いと思っています。そして神経質のいろんな苦悩を体験させていただいたわけです。禅寺にこもったり、催眠術をやったり、東北を行脚したり、断食したりとかいろんなことしました。そして治った途端に抑うつが出て、一回再発して地獄の苦しみをなめたわけですね。抑うつを体験せんかったら「抑うつ患者さんは気合いが入ってない、怠けている」とそういうふうにしか見てなかったと思うんです。しかし苦悩を体験して体の弱い人に対して理解ができるようになりました。それから体が動かないことがいかにつらいことであるかということを体験しました。逆にたくさん活動できることが、どれだけ有り難いかといことがわかりました。それと人間の心の不思議に気付きました。いろんな性格の人がいて、いろんなことを悩む人もいれば、また悩まない人もいるということは、不思議ですね。森田生活道ということを森田博士が言ってます。これを肝に銘じていきたいと思ってます。それから人生に挫折したことで、社会生活の中でいろんな人がいろんな悩みとかいろんな人生を引きずってるんだなということに気付くようになりました。人間は人から知られようと知られなくてもどんな境遇の中でも己の命を発揮して生きることができるということがわかりました。  
 いろんな体験をいかして、森田神経質に悩む人を一人でも二人でも手助けしたいと思っております。昭和52年以来今年で20年、大分での森田の学習団体であります「生活の発見会」にこの間500人ぐらいの方が縁があって来られて、皆さんが立ち直れて、普通 の社会人、普通の家庭人になって生きておられるのを見た時に非常に喜びを感じます。大森曹玄は「人生は一回きりである。当面 することに全力で当たって生きるしかない。」ということを書かれてました。それが50歳に近づいた今は本当にわかるようになりました。時間を大切にして、真剣に生きたいと思っております。これで私の発表を終わらせてもらいます。