〜講演会から〜

「新しい死の文化を求めて」−世界のホスピス運動に学ぶ−
上智大学文学部 教授
アルフォンス・デーケン さん
1997年1月18日(土)コンパルホール 文化ホール

 今晩は。今ご紹介にあずかりましたデーケンです。生まれた時はドイツ人でした。あとフランス・イギリス・アメリカ・スイスなど十二カ国で生活して国際人になりました。日本に骨を埋めるつもりですから、心の中は日本人です。現在は上智大学で主に「死の哲学」を教えています。ですから上智の学生は私について話しますと大体「死の哲学のデーケン」と言ってます。最近は何でも省略しますので「死哲(してつ)のデーケン」って言ってるんですね。私はもともと国鉄の方が好きでしたけれども・・・。デーケンという名前も示すように「ほんとに何もでーけん」。今日は皆さんと一緒に「新しい死の文化を求めて\世界のホスピス運動に学ぶ\」というテーマで考えたいと思います。そのためにレジュメ(概説)を作りましたから、まずその主なポイントをちょっと紹介します。  
 私たち人間は誰でもいつか必ず死と向き合う時が来ます。まず身近な人の死、つまり愛する相手を失う、おじいさん・おばあさん・お父さん・お母さん、あるいは場合によっては配偶者を失うという苦しい体験があります。そして遅かれ早かれ私たちはみんな自分自身の死に直面 させられます。まず身近な人が亡くなってからどう生きるかっていうことが大きいテーマです。次に自分自身はどういうふうに人間らしく死を迎えるかということですね。最近まで死はタブーでしたからね。死の文化はあまりなかったんですね。特に戦後は死がタブーになったんですね。死についてできるだけ考えたくないとか、話したくないとか、聞きたくないっていう時代でした。死の文化は忘れられ、死は単なる医学の敗北と考えられた時代でしたから、人間らしく死を迎えることができない人も結構いたんですね。例えば、癌告知は無かったし、死をタブー化しますから、当然「あなたは治らない癌だ。」とはなかなか言いにくいんですね。結果 としてコミュニケーションがなかったことも多かったんです。最近は変わりつつある時代だと思いますね。「いかに人間らしく死を迎えるか」っていうことは「いかに最後まで人間らしく生きるか」ということと同じ意味ですね。  
 ですから私は第1のポイント「患者のクォリティ・オブ・ライフ quality of life=生命や生活の質」について皆さんと考えたいと思います。そこで音楽療法、読書療法、芸術療法、作業療法、アロマセラピー、ペット療法などのいろんな新しいアプローチについて考えたいと思います。  
 第2のポイントはスライドを通して世界中のホスピスでどういうふうにそういうクォリティ・オブ・ライフを改善する努力をしているか、各国におけるホスピス・ケアの多様性として、環境・設備・庭園の重大さを紹介します。またケア・スタッフの活動として、(1) 医療従事者の発想の転換、(2) チャプレンの役割、(3) ホスピス・ボランティアの大きい役割を紹介します。  
 第3のポイントですが、病院とホスピスの一つの大きな違いは、病院は伝統的に患者中心の施設と思われましたけれども、ホスピスは初めから患者と家族を一つのユニットとして考えています。ですからこの第3のポイントは「患者の家族と遺族への援助」ということです。例えば具体的にアメリカでは、患者さんがホスピスで亡くなれば、ホスピス側から一年間はその遺族へのケアとカウンセリングを提供しなきゃならないんです。それをやらないとホスピスという名前をやめなきゃならないんです。それほどきびしいですね。患者さんが死ぬ 時は、患者自身の問題だけでなく、家族もものすごく苦しむんですね。結果として病気になることも多いんです。そこで私は「ホスピスにおける家族と遺族への援助とケア」について話したいと思います。そして私たちは身近な相手を失う時にその精神面 でのケアの充実、心のケアは非常に大切ですので、「ホスピスにおける精神面 でのケア」について話し、次に「苦しみの意義、生きがいの探求、永遠の生命への希望」というテーマについても少し話したいと思います。  
 最後に第4のポイントですが、スタッフ、つまり医者・看護婦・ソーシャルワーカー・ボランティア、または家族・遺族のいわゆる燃えつき症候群の危険性というのが非常に高いんですね。例えばスタッフは多くの患者さんの死を体験しますと、情緒的に燃えつき症候群に陥ることもありますから、私はそれを乗り越える道、避ける道としてユーモアについて話したいと思います。  
 最後の「おわりに」という文章を見てみましょう。「死に直面している人とその家族、また死別 後の苦悩にあえぐ遺された人たちにどれだけ思いやりのこもった援助の手を差し延べられるかが、その社会の文化的成熟度を示す一つの尺度となる」と私の長年の友達でもありますハーマン・ファイフェルが言っています。その終わりの文章をもう少し私の言葉で説明したいんです。今日のホスピスというテーマは、ただ狭い意味の医療のテーマではありません。社会と文化全体に関わるテーマだと思います。つまりある意味で死にゆく患者、またはその家族、死別 体験者、遺族をどれほど、いかに大切に見守るかが、一つの社会の文化の尺度、基準にもなるんじゃないかと思います。そういう意味で私たちは今日は一方では医療のレベルで考えてみます。他方ではもっと深いレベルで私たちは文化・社会、大分の社会、大分の文化全体のテーマについても考えるようになるんじゃないかと思います。
 
 第1「クォリティ・オブ・ライフ」
 伝統的に病院は量を、つまり患者さんがどれほど長く生きるかということをよく考えます。ですから病院の中では延命主義の考え方が多かったんです。その点で日本は特に大成功でしょう。さっき小野会長さんの話にもあったように日本人の平均寿命は今世界一になったんですね。これも本当に素晴らしいですね。日本の男性もドイツ人の男性より長く生きるようになったでしょう。ですから私は日本に来ましたね。賢いですね。私は最近はほとんど毎月どこかの医学会で講義しなきゃならないんですけれども、医学会では「どういうふうにしたら人間はもっと長く生きるようになるか?」っていう発表がいっぱいあるんですね。私はいつも興味深く聞いていますけれども、ある学会のある発表によりますと毎朝泳ぐ人は6年長く生きるようになるそうですね。ですから私は毎朝、今朝も羽田空港に行く前にちゃんと上智大のプールで5時から泳ぎましたね。ですからプラス6年になるでしょう。6年長く生きるようになるんですね。そして毎日歌を歌う人はプラス4年になるそうですね。私も毎朝3つの歌を歌いますから、プラス4年になりますね。そしてユーモアのある人はプラス5年になるそうですね。こないだ全部計算したところ今のところで137才になるそうですね。やっぱり長く生きるのはいいですね。ところがホスピス的な考え方では長さだけではなくて、量 だけではなくて、同時に質、つまりクォリティ・オブ・ライフが大事です。私は「クォリティ・オブ・ライフ」をいつも日本語で「生命や生活の質」と翻訳しますね。例えば具体的に音楽療法、芸術療法、読書療法、アロマセラピーなどは全部クォリティ・オブ・ライフを改善するために使っています。私はこの一週間で10人ぐらいの死別 体験者に会いましたが、その中の7人は、相手・配偶者を失った時に医者は癌告知しなかったということです。それで「今ものすごく後悔している」とか、「全然別 れを告げられなかった」と言ってます。  
 ある看護部長のお父さんの場合は、彼女は医者に「お父さんに癌告知してほしい」と頼んだんですけれども、彼女のお兄さんは偉い医者で、彼は絶対反対でした。「やはり父は知らないほうが幸せだ。」と言ったんですね。お父さんが亡くなった日に娘の看護部長が財布を開けると、1ケ月の日記が書いてありました。「私が一番つらいのは専門家であるうちの娘がずっと嘘を言ってることだ。1ケ月間ずっと、自分はもうすぐ死ぬ とわかってた。治らない癌であるということは、薬や治療から、全部わかってた。一番つらかったのは看護婦という専門家である娘と一切コミュニケーションができなかったことだ。娘は最後まで嘘を言った。」彼女はもともと私の教え子でしたが、涙を流して私に言いました。「私があの時、もう少し勇気をもって、もっと自信を持ってお父さんとコミュニケーションしていたらどれほど素晴らしい思い出になったでしょう。」彼女の後悔と苦しみを通 してクォリティ・オブ・ライフについて考えました。最後までコミュニケーションできなかったということは、彼女のお父さんのクォリティ・オブ・ライフはそう高くなかったと思いますね。逆に言いますと私の解釈ではクォリティ・オブ・ライフ=生命や生活の質においてコミュニケーションが一つのキーワードだと思います。  
 例えば私が上智大学で死の哲学を教えている学生が夏休みの前に「先生、私の父は今田舎にいて、入院していますが、医者は癌告知したくないんです。どうしたらいいでしょうか?」と尋ねました。私は「やはり、まず家族の中でよくディスカッションしてください。皆の意見が一致して、コンセンサスが得られれば、医者に向かって『私たちは家族でベストを尽くして一生懸命サポートしたいから、是非本当のことをお父さんに言ってください。』って言って下さい。」と答えました。10月になってその学生はまた研究室に来ました。「先生、先週は死の哲学を欠席しました。実は父のお葬式でした。夏休みは家族のコンセンサスができて、医者は父に癌告知したので、私は父と本当に深いコミュニケーションができたんです。そして今まで知らなかった父を知るようになりました。そして父も一生懸命私にいろんな貴重なことを教えてくれました。これは私にとって今本当に貴重な宝物です。」と話しました。それに似たケースを、私は何回も体験しましたから、「この学生にとって、お父さんとの最後の夏休みは実に貴重な宝物になったでしょう。遺族にとっても大切ですが、お父さんが自分の息子と初めて大人のレベルで話すことができたっていうことは、お父さんにとってもどれほど大きい喜びであったでしょう。息子は上智大学で死の哲学を勉強している。お父さんはもうすぐ死ぬ ので死は自分の身近なテーマです。息子とそのレベルで話すことができたっていうことは、どれほどすばらしいクォリティ・オブ・ライフであったでしょう。」と、すぐ想像できました。私は上智大学の学生を通 してよくわかってることですが、大学に入る前あるいは大学に入ってからも子供とお父さんとのコミュニケーションがあるのはお金が必要な時だけのようですね。しかしお金のことだけでのコミュニケーションはお父さんにとってちょっと淋しいと思いますね。  
 もう一つは私の長年の友達の精神科の医者の体験です。彼はロンドンの聖クリストファー・ホスピスの精神科の医者でしたが、別 の病院で働いていた時にあと3日間しかないような患者さんがいました。患者さんのところに行く途中で奥さんに会うと、奥さんは「先生、うちの主人は治らない癌であると私はよくわかってます。主人はとっても弱い人ですから主人に『癌である』と言わないで下さいね。」と言って家に帰りました。その医者が患者さんのところに行くと、患者さんは「先生、最近私も治らない癌であるとよくわかってます。うちの家内はとっても弱い人です。彼女に『私が癌である』と言わないで下さい。」って言いました。次の日に奥さんが来て、患者さんの側に坐っていました。その精神科の医者は二人に「お二人はよくわかってますから、ちょっとそれについて話してはいかがでしょうか?」するとご主人は保険についてとか、大切な鍵はどこにあるとか、お葬式のために誰に知らせた方がいいとか、とにかく一生懸命に奥さんが後で困らないようにいろんなことを教えてくれました。そしてそれから3日目の最後の日に何回も「サンキュー、アイ・ラブ・ユー」を言って死にました。まずこの患者さんの立場から、そして次に遺族の立場から考えましょう。ご主人にとって最後の3日間は本当に生きがいのある人生だったと思います。素晴らしい人間らしい死に方だと思います。私は最近全国で何千人もの死別 体験者に会いますね。今37の「生と死を考える会」ができたんですね。それらをまわって何千人もの話を聞いて、最近気がついたのは、遺族にとって亡くなった患者の最期の姿はとっても重大です。この奥さんにとって「主人は最後の3日間は私に対する思いやりとして自分の悩み苦しみをあまり話さなかった。私が困らないように一生懸命いろんなことを教えてくれた。」そのご主人の最後の姿は、今の奥さんにとってとても大きい支えになります。同時に最後の日の「サンキュー、アイ・ラブ・ユー」という言葉は今も心の中で響いていますね。これは今悲嘆のプロセスの中にある奥さんにとって貴重な情緒的支えにもなれるわけですね。ですからそういう意味で「クォリティ・オブ・ライフ=いかに最後の日々を人間らしく過ごすか」ということがホスピス的な考え方ですね。  
 私は後でたくさんのヨーロッパとかアメリカのホスピスのスライドを見せますね。日本でたくさんのホスピスを作ることよりもその中からいくつかのアイデアあるいはインスピレーションを受けて、自分の病院の中でそれを活かすことができると思いますね。病院の中に少しでもホスピス的な考え方を入れる、それによってよりよいターミナル・ケアになりますね。今日も看護婦さんが多いそうですけれども日本の看護婦さんもずっと前からターミナル・ケアにすごく興味が強くて、私に地方の看護協会から電話があって「ちょっとターミナル・ケアについて講義してほしいんです。」という依頼がありました。日本の看護婦さんはすごく親切で「もうホテルもとりました。」と言ったんですね。私が「じゃ、どのホテルですか?」と尋ねましたら、やはりターミナル・ホテルでしたね。日本の看護婦さんは親切で、そこまで考えてくれてましたね。私が今日ホスピスというテーマで話すのは、すぐに皆がホスピスを作らなくても少しでもこれからのターミナル・ケアのために役に立つんじゃないかと思うからです。クォリティ・オブ・ライフの大切なキーワードは看護婦と患者とのコミュニケーション、医者と患者とのコミュニケーション、家族と患者とのコミュニケーションだと思いますね。ところが癌告知を受けないとホスピスに入れないんですね。例えば聖ヨハネ・ホスピスの山崎先生の話しでは、家族が「おじいさんを聖ヨハネ・ホスピスに入れたいんです。」と言ってきますが、癌告知がないとそれは残酷ですね。入ってから初めて「あー、これは治らない患者のための病院なんだ」ということがわかるからです。ですからコミュニケーションはホスピス的なケアの土台であると思います。  
 クォリティ・オブ・ライフを改善するための音楽療法は今ドイツとかアメリカとかオーストラリアでは特に盛んです。私たちはみんな時間の中で生きているでしょう。いつも過去・現在・未来という三つの次元があるんですね。音楽療法の一つの基本的な考え方は人間にとって過去はただ過ぎ去ったことじゃなくて今でも思い出によって再体験できる、そして未来は単なる未来ではなくて私たちは希望をもって未来のことを今でもある程度味わうことができますね。例えば卒業した時にみんなで歌った曲とか、結婚式でみんなが歌ってくれた曲とか、あるいは初めて愛する相手と見たオペラの曲とか、あるいは好きな人と一緒に映画を見たあとでその映画の主題曲を聞きますと、またその人を思いだすというようなことは多いでしょう。そういう意味で私たちはよく美しい日々、幸せの体験を音楽と結ぶんです。私たちは現在苦しい死に直面 している時であっても音楽療法によって過去の美しい日々をまた再体験できる、味わうことができます。過去で経験したことは決して過ぎ去ったことではないのです。心の貴重な宝物ですね。  
 例えば私は大学院はニューヨークでした。いよいよ博士になって、変な博士の帽子を被って、裾の長いローブを着て、そこで学長が来るまで30分待つ間、大学のバンドはあまり練習しなかったらしく同じ曲を繰り返しました。その曲は博士になった日と切り離すことができないんです。私はこないだ披露宴で突然この曲を聞きました。私の心は東京からすぐニューヨークへ飛びました。その時の思い出がまた戻りましたね。皆さんもそれに似ている体験があるんですね。  
 私は実は上智大学の管弦楽団の顧問でございますね。140人のメンバーがいます。ある時名指揮者カラヤンが上智に来て指揮してくれましたね。上智のオケを結構高く評価してくれてベルリンに招待されました。有名なフィルハーモニー・ホールで演奏しましたね。その時カラヤンはまた指揮してくれました。彼は私よりも上手だそうです。皆さんも想像できるでしょう。その時の百人の学生にとってベルリンのフィルハーモニー・ホールでカラヤンの指揮で演奏した曲は一生涯特別 な意味を持っているでしょう。聞けば聞くほどその幸せな日々を思い出すっていうことですね。そういう意味で私たちは今死に直面 した患者さんに対して一方ではものすごく無力感を感じますね。もう助けることができないと思うでしょう。けれどもまだ貴重な宝物を提供できるんです。音楽によってその患者さんの過去の人生の美しい日々の思い出をいかすことができます。  
 同じように未来は単なる未来ではありません。皆さんは例えば今度旅行するとしますと、その国についてテレビ番組を見たり、ガイドブックを読んだりして、今からエンジョイできるんですね。ですから過去がただ過ぎ去ったことじゃないのと同じように未来は単なる未来じゃなくて、今でも希望を持って味わうことができるんですね。そういう意味でモーツァルトのレクイエムを聴きますと、一方では35才の若さで死ななきゃならないという悲しみ、苦しみがよく出ていますけれども、同時に未来に対する希望も感じられますね。  
 こないだ遠藤周作さんが亡くなったでしょう。私は長年ほとんど毎月遠藤周作さんと一緒に研究会をやっていました。彼はもう長い間病気でしたから時々未来についても話し合いました。最後に私の友達が病院に行った時に彼は「もうこの世での出会いは今日が最後でしょう。次は天国です。」って言ったんですね。そして「『また会う日まで』を歌いましょうね。」と言って「また会う日まで」を一緒に歌ったそうです。遠藤さんは永遠の未来に対する希望を抱いていたんです。そしてこないだ遠藤周作さんの奥さんに会った時には彼女もわりあい元気で、「主人がいなくて今つらいですね。けれどもやはり天国での再会への希望は大きい支えです。」と言ったんですね。そういう意味で夫婦として、また天国で会う希望があるということは現在が苦しい遺族にとっても大きいエネルギーになるわけですね。  
 音楽療法によって私たちは患者さんの視野を広めたり深めることができると思いますね。クォリティ・オブ・ライフを深める、つまり今 は苦しいでしょう。もうすぐ死ぬでしょう。しかし人間にとっていつでも過去があるんですね。そして過去はただ過ぎ去ったことじゃないっていうことは、特に音楽療法でわかるんです。あるいは未来もありうるんですね。私は今音楽療法について音楽を聴くほうの実例を挙げましけれども、オーストラリアでホスピスにおける音楽療法を研究した時に、大変感激した実例があります。ある若い奥さんがホスピスに入ったんですね。彼女の一番大きい悩みは4人の小さな子供のことでした。あと6週間ぐらいだと医者は言いました。音楽療法士は4人の子供に聞いたんですね。「お母さんの趣味は何ですか?」そうするとみんな一致して「歌が好きです。」と答えました。そこで音楽療法士は小さなテープレコーダーをベッドの側に置いて「もしよければ死ぬ 前に子供さんたちのために歌を録音したらいかがでしょうか?」むこうはわりあいに平気で「死ぬ 前」と言うんですよ。ホスピスに入る人はもう治らないってことをよくみんなわかってますね。それからそのお母さんは、夢中になって子供のために8時間のテープに自分の人生の思い出を録音しました。途中で何回も歌を入れたんですね。そして亡くなる日に子供たちはみなベッドを囲んで涙を流したんですけれども、お母さんは最後にその8時間のテープを渡して、そして静かに亡くなったんですね。まずその患者さんのターミナル・ケアを考えましょう。このお母さんは最後の何週間かは非常に創造的に生きたんですね。子供に対する思いやりで生きたんです。自分の一番大きい不安である子供に対する心配もそれによってある程度乗り越えることができました。そして本当に創造的に最後の日々を過ごした、これはホスピス的な考え方ですね。ただ死ぬ んじゃなくて、最後まで創造的に生きる。遺される立場の子供たちにとっても亡くなったお母さんの最後の姿は何と素晴らしかったことでしょう。遺されたテープを何回も聞きながら、またお母さんの思いやりと愛を味わうことができるんですね。ですから悲嘆のプロセスにある子供たちの立場からみても最高の援助になったんですね。音楽療法士はただ音楽を聴かせるだけでなく、場合によっては簡単な楽器も教えるんですね。2時間くらいで学べる簡単な楽器にはフルートや木琴やドラムがあります。ドラムはなかなかポピュラーですね。小さなドラムで患者さんは自分の怒りを表すこともできます。そういうバラエティーがあるんですね。  
 その他に例えば絵をかくアート・セラピーがあります。例えば後でスライドで見せますけれどもサンフランシスコのエイズ・ホスピスではボランティアが希望者にラスト・ピクチュアーをかくことを教えています。これはすごいですね。廊下にはまるで美術館のように亡くなった患者の絵が全部並んでいます。これは本当に美術的な雰囲気になります。あるいはペット療法もあります。私はおとといは国立がんセンターの先生と一緒に食事をしたんです。会議のあとでしたが、彼はこないだの学会で犬によるペット療法をしていると言ったんですね。私は彼に「先生、もし私が治らない癌になったら、私は犬よりも猫の方が好きです。是非それまでに猫も入れてください。」と頼みました。一昨日も私は彼に会ったんですが、彼は「やっぱり今は犬の方が人気がある。」って言いました。私はがっかりしましたね。

 第2「世界中のホスピス」
 
ホスピスと言いますとまずたくさんのバラエティがあるっていうことを、忘れてはなりません。つまりホスピスはワン・パターンじゃないということです。一番最初にドイツのアーヘン・ホスピスを紹介します。アーヘンの大変ユニークな点は208人の老人ホームと53ベッドのホスピスが廊下でつながっていますね。そして台所とかプールも共同で使います。二番目はドイツのケルンに国立大学医学部の附属ホスピスができていて、これはまた全然違うパターンです。一つずつのスライドを見ながら、「ホスピスとは何か?」あるいは「どういうホスピスがあるか?」。皆さんは日本あるいは大分では、すぐそういうホスピスは建てることできないと思っても、その中のいろんなアイデアを「あー、もしかしたらこれはうちの病院で、あるいはうちの老人ホームの中でもある程度活かすことができるんじゃないか」という、インスピレーションになるんじゃないかと思います。それではスライドお願いします。
(アーヘン・ホスピス、ドイツ)
これはアーヘンのホスピスですね。
まず目立つのはこのたくさんの美しいお花畑です。そしてみな外に出られます。ベランダがあって患者さんは夏はよく外で坐っていますね。しかし何よりも緑が多くきれいな庭があります。
すぐ隣に幼稚園があります。死にゆく患者さんは毎日窓から幼稚園を見ているんですね。子供の姿を見るのはまたいい体験ですね。
ここがホスピスですね。窓から遊んでいる子供の姿が見えます。
私もしばらくそこで働いた体験があります。私はこの患者さんとはほとんど毎日話をしたんですけれども、ホスピスには自宅から自分の好きな物を持ってきていいのです。その壁の古い時計とか、このブドウ酒もそうですが、自分なりの最後の我家ですから自分の大切な物は何でも持ってきていいのです。非常に個性的です。そして窓からいつもたくさんの緑が見えます。
この患者さんはもちろんもう亡くなったんです。彼女に聞いたんですが、これは全部自分で作ったもんでしたね。ですから本当に最後の我家ですね。自分にとって大切な物に囲まれて非常に穏やかに静かに亡くなったんですね。
アーヘンはケルンから南に約1時間離れていますね。できあがったのは1986年で、ちょうど去年は10周年記念でしたね。アーヘンはドイツで最も古いホスピスです。ですからドイツのホスピス運動はそれほど長いことではないんです。
この人は大学生のボランティアですね。私は写真を撮るときには全然気がつかなかったんですけれども、私が感激したのはボランティアが話す時はこういうふうに自然に目と目を患者さんと同じレベルで合わせますね。立ったままでは決して話さないですね。触れるっていうこと、タッチも大切ですね。
プールもありますね。このプールは非常に明るいですね。大部分は老人ホームの人が使いますが、老人ホームとホスピスが共同で使ってますね。日本だったらやっぱり温泉やお風呂の方がいいですね。特に別 府でね。
この二人は同じ部屋です。彼はもう意識がなかったんですけれども私は「彼に毎日声をかけて下さい。」と言われました。まだ18歳です。彼ももう亡くなったんですけれども、私たちが意識がないと思っても、後で回復した場合に、「聞こえた」という人もたくさんいます。
ボーリング場もありますね。
ちょっと贅沢ですね。ボーリングもやれるんですね。
これはナースステーションのユーモアですね。ナースの一週間ね。日曜日は大喜びね。しかし月曜日はこうですね。水曜日は疲れているとか。やっぱり金曜日は全然だめですね。けれども土曜日は看護婦さんの喜びね。これはドイツの看護婦さんのユーモアですね。日本の看護婦さんは一週間熱心にやってます。
これはチャペルです。これは医者と二人の看護婦さんです。チャペルでは毎日ミサがあります。一応カトリックの経営ですけれども参加は自由です。
これはミサの間ですけれども、老人ホームの方とホスピスの患者さんが隣同士で自然に坐っています。
私がミサが終った時に後ろから撮った写真です。二人は全然気付きませんでした。看護婦さんは、「早く部屋へ帰りましょう。」と言うんじゃなくて、5分くらいゆっくり患者と話していました。見てください、目と目は同じレベルですね。彼女は車椅子ですね。ホスピスは一人の患者さんに、大体一人の看護婦がつきそいますから看護婦さんにもゆっくり話し合う時間があるんですね。これも一つのホスピスの特徴です。

(ケルン大学医学部付属ホスピス、ドイツ)
今度はドイツの国立大学、ケルン大学医学部付属の緩和ケア病棟です。ドイツで今恐らく一番すぐれたホスピスです。患者さんの部屋は全部一階で全部個室ですね。そしてベッドからすぐ庭に出られるんです。これを開けますと中に入れます。二階はホスピス研修センター、そこは看護婦や医者のためのターミナル・ケアに関する研修センターです。
これは女医さんです。
彼女は今説明しています。吸引器や酸素は冷たい感じがします。普通 はいらないからこれをカバーしてしまいます。
技術的な医療器具もあるけれども必要でない時は隠します。そうするとはるかに温かいですね。できるだけ木造を使ってます。そしてこのベッドは動かせます。
ベッドごとすぐ庭に出られます。
そして水はやっぱり生命の象徴ですね。キリスト教の場合はもちろん水によって洗礼を受けますが、ホスピスで水が豊かに流れているのは生命の象徴です。ついで後ろは国立ケルン大学附属病院ですね。ここはやっぱりタワービルですが、ホスピスのほうは全部一階です。二階は全部、一般 病院の看護婦と医者のための研修センターですね。
彼女は医者として毎朝できるだけ患者さんと一緒にこういう部屋で朝御飯を食べますね。
ホスピスの患者さんは、できるだけ寝たきりにしないで最後の日まで毎朝こういうふうに一緒に食事をします。非常に落ち着いた雰囲気で医者や看護婦さんと一緒に食事をして話しをします。

(カルヴァリー・ホスピス、ニューヨーク、アメリカ)
今度はアメリカのニューヨークです。これはカルヴァリーです。非常に古い伝統があって、1899年にできました。ですからアメリカで二番目に古いホスピスです。
やはりまた同じようにたくさんの緑とお花があります。そしてできるだけ外に出ます。寝たきり状態にならないように、できるだけ最後まで動くっていうことです。私の教え子は今たくさん聖ヨハネ・ホスピスでボランティアとして働いています。一人は専ら、患者さんをお風呂に入れるのを手伝います。「こないだの患者さんは一時間ゆっくりお風呂に入って部屋に戻ってまもなく亡くなりました。」と言いました。
ここは入口です。生命の木があります。ホスピスのシンボルはやはり死じゃなくて生命の家です。「ホスピスに入るのは死ぬ ためではなくて最後まで生きるため」っていうスローガンですね。アメリカ的な考え方として寄付した人の名前が全部葉に書いてあります。たくさん寄付した人のは大きい葉で、少しだと小さな葉ですね。アメリカ人はよくホスピスに寄付するんです。
これは二人のボランティアの高校生ですね。彼はもうすぐ死ぬんですけれどもちょうど今日はバースデー・パーティーです。ですからきれいな帽子を被って、みんなでハッピーバースデーを歌ったり、外出したりします。もしかしたらその日かあるいは次の日には死ぬ かもしれません。けれどもできるだけ最後までお祝いとか、祭りとか、パーティーなどをよくやるんです。そのためにこの若いボランティアの存在は貴重ですね。
カルヴァリーは200ベッドの患者に対してフルタイムの音楽療法士が働いていますね。世界的にみてもフルタイムはここだけだと思います。普通 はパートタイムですね。私はニューヨークの大学院時代にここへも時々行ったんですけれども、患者さんはだいたい平均2週間で死ぬ んですね。彼女もあと何日間かでしょう。けれどもまだすごく生き生きと楽器を学んでいるんです。新しい楽器を学ぶ喜びですね。そしていつも坐った時は目と目のレベルは同じであることが大切ですね。
この患者さんはフルートを習っていますね。これは看護婦さんで音楽療法士じゃありません。フルートはだいたい普通 の人でも3時間で覚えることができるそうですね。私も子供時代にフルートを習いましたけれども私はあんまり頭が良くなくて4時間かかったんですね。
これはチャペルです。毎日ミサもあります。車椅子でも入れるんですね。ミサに行けない人は毎日全部テレビで各部屋に映しますから、部屋でもミサにあずかることができます。これはもちろん全く自由ですね。

(コネティカット・ホスピス、アメリカ)
今度はニューヨークから少し北の方のコネティカット州のホスピスです。
患者さんは全部一階ですね。看護婦さんとか事務所は二階ですね。患者さんは庭に近い。
入口はきれいな温かい木造で、これは生命の木です。ですから入る時にみなこれを見るんですね。これは最後まで生きる家ですね。単なる死に場所や、姥捨て山じゃないんですね。
そして入口のボランティアが坐っている上には、またホスピスのシンボルマークの生命の木がありますね。このボランティアは私の印象ではまじめすぎるようですね。もう少しユーモア教育が必要ですね。
これはその地域の芸術家の絵です。絵を1カ月間貸すんです。そして売れれば半分ホスピスに寄付しますね。ですから美術館のようですね。廊下にはいつも季節によって違うお花があります。
これは別の時ですが、雰囲気は病院よりも美術館のようですね。
さっき言いましたように、必ずボランティアは患者さんと目と目は同じレベルで、タッチも大切にします。
この人もボランティアです。これはボランティア・マークです。ちょっと太っていますけれども、とても温かい手だったそうです。この患者さんはもう亡くなったんですけれども。
同じ建物内に幼稚園がありますね。ここの子供たちは毎日いつでも患者に会いに行けますね。子供にとっては最高のデス・エデュケーション、死への準備教育になるんです。
この幼稚園の子供は別に親戚じゃなくて、毎日このおばあちゃんにちょっと会って自分の新しいおもちゃを見せますね。これは新しい車ですけれども。だいたい2週間でみな亡くなりますね。そして先生は「このおばあちゃんはもういないんです。死にました。」とはっきり説明します。子供との接触は素晴らしいですね。
これは二階です。ここは看護婦さんたちが涙を流す部屋ですね。感情を発散するための部屋で、一人しか入れないんです。小さいんです。そして夜も電気はなくてお月様が見えるんです。ここは看護婦さんやスタッフの情緒的な面 で健康を回復するための部屋です。
これは一階のチャペルです。ここで日曜日はプロテスタントの礼拝とカトリックのミサがあります。これは祭壇になりますね。チャペルそのものは10人ぐらいの椅子しかないんですけれども。ドアを開けますと大きい部屋になって日曜日だったら200人でもそこに入れますね。
これはそのチャペルです。これは日曜日にミサのための祭壇にもなります。
これはすごく大切です。毎週二回、このソーシャルワーカーはこの人に会います。この方はどういう人でしょうか? ご主人が亡くなった方ですね。日本語で未亡人と言ってはいけないんです。私はNHKテレビで一回未亡人という言葉を使いましたけれども、すぐカットされました。これは差別 用語ですからもう一度録画しなきゃならなかったんですね。NHKの正しい日本語で未亡人の代わりの言葉を知ってますか? ノー・コメント? 政治家ですか? 正しい日本語は「夫を失った妻」ですね。この集まりは奥さんの都合で毎週2回あります。一回は午後、一回は夜ですね。これは「夫を失った妻」の集いですね。大切ですね。それは毎週2回で1年間やりますね。もちろん1年以上も来る人がいますね。それは「大分・生と死を考える会」もこれから計画してます。さっき小野会長もおっしゃいましたね。主に死への準備教育の研究と普及、そしてホスピス運動と。しかし全国の37の「生と死を考える会」では月に一回ぐらい死別 体験者の集いがありますね。それはホスピスの中でもよくやってます。

(セント・ローズ・ホーム、ニューヨーク、アメリカ)
このセント・ローズ・ホームはアメリカで一番古いホスピスです。1892年にできたんですね。ですから非常に古いです。
ニューヨークのマンハッタンですね。ここからは毎日イースト・リバーの水が見えるんですね。そしてやはりたくさんのお花もあります。これを作ったのはアメリカの最も有名な小説家の一人であるナサニエル・ホーソンのお嬢さんですね。ナサニエル・ホーソンをご存じですか? 「緋文字」という有名な小説があります。彼のお嬢さんは「夫を失った妻」になってから、カトリックになって修道会を作りました。その修道会は今アメリカ各地で7つのホスピスをやってます。
この方はシスターですが同時に看護婦さんですね。患者さんはこのすぐ後で大変穏やかに亡くなったんですけれども、最後まできれいな姿ですね。点滴なしでちゃんと自然に死を迎えるんですね。
この方もすぐ亡くなったんですけれども、とっても美しい最後の姿でしたね。みなさんは「なぜデーケン先生はそんなに死にゆく患者さんの写 真を撮れるのですか?」とびっくりするかもしれません。私はどの患者さんにも許可をもらったんですね。そうでないと写 真を撮ることはできないんです。アメリカはとても厳しいですね。どの患者さんも「もし日本のホスピス運動のために少しでも役に立てばどうぞ写 真を撮って下さい。」と許可してくれましたね。一人の患者さんは、私が訪問前に電話した時には、「それを楽しみにしてます。」と言ってましたが、朝着いた時にちょうど亡くなったんですね。
この患者さんはいつも違う帽子を被ってました。彼はドイツ系のアメリカ人でした。最後までみんな明るいです。
彼女もすぐ亡くなったんですね。乳癌でしたね。
彼女は最後までよく笑ったんですね。
この人がナサニエル・ホーソンです。「緋文字」を書いた小説家です。これはそのお嬢さんのローズ・ホーソンの写 真ですね。

(セイクレッド・ハート・ホスピス、シドニー、オーストラリア)
これはオーストラリアのセイクレッド・ハート・ホスピスで、これはまた素晴らしいです。セイクレッド・ハートは非常に古いです。1890年にできたんです。つまりもう100年以上前にできたんですね。もちろん建物はまた建て直したんですけれども。
これは素晴らしい庭です。オーストラリアで最も美しい庭として庭園賞をもらったんです。そして水はずっと流れます。ボランティアが毎日来て庭仕事します。とてもきれいですね。
ナースステーションの前です。これはワンちゃんのベッドで、これはワンちゃんですね。残念ながら猫ではなかったんですけれども。今ちょうど面 会中です。ペット・セラピーね。
これはチャペルですね。これはまたきれいな所ですね。これは水の流れね。
これは外で、今末期患者さんが外に坐っていますね。
そしてすぐ隣は、同じカトリックのシスターが経営している心臓移植センターです。そこで450も心臓移植をしましたね。ここは医療センターで、技術センターですね。すぐ隣は同じ経営でホスピスですね。ですから治る可能性があればどんどん心臓移植もやりますね。私も東京女子医大の医学部で教えていますけれども、学長はこないだも「日本の最初の心臓移植手術はここでやりたいんです。」と言ってました。日本ではまだできないんですけれども、ここでは既に450例も成功しています。このセイクレッド・ハート・ホスピスの患者さんは100人、しかも最近は癌患者は70名、エイズ患者が30名です。エイズ患者と癌患者が同じホスピスの中にいますが、全然問題にならないんです。

(カルヴァリー・ホスピス、シドニー、オーストラリア)
これがもう一つのシドニーのカルヴァリー・ホスピスです。
私はこのお母さんにびっくりしてそして感激しました。このお母さんは話しながらずっと編み物を続けていたんです。もうあまり時間がないので、小さな子供のために編み物を残したいのです。ですから話しながらも時間の尊さを意識してましたね。
これはデイ・ケア・センターです。もちろん医者や看護婦や場合によって音楽療法士とも会いました。ついでにここは海が見えるんです。イギリス人のクックさんが初めてオーストラリアを発見したのがここでしたね。ですからすごく歴史的なところです。
この患者さんももうすぐ死ぬんですけれども、やはり最後まで一生懸命に作業療法をしています。「兄弟の子供たち、兄の息子とか姉の娘とかのためにいろんな物を作っています。」と彼は私に言いました。やはり最後まで寝たきりにはならなかったんですね。最後までそういうふうにやりながら亡くなりました。私はとてもいい死に方だったと思います。

(聖クリストファー・ホスピス、ロンドン、イギリス)
これはイギリスの聖クリストファー・ホスピスです。
これはその入口で聖クリストファーはここの象徴です。
聖クリストファーはもともとカトリックの聖人です。橋のない河を人をおぶって運んだという伝説があります。この絵は聖クリストファーが子供をおぶって川を渡している絵です。ホスピスの考え方として、患者さんを無事にこの世からあの世へ運ぶという意味もあるんですね。
これは患者さんの部屋から撮った写真ですけれども緑が多いんですね。きれいですね。
チャペルもあります。この絵は実は創立者のシシリー・ソーンダースのご主人がかいたんですね。これは誕生、クリスマス、そして十字架の死と復活ね。
クローズアップになります。ですから生まれること、死ぬこと、復活ということは、ホスピスの大きいテーマです。生きること、死ぬ こと、永遠に対する希望っていうことです。
これはシシリー・ソーンダースです。彼女はもともとソーシャルワーカーでそのあと看護婦になったけれども、やっぱり看護婦ではどうしてもホスピスを作れないと思って医学部に入って医者になりました。この患者さんも明るい顔です。私はいつもホスピスの患者さんの顔に感激します。死を前にしながら最後までとっても明るい顔をしてることが多いんですね。シシリー・ソーンダースも温かいスマイルですね。
この方はシシリー・ソーンダースのご主人です。彼はこないだ亡くなったんですね。私はシシリー・ソーンダースと去年の9月は1週間学会で同じホテルでしたから、毎日会いましたね。ホスピス運動のパイオニア的な存在ですね。

(ニュージーランドのホスピス)
これは作業療法です。私が2年前にニュージーランドのホスピスを見た時のものです。これはみな末期の患者さんですけれども、この人はボランティアで作業療法でいろんな絵をかくんです。
この人も一生懸命に何か絵をかいています。彼女はボランティアです。こちらが患者さんですね。
彼女もボランティアですけれども今患者さんが書いた絵を見せてくれてます。
それは子供のための作業療法です。もうすぐお母さんが亡くなるという子供は、あの壁に何をかいてもいいのです。そういう子供へのケアも大切です。
これも同じ、子供のための場所です。何でもかいていいのです。素直に感情を表わした方がいいと思います。

(エイズ・ホスピス、サンフランシスコ、アメリカ)
これはサンフランシスコのエイズ・ホスピスですが、私がすごく感激したのは、壁にあるのは全部ラスト・ピクチュアです。彼女はドイツ人のボランティアですけれどもアメリカで美術を勉強しています。この患者さんの絵は本能的に太陽に向かっているんです。
大きくクローズアップになりました。今はつらいし痛みがあるけれども何となく未来に向かって希望を持っていることが感じられます。
次は前の患者さんの一番親しい友達がかいた絵です。これはさっきの亡くなった患者さんの絵で、その亡くなった人の顔ですが、これは友達がかいた絵です。
これはアート・セラピー、芸術療法です。ホスピスでいろんなポスターを見ました。これはそういう教育のためのポスターで、例えば「患者さんだけでなくて家族にも看護婦さんは意識してタッチして下さい」というポスターによる教育です。

(聖フランシス・ホスピス、イギリス)
ここはイギリスの聖フランシス・ホスピスです。この患者さんは馬が好きです。医者の判断で死ぬ 前にもう一回自分の好きな馬に会いました。ボランティアは馬と一緒に部屋の中に入ったんですね。私は医者に聞いたんですね。「じゃペットの大きさはどこで線を引きます?」と。彼は「象は断ります。」と答えましたね。ペット療法の一つですね。
ユーモアを使って、患者を笑わせるというのも看護婦さんへの教育です。

(レックリング・ハウゼン・ホスピス、ドイツ)
これはドイツのレックリングハウゼンのホスピスで、これはエイズ患者さんで、こちらは大学生のボランティアです。1993年でしたが、私が2週間後にまた行った時はもう亡くなっていました。最後に音楽療法ですごく助かったんです。

(キューブラー・ロス邸)
これはキューブラー・ロスですね。「死ぬ瞬間」という本を書いた人です。こちらは山崎章郎先生です。これは聖ヨハネ・ホスピスの元の看護婦長の小田さんですね。こういうセミナーをやりましたが、残念ながらこの家はもう存在しません。焼けてしまいましたね。彼女はそこに子供のためのホスピスを作りたかったんですけれども、いろんな人が反対して家は焼けてしまいました。彼女は今車椅子の状態ですけれども非常に情熱的にホスピスについて話してくれました。
彼女はそのセミナーで言いました。「感情を表した方がいいです。」と。「それは古い電話帳です。棒で思い切りたたいて電話帳をこわして下さい。」って言いましたね。怒りを率直に表した方がいいっていうのも一つの面 白いアプローチでしたね。

(メトロポリタン・ミュージアム、ニューヨーク、アメリカ)
これが最後ですが有名なニューヨークのメトロポリタン・ミュージアムにあるソクラテスの死ですね。ソクラテスは死刑にされました。当時の死刑のやり方は毒の入った杯を飲まなきゃならないのです。最後にソクラテスは「私の肉体は今死ぬ けれども私の魂は永遠に生き続けます」と弟子たちに言いながらそれを飲みほしましたね。スライドありがとうございました。  

 皆さんはスライドを見て、もうわかったと思いますけれども、ホスピスといってもいろんな形があって、例えば200ベッドの大きいカルヴァリー・ホスピスもありますし、あるいは小さな15ベッドのホスピスもあります。アメリカで圧倒的に多いのは在宅ケアホスピスですね。在宅ケアといいますと患者さんは全然入院しないで最後の日々を自宅で過ごすんですね。第二次世界大戦以前のアメリカでは日本と同じように患者さんはほとんど自宅で亡くなったんです。第二次世界大戦の後からはほとんど入院して病院で亡くなるようになりましたが、今の傾向としてやはり「畳の上で死んだ方がいい」、まあアメリカにはあんまり畳はないんですけれども、「自分のベッドの中で死んだ方がいい」っていう考え方が広まってますね。ですからアメリカでは90%ぐらいが在宅ケアホスピスですね。アメリカのホスピスの一番新しい統計を調べましたら、1700くらいのホスピスがあるんですね。私は去年の9月にはホスピス医師会の会長にも会いました。今1500人の医者がそのホスピス医師会のメンバーですね。たくさんの医者が今ホスピスで働いています。ところが理想的には在宅ケア、つまりホスピス・チームが患者の自宅に行って、あるいは最近はホスピス・チームが老人ホームの患者のところへ行って、最後の段階までしっかりした疼痛緩和とかあるいはクォリティ・オブ・ライフを改善する音楽療法とか芸術療法とかを提供するんですね。老人ホームの中のホスピス的なケアも最近のアメリカではずいぶん盛んになったんですね。
 レジュメに私はホスピス・ボランティアへの期待ということも書きました。今、東京の「生と死を考える会」を始めあちこちで毎年ホスピス・ボランティアの養成講座を開いてますね。例えば東京だと私たちは毎年4月から7月まで夜のホスピスボランティア講座をやってますね。そこに去年は380人も応募がありました。全員が受講することはできなかったんですけれども、一番多かったのは20代の人でしたね。これは大変素晴らしいことです。私が思うのに21世紀に向かってよりよい日本の社会を作るためにボランティアのエネルギーを活かすのは非常に素晴らしいですね。例えば「生と死を考える会」自身も一つのボランティア活動です。大分の小野会長は看護学校の先生ですごく忙しいでしょうけれどもボランティアとして会長を引き受けていますし、あるいはさっき私を紹介してくださった原口先生も医者として大変多忙な中でボランティアとしてこの「生と死を考える会」で活躍しておられます。定年退職の前によく上智大学のホスピス・ボランティア講座に来て、定年退職後はボランティアとしてホスピスで働きたいという人も多いです。聖ヨハネ・ホスピスでは20人の患者のために100人のボランティアが今活動しています。そういう意味で私の一つの夢は例えば大分でも将来はホスピス・ボランティア講座を開いてほしいのです。今まで病院や老人ホームがボランティアを断った一つの理由はボランティアのための教育がなかったからです。教育があれば一般 病院、例えば東京の国立がんセンターでも私の教え子がボランティア担当者のコーディネーターですね。上智のコースをとってからそこの担当者になりました。ですからもし例えばここの「大分・生と死を考える会」でそういうホスピス・ボランティアを教育すれば恐らく大分のいろんな病院とか老人ホームもそういうボランティアを歓迎するんじゃないかと思います。それはより温かい大分の社会をつくるために素晴らしいことだと思います。  
 
 第3「グリーフ、悲嘆」
 患者さんが死ぬ時は遺族もものすごく苦しみます。私が去年のモントリオール国際ホスピス学会に参加した時に、一つの非常に興味深い発表がありました。ある調査によりますと配偶者が亡くなってから、残された側の死亡率は四倍も上がる時期があったということです。これは明らかに予防医学として私たちはこれからは残された配偶者のためにもう少し心のケアを提供しなきゃならないということです。奥さんが先に亡くなればご主人の死亡率がすごく上がるという統計があったんですね。しかし今の新しい統計では女性にも同じ状態が起こるんですね。ご主人が若ければ若いほど危ないですね。若いご主人が亡くなれば若い奥さんも病気になるケースは非常に多いんです。ですからそういう意味で私たちは患者さんがまだ若い患者さんだったらその配偶者へのケアは特に大事です。私の一つの提案として例えばどの病院でもグリーフ・ケアの担当者として2〜3人の看護婦さんは徹底的に悲嘆の勉強をして、毎週一回のミニ・レクチュアを提供してもいいし、患者さんが亡くなる前にその家族への教育をやったらいかがでしょう。これは予防医学と解釈してもいいです。フランス語の有名なことわざとして「別 れは小さな死」というのがあります。つまり愛する相手との別れは残された人にとっても小さな死になりますね。私たちは愛する相手と一緒にいることによっていきいきと生きていたんですけれども、愛する相手がもういなくなれば私の一部も死ぬ っていうことです。そういう時に味わう悲嘆のプロセスをよく理解して、立ち直りへの道を歩むために、私は12段階のモデルを提供しました。今説明する時間はないので、もしそれについて学びたければいろんな本に書きましたので参考にして下さい。「ともに喜ぶのは二倍の喜び、ともに苦しむのは半分の苦しみ」という有名なドイツのことわざがありますね。私が15年前に東京で「生と死を考える会」を創った時からこのことわざは私たちの一つのスローガンです。「ともに苦しむのは半分の苦しみ」ね。例えば死別 体験者は子供を失った親であれ、配偶者を失った方であれ、「なぜ私一人だけそんなひどいめにあわなきゃならないのか」と思うかもしれませんが、一人じゃないんです。この世には相手を失った人がいっぱいいるんですね。ですから私たちがともに分かち合うとかお互いに支え合うことはこの「生と死を考える会」の一つの大きい目標であります。ですから皆さんも今日のこの会をきっかけにして是非考えて下さい。  
 今日帰る時に受付で「生と死を考える会」の入会の手続きもできます。それは一つの具体的なより温かい大分の社会を作るためのいい方法だと思いますね。つまり1、死への準備教育の研究と普及のレベル、2、ホスピス的なケアのレベル、3、死別 体験者の分かち合いのレベルと3つのレベルがありますが、分かち合いのレベルについては今詳しく説明の時間はないんですけれども、もしそれについてもう少し勉強したいなら、「死とどう向き合うか」という本の中で4つのチャプターで悲嘆について書きましたのでちょっとご覧になって下さい。  
 
 第4「燃えつき症候群とユーモア感覚の勧め」
 今日は看護婦さんも多いと思いますけれどもやはり多くの患者さんの死を体験しますとこれは大変な情緒的なストレスですね。注意しないと燃えつき症候群にもなるわけですね。それを避けるため、あるいは乗り越えるための一つの大切な方法はやっぱりユーモアでしょう。つまり私たちはユーモア感覚を身に付けたら、例えば自分についても笑うことができれば、そういうユーモア療法は一つの心の癒しにもなりますね。ユーモアは日本語でよくジョークと同じ意味で使う人が多いんですけれども、私ははっきり区別 します。ジョークは頭のレベルの技術ですね。言葉の上手な使い方とかタイミングとかですが、きついジョークは相手を傷つけることになります。みんなは笑ってもこれはユーモアじゃないんです。あるいはテレビで誰かがころんだらみんなで笑うのも残酷です。これはユーモアじゃないんですね。ユーモアは思いやりと愛の表現です。私の定義では相手に対する思いやりがユーモアの原点です。つまり私たちは誰かに思いやりや愛を示したいなら出発点は相手が何を期待しているか、何を希望しているかっていうことですね。みんなが期待しているのはストレスの少ない温かい環境でしょう。私たちは微笑みとか笑顔によって相手にそういう思いやりを示すことができますね。

 私はドイツで子供時代に「人間は笑うことができる唯一の生物である」と聞いた時に早速私の猫が笑うことができるかどうか一つの実験をしましたね。その頃私は12匹の猫を飼っていました。吾輩は猫が好きでしたね。ところがその12匹の猫を全部並べて猫の前でいろんな変な顔をしたんですけれども1匹も笑ってくれなかったんですね。やはりみんなドイツ猫であったからドイツ人と同じようにあまり頭が良くなくて私の実験の目的を十分にわかってくれなかったんでしょう。私は猫が大好きだからその時は悲しかったんですけれども、「人間は笑うことができるというのは何と素晴らしい能力だ。」と感じましたね。もっとも先日四国の大学の医学部でこの実例をあげた時に一人の医学生がすぐ後で手をあげて「先生、私の猫は笑うことができます。」と言ったんですね。やっぱり四国の猫はたいしたもんですね。犬や猫もいろんな感情を全身で表現しますけれども、人間の顔の表情のような豊かさはないんですね。人間は顔の表現だけでアイ・ラブ・ユーを伝えることができます。  
 看護婦さんと患者さんの間のコミュニケーションも、もしかしたらその80%までは無言のコミュニケーションであるかもしれません。例えば看護婦さんが一人の患者さんのために薬を持って病室に行きますとほかの3人、4人、5人の患者さんは看護婦さんの顔を見てるんです。この時、きつい顔だとノー・コミュニケーションですね。話す時間はないでしょうが、ちょっとでもにこにこしたら、コミュニケーションは成立します。ですから無言のコミュニケーションとして、微笑みとか笑顔によるコミュニケーションもとても大切ですね。「看護婦さんは私に微笑んで挨拶してくれました。」と患者さんは喜ぶでしょう。今私がすごく近くに立っていても冷たいきつい顔をしていたらノー・コミュニケーションですね。ちょっとでもニコニコしますと気持ちがいいですね。とにかく何も言わなくても微笑めばコミュニケーションになるんですね。そういう意味で明日からは、患者さんに会う前にちょっとだけ自分の顔を鏡で見てコミュニケーションのできる顔であるかどうかを確かめて下さい。このことを私はあちこちのホスピスで気がついたんですね。だいたいホスピスで働く人は明るいですね。といいますのはやはり死ぬ ということは大変です。患者さんも最後にはわかっています。「ホスピスに入るということは、私の生きる時間はごく限られているんだ。」と。しかしその限られた時間をできるだけ大切にしたいんですね。そしてクォリティ・オブ・ライフを高めるにはコミュニケーション、特に看護婦さんとのコミュニケーションはものすごく大切ですね。ですからそういう意味でも私たちはこれからもっと温かい病院を作るために私たちの中にある貴重な潜在的能力の可能性としてのユーモアを開発することを大切に考えましょう。  
 もう時間になりました。私たちは今日は新しい死の文化について考えました。この新しい死の文化はホスピス運動の中に具体的にあらわれてきましたね。ホスピス運動の前はどっちかというと死のタブー化の時代でしたね。死については何も考えない、話さない、心の準備ができない状態でした。結果 としてターミナル・ケアは非常に難しかったし、あるいは医者と患者とのコミュニケーションも非常に難しかった。ですから、新しい死の文化は死をタブー視しないで、それについて考えたり学んだりして心の準備をして、「いつか死ぬ っていうことは今日の私にとってどういう意味を持っているか?」を考えることですね。といいますのは私の生きる時間は限られています。私も2年前に癌の手術を受けました。私も当然「私は癌でない」ことを希望したんですね。でも「やっぱり癌である」と言われました。次の段階で私は「少なくとも悪性の癌でない」ことを希望したんです。しかし「悪性の癌だ」と分かりました。そして次の段階として「少なくとも手術によって解決しよう」と希望しました。ですから人間というのは最後まで希望を抱くわけですけれどもその希望の対象はだんだん変わるんですね。私も最初に癌でないことを希望し、次は悪性の癌だと分かり、今は幸いにわりあいに元気ですけれども、私はその時から「自分の今生きている時間は限られている」ことを痛切に意識してました。「いつか死ぬ 」とはっきり意識すればもっと創造的に生きるようになるという素晴らしい可能性もあるんですね。相手がいつまでもそばにいるということはなくて、いつかは必ず別 れの日が来ると考えれば、何よりも人間関係を大切に考えて、相手に対してもっと精一杯愛と思いやりを持って接するようになれるんです。ですから不思議なパラドックスですが、「私はいつか死ぬ 」って自覚することによって今日をもっと精一杯、誠実に生きるようになれるんじゃないかと思います。ご静聴ありがとうございました。