〜講演会から〜

「薬とのつき合い方−常識と非常識−」
大分医科大学臨床薬理学 教授
中野 重行 さん
1996年12月14日(土)コンパルホール 304号

 「生老病死」という言葉が古くからあります。この世において避けられない、拠って誰でも味合わなければならない四つの苦しみが、生老病死ということなのでしょう。このような生老病死に際しては医療の助けを借りなければならず、薬のお世話になることが多いのではないでしょうか。人間同志のつき合い方と同様に、人間と薬のつき合い方にもルールがあります。薬はそのつき合い方の原則に従っている時には薬の効き方はよいのですが、この原則からはずれると、薬の効き方が不十分であったり、好ましくない有害反応(副作用)が生じたりします。薬は「クスリ」と読みますが、逆に読むと「リスク」(英語で risk 、「危険」の意)となります。つまり、薬とのつき合い方は、一歩誤ると私共にとって危ないことになる可能性を持っているという意味にもなります。薬とのつき合い方の常識と非常識について、皆さん一緒に考えてみませんか? 本日はアンケートによって皆さんの常識をチェックして、もし常識からはずれていたら、そこをなおしていただこうと思って、アンケートに応じて話を進めていきたいと思います。
1.「薬は水なしで、又は水以外のもので飲んでもよいのですか?」
(1) 薬は水なしで飲んでもよい。
これは水なしで飲まない方がいいんです。しかしもし水がなかったら薬が飲めないかというと、そうでもないんです。一応正解は×にしていただきたいんです。
(2) 薬を水なしで飲むと効果発現が遅れたり、食道に炎症を起こすことがあるので避けるのがよい。
これは○が正解ですね。
(3) 薬を水以外のもので飲むことは、効果が減弱するので絶対にしてはならない。
これは絶対というところでちょっとひっかけている問題なんです。水以外、例えば牛乳で飲んだら絶対にいけないのかということですね。これは×です。
(4) 一般に薬は、他に水分がない場合には水分なしで飲むよりは、牛乳とでも一緒に飲む方がよい。
これは○です。
(5) 薬によっては、お茶や牛乳で飲むと消化管からの吸収が低下して効果が落ちる。
これは○です。 まず薬は吸収されて体内に入って、それで作用部位に到達して、作用部位 に働いて、そこである生体の成分、これを薬物受容体といいますが、そういう薬物受容体にくっついてそれで薬の作用が出てくるんです。ですからまず腸管から吸収される必要があるんです。吸収されるためには溶けないといけないんです。固体が液体にならなきゃいけない。溶けるためには必ず水分が必要なんですね。もちろん胃液がありますけれども、胃液だけでは量 が少ないでしょうし、水分がある程度ないと溶け方が悪いんです。よく溶けてから、液体になって初めて吸収されるわけですね。そういうことで水分が必要だ、ということで全く水分なしで飲むよりは牛乳でも飲んだ方がまだましだということです。ただし中には牛乳と一緒に飲まない薬もあるんですね。だから牛乳と一緒に何でも薬を飲むという習慣は止められた方がいいということですね。できるだけ普通 の水とかさ湯で飲む方がいいと思います。
2.「薬の量を二倍飲めば二倍効くのですか?」
(1) 薬は二倍飲めば二倍効くというものではない。
これは○ですね。大体おわかりですね。今日は皆さん常識がありますね。もうやめて帰ってもいいというくらいです。
(2) 二人の人が正確に同じ量の薬を飲んだならば、同じ効果が得られるはずである。
×ですね。  
 昔から「不老長寿」これは人間みんな皆さんこう願いだったんでしょうね。いろんなことが試みられていますね。中国の唐の時代に皇帝の方が次々と変死してゆくんですけれどね、それは丹薬という薬があって、この中に水銀が入っているんですね。これは丹砂というのから作るんだそうです。皇帝が長生きしたいばっかりに、それを飲みましたが次々と変死してるんです。その死体や埋葬されたものを調べてみると水銀の量 が多いということがわかって、どうも水銀中毒だったんじゃないかなというようなことが言われています。これもまた何とかして生きながらえたいというね、一日でも長く生きたいという人間の一つの願いですよね。  
 それから米国には死体をそのまま冷凍保存して、何百年か先に科学が進歩したら、その冷凍した人間をもう一回生き返らせることができるんじゃないかということで冷凍して死体を保存しておくという会社があるんですね。その会員は最近600人ぐらいいるっていいます。それで60人ほど全身を、あるいはちょとお金の足りない人は頭から上だけを、冷凍して保存してもらってます。頭だけでも生き返りたいと、そういう願いなんですね。しかし本当にそういうことが可能かどうか一切分からないわけですね。そしてその冷凍保存をずっと何百年もしていくというのはすごいお金がかかるそうです。実際には、それをぴしっとやってくれるのかどうかは全然保証がないわけですけれども、すごい会社が米国にあるんですね。そんなことは人間の昔からの願いだと思います。
3.「副作用のない薬はないのですか?」
 これはさっき僕がここに書きましたからクスリは逆からみるとリスク、リスクというのは副作用ですね。それから答はもうここにあるんですけれども
(1) 薬は一般に症状を軽減するために使うのであるから、副作用のあるようなものは薬として厚生省は認可すべきではない。
これは×にしていただきたいんですよね。ここを○にしたい気持ちはよくわかるんですけれども、それは不可能なんですよね。リスクを背負っているんです。塩でもたくさん食べたら死にますからね。食べ過ぎたら、どんな食べ物でもそのとおりお酒でもそうですよね。適量 飲んでいる限りは健康にいいんですけれども飲み過ぎるといけないということと一緒で薬でも同じなんですよね。
(2) 副作用の全くない薬はない、と言っても言い過ぎではない。
これは○なんですよね。
(3) 副作用には、今までに薬で出現した症状を医師に話しておくと防げるものもある。
これは○ですね。お医者さんのかかり方っていうのも僕は重要だと思うんですね。相手も人間ですし、忙しい中ですから要領よくまとめて、できるだけこちらの重要な情報をお話ししたほうがいいと思うんですね。副作用にしてもそうです。今までにある薬でアレルギー症状が出たという場合はほかの薬でもアレルギー症状は出やすいんですね。だからアレルギー症状が出た時は必ず話しときゃいけないですね。それからアレルギー症状が出なくても何か薬で、例えば降圧薬(血圧を下げる薬)で、非常にふらつきがきたとか、あるいは咳が出るというのがありますね。あるいはお酒飲んだみたいにこうカッカしてね、動悸がするというような降圧薬もあるんですね。人によってそういった副作用がでやすい人とそうでない人とあります。だからこういう薬飲んだ時に、こんな副作用が出たというのはやはりお話しした方がいいですね。そうするとお医者さんも考えてくれますから。考えてくれないようなお医者さんだったらよそへ行けばいいわけで、そんなとこにじっとしがみついていることはないと思うんですね。   
 それから最近ですね、生命保険で面白いのが出てきましたよね。昔は生命保険というのは死亡したらお金がでるということになっているけれども最近は死亡する前に自分にお金がもらえるというのができましたよね。これをリビング・ニーズって言ってね、あと半年後に死亡するような病気になったら早目に、全額じゃないですけれどね、その一部をくれます。それを生きているうちに使うと、お礼を言いたい人にはお礼ができるし、自分の部屋をきれいにしたければそれでもいいし。いろんなことができるんですね。私は早速それに入っているんですけど。それからもう一つ、アスリートなんていうのがあります。これは死亡の原因が癌と脳卒中と心筋梗塞、この三つになった場合にはお金が出るというのがありますよね。私この両方に入っているんです。けれどもそうすると病気になってそういった致死的な病気になった時、何か多少でもですね楽しみみたいなものがあっていいんじゃないかと思います。
 ボケの生命保険というのはあるんですかね? 要するにボケたらお金が出るというやつですね。これは面 白いんじゃないかと思いますね。ただ誰がもらいにいくかということですけれども。ボケの保険会社に行ってね「お金返して下さい。」と言ったら会社の人が「いやお金を払ってることを覚えているうちはお支払いはできません。」なんかそういうのがあったら面 白いなと思ってますけれど、皆さん昨日食べたものは覚えていらっしゃいますか? 覚えてられますよね。あのどうだったかな? ということはあるかもしれません。でもまあその程度だったらいいかもしれません。でも昨日食べたかどうかを忘れていたら困りますよね。もしそういう方がおられたら私の外来に来てください。月曜日と水曜日、大分医大で外来してますから、年とるといろんなこと忘れていくんですね。でもある人が言ってました。「忘れることは必要なんだ。忘れないと新しいことが入らないようになっているんだ。だから適当に忘れていい。」って。また今京都大学の名誉教授されてる方がこんなこと言ってますね。「自分は全然忘れない。もともと覚えないから忘れないんだ。気楽なことだ。」その人は本当は覚えているんですけれど、「努力して覚えてないから自分は忘れないんだよ。」って、人をくったようなこと言ってます。
4.「薬によって一日1回、2回、3回、4回と服用回数が違うのはなぜですか?」  
 私の所属は大分医大の臨床病理学講座っていうんですね。臨床薬理というのは薬との正しいつき合い方を研究し教育する機関として文部省が認めたものです。今臨床薬理という言葉はけっこう重視されてまして、いろんなとこに出てくるんですけれども、薬害の問題があとを絶たない。それで「正しい薬の使い方、あるいはこれからいい薬を開発していくにはどうしたらいいか」を研究するところが必要だというんで、認められたものなんですね。私はそこに平成元年の11月から二代目の教授としてまいりました。
(1) 飲む人の便宜を第一に重視して、一日の服用回数を決めている。
一部があたっているんですね。しかしこれは×です。飲む人の便宜を重視していることはもちろんあるんですけれども、第一に重視して服用回数を決めているわけではないんです。これは薬の体内での消失する長さ、これが長い薬、一日かかって消失していくような薬は一日一回でもいいです。半分に体内の薬が減るのに要する時間を薬の半減期と言ってます。ある血中濃度を超えると薬の作用がでてくるんですね。吸収が速いと作用は早くでてくる。吸収が遅くなると作用の発現は遅くなりますが、作用の持続時間は長くなる。吸収が速いとだいたい作用の強さは強いんですね。それから吸収が遅いと作用の強さは弱くなります。これは鎮痛薬、例えば頭痛薬だとかあるいは睡眠薬なんかの時によくこういう現象が見られます。ですから睡眠薬は速く吸収されるような飲み方をした方がいいんですね。それから鎮痛薬もそういう飲み方をした方がいいです。半減期の長いものは一日1回例えば半減期がだいたい24時間ぐらいであれば、一日一回投与でいいし、半減期が12時間であれば一日2回でいいし、これが6時間だと一日4回必要と、大きな目安です。この半減期というのは何によって決まってくるのかというと、薬だけじゃなくて、その人と薬との相性、同じ薬でも人によって違うんです。これは遺伝的にも決まってきますし、それから例えばタバコを吸う人は、一般 にいろんな薬の半減期が短くなるんです。薬の効き方が悪くなります。
(2) 血中(又は体内)薬物濃度の下がる速さに応じて一日の服用回数を決めている。
これは○ですね。
(3) 病気の種類、重症度、人によって血中薬物濃度の下がる速さが異なるため、同じ薬をもらっている人の間でも服用回数が違うことがある。
これは「服用量や服用回数が」といった方が正確なんだけれども、これは○なんですね。
5.「いろいろな薬を一緒に飲んでもよいですか?」  
  これは薬の飲み合わせの話ですね。一種類だけ薬を飲むっていうことは少ないと思うんですね。皆さん病院に行かれると何種類かの薬をもらうことが多いと思うんですね。
(1) 二種類以上の薬を同時に飲むと、一方の薬が他方の薬の効き目を、強めたり弱めたりすることがあり、これを「薬物相互作用」という。
これ○なんですね。
(2) 他の病院にかかるときには、必ず今どこの病院でどのような薬をもらっているかを、医師に話すと薬物相互作用による有害反応を防ぐことができる。
これは○ですね。これは皆さん、実行されたほうがよいですね。けっこうお医者さんに遠慮される方ありますね。よその病院にかかっていることは言わないようにしている。何か言いにくいんでしょうね。「全面 的にこの先生を信頼してる。」っていうふうにしてあげないといけない。これは日本人の一つの思いやりなのかな? 何のために病院に行ってるかと、自分の病気をみてもらうために行ってるわけだから、薬のことについては、ちゃんと話さないといけない。また、話せるような関係を作るっていうことがまず重要だと思います。それから何か変わったことあったらすぐ相談できるようにしとかないといけない。それから、何かちょこちょこ飲み忘れてる場合に、飲んでるがごとく言うと、これまた困るんですよ。飲んでるものと思って、次の投与量 を調節してゆきますから。薬の量が増えてくる。言われた通りに飲んだら、飲んだ時に副作用というか、有害反応がでることがある。効き過ぎることありますから、事実を話すようにされた方がいいと思います。今まで報告はたくさんあります。患者さんがお医者さんに話す時は、実際よりもたくさん飲んでいるように話してるんですね。これは血中濃度測ってみたり、それから瓶の中に、薬をちょっと多めに入れて「一週間後に持っておいで」とか言って、その残った数を数えてどれだけ飲んだかというのをカウントしたような仕事が昔からあるんです。そうすると、実際にはこれだけ飲んだろうと思われる数よりは、患者さんがこれだけ何%飲みましたという方がずっと成績がいいんですね。これは患者さんの方の錯覚もあるかもしれません。実際もっと飲んでいると思っているのかもしれない。ところがそれだけではなくて、医師に対しては気を悪くしないようにという、思いやりがそこにあるんだと思うんですよね。でもそれは身のためにならないということですね。
(3) 二種類以上の薬を飲む場合には、一日の中で時間を離すと薬物相互作用を防げる。
これは実際は○も×も両方あるんですね。僕の正解は×なんです。同時に飲むというのは例えば朝食後に一緒に飲むとか、あるいは夕食後に一緒に飲むとかいう意味でこれ言ってるわけですけれども、一日の中で時間を離しても、全然薬物相互作用を防ぐことにはならないケースというのはたくさんあるんです。薬物の吸収っていうのは、体外の薬物が体内に入る、血液中に入ることをいってるんですね。それから吸収された薬物が作用部位 に到達するまでを分布といってるんですね。それから体内に入った薬物が体外に出ていきますね。それはメカニズムとして代謝と排泄と大きく二つあります。代謝というのは主としてこれは肝臓で行なわれてますね。腸管壁や腎臓で代謝されるというようなまれな薬もありますけれども、主として肝臓です。それから排泄臓器の重要なもの主に腎臓ですね。腎臓以外には胆汁というのがあります。脂肪に溶けやすい薬は肝臓で代謝されやすいんですね。水に溶けやすい薬は腎臓から尿中に出やすいんですね。この肝臓の代謝をを促進する薬とそれから阻害する薬と両方あります。こういった薬を使ってる場合は一日中、何日かその作用は続いてます。だから同時でなくても長時間作用が続きますので時間を変えたぐらいでは意味がないことになってくるんですね。
6.「薬の作用にお酒は影響しますか?」 
  これはよく質問を受けます。
(1) いつもより薬の効き方が強くなったり、弱くなったりすることがある。
これは○ですね。「最近とってもお酒が弱くなったんですよ。」って言われる方あるんですけれども、いろいろ聞いてみると、お酒の作用を増強する薬が入っていたりすることが、よくあるんですね。だいたい鎮静作用、脳の機能を抑えるような薬、ちょっと多めに飲むと眠気がくるような薬は、一般 にお酒の作用を強めます。それから薬の効き方も強くなってくる。お酒で薬の作用が増強される。だから眠気がくるような薬は増強されます。
(2) 肝臓に必要以上に負担をかけやすい。
これも○です。お酒も肝臓で代謝されますから、適量っていうことが重要だと思いますね。  
  今年の11月の終わりに、大分医大で卒業したお医者さんの臨床研修があって、ちょうど僕が係りだったもんでこんなことしました。実際は本当の患者さんじゃないんだけども患者さんを演ずることができる人を「模擬患者」っていうんです。英語でシミュレーテッド・ペイシャント simulated patient (SP)っていうんです。欧米の医学教育にけっこうそういった模擬患者っていうのがでてきました。最近は患者中心の医療が叫ばれてるんですけれども、「どうしてこれをお医者さんに教育したらいいか?」ということはかなりむつかしいですね。その一つの方法としてボランティアのグループを作って模擬患者を養成して、実際の医学教育に参加していただく。医学生が模擬患者にインタビューして、後で「今のインタビューの仕方はこういう点が悪いよ」と採点をしてあげる。模擬患者として30代ぐらいの主婦の方に川崎医大の先生と一緒に来ていただいて、大分医大を卒業して2年目のお医者さんにみんなの前でインタビューしてもらいました。その日は250人の部屋がもう満席になってしまったけれども、たくさんの学生とか医師とか看護婦さんとかが興味を持って聞きにきたんです。こういった市民の一つのサークルのようなものができることを医学教育は求めていると思うんですね。僕は大分医大の中に今度は医学生でSPサークルというのを作ることを学生に提案してみようと思ってるんですね。実際の患者さんのカルテを見せてもらって、例えば片頭痛の患者さんでもいいですが、どういう時に頭痛がしやすいかとか見て、そして自分が全くそれになりきるわけね。そして医師の質問に答えれるようなトレーニングをしていろんな病気を学生の時から演じれるようになると、医学の勉強にもなるんじゃないかな、それから患者さんの気持ちもわかるようになるんじゃないかなと、いうようなことを考えてます。
 これからは「こういうように言われたらどんなに感じるだろうか」ということを、医師にフィードバックするのです。今までの医学教育というのは自分たちの専門職種の中で一番いいものは何だろうかと考えて一番いいものを勉強して、それを覚えて提供すれば、それでこと足りるていうかな、ところが患者さんサイドにとってみると、それが一番いいことかどうかというのはわからない、ということだったんだけど、今は健康に関していろんな知識が普及しましたよね。本なんかで皆さんよく勉強されてるわけですよ。「あなたにとって一番いいのはどういうことだろうか?」ていう選択肢をいくつかお示しして、その中でどうしましょうかっていうことが相談できる時代になってきたんです。これがまあインフォームド・コンセントという考えですね。インフォームド・コンセントあるいはインフォームド・チョイスですね。十分説明してもらった上で選択する。例えば癌の治療で最後を自宅で迎えるか? 病院で迎えるか?というのもですね。これはチョイス(選択)なんですね。だから「できる限りやって下さい」って言ったら、今医療技術がものすごく発達してるから本人は意識が無くなっても病院でずっと相当長く生きながらえるようになってるんですね。医師というのは生命を生きながらえさせる専門家としてトレーニングを受けてますから、そういうことはできるんですね。でもそれが果 たして、その個人、その家族にとっていいんだろうか?  
 僕がアメリカに留学していた20年くらい前にアメリカではカレン裁判ていうのが行なわれていました。カレンさんという20才すぎの女の人が、睡眠薬か鎮静薬とアルコールと一緒に飲んで、昏睡状態になって、こんこんと寝て、それも長い状態で植物状態みたいになっちゃって、家族が「もう生命維持装置を外してくれ」って言ったんです。医師が「とんでもない。生命維持装置を外したら、死ぬ から我々医師としてはそれは外せない。」それが裁判になったんですね。カレン裁判っていう有名な裁判なんです。新聞で時々みてましたけれども、ずっと上の方へ行って、何回かこう逆転逆転があったんですけれども一番最後は「外せ」ということになったんです。面 白いですね。外したけど、ずっと生きてたんです。医師が「外したら死ぬ」って言ってたんだけどね、実際は自発呼吸があって、ずっとそれから何年か生きたんですね。その裁判で生命維持装置を外すということを決めた最大の理由は何かというとですね、本人がまだ健康な時に「自分はそういう状態になってまで生きたいと思ってない。」ということ言ってたという友達の証言なんですね。アメリカという国はそういう友達の証言をね、とっても大事にするんですよ。本人がこう言ってたということ友達が裁判所で証言して、それが認められたんです。このへんが日本と違うところなんですね。
 例えば日本の癌告知、告知は今まではご本人に話さずに家族の人に話す。これはいったいどういうことなのか? いろんな病気を診断して治療する過程においてある人が癌だとわかったのに家族をお呼びして、実はこうなんだよって、じゃ本人の意志はどこかへ行ってしまう。今になってなぜこんなこと日本はしてたんだろうか? これ考えていくと三つほど要因があると思います。
 一つはその家族が一番本人のこと知ってるだろうという日本の家族制度ですね。でも果 たして本人のことを家族が一番よく知ってるのかどうかということ。アメリカのインフォームド・コンセントなんかは本人の意志の確認の時に家族ができるだけ入らないように排除することがあるんですね。これは日本とむこうの大きな違いだと思います。だから本人の生活スタイルとか、あるいは生活信条というのは家族が一番よく知ってるだろうということ。
 二つめは、癌というのは昔は治らなかったものだから、これは先がみえているから、あと何ケ月かという、そういう状況になるわけですね。だから早めに家族に言って、その本人が亡くなった後に家族の方がショックを受けないように早めに家族に知らせるということが二番目の理由だったと思うんですね。ここで本人のことがちょっと飛んじゃうんですよね。
 それから三つ目の理由はね、医療従事者がこれを背負いきれない、全部患者さんに話して、その患者さんのいろんな癌の悩みを背負いきれないということを感じるものだから、家族を診療のチームの仲間にとりこんでしまうということがあった。
  そういう三つの要因があるんですね。そういったことがあいまって癌の病名を本人に知らせずに家族に知らせるという、日本的ななんか変わった習慣ができただろうと僕は思います。欧米も昔はそういうスタイルだったんですね。ところがちょうど一九六○年から一九九○年代にかけてほとんど告知しない時代から告知する時代へ、病名をお知らせする時代へ移り変わった。非常に短期間のうちにアメリカは変わっちゃったんです。今は本人にまず知らせる。また癌にしてもいろいろ治療法が発達してきましたから、そういうことをお話して、できるだけ治療に協力していただいて一緒にやってった方がいいということになってきたわけですね。個人の意識が日本では非常におろそかにされてきたというような感じがあるような気がします。
7.「薬をうっかり飲み忘れた時はどうしたらよいでしょうか?」
(1) 薬を飲み忘れたことに気がついたら直ちに、その薬を飲むことが大切である。  
薬を飲み忘れたことに気がついたら直ちに、気がついたらいつでも直ちに飲んだら、これはいかんのですね。だからそういう意味で×にしてもらいたかったんだけれども。例えば一日三回飲むようになっている薬だとしますね。朝昼晩飲むようになっているとしますね。それで飲み忘れに気がついたのがもし朝少し遅れた場合だったとしたら、これは直ちに飲んでいいわけですよね。ところがもし昼近くだったら、飲んでまた昼を飲んだら、血中濃度がすごく上がり過ぎるんですよね。だからここでは、昼はとばしていただいた方がいいんですね。だからどこで気づいたかによって、違うんですよ。実際は直ちに飲むっていうのは、薬によっては危ないですよっていうね。だか ら△というのは正しいのかもしれない。これはどういう時間であるかということによります。  それから朝飲み忘れて、また昼飲み忘れて、晩近くで気がついたとしますね。そしたらここで二つをまとめて飲んでいいかという問題もあるんですね。普通 はこれは一回分だけ飲んだ方がよい。二回分飲むとどうなるかというと、二回分をいっぺんにまとめると血中濃度は倍に上がるんですね。だいたい血中濃度が高くなると、いろいろ副作用がでやすいんですね。まとめて飲むということは避けた方がいいと思います。よくわからない時には主治医の方に聞いて下さい。
(2) 次の服用時間を過ぎている場合には、飲み忘れた分と合わせて二回分を一緒に飲むのがよい。
これは×ですね。
8.「病院でもらった薬で思いもかけない症状が出た時にはどうすればよいのでしょうか?」
(1) 薬を飲んだ後で生じる以前に無かった症状は、いずれも薬の副作用である。
僕の正解は×にしてもらいたかったんですけれどもね、薬を飲んだ後で生じた、以前になかった症状というのは、病気もってれば、いろんな症状出たり消えたりしてるわけですね。ですから、薬を飲んだ後に生じたものが薬のせいだとは必ずしも言えないんですね。ところが薬を飲んだこととの間に因果 関係結んでしまいやすい。よくある間違いは例えば治った場合の話、使った、治った、ゆえに効いたという、こういったこれを我々はこういう論理的な間違いをですね、「悪しき三た主義」といってるんですけれども、三つの「た」、俗に薬を使った、病気が治った、ゆえにこの薬は効いた、そういう論理、これはですね風邪を例にとってみたらわかりやすい。風邪をひいてのどが痛い。あるいは寒気がする。一週間後にはタマゴ酒であろうが砂糖水飲んだのであろうが、お茶を飲んだんであろうが、寝てても治ってるんですよ。ところが風邪をひいた時に何かもっともらしい薬を「これよく効くよ」と言って、もらって飲んで治ったら、その薬が効いたと思いやすい。実際は風邪に一番いいのは栄養と休息なんですね。砂糖水飲んでても治るわけで、何をしてても治る、でタマゴ酒がなんでいいか、これはタマゴは一つの栄養ですよね。それから温かくして飲んで早く寝る。要するに休息もとれると。そういうことで経験的にタマゴ酒がいいと言われたんではないかと思います。これと全く一緒ですね。この使った、症状がでた、ゆえに薬の副作用だっていうのと全く同じ考えですね。昔科学が発達しない文化圈で、日照り続きに太鼓叩いて雨乞いをするというのがありますね。雨乞いで太鼓叩くと必ず雨は降るんですね。何で雨が降るかというと、それは雨が降るまで叩くからなんですね。雨が降るまで叩くから雨が降る、そうすると叩いたから雨が降ったと思っちゃうわけね。でも皆さん笑われた。何で笑われたかというのをちょっと考えてみると皆さんは科学の知識を持ってる。でももし皆さんがそういう知識を学校で教わってなかったら、笑えないかもしれない。そうだ、そうだ、と思うかもしれない。これがお薬になってくるとね。何かいろいろな実験データでウィルスに効くみたいなことになってくるでしょう。これは医師もだまされるんですね。
(2) 薬を飲んだ後に生じる心身の変化が、すべて薬のためであるとは言えない。
これは○にしてもらいたい。
(3) 担当医師や薬局へ連絡して、適切な指示を受けることが重要である。
これは○ですね。
9.「お年寄りが薬を飲む時に注意すべきことは?」
(1) 一般にお年寄りの薬の量は、一般の成人の薬の量よりは少ないのが普通である。
これはお年寄りに必要な薬の量とした方がいいかもしれませんね。これは○ですね。
(2) お年寄りでは記憶違いや勘違いが生じやすいので、そのための工夫が必要である。
○です。
(3) お年寄りでは、薬の有害反応が出現しやすい。
これも○ですね。 お年寄りでなぜ一般の人より薬の量が少ないでしょうかということですけれどね。その一つは代謝と排泄の機能がだんだん低下してくるんですね。体重の問題もありますけれども代謝の機能が低下する。それから排泄、これ腎機能ですけれども腎機能は20才くらいからずっと下がってるんです。腎臓からほとんど尿中に排泄される薬は年令とともに排泄が遅れるから、半減期が長くなるんです。半減期が長くなるということは、薬が体内に長く留まるわけで、だから量 が少なくてすむわけですね。代謝の方は予備機能がいろいろあってですね。薬によって違うんです。非常に代謝の落ちる薬とそうでない薬とありますから。一概に言えないんですけれども、代謝が高まることはないんで、落ちる方向です。合わせて結局半減期が長くなる。そうするとですね半減期が長くなるとどうなるか?  同じ投与量で半減期が二倍になったらどうなるかといったら血中濃度は倍になります。ということはどういうことかというと、排泄が遅れてくる。半減期がもし倍になるくらい遅れてたとすると、投与量 は半分ですむということですね。そのまま使ってると高くなりすぎる。それでお年寄りでは薬の有害反応が出現しやすい。副作用は年令とともにぐんぐん高まってます。それからそれだけじゃなくて生体の反応のしかた、若い人だったら生体を一定の状態に維持するために、いろんな機能を使ってそれを維持するわけですけれども、そのへんが衰えてきますから、いろんなかたち で副作用がでやすいということがあるんですね。
 じゃなぜ人間は年をとるんでしょうか? これもよくわかってないんですね。人の寿命は平均して80才ですね。こんな実験があるんですね。例えば人間の皮膚の細胞を取ってきて、それを栄養のある入れ物の中で培養するんですね。そうすると皮膚の細胞の中でどんどんどんどん世代交代しながら生きていく細胞もあるし、そのまま死んでしまう細胞もあるんですけれども、生きていく細胞だけをここに置いたとしても20才で取り出した細胞と60才で取り出した細胞というのはあと生きる長さが違うんですね。要するに60才で取り出した細胞は早く死亡するんです。若い時に取り出した細胞はより長く生きるんです。これは何を意味しているかというと、たぶんこの細胞の中に実は生きる長さを記憶しているものがあって、プログラムされているんじゃないかと、言われてるんですね。これを記録しているってのはDNAという遺伝子です。その中に記憶されているんだろうということですね。人間に細胞が推定して60兆個くらいあると言われています。一秒にその中の5千万ほどの細胞が死亡して、新たにまた5千万の細胞が生まれている。だから細胞は常に死んで、また生きているというんですね。細胞レベルで考えたら生死を繰り返しているわけですね。それで生体として一人の人間として体は維持されているわけ。例えば皮膚だったら死亡した細胞が表面 にいくから、垢になってとれていっているわけですよね。下から新しい皮膚が出てくる。ところがそのように5千万の細胞が一秒間に代わって死亡してできていているのに、人間が変わっていくわけではないですよね。人間そのものは維持されている。同じ人間で人が変わってしまうわけじゃない。それは何なのか? 実はその秘密もこのDNAの中にあって、その新しさはこのDNAの中に組み込まれているというわけですね。
 さらにすごいなと思うのは、このDNAというのは何からできているか? これはアミノ酸です。すべての生命に共通 しているわけです。 地球ができて、45億年くらいになるんですか? 生命の誕生は40億年くらい前です。宇宙で地球ができて、それから現在までを一年間に例えてみると、生命が誕生したのが、3月31日頃だというんですね。人間の先祖がでてきたのが12月31日の夜8時ぐらいだというんですよね。現在の人間、ホモサピエンスがこの地球上に現われてきたのはちょうど大晦日の紅白歌合戦が終るころなんですね。11時半になったあたりに、やっと人間が出てきて最後の30分ものすごいいろんなことやってるわけですよ。地球の環境破壊もやってるわけですよね。今世界に人間がどのくらいいるんですか? 50億人くらいいるんですかね。地球上での人間の数はどんどん増えている。地球上の歴史で一つの種が繁殖してかってなことしたことはないと言われてますね。人間が作っている公害の中で一番すごいのは、吐き出している炭酸ガスだというんですね。昔だったら木の緑が炭酸ガスを酸素に変える、でう今やその限界を超えようとしているわけですね。生命が誕生したのが3月31日頃だとすると、それはどこで誕生したかというと海の中だと考えられてます。水の中にもいろんな大自然の物質があって、それがものすごく混ぜられたわけです。海の水が化学反応おこすのに、ちょうどよかったんでしょうね。そういう中で初めて生命の源になるようなものが生まれて、それからずっと進化してきた。そういう考えでいくと我々が死亡する、死ぬ というのは実は次の進化のために死んでいっているわけですね。次の世代にこの遺伝子を受け渡すためですよ。DNAだけ受け渡して、我々が死んでいくから世の中進歩しているというようにも考えるわけですね。それから最近顔の形が変わってきたと言われています。学生さんと話すと未来顔の人が多いですね。咬む回数が減ってるんだそうです。だから百年たつだけでも顔の形も変わっていくんだそうですね。そういった変化はいろいろあるけれどもDNAそのものはそんなに変わらずにずっとつながっているわけですね。
10.「薬は身体の中に入ってからどうなるのでしょうか? どんどんたまってしまわないのでしょうか?」
(1) 病院でもらう薬の量では、体内にどんどんたまることはない。
これは○です。
(2) 薬物の排泄臓器である腎臓の障害時には、どのような薬でも体内にたまる。
どのような薬でもというのがくせもので、これは×ですね。腎臓で排泄される薬はたまるんですけれども、肝臓で代謝される薬はたまりません。ですから×。
(3) 薬物の代謝臓器である肝臓の障害時には、どのような薬でも体内にたまる。
も同じような話で×。ちょっとそこでどのような薬でもというところでひっかかったかもしれません。
11.「症状がなくなったら、薬の服用をやめてもいいのですか?」
(1) 自覚症状が無くなったら、薬の量を減らしてもよい。
一般にこれは×なんですね。 自覚症状のでない病気もありますよね。例えば高血圧は自覚症状というのはほとんどない場合が多いです。最初自覚症状で頭が痛いとか、重たいとか肩が凝るとかそんなことで高血圧が発見されることもありますけれども、基本的には意外と自覚症状ないもんですね。だからそういった症状がなくなったからといってほうっておくと、動脈硬化が進行して、血管系の合併症によっていろんな致命的なことが起こるわけですから、そういうことが怖い。心筋梗塞だとか、あるいは脳卒中ですね。それが怖いから血圧をコントロールするわけですね。高脂血症、コレステロールの高い人も最近多いですよね。そういう人たちも実は自覚症状はほとんどない場合が多いです。自覚症状がないから薬を減らしていくというわけにはならないということです。
(2) 薬によっては症状がよくなったからといって急に薬をやめると、かえって症状が悪くなることもある。
これは○ですね。
12.「新しい薬が市販されるまでに、どのくらいの年月とお金がかかっているのですか?」
(1) どのような新薬も、必ず被験者になって服用していただく患者で、有効性と安全性が確認される必要がある。これはもうちょっと言えば、確認されたのちに厚生省の認可が降りるということなんですね。これは○です。
(2) 要する年月は約(   )年 
これはむつかしいですよね。新しく薬が合成されてから市販されるまでの間に要する年月はだいたい10年から15年ぐらいかかるんです。
(3) 要する費用は約(   )円 
ちょっとこれ桁外れだからわからないでしょうね。一般に80億から100億円というお金がかかってるんですよ。これは医学部の学生でやってもみんなわかりません。薬によって違うんですよ。幅があるんです。
(4) 一つの新薬が生まれるために検討される化合物の数は約(   )個 
生まれるというのは市販されるまでと考えて下さい。市販されるまでに検討される化合物はどのくらいでしょうか? これは数千から一万ぐらいの数の中からやっと一つ生まれてるんです。一番最初の合成から始まりますとね。  
 「死」というのは僕の感じですけれどね、要するに自然現象だということで、木などの植物が枯れてゆくのと全く一緒ですね。水分の体の中で占める比率をみてみると、赤ちゃんの時は、ものすごく水分の比率が高いんですよね。普通 成人で3分の2くらいが水分ですね。この水分の比率が年とってくると、だんだん減ってくるんですよね。だから枯れてくるのと、本当に一緒。赤ちゃんの皮膚はみずみずしい。年とってくるとだんだん皮膚がかさかさになってくる。それから、死亡して、焼くとほとんどが水になって蒸発して自然界に帰るわけですよね。あと灰になりますよね。この灰も土に帰るわけですよね。だから土に帰りたいな、と僕自身は思うんですよね。土に帰って自然に帰るのがやっぱり自然なのかなという気がして、できるだけ自分の思い出のあるところに灰をまいてもらうのがいいんじゃないかと思ったりしてるんですよね。そういう遺言状をそのうちに書こうと思ってるんです。それから自然を見ているととっても気持ちが安らぐというのが、もしかしたら帰る故郷がそんなところにあるのかなというように僕自身そんな気がして、自然の風景のいいところを見るとですね、一分間でもいいからとにかくぼんやりみとれてみたいななんて思ったりするこのごろです。これも年とともにそんなことを感じるようになってくるんだと思います。  
 それから最近脳死の話が色々出てて「死の定義」というのがいろいろむつかしいんですけれども、今までの日本では世界中そうなんだけれども死というのは、どこで判定してたかというと心臓が止った時に死といってる、心臓死で決めてるわけです。これは法律に書いてあるわけじゃないんですね。ところが死は習慣的にそうしていた。じゃ心臓が止ったらあと全部死んでいるのかというと、そうじゃない。いろんな細胞はまだ生きてんですよね。例えば死亡した後でも髭は伸びてきますしね。それはまだ細胞が全部死んだわけではない。今脳死が非常に問題になってますけれども日本では脳死はとんでもないと言われてます。臓器を欲しい人が海外、お金で買いに行っているような、そういった現状に今なってるんですね。確かに文化・宗教いろんなことがあるんですけれども、本当にそれでいいのかな? というそういう感じを持ったんですよね。アメリカ人の考え方というのは本人の意志をとても大事にする。だから自分が死亡した後の自分の体はこうしてほしいとか、あるいは自分は脳死を認めて、自分の臓器を提供したいっていう意志があったら何でその意志を尊重しちゃいけないのか? ていう感じはあるんですね。でも日本は外野がうるさくて国民的コンセンサスが得られないと、なかなか認めてもらえない。僕自身も死亡したら遺族のものになるんですね。自分が死んでからは自分の体を自分の思うようにはできないんです。何で遺族のものとなるか? 死体というのはおまつりするとか、あるいは始末するとかそういう役割が遺族の役割だったんですよね。今やその遺体というのは実は人類の財産になってきてますね。例えば心臓だけもらうとか、あるいは腎臓だけもらえばまた何年か生きられる人が実際そこに待っているんです。そういう時代になってきたんです。でも法律だけが依然として、そうなってるってことを僕は問題点じゃないかな。法律を変えて、自分の体はこう使って欲しい、ということを遺言事項に入れてほしいなと思ったことあるんですね。しかし今の遺言事項というのは財産しかだめなんです。脳死をどうのこうのとその判定基準はいろいろあるから細胞の死までいったらそりゃもう判定はできないんです。だからそういうことではなくて本人の意志を尊重するという社会に日本が成熟していくといいんではないかな、そうしたら遺言事項の中に自分の死後の自分の体をどう使って欲しいというのを入れてもいいというふうにすれば、これは比較的簡単にいくんじゃないかなと思ったりするんだけれども、なかなかそういう意見にはなってないですね。これで終ります。