〜講演会から〜

「現代の忘れもの」
ノートルダム清心学園 理事長
渡辺 和子 さん
1997年5月11日(土)ビーコンプラザ コンベンションホール

  ただいまご紹介をいただきました渡辺でございます。今日は「生と死を考える会」主催の講演会ですが、この「生」という字は英語で "life" という言葉を使います。ところが日本語の訳になりますと、「命」「人生」そして「生活」といろいろの訳がございます。今私たちはとかく、この「生活」" life" に追われていて、生活水準を高めること、または快適な生活を送ることに心を奪われておりますけれども、実はその快適な生活を送りながらも刻一刻と刻まれていく私たちの命そのもの、または人生についてどのように生きたらいいのか? どのように生きて死を迎えたらいいのか? ということをとかく忘れがちなのではないかと思うんです。
 私は幼い時、9歳でございましたけれども、自分の目の前でほんの数分の間に自分の父を殺される経験を持ちました。それまで床を並べて休んでおりました父が、3分、4分後に骸となりました。血の海の中に43発の弾を受けて、二・二六事件と呼ばれるあの事件の中で死んでいきました。その父の死がもしかすると、幼心に命というのはとてもはかないもので、私自身に自分の命を大切にすること、与えられた命、そしていつ終わるかわからない命、二度とない人生、それを大切に生きることを教えてくれたと思います。また学生たちと30年近く一緒の生活をしていて、卒業生たちから、やはり大切に生きる、毎日毎日を丁寧に過ごすことの大切さを教えてもらいました。  
 20世紀、英国の哲学者で同時に科学者として知られておりましたウィットロウという人がおります。この人は国際時間学会の初代の会長を務めた人です。著書に『時間、その性質』という本がございます。日本語に訳されて文化出版局から出ておりますけれども、その中に一つのエピソードが入っておりますが、これは笑い話として聞き流すこともできますけれども、今のこの忙しい生活を送っております私たちに忘れているものがあることを思い出させてくれるエピソードです。ある時ロンドンの街を一人のロシア詩人が歩いておりました。詩人にありがちなのかもしれませんが時計を持たないで歩いておりました。時間を知りたかったものですから通 りすがりの英国紳士をつかまえまして、「今何時ですか?」と聞いたんです。ところが英語に慣れていないロシアの人ということもあってか「今何時ですか?」" What time is it ? " という英語を使い間違えまして " What is time ? " と聞いてしまったんです。これは日本語に訳しますと「時間とは何ですか?」という問いになります。皆さんも別 府の街を歩いていらして見知らぬ外国人の方から「ちょっとお尋ねしますけれども、時間とは何ですか?」とお聞かれになったらばとまどっておしまいになるかと思います。たぶん英国の紳士も見知らぬ 人から「時間とは何ですか?」と聞かれてとまどっただろうと思うんです。" time " という言葉は英語で「時間」という意味にも「時刻」という意味にも使います。" What time is it ? " 「今何時ですか?」という単語の並べ方が " What is time ? " に変わったばかりに非常に哲学的な問いになったわけです。このエピソードは先ほど申しました様に日本人が陥りがちな間違いと笑いとばすこともできますけれども、考えてみますと何か私たちの生活というのはいつも「何時、何時」ということで終始しているような気がします。朝何時に起きて、何時に御飯を食べて、何時に出かけて、何時にどこへ着いて、何時から何時まで何があって、何時に職場を去って、何時にうちへ帰って、何時に寝る。考えてみるとどうも私たちの生活の中にはこの時刻というものの方が主役を務めていることが多いみたいです。皆様方がお子様に「さあ、何時から何がありますよ。早くしなさい。」ということをおっしゃっているのではないかと思うんですけれど、現代の忘れものの一つはその時刻と時刻の間を流れる時間そのものの大切さです。「時間とは何ですか?」時間とは今こうやって私がお話をし、皆様方が聞いてて下さる、この間も刻一刻と私たちが与えられた命を死へ近付けているものだといってもいいかもしれません。それほど時間というものは大切なものだと思います。  
 ところが忙しい毎日を送っております私たちは、その忙しさは仕事、その他様々な理由があるかもしれませんけれども、とかくこの時間の量 に心を奪われていて、時間の質を忘れてしまいます。時刻に心を奪われて、時間そのもの、私たちの人生を刻んでいる、この時間そのものを忘れる危険を持っております。例えば今ここにおいでになります皆様方の中でエレベーターにお乗りになって「閉」というボタン、「閉じる」というボタンを押さない方がどれだけいらっしゃいますでしょうか? ほとんどの方が押してらっしゃると思うんです。ところがエレベーターというのは押さなくても閉まるからエレベーターというんだと思います。そして行き先を押した階に連れていってくれる、自動的に連れていってくれる。連れていかなかったらばエレベーターは壊れているといわなければいけないんですけれども、今私がこの話を申し上げたのは私自身がエレベーターに乗りこむや否やまず「閉」というボタンを押して、戸を閉めて、それから階数ボタンを押す人間でございました。今でも時たま押してしまうことがございます。別 に押して悪いとは申しませんけれども。私がある時自分で反省し、「なぜ私はこの3秒か4秒、自動的にドアが閉まるまで待てないんだろう? 行く先ボタンを押してじっと待つことができないんだろう?」と考えて、その日からできるだけ押さないようにしております。他の方とご一緒の時はもちろんそういうことを考えませんけれども、自分だけが乗った時、しかも混んでいなくて上の階、下の階で人様がたくさんお待ちになってないような時、その時には待つようにしております。なぜかというと、3秒、4秒がどうということではなくて、3秒、4秒さえ待てないイライラした、セカセカした自分になったら大変だと思うからです。そして事実なっております。一日のうちにたった一度でもいい、または一週間の間にほんの数回でもいい、私はどこかで自分に歯止めをかけてじっと待つことを習う、つまり時間をいらいらしないで、待つことができる自分にならないといけない。反対から言えば、ちょっとのことでイライラし、セカセカする自分になりたくない、という気持ちが私に今、そういうことをさせるわけです。  
 私たちは今何か時間の量に気をとられて時間の質を忘れてます。今までここでお話しをなさった中にホスピス関係の方もおいでになるようですけれども、 "Quality of life" (クォリティ・オブ・ライフ)という英語がございます。これはホスピス又はターミナル・ケアを受けていらっしゃる方たちが残された時間の質をいかに高めて生きるか、いかに人間の尊厳を保ちながら自分の生を全うすることができるか、その意味でよく「命の質」”Quality of life” という言葉を使います。ただ別に今自分が癌にかかっていなくても、ホスピスに入っていなくても、ターミナルケアを受けていなくても、ある意味で私たちはみんな一人残らずいつの日か自分の死を迎える。しかもそれはまだ若いからあと何十年大丈夫だということが言えない、今恐ろしい時代になっていると思います。「交通 事故にも遭わなかった、通り魔にも遭わなかった、上から何か落ちてこなかった。災害にあわないで一日終えて無事に家へ帰ることができたならばありがたかった。」ということを言わなければならないほど危ない時代に住んでるような気がするんです。そして日本という国は世界一の長寿国でございます。平均寿命でございますけれども、女性が82歳、男性が76歳まで生きることができる。けれどもこれ以上命を長く延ばす必要があるのでしょうか? ここにいらっしゃるお医者様方は「そうだ」とおっしゃるかもしれません。私の兄も医者でございまして、「死というのは医師にとって敗北だ」ということをよく言っておりました。お医者様にしてみれば一分でも一刻でも命をながらえさせること、死との戦いというものが使命なのかもしれませんけれど、私はこれだけ寿命が延びた日本において、今私たちが取り戻さないといけないことは時間の質を高めること、ではないだろうかと思っております。平たい言葉で申しますと、上等な時間を過ごす、時間を丁寧に生きるということです。もっと具体的に言うと、愛のこもった、思いやりのある、人様に微笑みかけて、心にゆとりを持った自分で納得のいく時間を過ごす。時間の奴隷でなくて時間の主人としての生き方を私たちは考えなくていいのだろうか? エレベーターの中で「閉」を押す。これはある意味で時間の奴隷の姿だと思います。時間に追いまくられて、何が何でも一分でも一秒でも早くと。「では、その時間はあなたにとって何なんですか?」と聞かれた時に、「次の仕事に差しつかえます。」「あー、そうですか。あなたは、仕事をするために生きているんですか?」そして事実私の生活を省みてみる時に、仕事を片付ける、英語で言うと "doing " の時間が非常に多いのです。私は今修道院に住んでおりますけれども「修道院の他のシスターたちに私はもっとやさしく、もっと笑顔で、自分と違う相手の人を受け入れる、そういう優しさを持たないでいいのだろうか?」「" doing " に追われて、" being " を忘れていないだろうか?」ということを考えなければいけないように思うんです。なぜなら時間の使い方はほかならない命の使い方でございます。私たちが上等な時間を使えば使うほど、私たちの命は上等な命になります。くだらない時間をたくさん使いますと、くだらない時間しか残りません。人様を憎む時間が多ければ憎しみ多い人生になるし、愛のこもった時間を多く使えば愛の深い人生になります。  
 このことを私が教えられたのは修道院に入ってからのことでございます。私は浄土真宗の家に生まれておりますが、18歳の時に思うところあってカトリックの洗礼を受けました。家が軍人だったものですから経済的に困りまして、大学を卒業してから7年間働きまして、30歳間近で修道院に入りました。すぐアメリカに派遣されましたが、そこで待ち構えておりましたのは130名ほどの私よりもずっと若い修練女と呼ばれる方々、そして掃除、草取り、洗濯、アイロンかけ、料理の下ごしらえ、皿洗い、皿拭き、そういう極めて単純な知的なものの少ない生活でございました。修道院に入ります時に親兄弟の反対を押し切って入ったものですから、何がなんでも続けなければという私の勝ち気もあって、一生懸命その生活を送っておりました。ボストンというアメリカの東海岸に行っておりました。きれいな街ですけれども夏は大変暑くなる土地でございます。ある非常に暑い8月の昼下がりに、130人のシスターが昼食をいただいて汚れたお皿、それが洗われて、拭かれて、食堂に戻ってきたのを私は晩の配膳のために、夕食のために一枚一枚椅子の前に並べておりました。お皿を並べ終わりますとそのそばにコップを一つずつ置いてまいります。それが終わりますとフォークとナイフとスプーンを一人一人のところに置いていきます。これが私がその週にいただいた仕事でございました。手早く一生懸命しておりましたところ、後ろから年かさのアメリカ人のシスターが肩をお叩きになりまして、「シスター、あなたは何を考えながらお皿を並べていますか?」と英語でお尋ねになりました。私は「別 に何も考えておりません。一生懸命お仕事をしています。」という気持ちで英語で「別 に何も」と答えました。するとその方のお顔が厳しくなりまして、私に向かって「何も考えないで置いているというのは、あなたは時間を無駄 にしていることになるのですよ。」とおっしゃいました。心の中で私は「不思議なことをおっしゃるものだ。私はお当番のこの仕事を一生懸命にしている。おしゃべりもせずに、のろのろともせずに。なぜ『時間を無駄 にしている』と叱られなければならないんだろう。」と思っておりましたら今度はその方が笑顔で「同じお皿を並べるのならば、やがて夕食にお坐りになる一人一人のために祈りながら置いていったらどうですか?」とおっしゃいました。それまでの私は仕事を片付けることが大切だったんです。人よりも手早く、間違いなく、正確に、言われたように片付ける、「仕事というのはすればいいんでしょう」という、そういう気持ちを持っておりました。同じお皿を一枚ずつ置くのだったらば、「つまらない、つまらない、つまらない」というような気持ちで置くのではなくて、「お幸せに、お幸せに、お幸せに」と仕事というものに愛をこめる、心をこめる。夕食にどなたがその場にお坐りになるかわかりません。130人もおいでになりますから、中には嫌いな方もいらしたかもしれない、好きな方もおいでになったかもしれません。それとかかわりなく私が同じ20分なら20分かかる、そのお仕事に「つまらない、つまらない」という気持ちをこめて仕事をするのでなくて、「お幸せに、お幸せに、お幸せに」という気持ちをこめて仕事をするのだ。できばえは全く同じかもしれません。外からご覧になったらばお皿が並んで、コップが置いてあって、フォークとナイフとスプーンが並べてある、しかしながら何かが変わっております。一番変わったのは私だと思います。「つまらない、つまらない」と20分間を過ごさないで、私にとって意味のある、誰かのために「どうぞお幸せに」という祈りをこめた20分が過ごせたということです。そしてたぶん私たちの一生というものは、こういう平凡なお皿並べとかまたは毎日のように繰り返される仕事、それが育児であれ、家事であれ、または職場でのお仕事であれ、同じような平凡な繰り返し、それでほとんどが終わるだろうと思います。確かに節目節目というものがあるかもしれません。子供の入学とか卒業とか、または自分の結婚とか出産とか育児とかまたは会社での配置替えとか転勤とか出世とかいろいろなことがあると思いますけれども、それは本当に人生の中の数えるほどの場合でしかなくて、多くの場合私たちは英語の routine という言葉をつかいますが、単純な繰り返しを毎日毎日しております。それを単純でないしかも惰性で繰り返していない時間にするかどうかは、私たちにかかっているわけです。  
 修道院に広い庭がございまして、雑草がたくさん生えます。そうするとその130人のシスターたちがそれぞれ受け持ちを持たされまして草取りを命じられました。私たちのことですからいい加減に上っつらをむしるわけですね。すると目上の方がそこにお越しになりまして、私たちの草取りの仕事をじっとご覧になってから、「なぜあなた方は一本一本の草を根っこから引き抜かないんですか? 面 倒くさいでしょう。ただこの一つ根こそぎ草を抜く時に『今蔓延している少年少女の非行が、一つでも根絶やしになるように』という思いをこめて、『一つでも根絶やされますように』という祈りを込めて抜いたらどうですか?」と教えてくださいました。確かに根こそぎ引くということはむしるよりも時間はかかります。しかしながら『つまらない、つまらない』と心の中で思いながら草をむしっているのと、少しぐらいは時間がかかっても、『この草を、この抜きにくい草を一生懸命抜きますから、どうぞこの世から例えば今麻薬を吸っている少年が立ち直りますように、援助交際をしている少女が一人立ち直りますように』と祈りをこめます時に、その仕事は尊いお仕事になります。私はこの世の中に職業の貴賎はないと思います。しかしながら私たちの仕事が価値あるものになるかどうか、ということは、私たちの心掛けと申しましょうか? その仕事をする時にどれだけその仕事に愛が込められているかどうかにかかっています。この世の中に雑用というものはございません。私どもが用を雑にした時に雑用が生まれます。お茶くみも立派なお仕事です。おぞうきんがけも立派なお仕事です。お手洗のお掃除も立派なお仕事です。それを雑用にするかどうかは私たちが雑にするかどうかにかかっているのです。時間の使い方は命の使い方ですから、もし一生が終わる時に私たちが人生に向かって「どうして私の一生は雑用で終わったんだろう? 平凡なつまらない人生でしかなかった。」と苦情をこぼすとしたら、人生は私たちに向かって、「そのくだらない人生を面 白いものにすることも、平凡だった人生を非凡に送ることも、あなたにしかできなかったことなんですよ。あなたの責任だったんですよ。」と言うと思います。責任という言葉は英語で responsibility と申します。これは response と ability 、応える能力、これが二つ合わさって responsibility という言葉になっています。つまり私たちは人生から「問われるもの」なんです。「どうして私の人生はつまらなかったの? ひどいじゃない。」と人生に対して言うのではなくて、人生の方から「あなたはあなたの人生をどのように意味あるものにしましたか?」と問われ、それに答える責任を持っております。だから私たちは時間を丁寧に大切に過ごしていかないといけないんだと思うんですね。お皿を「つまらない」と思って並べても、「お幸せに」と祈りながら並べても同じに並びます。外から見たところは同じでございます。今どきでしたらばロボットにソフトを組み込んでおけば私たちよりも早くしかも正確にお皿を並べるかもしれません。しかしロボットがどれほど精巧になりましても、ロボットに与えることができないのが愛だと思います。ぬ くもりだと思います。本当に相手の人を受け入れ、相手のために祈る、この心というものはロボットには入れることができません。魂というものをロボットは持つことができません。  
 今朝別府の教会に伺った時にマザー・テレサの修道会の方たちも来てらっしゃいましたけれども、「愛の権化」または「現代の聖人」と言われるマザー・テレサが今86歳で、病気から少し立ち直っていらっしゃるようですけれども、あの方にもしものことがあったとして、そしてもし解剖されたとしても、あの方にあの愛の業をなさせたもの、愛そのものは見えないと思います。ハンセン病、エイズの患者を世話し、孤児を育て、路上で死にかかっている人たちを介抱して死なせていらっしゃる、その愛はメスにかかりません。大恋愛をしている時にレントゲンにかかった覚えがおありになるかもしれません。私はあります。まさかとお思いになるでしょうけど、あります。その時にありがたいことにか、悲しいことにと言っていいのかもしれませんが、レントゲンに愛は写 りませんでした。私たちが死んだ後、焼き場であの1200度の高熱で、レントゲンに写 った物は全部焼けます。お骨とか灰になります。しかしレントゲンに写らなかったがゆえに、写 らなかったものは焼けないと私は信じて生きてます。マザー・テレサを今生かしている愛、あの方をしていろいろな仕事を可能にした愛は、あの方がもしお亡くなりになったとしても、お体は抜け殻のようなもので、あの方を生かしていた愛は滅びることなく留まっております。「人生の終わりに残るものは、我々が集めたものではなくて、我々が与えたものだ。」という慰め多い言葉がございます。外国に行って買ってきたブランド商品、又は預金通 帳、いろいろな高価なアクセサリーと、私たちが集めたものは残りますけれども他の人のために残ります。私たちとともに残るのは一生の間に与えた不滅の愛というものなのです。一枚一枚のお皿にこめた愛、一本一本の草を抜く時にこめた愛、これが一生の終わりに残ります。そして人様の目に見える形では微笑みかけるその愛、又は優しい言葉、まなざし、励まし、「ありがとう」という言葉で、自分たちが欲しいと思ってる優しさとか微笑みとか励ましとかを、人様に差し上げる。これが思いやりというものです。私の思いを人様に差し上げる。だから思いを持つことはとても大事なんです。私はその意味で今でも愛されたい、慰められたい、理解されたいという思いを大切にしてます。自分がその思いを持ってなかったら、それを人様に差し上げることができない。悔しさ、時には憎しみ、嫉妬、そういうものさえも私は大切にしてます。「シスターのくせに」とおっしゃるかもしれませんけれども、そうです。シスターのくせですけれども、私は悔しい時には悔しいと思います。嫌な時には嫌だと思います。ただそれをどう処理するかというのが大切なのであって、私がこんなに悔しいから相手にもしてやろう、私が悔しかったら相手には二倍にしてやろう、とこう考えてしまうと困るんですけれども、そこが戦いだと思うんです。ただカラカラのひからびたような人間にはなりたくない。私自身が未だにある意味で生臭い、そして傷つきやすい心を大切にしているのは、自分が傷つくことによって初めて人様がこういう言葉でどれほどお傷つきになるか、またはこういう言葉でどれほどうれしい思いを、生きがいをお持ちになるかということがわかるからです。私たちはさみしい思いをしてらっしゃる方、落ち込んでいらっしゃる方たちに生きがいというものを差し上げることが大切だと思うんです。それは決してお仕事を見つけて差し上げることではなくて、なんでもない笑顔でもよいのです。私も大学で本当に四面 楚歌と申しましょうか、にっちもさっちもいかなかった、そういうつらい思いを管理職として何度もいたしました。そういう時に学生たちが笑顔で「シスター、お元気ですか?」とか「シスター、こないだね・・・」とか話してくれると本当に嬉しかったことがあります。「あー、この人たちのために私は生きよう。どんなにつらいことがあっても私は学生のために生きて、学生のために死ぬ ことができたら、それでいいんだ。」それがたぶん私を30年生かしてくれたと思うんです。神谷美恵子先生が「人に生きがいを与えるほど大きな愛はなく、人から生きがいを奪うほど残酷なことはない。」と書いていらっしゃいます。このような人様に生きる自信をおつけする愛を惜しまないで生きていきたいと思います。そして人様に生きがいを差し上げることができるという自分は実は一番報いを受けているのです。私が「つまらない、つまらない」と言ってお皿を置いていた時よりも「お幸せに、お幸せに」と一枚ずつお皿を置いていくことによって、お坐りになった方がお幸せになったかどうかはわかりませんが、ただ一つ確かなことは私が幸せになったということです。つまらないという思いで過ごしていた20分が生きがいのある幸せな20分になったということを私は自分で経験いたしました。今でも「どうして私がこんなことしなきゃいけないんだろう」と思うことがままございます。私は修道院に戻りますと、お料理当番からお掃除、靴磨き、何でもいたしますけれども、時たま忙しいさなかにお料理当番が回ってまいりますと、「どうして私がこれだけの仕事をしてて、じゃがいもの皮をむかないといけないんだろう?」とか「さやえんどうのすじを取らないといけないんだろう?」とか、もっとひどいのは、もう本当にいつ終わるのかしらと思いながら「どうしてもやしのひげを切らないといけないんだろう?」と思う、そういう時に、もう30何年も前になりますけれども、私に「お皿を一枚一枚祈りながら置きなさいよ」とおっしゃった言葉がよみがえってまいります。「このじゃがいもを今病気で苦しんでいる卒業生のためにむきましょう。このさやえんどうのすじを難民で本当につらい思いをしていらっしゃる方々のために喜んで取りましょう。」そうすることによって、このつまらない時間が意味のある時間になるのです。私たちが充実した人生を送るかどうかということは、別 に市議会議員になるとか、国会議員になるとか、どっかの社長になるとか、そういうことに限らないで、全く平凡なこの世の中の片隅で誰も知らないようなところで日々過ごしていても、その方のライフ、その方の生きざま、生き方というものを充実させることは十分にできると思います。  
 そしてそのような悔いのない人生を私たちが過ごした後に私たちは必ず死というものを迎えます。出産には予定日がございます。今や予定日というのも帝王切開をなさるような方の場合には全く人間の意のままになることもあるようでございますけれども、死には予定日というものはございません。ご自分で死をお決めになる方は別 でございますけれども、ほとんどの場合には死というものは思いがけず訪れます。「死は盗人のように来る」という言葉がありますけれども、いつ、どこで、どんな形で自分が死を迎えるかは、たぶんここにいらっしゃるどなたもわかっていらっしゃらないと思います。大体予想してらっしゃるという方はおありになるかもしれませんけれども、それでさえわかりません。だから「できるだけ人の迷惑にならないように死にたい」「できることならかっこよく死にたい」とか、「現職のままで死にたい」とかおっしゃる方がございますが、これとても決して思うままにはなりません。  
 私はマザー・テレサが日本においでになりました時に岡山で通訳をさせていただきました。あの方もカトリックの修道者でらっしゃいますので、私どもの修道院にお泊めいたしました。お話しをなさった時に、一人の男性の方が質問をなさいました。「私はあなたを非常に尊敬している。ただ一つわからないことがあるんだけれども、『マザーのところには十分な医薬品もない、お薬もない、そして十分な人手もない』と自分は聞いているけれども、その足りない薬とか人手を、それを与えたりかけたりしたらば元気になるかもしれない、または生き返るかもしれない、病気が治るかもしれない、その人たちになぜかけないで、与えたところで死ぬ に決まっている、瀕死の病人、人手をかけたところで数時間後に死ぬに決まっている衰弱しきった人々に人手をかけ、薬を与えるんですか? 無駄 ではありませんか?」と。そこにも無駄という言葉が出てきたわけですね。私は通 訳をしながら「なるほど。本当にそうだ。合理的に物事を考えて、あり余るほどのお薬があればともかく、なけなしのお薬を、それを与えたらば良くなるかもしれない人に与えないで、与えたところでどうせ死ななければならない衰弱しきった人に与えるというのは不合理だ。」と心の中で思いながら訳しました。マザーの答えははっきりとした「そうは思いません」という否定でございました。そしておっしゃったことに「私たちが路傍で死にかけている人たちを『死を待つ人の家』に連れて帰って来る時に、その人たちは生まれながらにして望まれないで生まれた人たちです。生きている間中『臭い』とか『汚い、あっちへ行け』と邪魔にされて生きてきた人たち、つまり『自分が生きていてもいなくても全く同じ、むしろ生きていない方が世のため人のため』と思っていた人たちです。その人たちが『死を待つ人の家』と呼ばれる所へ連れてきてもらって、生まれてからのんだことのない薬をのませてもらい、生まれてからもらったことのない優しい手当てをしてもらう。看護をしてもらう。数時間後、人によっては十数時間後、数日後、死んでゆく時に必ずその人たちは『ありがとう』 " thank you " と言って死んでゆくんですよ」と。本来ならば自分を産みおとした親を呪い、自分をこのような目にあわせた神仏を恨み、世の人々を呪って死んでもかまわない人たちが、そのお薬をもらい、人手をかけてもらったがゆえに、感謝して死んでゆく。そしてその時マザーは「生きることも大切ですが、死ぬ ことはもっと大切です。よく死ぬことは一番大切なことです。」とおっしゃいました。マザー・テレサという方はマケドニア生まれの方です。アクセントの大変に強い英語で私も通 訳でちょっと苦労したこともありましたけれども、そのマザーが死ぬ人の情景を " It is so beautiful. "とおっしゃいました。  
 そして私も実は昨年の11月にカルカッタへ飛行機でまいりまして、翌日ちょうどお具合の良かったマザーと15分ほどお話しして、ご一緒にお祈りとミサに預かって、その翌日日本にトンボ返りをいたしました。マザーが経営していらっしゃるというか、持っていらっしゃる『死を待つ人の家』も訪問させていただきました。そこはかってヒンズー教徒の巡礼が一晩過ごした場所でございますから、何もございません。だだっぴろい、広い細長い所で、一段低いところに廊下のような通 路がございまして、その両側にただ床がございます。その上に煎餅布団のような物を敷いて、ボロボロの毛布をまとって、ちょうどその日86人の人が『死を待つ人の家』にいらっしゃいました。中には毛布にくるまって人間か何かわからないような人たち、お一人は、それこそ背中の骨が見えて膿が出ているのをシスターが看護していらっしゃいました。そういう状況の中でお世辞にも  "beautiful " という言葉は普通言わないんです。ただよく考えてみると、マザーは "It is pretty." とおっしゃらなかった。「きれいだ」とおっしゃらなかった。「美しい」とおっしゃったんです。そのことはとても深い意味を持っていて、私たちの日本の病院はきれいです。清潔です。街を歩いていればきれいな洋服を着た人、きれいな建物が林立しております。このコンベンションホールもきれいです。しかし" beautiful " か? これを " beautiful " にするかしないかは人だと思います。痩せ衰え、老いさらばえた体。異臭が鼻をつき、蝿がブンブン飛び交っている。そしてボロボロの毛布をまとって、顔の痩せこけた人が死んでいく。しかしそれをマザーに " beautiful " と言わせたのは、感謝して「ありがとう」と言って死んでゆく人の姿だったのです。そして「そのために使われた薬は無駄 どころか何よりも尊い薬の使われ方ではなかったのですか?」ということをおっしゃりたかったんだと思います。生きることも大切だが、死ぬ ことも、それもよく死ぬことは最も大切なことだ。私たちは果たして「ありがとう」という言葉を残して死ねるかどうかわかりません。それこそ死にようにもよりますでしょうし、私自身も例えば皆様が「渡辺は『大分の生と死を考える会』であんな偉そうな話をしたのに、あの死に様は何だ」というような、そんな死に方をするのかもしれませんけれども、ただ私たちはいずれにせよ訪れてくる死というものに対して準備する生き方をすることが大切だと思います。ポックリ寺にお参りなさるのも、ご自由でございます。また何とか地蔵というところにお参りをなさるのもご自由でございますけれども、とにかくその予期できない死というものを迎えるにあたっての生き方というものが大切だろうと思うんです。  
 その生き方の一つとしてすべてのことに意味を与えていく。「随所に主となる」という言葉が日本語にございますけれども、どこにいても自分が主人である。環境の奴隷にならない、時間の奴隷にならない、周りの人の奴隷にならない。「こんな女に誰がした」という言葉が一時はやりました。確かにこんな女に私をした何人かの人もおります。またこんな女にしてくれた人たちも、感謝しないといけない人たちがいっぱいおりますけれども、結局のところは、私を幸せにするか、不幸せにするか、恨み言の多い、ぐちばっかり言う人にするか、それとも何かにつけて「おかげさまで、ありがとうございます」と笑顔で言う人間にするか、は私自身にかかっています。まわりも確かに大事です。しかしながら泥沼の中できれいに蓮の花が咲くように、私たちもまわりが泥沼のような時、そして自分がその中で本当にその中にもぐってたらどんなに楽だろう、と思うような時にも私たちに与えられた自由というのは、その泥沼の中で美しく咲く、置かれたところで咲く、ということだろうと思います。よく死ぬ ための準備、それはよく生きることによって得られる。その一つの方法としてどんなにつまらない平凡な時間であっても、それを自分にとって意味のあるものに変えてゆくということを、今まで少しお話しをさせていただきました。  
 もう一つ私が死を迎えるためにできる準備というのは、今すでに、ある意味でホスピスに入っている私たちです。自分が癌の患者であろうとなかろうと自分が死を目前にしていようといまいと、私たちの明日というものはわからないわけですから、その意味では一人一人が盗人のようにやってくる死を時に意識することが大切だと思うんです。それは日々「小さい死」、こういう日本語はないと思うんですけれども、「小さい死」に慣れておくことが私は大切だと思います。「小さい死」に慣れていると「大きな死」を迎える時にそれをたぶんあまり抵抗なく迎えることができるんじゃなかろうか。では「小さい死」というのは何か? 自分に死ぬ ということです。我儘を抑えるということです。自分中心的な生き方に打ち勝つということです。そしてこれは決してやさしいことではありません。しかしながら、その日々の死というものを美しく " It is so beautiful. " と言われるように受け止めることができたときに初めて私たちは「大きな死」を迎える時、本当のお迎えをいただく時にもしかしたらば " thank you " 「ありがとう」とこの世に感謝して死ぬことができるのかもしれないと思います。「言い返してやりたい」その言葉を我慢する。相手が意地悪をした、その仕返しをしたいのを忍耐する。怠け心に鞭打って、したいことよりも、しなければならないことの方を優先する。これも「小さい死」です。または子供を叱りたい。ガミガミ言いたい。配偶者に愚痴をぶちまけたい。それを我慢する。許しがたい人を許す。とっても難しいことです。でもそれを毎日の生活の中で私たちがなおざりにしておりますと、私たちの生活が荒れてまいります。やっぱり心にゆとりを持って人を許し、自分と異なった意見、動作、考え方、振る舞いをなさる方を「あの方はあの方の考えでしてらっしゃる。私とは違う。違ってて当たり前。」そういうゆとりを持っていきます時に私たちは相手のニーズに目を開くことができると思います。私たちの生活がしっとりとした、潤いのあるものになります。私たちがあまりにも自分のことを中心に考えて、「あの人は私にこうしてくれない。あの人は私に感謝すべきなのに感謝してくれない。私にお詫びを言うべきなのに言わない。」このように自分が求めることが多すぎる時に私たちは決して幸せになりません。私たちの幸せというのはまわりの人が幸せになってるのを喜ぶことができる、その心に宿るわけです。そしてそれは決してやさしいことでなくて、「あの人が失敗したらどんなに嬉しいだろう」と思うような人もいます。「あの人がいなかったらどんなに私の生活は楽だろう」と思うこともございます。私も小学校と幼稚園の校長と園長を何年か兼任いたしましたけれども、本当に困ったお子様、というかお子様以上にお母様に困ったことがございます。そしてその時に心ひそかに願いましたのは、ご主人様が転勤なさることでございます。本当に人の心というものは自然にはそうなるんです。そして私はそういう気持ちを持つことを責めません。私もそのためにそういう気持ちをいただいたことがあるんだと思います。そういう時に「あの方も私との関係を離れたらば、一個の人格として幸せになりたい人、幸せになる権利をお持ちの方だ」と思い返して自分と戦うことがとても大切になってまいります。「では、シスター、我慢するということですか?」とお聞きになるかもしれません。ある意味でそうなんです。ある意味で私たちは今我慢強くない風潮を持っております。ちょっとのことで嫌気をさす。腹を立てる。忍耐することができない。ちょっとした挫折で崩れてしまう。ですから我慢することは本当にとても大事なんですけれども、ひたすら我慢の子、「何もかも私が悪いんです。電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのもみんな私が悪いんです。」というそういう自虐的な人間になることでは決してございません。というのは抑圧して持っておりますと、いつか別 の形で爆発をいたします。psychosomatic という言葉を使いますけれども、池見酉次郎さんのご専門の心療内科でおっしゃってますように、体に出てきて、リウマチになったり、心に出てきてヒステリックになることもございますでしょう。  
 八木重吉という若くてお亡くなりになった信仰詩人がいらっしゃいますね。「神のごとく許したい。人が投ぐる憎しみを胸に温め、花のようになったらば神の前に捧げたい。」という詩がございます。人様が私たちに投げかけてくる意地悪な言葉、憎しみ、蔑み、心ない行い、動作、そういうものを胸に温めて、それを投げ返してやるのでなくて、花のようになったらば神の前に捧げたい。つまり無駄 死にをしないということです。先ほどから「小さい死」という言葉を申しましたけれども、無駄 に死んではいけません。無駄死にをしないで、その抑えたもの、「小さな死」を花束にする、その自由が私たちにございます。そして花束にして神様にお捧げする時に、「誰か今苦しんでいる人のために、この花束をお使い下さい。難民として各地で苦しんでらっしゃる方々に、どうぞ少しでも食料を、温かい毛布を。私はぢかにルワンダに行くこともできない。サラエボに行くこともできない。ですけれども神様どうぞこれをお使い下さい。または幼い子供を持って病いに苦しんでいる卒業生たち、その人の側で私は看病してあげることもできない。お薬をあげることもできない。障害を持った子供を産んだ卒業生もいます。又は産んでから障害を持った子供を抱えて今苦しんでいる卒業生がおります。その人たちの側に私は行ってやることができません。手紙ぐらいは書くことができますけれども、その時に「神様、あの方からいただいたつらい言葉、この時に経験した本当に悔しい思い、または思うままにならないこのつらさ、こういうものを私は胸に温めて花束にいたしましたから、どうぞあの病床へ持って行ってあげて下さいませんか。あの子の部屋に飾ってやって下さいませんか。」そうして初めてこの「小さな死」が活きてくると思います。なぜ活きてくるか? 活かして下さる方がいるからです。または活かして下さる方がいると信じて生きるからです。それが信じられなければそれは仕方がございません。その方は腹が立ったら腹をお立てになったらいい。悔しかったらお泣きになったらいい。意地悪を返したいと思いになったら二倍にしてお返しになったらいいでしょう。それはその方の生き方です。ただ私自身は自分の生と死を考えます時に、私の生き方は、人様が投げていらっしゃる実に様々なことをしっかりと受け止めて、私の中でお花に変えて花束を「どうぞ必要な人のために使ってやって下さい」と神様にお捧げするような生き方でありたい。愛は滅びません。レントゲンで見えたものは全部焼けます。メスにかかったものも全部焼けてしまいます。でも見えなかったものはそれだけ焼けないで残るわけです。  
 聖書の中に「一粒の麦が地に落ちて死ねば多くの実を結ぶ。死なないなら一粒のままで枯れてしまう。」ということが書かれております。やがて麦秋という時期を迎えると思いますが麦の穂が伸びてきて黄金色になろうとしております。あの麦畑はそれぞれ一粒の麦が地に落ちて真っ暗な地の中で死んでくれたから実りがあるんです。それがその同じ一粒が「私は地に落ちるのは嫌です。私は私のままで残っていたい。」自分を守り、又は自分を守ることしか考えないでいたとしたらば、その麦は枯れます。そしてその麦からは何も生まれてまいりません。「小さい死」を拒みますと枯れてしまいます。その意味で私は日々私たちの生活の中にいやがおうでも訪れてくる「小さな死」を恐れないで、それをしっかりと受け止めてその死と仲良く生きてゆく。その死を生産的なものにしてゆく。それがやがて「大きな死」が私たちを訪れた時にその死を恐れず、心静かに、感謝して「大きな死」を受け入れることができる一つの準備ではないだろうかと思います。  
 今から800年ほど前イタリアにアッシジというところがございまして、そこに聖フランシスコと呼ばれる人がおりました。これはフランシスコが作ったと一説に言われますし、そうではなくてフランシスコの精神を詠んだ詩だとも言われてますけれども、「平和のための祈り」というのがございます。「主よ私をあなたの平和の道具にして下さい。憎しみのあるところに愛をもたらす人に。争いのあるところに許しを、分裂のあるところに一致を、疑いのあるところに信仰を、誤りのあるところに真理を、絶望のあるところに希望を、悲しみのあるところに喜びを、闇のあるところに光をもたらす人にして下さい。そしてそういう人になるために、慰められるよりも慰めることを、理解されるよりも理解することを、愛されるよりも愛することを求める人に私をして下さい。私たちが人に与えることによって与えられ、許すときに許され、自分を捨てる時に永遠に生きることができるのですから。」という祈りでございます。私たちがとかく人様からもらうことばかり考える、愛されたい、慰められたい、理解されたい、微笑んでほしい、褒めてほしい、優しい言葉が欲しい、確かに私たちはそういうふうにできております。私もそうです。ただ人が愛してくれれば幸せになれる。慰めてくれ、理解してくれれば私は幸せになる。優しい言葉をかけ、微笑みかけて下されば、幸せになる。ということだけ考えている限り私はいつも欲求不満に陥って、そして人様とお目にかかっていても、「この人は私を理解してくれるんだろうか? そうでなければ、この人はいらない。私を理解してくれる人だろうか? 私を理解してくれる人がほしいんだ。愛してくれる人が欲しいんだ。この人と話してても時間が無駄 だ。」そういう考え方をしがちになります。今私たちが心にゆとりを取り戻して、時間の量 よりも時間の質を大切にして生きるということは、私たちが、私たちの人生で出会うお一人お一人の人、遭遇する一つ一つの出来事、それの主人になるということではないかと思うんです。私たちが与えることによって与えられ、許す時に許され、自分に死ぬ 時に永遠に生きることができるんですから。「一粒の麦が地に落ちて死ぬ」それは私にとって何を意味しているのか? 「今小さな死を味わうことによってやがて訪れる大きな死を迎える準備をすることができる。今自分が一粒の麦になることによって、多くの実を結ぶ。」ということは何を意味しているのか? ということを考えてみたいと思います。  
 私は毎日を自分にとって一番若い日と考えて生きたいと思います。旭川に父が師団長で赴任をしておりました時に本当に思いがけず母の胎に宿りまして、そして四十四歳だった母が生みたがらなかった、ある意味で私は望まれないで生まれた子でございます。それだけに未だに生きる自信をあまり持っておりません。そのことが有り難いと思えるのは、生きる自信を持ってらっしゃらない方の気持ちが少しわかるからです。望まれないで生まれた。しかしながらとにかく母から生まれまして、今日という日は一番歳を取っております。しかしあしたはまた一日歳を取ります。ということは今日より若くなる日はないということです。そしてそれは失礼ですが、ここにいらっしゃる皆様、人ごとのように聞いてらっしゃいますけれども同じでございます。今日より若くなる日はございません。だから若々しく生きることが私は大事だと思うんです。「ではお化粧するんですか?」「エステに行くんですか?」と、まあエステにおいでになっても結構でございます。今日という日を「一番年を取った日だ、あー、私も年をとった。どっこいしょ、よっこらしょ。」と言って生きておりますと、365日経ちますと、それが顔に出てまいります。生きるのが大儀になってまいります。その反対にお金がかからなくてもできる生き方として、「今日より若い日はない」と考えるようにしております。私は毎晩夜休みます時にあしたの朝目が覚めるかどうかわからないわけですから、今日という日に感謝して「今日一日ありがとうございました。」と、そして「今日一日私はあんなひどいことを言ってしまいました。お許し下さい。」または「今日こんないいことをしていただきました。どうぞあの方に報いてあげて下さい。」そうやって一日にけじめをつけて休んでるつもりですけれども、もし次の日に目が覚めたとしたらば、やはり次の日は私にとって一番若い日 " the youngest day of my life " です。自分にとって今日より若くなる日はない。たしかに20歳の時の若さとは違います。しかし私というかえがえのない一人の人間にとって今日より若くなる日はない。だとすれば今日という日を笑顔で若々しく、できるだけ人様のために人様に生きがいを与えるような自分でありたいなという思いを持って生きております。残された人生の第一日目を生きる。そのように新しくいきいきと生きることが大切だということを伺ったことがございます。残された人生の第一日目を生きる。それを毎日新しく生きるということです。「一生の終わりに残るもの、それは目に見ることができなかったがゆえに、レントゲンで写 らなかったがゆえにあの焼き場の高熱で焼けない不滅のものだ。」ということを申し上げました。永井隆博士が長崎で原爆にお遭いになって二人の幼いお子様たちに「滅びぬ ものを」という本を残していらっしゃいます。たぶん同じ思いをお持ちになって自分の死の間際まで愛しぬ いていらした二人のお子様方に何よりの遺産として、この世の中に目に見えない大切な物があること、目に見える物は全部滅んでなくなりますけれども、目に見えないがゆえに滅びない、その「滅びぬ ものを」という言葉をお残しになったと思います。
 私たちも「一生の終わりに残るものは、私たちが集めた物ではなく、私たちが与えたものだ。」ということを忘れずに小さな死を一つ一つ受け止めて、花束にして美しい人生を送りたいと思います。一つ一つの小さな平凡なお皿並べ、洗濯、掃除、そういうことに愛をこめて、意味のある雑用でないものにすることによって、そしてできるだけ周囲の方々に微笑みかけ、自分の思いを人様に差し上げる、思いやりをかけることによって、私たちがやがて迎えなければならない大きな死、それを「ありがとう」という言葉、 " thank you " という言葉で迎え、委ねることができたらと願っております。皆様方も今日私がお話ししたことが、これからも実行できますように、お祈り下さいませ。私も皆様方があまり「生活」" life " にとらわれすぎないで、 「自分の生き方、死に方、その生と死の間の時間をどのように埋めていくか?」ということを考え、時刻というものだけにとらわれない生き方をして、充実した生をお送りになる、良い死をお迎えになることができますように心から祈って私の今日の話を終わらしていただきます。ありがとうございました。