〜講演会から〜

自由討論「高齢者医療と福祉」
司会 「大分・生と死を考える会」副会長
原口 勝
1997年2月8日(土)コンパルホール 視聴覚室

 本日は、高齢者医療と福祉の歴史と現状について司会者の私が話をしまして、その後で皆さんに自由に意見を述べていただくという形式で行ないます。これから司会者の話す内容につきましては 「高齢者の処遇体系の将来像」 日本医師会雑誌 第114巻・第2号 1995年、「国民衛生の動向」 厚生統計協会 第42巻・第9号 1995年、「高齢者医療と福祉」 岡本祐三 岩波新書 1996年 を引用させていただいています。
 平均寿命は日本が世界で一番になったということですけれど、1995年の統計では男の人は76歳、女の人は82歳ですね。昔はよく「親孝行したい時には親はなし」ということが言われましたけれども、今は親孝行するための時間は多くの方にとって有り余るほどです。つまりお父さん、お母さんが長生きするようになったということです。ところがそのために自分がかなり年をとっても親の面 倒を見ていかなくてはならないという事態が起こってきました。「老々介護」という言葉があります。老人が老人を介護するという意味です。「介護」というのは何かということですが、「介護」の「介」は「介抱」の「介」です。また「護」というのは守るという意味があるんですけれども、病気の人とか年取った方を介抱してその生活を助けるという意味です。寝たきりになった人はどれくらい長く寝たきりになっているかといいますと、1992年の国民生活基礎調査では1年以上から3年未満が27%、3年以上が47%ということですから、今寝たきりの方の約半分は3年以上寝たきりでおられるということです。介護をしている人の年令は60から69歳が27%、70歳以上が22%ということですから、60歳以上の方はあわせて49%ですね。だから介護している人の約半数は60歳以上ということになります。だから60歳以上の方がさらに自分の親とか配偶者の介護をしているという現状があり、「老々介護」ということになります。80歳以上の高齢者は1990年には300万人弱だったのですけれども、2025年には1000万人を超えるといわれています。80歳以上になりますと寝たきりになる方が10%、痴呆になる方が13%になるといわれてますので、高齢者が増えてくれば増えてくるほど寝たきりになる方も増えてきて、痴呆になる方も増えてきます。
 「少子高齢社会」という言葉があります。子供が少なく、高齢者が多い社会ということですが、わかりやすいように人口ピラミッドをお示しします。子供が減ってきているということですが、下の方の若い人の人口が少なくなってきています。そして一番多いのが50歳前後の方々ですが、これは戦後の第一次ベピーブームに生まれた方達です。次に多いのが20歳前後の方達ですけれどもこれは第二次ベビーブームといいまして、第一次ベビーブームの方達が子供を産んだために増えています。 現在の日本では一組の夫婦が出産する子供の数は平均で1.5人くらいです。また結婚しない女性も多くなりましたので今後さらに子供の数は減っていくだろうと予想されています。やがては農林水産業や鉱工業などの生産者が減ってきます。ピラミッドの頭の部分が大きくなってきますので、この高齢者を若い人達が支えていけるかということが深刻な問題です。高齢者の介護問題とともに少子化による労働力不足が経済成長を阻害してくると考えられます。そこで公的介護システムを整備すれば、介護の担い手である主婦が家族介護から解放されて働きに出られるようになり、潜在的な経済成長力が高まると期待されています。
  次に戦後医療政策の歴史を振り返ってみます。
 1961年 国民皆保険制度の成立  日本国民は誰でも病気や怪我をした時に病院や診療所にかかれるようになりました。
 1963年になりますと老人福祉法 というのができまして、老人の人権を保障しようということになりました。以前は「養老院」という言葉がありましたが、「養老院」は「生活保護」で貧困化した老人に食事と寝床を提供できる施設ということで始まりましたけれども、老人福祉法ができてからは「養老院」という名称が廃止になって、「養護老人ホーム」という名称に改められました。施設福祉対策ということでここに5つほど具体的な例をあげてみました。  
(1)「特別養護老人ホーム」は65歳以上の身体上または精神上著しい障害があるために常時の介護を必要とする者であって、居宅での適切な介護を受けることが困難な者を市町村が措置により入所させる施設である  (2)「養護老人ホーム」は65歳以上の身体上または精神上または環境上の理由及び経済的な理由により居宅での適切な介護を受けることが困難な者を市町村が措置により入所させる施設である  
(3)「経費老人ホーム」は60歳以上の者に、定額な料金で日常生活上の便宜を供する施設である。   
A型・・身寄りのない者または家庭事情により家族と同居が困難な者を対象給食サービスが付いている。
B型・・家庭環境、住宅事情等により居宅生活が困難であって、自炊できる程度の健康状態である者を対象としている。   
ケアハウス・・身体機能の低下や高齢等により、独立生活に不安が認められる者で、家族の援助を受けることが困難な者に生活相談、入浴・食事サービスを行なうものである。  
(4)「有料老人ホーム」は常時10人以上の老人に対し、給食その他日常生活上必要な便宜を供与する施設である。  
(5)「老人福祉センター」のように入所施設ではなく、利用施設もある。
 「特別養護老人ホーム」について特に付け加えさせていただきます。 定義は「単に寝床と食事を与えるだけでなく、身体の不自由な老人に『介護』もしてあげる施設」です。 開設の条件としましては
1.まず民間の社会福祉法人組織が自前で土地を用意
2.開設が認可されると建物の建築費用のかなりの分について国庫補助が得られる
3.以後は入居者の生活費(措置費)として月々一定金額が国と地方自治体から支給される
ということであり1980年度においてはわずか8万人分、約1000施設でしたので、とても少なくて、申請してから入居するまで年単位 で待たせられる状況でした。だからこれからもっと増やしていかなければならないということになりました。また介護は寮母といわれる人たちによって始められましたが、介護福祉士という国家資格が認定されました。今では「特別 養護老人ホーム」は量産の時代で二日に一ケ所できているらしいですが、サービスの質の低下が懸念されるともいわれています。
 1973年 老人医療無料化制度 ができて、全国的に70歳以上の高齢者の医療費が無料化されました。70歳以上の方はお金を払わなくて病院にかかることができるようになりました。自己負担分の3分の2を国が、3分の1を地方自治体が負担することになりました。そのために「老人専門病院」が急速に普及し、「老人病院」問題というのがおこってきました。老人病院の場合は面 倒な手続きがいりませんし、長く待たなくてよいわけです。医療能力においては一般 病院よりも低いわけですが、多くの場合は老人本人でなく家族の要望に応えるものとして急増してきました。社会問題になったのが「寝たきり老人」の増加の問題でして
(1) 寝たきり老人と家族崩壊 孝行息子が両親を殺害 
(2) 老人病院における老人虐待 
などの社会問題が起こりました。 日本においては親との同居率は60%と他国に比べて高率だそうです。独居高齢者の割合は10%だそうです。そして在宅医療の場合は要介護老人を介護している人の90%は女性であり嫁・娘がほとんどだということです。
 1982年 老人保健法 ができまして、老人にも医療費をある程度自己負担してもらおうということになりました。それは老人医療費無料化が医療費高騰を招いたという反省からきたものです。厚生省はその当時「通 称『老人病院』とは治療の必要もない老人患者をダラダラと長期入院させ、『点滴漬け』『検査漬け』に代表される過剰診療をしたいほうだいにして、老人を食いものにしている」という認識をしていたということです。
 1987年より 老人保健施設 の設置が始まりましたが、定義は「老人保健施設とは、疾病・負傷などにより寝たきりの状態にある老人またはこれに準ずる状態にある老人に対し、看護・医学的管理の下における介護および機能訓練その他必要な医療を行なうとともに、その日常生活上の世話を行なうことを目的とする施設として、都道府県知事の許可を受けたものをいう」ということです。医療には福祉サービスが欠け、特別 養護老人ホームには医療サービスが欠けていましたので、福祉と医療が同時に提供できる体制が必要ということでできました。これはあくまでも通 過施設を目指しており、入りっぱなしではなくて在宅に移行するまでの一時的な入所施設というわけです。在宅の支援のためにかかりつけ医師との十分な連絡が必要となります。 入所対象者はどういう方であるかといいますと 
(1) 病弱な寝たきり老人 
(2) 病弱で寝たきりに準ずる状態にある老人 
(3)痴呆性老人(但し行動制限を必要とする者や入院による治療を必要とする者は非対象)です。
 ここで「病弱」とはどういう意味かといいますと、「高血圧性疾患、脳血管疾患後遺症などで病状が安定しており、入院治療を必要としないが、医師の下での医学的管理を必要とする状態」ということです。 施されるサービスはどういったものかといいますと  
(1) 入所サービス として 家庭復帰のためのリハビリテーション、療養に必要な看護、介護を中心とした医療サービスと日常生活サービスの提供
(2) 在宅サービス として 食事、入浴、リハビリテーション等のサービス 、在宅で療養している寝たきり老人等を預かる短期入所ケア(ショートスティ)、半日程度預かるデイ・ケア
 費用はどうかといいますと 一部自己負担金の他は老人保健施設療養費でまかなわれ、市町村長が支給します。医療費拠出金の交付は支払基金が行ない(12分の6)、公費負担の割合が国(12分の4) 都道府県 (12分の1)市町村 (12分の1)です。         
 ここで最近よく話題になります「特別養護老人ホーム」や「老人保険施設」と「老人病棟」との比較をしてみます。「国民衛生の動向」に載っておりました表を次頁にお示しします。
 1989年 高齢者保健福祉推進十カ年戦略「ゴールドプラン」というのができました。
 2000年(平成12年)が目標で総事業費は6兆2000億円と見積もられました。何をするかといいますと
(1) 施設整備として「特別養護老人ホーム」や「老人保健施設」を整備する
(2) 在宅福祉の三本柱である ホームヘルパー、デイサービス、ショートステイを充実させる
  このための財源の確保ということで公的介護保険構想が掲げられてきました。ゴールドプランの主な目的は「社会的入院」の解消にあります。「社会的入院」とは何かといいますと、「もはや入院治療の必要はないのに、退院できる条件が整わないために長期間入院を続けざるを得ない状態」のことをいいます。「寝たきり老人」は平成11年には約120万人と予測されています。そこで「寝たきりゼロ運動」を推進が考えられています。
 1995年 「新ゴールドプラン」というのが出まして「ゴールドプラン」が見直しになりました。これも表にしてお示しします。  
 今後の展望ということでお話ししますと、「社会保障」という言葉がありますが、それは年金・医療・福祉の面 を総括した言葉です。日本は今まで医療・年金・労災・災害という4つの保険を作ってきましたが今度は介護保険を作ろうとしています。
 公的介護保健制度 について具体案の一部を例として示します。  
対象 介護が必要になった場合にサービスを受けられるのは40歳以上  
サービス給付  市町村の認定、本人の状態のみを基準とする(家族状況は判断に入れない)  
サービスの種類  
(1) 在宅サービス 訪問看護サービス、リハビリテーションサービス、福祉用具サービス、ホームヘルパー、デイサービス、ショートステイ、訪問入浴サービス、など           
(2) 施設サービス 特別養護老人ホーム、老人保健施設、療養介護施設  
財源と費用 例   
(1) 国民の払う「保険料」  40歳以上の市民が払う  
(2) 国や地方自治体が税収から出す「公費負担」           
(3) 介護サービスを受ける要介護高齢者本人が払う「利用料」
医療保険制度の改革も予定されていますが、それを理解するために現状をお示しします。  
70歳以上の老人保健、または65歳以上の寝たきり・身障者     
  外来  1ケ月 1,020円     入院  1日   710円   
              (低所得者では 入院  1日   300円)  
老人保険以外では一部負担の割合は   
社会保険    本人  10%、  家族  外来 30%、 入院 20%   
国民健康保険  30%、(退職者 本人 20%、家族 外来 30%、入院 20%)   ということになっています。  
 また食事療法費というのがあって、平成6年10月より食費についても一部の負担をしてもらおうというこ とになって、入院1日につき760円の一部負担金を払っておられると思います。  
 しかし医療費が非常に高くなった場合は払いきれないという問題がありますが、高額医療制度があります。 1カ月の支払が63,600円を超えると、その超えた金額に関しては申請すればあとで戻ってくることになっています。低所得の方ではその額が35,400円です。ただ一時的に払っておいて、申請してから3カ月くらいしたらお金が戻ってきます。血友病や透析患者さんでは自己負担は月に1万円です。  
  今後改正されようとする老人保健制度は、以下のようです。   
一部負担を次のように改めること    
ア 外来    
(ア)1月につき同一の保険医療機関等ごとに4回までを限度として、一回につき500円    
(イ)薬剤の交付を受ける際 一種類一日分につき15円    
イ 入院     1日につき1,000円  (低所得者 1日につき500円)

  次に最近の社会問題であります「安楽死」をとりあげてみます。毎日新聞の切り抜きを用意してきましたので読まさせていただきます。
「人ごとでない施設での女性の死」 75歳 女性
 6日の本紙で京都の施設の83歳の植物状態の女性の死を読みました。私も施設に入居し、現在は元気で過ごしていますが、避けて通 れぬ死が頭から離れません。 私は日ごろ自分の意思を通じさせることができる間の寿命であってほしいと願っています。しかし、気の毒な状態になっている幾人かを目の当たりにしています。絶対に治らない病に苦しむ人を、延命のみの治療はしないで安らかに永遠の眠りに導くこともまた、医師の良心的治療法だと私は考えます。 喜怒哀楽がなくて、なんで生きるすべがあるでしょうか。施設に住む者として人ごととは思えません。所長さんに私には、延命だけは絶対にしないで下さいと頼んでいます。すると、そんなこと考えるより一日でも楽しく元気に長生きできるように頑張ろう、と笑いにごまかされます。 所長さんの複雑な心を察して、私の心も悲痛になります。長寿もまた悲喜こもごもという思いです。

「不自由な身、安らかに逝きたい」 76歳 女性
  私は本紙「長命社会を生きる」を読んでいます。京都の特別養護老人ホームで83歳の植物状態の女性の人工栄養チューブをはずした事件で、いろいろな人の意見がありました。私は医師やその他の方のなさったことは悪くなかったと思っています。どうか罪にならないようにと願っております。 私は18年前に脳卒中で倒れて一命は取り留めましたが、不自由な体になってしまいました。一人では一歩も歩けません。食べた茶わんや汚した下着も洗うことができません。こんな自分を惨めに思い、情けなく悔しく思います。 家の者はいやな顔一つせず、よくしてくれます。が、これ以上ひどくなって寝た切りになったときのことを考え、決して延命治療などしないで安らかに逝かしてもらえるように、と家の者やお世話になるお医者さんへお願いの手紙を書きました。 死後の世界がどんな所か知りませんが、安らかに逝きたいと思います。

「子に迷惑をかけず亡夫のもとへ・・・」 85歳 女性
 「楽になれましたね。痛みにさいなまれた苦しい年月でしたものね。あの世とやらでどうか安らかにおやすみください。」 脳内出血で倒れて右半身不随、言語障害、そのうえ、あの憎いがんまで。 昼夜を分けぬ 痛みに苦しみ通した夫の4年間を書き続けた、私の悲しい看護日記の最後のページです。 生かし続けて下さる延命治療。先生に感謝しながらも、変わり果て、苦しむ夫の顔を見るのがつらかった。 看護疲れで私も倒れた。大学を出てせっかく決まった進路まであきらめ、帰省して看護に精出す息子に手を合わせた。 付添婦を頼めば月30万円近くかかり、3カ月で断って親子で無理を重ねながら、どうにか夫の最期までみとることができた。 老いの坂道をたどる私は、夫のあのひどい苦しみを考えると、息子夫婦に迷惑をかけず、自然に夫のもとに、とそれのみ祈るばかりです。

 安楽死が絶対いやだという人もいます。反対意見を一つ読ませていただきますけど、  
「自然にゆだねることを私は望む」 78歳 男性  
 人間も含めた地球上の生物は、遅かれ早かれ子孫を残してこの世を去り、元の「無」に帰っていく。この状態を、限りなく繰り返しつつ現在に至っているのが生命であり、いかに自然が偉大かを痛感している。「安楽死」についても、見るに見かねるような激しい苦しみを訴え、しかも、治る見込みのない患者の場合を除き、自然にゆだねることを私は望んでいる。「脳死」や「植物状態」と言われる患者でも、脳裏に夢うつつのようなものを浮かべている感じがしてならない。尊い命を「安楽死」という美名に隠れて断つことは、何とも残酷に思われてならない。私は大反対である。  

 また毎日新聞の切り抜きを読ませていただきます。  
「家族の意思認めるよう提言」 堺「安楽死」主治医が手記  
 大阪府堺市の老人病院「阪和泉北病院」が昨年3月、植物状態の女性(当時85歳)の肺炎治療をせず「安楽死」させた問題で、女性の主治医の大西利夫副院長が10日までに、毎日新聞に手記を寄せ「植物状態の患者の家族から栄養中止の要望があれば、希望に沿う」と記し、家族に意思による「消極的安楽死」を認めるよう提言した。しかし家族が患者に代わり生死を決めることについては、学者や専門家から強い疑問が出ており、論議を呼びそうだ。 副院長は手記で、7年前、植物状態で鼻からのチューブによる人工栄養で生命維持する女性(78)の家族から「栄養補給を中止して」と要請されたが、「医師として人間の生命を縮めることに抵抗を感じた」ため断った経験を紹介。1994年、「日本学術会議死と医療特別 委員会」が、本人の意思か、近親者が本人の意思を証言する場合、人工栄養など延命医療の中止を認めたことから「考えが変わった」と述べている。今回の例については「母親の世話をしてきたご長男は『このような状態になれば長くもってほしくはない』と述べられた。相談の結果 、栄養補充を完全に止めるのもどうかと思うので、肺炎など合併症が起こった時は抗生物質の投与をしないところに落ちついた」と説明する。一方、今回、本人が死についてどう思っていたかは不明で、家族が意思を代行し「消極的安楽死」が行われた。学術会議報告では「意思不明の時は延命医療中止は認めるべきではなく、近親者が本人の意思を代行するという考え方を採るべきではない」としている。

 では皆さんにお配りした尊厳死協会が発行しました「リビングウィル」をご覧になってください。  
 私は私の傷病が不治であり、かつ死が迫っている場合に備えて、私の家族、縁者ならびに私の医療に携わっている方々に次の要望を宣言いたします。 この宣言書は私の精神が健全な状態にあるときに書いたものであります。したがって私の精神が健全な状態にあるときに私自身が破棄するか、または撤回する旨の文書を作成しないかぎり有効であります。
(1) 私の傷病が現在の医学では不治の状態であり、すでに死期が迫っていると判断された場合にはいたずらに引き延ばすための延命措置はいっさいお断わりします。
(2) ただしこの場合私の苦病を和らげる処置は最大限に実施してください。そのためたとえば麻薬などの副作用で死ぬ 時期が早まったとしてもいっこうにかまいません。
(3) 私が数カ月以上にわたっていわゆる植物人間に陥ったときはいっさいの生命維持装置を取り止めてください。
 以上、私の宣言による要望を忠実に果たしてくださった方々に深く感謝申し上げるとともにその方々が私の要望にしたがってくださった行為いっさいの責任は私自身にあることを附記いたします。
(参考までに日本尊厳死協会の連絡先は TEL 03・3818・6563 です。)  
  今私が勤めている病院で今年の一月に二人の患者さんが亡くなりました。どちらも癌の患者さんだったんですけれども、その患者さんたちが東海大学病院の塩化カリウムによる安楽死の事件や京北病院における筋弛緩剤による安楽死の事件を引合に出されて、「安楽死をお医者さんに頼むとお医者さんが後で訴えられたりして迷惑な事になるんじゃないか」と心配されまして、「私は先生に迷惑をかけたくないので、自分に対して苦痛を和らげる処置を最大限にしてもらって、その結果 死にいたるのであれば構わないから、そういう内容を文章に書いておきたい。」とおっしゃったんです。その時にこのリビングウィル(意思表示)の文章を紹介しましたら、一人の方は文章の後に自分の名前と住所を書かれて、「いざ何か先生が困るようなことがあればこの文を出してください。」と言われました。元気な時はいいんですけれども、例えば植物状態になったりとか、癌になって意識がないような状態になってからでは、自分の意思を人に伝えることができません。そういう時のために、このリビングウィルは一つの例なんですけれども、自分の意思を誰かに伝えたい時は前もってこういう文章を用意しておくことしか、今の我々にできることはないんじゃないかと思います。  

 問題提起ということで今までお話ししました。では何かご意見とかご質問とかありましたらお願いします。
最後にいわゆる「安楽死」と「尊厳死」という話がありまして、私は「安楽死」というのは、大変難しい問題が多いんじゃないかと思います。「尊厳死」はお話しにありましたように、本人(私)がしっかりしているうちに、尊厳死の道を自分でちゃんと確保しておかなきゃいけないんだと思います。それから私も年をとりまして、いろんな意味で社会にご厄介になっている部分が多いんでございますけれども、先ほど話にありましたように、私たちはもう生産をしないわけでございまして、そうしますと経済的にいわゆるマイナスの面 だけで働いていくようなことでございます。したがいまして、さきほどの新聞の内容に、1カ月30万円以上かかるとありましたが、お金の問題でも若い時には一生懸命働いて頑張っていけば何とかなるということもあったんですけれども、もうこれからは頑張りようがないわけでございまして、1カ月30万円は大変だなという感じでございます。それで経済的なものを国家がちゃんとやってくれなきゃいけないんだといのが世論であるのかもわかりませんが、国家がお金を出せば、そのお金を扱う国家公務員が食べてしまうという日本の社会情勢ですから、やはりそういう施設とか一つの施設の責任者とかいう人に補助金を出すんじゃなくて、個人個人の力を支えてやる、いわゆる在宅ケアの方向にいけばいいんじゃないかと思います。私のところに何億というお金は誰も持ってきませんので、せいぜい市役所がもってくるのは餅の一つか二つかだろうと思います。そういうささやかなことでも個人を支えていただくといいんじゃないかと思います。そのためには私自身がそれを受ける立場じゃなくて、金輪際の力を振り絞って、そして何かを皆さんにしてさしあげるという立場に達したいなという思いでいっぱいでございます。たくさんのお金を寄付もできませんけれども少しでもできれば、あるいは体も動きませんけれども口だけでも残っておりますから、せめてお慰めの言葉の一つでも激励の言葉の一つでも差し上げられるならばと、そういう機会をいかしていきたいなと、そういうふうに思っております。永遠の命に生きるということは、これは各宗教、これは永遠の一つのお教義でございます。どこの宗教も永遠の命を説くわけでございまして、私たち一人一人が永遠の自分自身が永遠の命に生きておると、過去も自分の命、将来も自分の命、私達の子孫に対するプレゼントであると、そういうような意味で永遠の命に生きていくべく努力をしたいと思います。大変生粋なことを申しあげました。以上です。
「これから生産することがない」とおっしいましたけれども、これまでの日本を支えて下さったということですから、決して負い目を感じることはないと思います。そして「税金の使い方が悪い、もっと有効に使え」ということもおっしゃりたいのでしょう?
私は今別府の国立病院にかかっております。内科と整形外科と両方にいっておりますが、内科で3種類のお薬をいただき、整形外科でも3種類のお薬をいただいております。ついこないだ1月28日の合同新聞に出ておりましたが、医療保険の審議会の答申が出ておりますけれども、これでみますと薬剤1種類につき1日分15円という負担をしなければならないということが答申されておりました。今安定剤いただいておりますけれども安定剤は2週間分ですから14錠でございますけれども一日に一錠しかいただきません。そうすると一日1錠で15円上がります。それから整形外科でいただいてます貼り薬のほうは痛み止めをかねての貼り薬ですけど、これは一袋に6枚くらい入ってますけれども普通 の湿布薬とは随分大きさが違うと思いますし、それから小さいものになりますと、私は体が大きいもんですから一枚で足りるわけがないんでございまして、そうすると一袋を何日で使うように計算するのかなというふうに、一日1剤15円ということになってますと、そういう点も何かおかしいような気がするんです。それと先生方の考え方によっては非常に高額にお支払いしなきゃならない先生とそうでない先生がでてくるんじゃないかという感じがしておるんでございますけれども、先ほどの方がお金のことをおっしゃいましたけれど、これはもし保険審議会の委員の審議会からでました答申によりまして決まりますと、大変大きな負担になるんじゃないしらと考えております。以上です。
私は豊肥沿線に住んで、高齢化率の30%を超える、周囲に3ケ所ほどの老人ホームと老健施設等を抱えたところに住んでいます。大分県というか全国の先端をいくような高齢化地域に住んでまして、病院に入院される方はほとんど80歳前後です。その方をみる人も同じく70歳とか60歳以上の人が多くて、それもみれる人はいいんですけど一人暮らしの方もけっこう多い状態です。それで風邪で入院するとします。風邪だけですが、薬が4〜5種類でるんですよね。ちょっとした熱と食事が食べれないということで、点滴をいっぱいされてですね、集中的に薬づけというのがあるんじゃないかと感じます。それとこの安楽死という問題がありましてけれども、何をもって安楽死というのか? 植物の状態になった方々じゃなくて、寝たきりの方、食事がとれない方に鼻から管を入れて本人が嫌で引っこ抜くケースがあると思うんです。そしたら管を引っこ抜く途中に管の中に液が入っていたら、肺炎とか起こしてかえって苦しい目にあうということがままあるようです。そうすると人工呼吸器とかが尊厳死を障害するものとしてとらえているようなら、この栄養チューブとか点滴とかいうのはどのへんのところで基準を作ったのでしょうか? 最初これを見た時に「何言ってんだろうか?」とそういうふうに感じました。「現実がわかってないんじゃないかな」って気もしますし、何か恐ろしい世の中になってきてるんだなっていう感じがします。大きな問題がこれから山積みされていくんじゃないかって気がします。
私の母は去年の7月に亡くなったんです。そして病名は肝臓がんで随分前に、20年位 前でしたか胆石の手術をした時に輸血をしまして、その輸血の時にC型肝炎になりまして、そして母は小学校の教員をしておりました。そしてあと2年か3年まだ期間があったんですけれども、働くのにもう体が動かなくなって、早目に退職しまして、そしてC型肝炎から肝硬変になりまして、それから肝臓がんになりまして、そして癌の告知を受けた時は「あと3年です」って言われました。そして母が亡くなったのはちょうど2年と8ケ月で最終的には肝臓破裂という状態で、私たちは癌の告知の時点から母とうまくコミュニケーションをとりまして、「お互いに3年間を有効に生きましょう」ということで、母もいろんな準備をしまして、それこそ母が亡くなった後には私は何も困ったことがなかったんですね。手続きも何もかも全部準備をしておりましたから。そして最終的に母が肝臓破裂の状態になった時に、心臓マッサージをしまして、酸素の管をはめたんですけれどね、器械を口にはめた時に私の妹が「お母さん、苦しそうだね。」って言いました。先生が「この状態では肝臓が破裂してるから体に血液がまわってません。」と言いました。母は31歳の時に父を41歳で亡くして、私たち子供3人を1人で育てました。だから私の長男が「お婆ちゃんは今までお母さんたちを1人で育ててきたから、最後も1人で器械に頼らずに生きたいんじゃなかろうか?」っていう提案をしました。「最終的には私は延命処置はいらない。」っていう母の言葉を聞いておりましたが、私の口からはそういうふうには言えなかったし、妹たちも言えなかったです。そしたら孫が「お婆ちゃんは1人で生きたから、最後も1人で逝ったほうが、お婆ちゃんの望みじゃなかろうか」っていうことを提案しましたので、私たちは相談しまして、先生に「器械をはずして下さい」とお願いしました。先生が「はずしてもいいですか?」って何回も尋ねましたけれども「お願いします」て、最終的に器械をはずしていただいたんですけれども、それが尊厳死になると私は考えておるんです。そのままの状態で長くは続かないっていうことと、私の息子がそういうふうに母の願った道を行かせてあげたほうが幸せじゃないかっていう提案と、私たちの相談でそういうふうにして最後は母を見送りました。だから今いろんな新聞によくいろんなことが出てますけれども、やっぱり、その本人の意思を家族が知ってるとか、文章で残すとか、そういうのは本当に大切で必要なことだと、私は今度実際に自分が体験しましたから、そういうふうに考えました。心の中はなかなか今のところは言えないんですけれども、癌の告知から3年間は母と本当に親密に上手に生きてきたということは、良かった。「生と死を考える会」でいろんな話を聞いて、自分で勉強しておりましたから、その分は本当に自分の助けにもなったし、全然母も私たちの前で涙も見せなかった。本当に悠然と死までいきましたので、私たちも本当に良かったと思っております。この会に入って本当に良かったと思っております。
今回初めて出席させていただいたんですが、私は長男の嫁でして、主人の母がもう10年以上前から難病で、6年ぐらい前から寝たきりになってます。私も仕事をしてたんですが、すぐやめまして、6年前から一応在宅看護なんですけれど、昨年8月から特別 養護老人ホームに入所してまして、私もそこの寮母として働いているんですが、とても母はしっかりした人でして、字は書けないんです。「いかに看取るか?」私いつも考えるんですが、今考えてるのは字が書けませんので、テープに母の意思を残してやりたいと思うのと「テープで有効でしょうか?」とお尋ねしたいんですが、いかがでしょうか? 医療というかお医者さんに不信感持ってまして、とにかく「鼻腔栄養も嫌だ、点滴も嫌だ、延命してほしくない。」っていうのがありまして、子供たちは、そのように考えてるんですが、ちょっと現状ではどうなのか? そういう看取り方ができるかどうかわからないんです。私としては母の声でテープに尊厳死の宣告書のような形で入れられて、それが有効なら、そうしてあげたいと思ってるんですが、これは「直筆で書かなきゃ」とお聞きしたんですが、サインもできない状態なんですね。どうでしょうか?
法的には文章でないと有効でないかもしれませんが、事情が事情だけに意思表示をテープに残しておくのは、必要な手段だと思います。
私は人前でこんなにお話しするのは生まれて初めてなんですけれど、私は来月の3月10日で70歳になります。93歳の母を特別 養護老人ホームから去年の10月3日に引き取って一緒に二人で暮らしております。そしてお母さんは年金が少ないんですよね。私は結婚もしないで老後のことを考えて、ハンディーを乗り越えて、別 府に来て、電話の交換手をして一生懸命働いて今、厚生年金と国民年金をいただいて、やっと生活しております。こんなことを言っては大変悪いんですけれども、行政の矛盾していることに腹が立っております。私の父は生まれてすぐ亡くなったので、母は私が3歳の時に再婚して、お爺ちゃんが自分の娘として育ててくれて、私は兄弟は11人おるんですね。みんな生活がハイレベルなんですよね。まる7年間入院している時に母が5年目に、「お父さんの目を盗んで、入院代を持っていけないから、退院しておくれ。」って言われたんですね。そしたらそういう人がもう一人おられて、「福祉に手紙を出しなさい」って言われて、私は福祉に手紙を出しました。そしたらすぐ戸籍謄本とってきて「これだけ立派な兄弟がいて、一人が少し遠慮すれば何て事はない。」とおっしゃったんですよね。それで私は「これは本当の兄弟じゃないんですよ。」と言ったんですよ。「あなたが、その立場になった時に払ってあげられますか?」って言ったら、その人は詰まっちゃったのね。そしたら看護婦さんが引っ張って詰所に連れていったんですよ。そしたらその日から医療費は免除になったんです。戸籍謄本とるだけでなくて、本当の現状まで調べていただけたらと思います。質素に食べるだけしかできないけれども、「お母さん我慢してね。」って言ったら、「お母さんはね、ホームに居るより、あなたがよくしてくれるから本当にうれしい。」って言いました。おまるでトイレに行ったら、それを自分で片付けております。私はだいたいボーっとしている方だから気がついたら、片付けて洗ってあげたりしておりますけれども、「私もこうなるだろうか?」と思ったりして、「その時はどうなるだろうか?」と思って、その時の不安を感じます。どうもすいません。
今のお話しを聞きまして、今本当に必要なのは行政でもなければ何でもない。私たち今ここにこうしてお話しを聞かせていただいております。私たちここに居るものが、隣におるものがみんな仲よく手を取り合って、お互いに助け合って、お互いに遠慮無く相談し合える、そういう仲間になっていくことが今一番大切な要求されておることだと思います。微力でございますが、一生懸命やらしていただきますので、今後ここにおられる方みんなと力を合わせて、先ほど「老人が老人を介護しているのが今の世の中だ。」とおっしゃいましたけれども、本当にそうだと思います。若い者がかわいそうだと、老人の面 倒をみなければならない若い者がかわいそうだと、そういうことじゃなくて、年寄りは年寄りで団結してですね、「立て万国の労働者」じゃありませんが、年寄りは年寄りでお互いにいたわり合って、助け合って、足らないところを補い合っていくような、そういうことができたらいいなと、しみじみ思いました。