〜講演会から〜

「ボランティア活動にあたっての心がまえ」
NHK大分放送局 ボランティアネット事務局
升一 れい子 さん
1996年10月19日(土)コンパルホール 304号

  NHKの事務局といいながら、私一人だけでやっているようなところです。最近では夕方のローカルニュース(6時30分〜7時)でも企画をさせていただくようになりました。その企画も今年5月からです。皆様にお配りしましたのが、私が初めから作りました「NHKのボランティアネットワーク通 信」です。今年の1月からNHKに入局しまして今やっと10ケ月目です。  
 私が扱っているのは「ボランティアと福祉」です。私が取材する人というのは、障害をお持ちの方、障害を持ちながらも一生懸命がんばっておられる方、または高齢者の方またはボランティアで支えていらっしゃる方、行政とかそういう施設でお勤めの方です。私が大分県内すべてまわっているのですけれども、その中で自分が会って感動した人を毎月この「ボランティアネットワーク通 信」でとりあげているのです。  
 筋ジストロフィーという病気があります。寿命が20代までで、発病するのが一番多いのが小学校3年生から4年生です。自分のことがわかるようになる年代で病気になり、今まで跳んだりはねたりしていたことができなくなるのです。筋ジストロフィーといっても大きく分けて6つの型があり、それぞれに症状も違いますし進行状態も違います。今まで私が取材した筋ジストロフィーの方が4人います。  
 最初にお会いした方は女性の方で今36才になってます。「今生きている人生はおまけの人生なんです。」とその方は言われます。下半身は子供のまんまなんです。でも頭の中は36才なんです。もしかしたら普通 の36才よりももっといろんなことを考えていると思いました。いろんな物を見たり感じたり、ベッドの上ですれちがったり出会ったりする人からいろんなことを学んでそれについて自分なりに考えて自分のものにしています。そして明るく話をします。いつ行ってもにこにこしている元気な方です。彼女が今年で三冊目の詩集を出しました。彼女の人生はおまけの人生だから彼女は身をもって生きることの大切さ、命の尊さを知っているのです。彼女は本当に強くて、中学生・高校生の前で講演しています。「命を粗末にしないで。」って言って。今いじめが多い時代だから「命を粗末にしないでほしい。私みたいな者でも一生懸命生きているんですよ。」って。  
 二人目に出会った方はOTさんです。彼は双子で生まれて、二人ともが筋ジストロフィーにかかりました。彼は双子の弟の方だったんですが、4年前に先に兄を亡くしたのです。ずっと一緒にいて、小学校も一緒にいて、途中から筋ジストロフィーを発病して、そして一緒に病院に入院して二人一緒に闘病生活を送ったんです。しかし亡くなられるのは一緒じゃなかったんです。後に残された方がすごくつらいと思います。自分も明日こうなるかもしれない。そういう想いでずっと生きてらっしゃるというのが、私自身ずいぶん考えさせられました。彼は26才です。彼も詩集を出しました。その詩の中で双子の兄さんとの思い出を、直接の言葉ではありませんが花に例えたり、物に例えたりしておられるのが、読んでいてわかって私に伝わってきました。彼は自分で絵もかいておられるので、NHKの方で先日その絵を飾ってロビー展をさせていただきました。  
 三人目はA君で、20才の男の子なんですが、彼はすごく元気です。前の二人は痩せ細っていましたが、A君は体格も良くて元気です。彼は二冊目の詩集を出しました。歌も歌いますし、彼に関しては「あー元気でやってるな。自分のやりたいことを思いっきりやってるな。」という気がしました。  
 四人目はUKさん。私は「NHK昼前スタジオ」というローカルな番組に月一回出てますけれどもその中でこの29才の男性の方を放送したことがあります。私はこの方にお会いして、会ってすぐ泣きたくなりました。彼は特別 な型で、1才で発病しているんです。聞きにくかったんですが「いつ発病されたんですか?」と尋ねました。「1才の時に発病したんで、ぼく立ったことがないんです。」にこやかに笑って何ともないよという感じで言われました。これは私にとってすごく衝撃的な出会いだったのです。彼は病院で闘病生活を送っておられます。両親が転勤が多い職業だったみたいで、福岡で生まれて大分に来て、一時別 府の病院に入られて、また九州のいろいろなところで生活されてきたのですが、早く御両親を亡くされて、お姉さんと二人だけです。お姉さんも同じ型の筋ジストロフィーなんですが、今二人は別 府の病院に入院中です。
 UKさんも小さい時から歌も歌いたかったし、詩も書きたかった。5月に初めてCDを製作しました。8月末には東京でライブを行ないました。そのこともすごいんですけど、彼は自分のことは自分でする。人間として当然だということは彼は当然としてみなやっているのです。彼は車椅子ですから、自分がここに行きたい、あそこに行きたい、これが食べたい、と思ってもできないんです。ではどうしたか? 私達が普通 に行なっていることを彼はどうしたら普通にできるかなということを考えました。そこで彼は新聞を使ってボランティアを募集したのです。病院の外には一般 の知人が誰もいないのです。そうしたところ20人くらいのボランティアが一気に殺到しました。彼が若いということに共感した若者や自分の娘や息子が結婚してしまって、自分がすることがないから誰かを育てたいから息子のように接してくれる方々が集まりました。彼は別 にバンドを一緒にしてくれるボランティアも欲しかったのです。そうしたらバンドのボランティアも来てくれました。そのおかげで東京のライブにも成功しました。東京でたくさん友達ができて、「今月招待されて東京に行ってくる。」と言ってました。元気にはしてますが、彼は自分でパソコンをマニュアルを見ながらまたボランティアの人から教えてもらいながら棒を使って、その棒も自分ではにぎれないのでボランティアの人ににぎらせてもらってパソコンのキーを押しながら自分で作曲までして、自分の夢をここまで実現させることができました。
 大分にもたくさんのボランティアのグループがありますが、大分県の社会福祉協議会に大分県ボランティアセンターというのがあります。ここで毎年ボランティアグループの登録、または個人の登録をしています。ボランティアにはいろんなものがあります。独居老人の方と郵便文通 をするというのもあります。話し相手になるというのもあります。給食ボランティアというのもあります。施設に洗濯物をたたみに行くというボランティア、高校生ぐらいになればさらに話し相手になったり寝返りや体位 交換をさせるボランティアもあります。
 「ボランティアというのは何をしたらいいの?」とよく聞かれます。「昼前スタジオ」に出ている時に、放送が終わった後電話がかかってきます。「私2年前に主人を亡くして今70代ですが、今何もすることがないんです。私もボランティアをしたいんです。ボランティアで何をすればいいのかわからないんです。どこにボランティアグループがあるのかわからないんです。何でもいいから教えてください。」また別 の声で、「私はこういうことをしたいんで、そういうことをやっているボランティアグループを紹介してもらえませんか?」というのもあります。さらに私が「昼前スタジオ」の中で紹介したことについて「自分もそういうことをやってみたいわ。」「そういう人と会ってみたい。」という場合もあります。もちろんボランティアといってもいろいろありますので自分がこういうボランティアをしたいというものを持ってないと私も紹介のしようがないんですね。
 もともとボランティアグループをどこで紹介するかというと、各市町村の社会福祉協議会の方で紹介できるようなシステムをとっているのですが、それをまず皆さんが知らない。または市は全部ボランティアセンターを持ってますのでそこが専門的に紹介する機関でもあるのです。それを皆さんがご存じないので私のところに電話がかかってくるのですが、幸いにも私が県内の全部の名簿をいただいているので私でできるところであれば紹介します。しかし紹介した後というのは気になりながらもその後の声を返してほしいのに、そのままになっているのでたまに手紙を書きます。後の応答がないのでそれがすごく不安です。紹介してくれだとか取材にきてくれと言われたら行きますし、そういうふうに話しかけられるのはすごくうれしいので別 に苦になりません。紹介するというのは私の専門外なんですけど、自分もボランティアだと思えばすごくうれしいのです。しかしコミュニケーションのとれない付き合い方というのはボランティアとして誰かと話している時でもすごく不安になるのです。応答がないと「この人は何を考えているのだろう?」「私と会えてうれしいのかな?」「気分悪いのかもしれない。」といろいろなことを自分の中で考えてしまいます。人と人とのコミュニケーションというのがボランティアだと思うのです。
 「ボランティアとは何だ。ボランティアとはこういう精神でやるものだ。」ということを書いた本はたくさん出ています。県立図書館でそれらの本を読みましたが、書いていることが全部違うのです。しかしきっと著者は「心のある活動、それがボランティアだ。」ということを共通 に言いたいのだと思います。本は枝葉がついて言葉を飾っていろいろむつかしく言ってますけれど、ボランティアというのは心と心の橋渡しであって、コミュニケーションだと思います。またボランティアという言葉はヨコ文字なのでかっこいいのですが、「怪しい者ではありません。」ということだと思うのです。例えば誰か高齢者のお宅にお邪魔して「何かすることはありませんか?」その時に「ボランティアの者なんですけど。」と言うと思います。それは「私怪しい者ではありません。」と全く同じことなんですよね。  
 「ボランティアとは何か?」それは人としての常識のことだとも思います。私は妊娠5ケ月なんですが、妊娠して一番わかったのは普通 のことがうれしいのです。特別なことは望んでないのです。ある時買い物に行って気分が悪くなったのです。「気分が悪くなってどうしようかな?」食料品売り場だったのですがいろいろなにおいが鼻についていやだったのです。「知ってる人もいないしどうしよう?」と下の方の陳列している物を何気なく見ているふりをしていたのです。そうしたら30代半ばくらいの男の店員さんが後ろから自分を見ているのがわかったのです。その時に彼はどうしたか? 私はレジまで行ってもうそれ以上買い物することができなかったのでお金を払って店を出ました。店員さんは私が自動ドアをでるそこまで何も言わずに後ろの方についてきて下さったんです。私が妊婦じゃなくて障害者であっても彼はそうしたと思います。すぐ手を貸すのは簡単なんです。しかし自分で一生懸命やろうとしているのはわかっているのです。特に何でも手を出すのは悪いのです。彼がずっと私が店を出るまで見守ってくれていてことが私はすごくうれしかったのです。またある時は女性のレジの方が買い物した物を袋に入れてくれるのですが、その時にそっと「袋ニつにしましょうか?」と聞いてくれたのです。それがすごくうれしかったのです。一つで持つとすごく重たいのですが、二つに分けると軽く感じるのです。彼らは別 に「私やさしいでしょ。」という感じで接してくれたのではないのですが、「自分がされたらうれしい。自分もこうしてもらったからしてあげよう。」男性にしたら「自分の妻も妊娠がつらかったからこの子もつらいだろう。」そういう思いなのでしょう。障害者がふと前を歩いている。「大丈夫かな?」そう思ったときに目の前にいる人を自分の両親に置き換えたり、同じくらいの年代であれば「もし自分がああいう立場だったらどうしてほしいかな?」そうやって常に自分や自分の両親だとか兄弟だとか、身近な人に置き換える時にわかると思うのです。  
 彼に対して、彼女に対して自分は何をなすべきか? それがわかって、それをしてあげるんじゃなくて、手を差し伸べる。それが一番心のこもった人として当然のボランティアとしての精神だと思います。身近なボランティアグループに入ってなくても当然人として常識な心構え。それがボランティアの精神であるし、そういう精神をもった方がボランティアグループを作った場合は本当に温かい心を持った人達が増えると思います。でもそういった人の常識を教えることのできるお父さん、お母さんが少なくなりました。 
 いろんなボランティアを見ながら私が思うのは人として当然のことを何でわざわざボランティアと言わなければならないのでしょうか? 「ボランティアはいらない。」という方もおられます。「ボランティアのいるような社会に誰がした?」隣近所とのつきあいがある昔であればボランティアはいらないのです。給食ボランティアもいりません。私の実家は田舎ですが、ちょっと作った食べものが多かったら、「あそこはお爺ちゃん一人だからちょっと持っていってあげようか?」 それでいいんです。それが普通 なんです。今のように隣が誰が住んでいるのか知らない。どういった人が住んでいるのか知らない。家族構成そのものを知らない。そんな時代だからボランティアという言葉が流行するのであって、本来であればボランティアという言葉はうそなんです。いろいろな市民活動がありますが「自分達が何を訴えて運動をしている集団であるか」ということを揚げればいいわけであって彼らがわざわざボランティアとつけているのはそういった人と人とのコミュニケーションがとれなくてさみしい時代になったから、ボランティアというすこしでもぬ くもりを感じられる言葉を作り出したんです。  
 Yさんとお話ししたことですが、「昔であればボランティアはいらない。しかし今の世の中では、街かどボランティアというのは必要かもしれない。」若者は声かけをしたい。道で困っている人がいたら声をかけたい。段差があったら、高齢者の方に手を差し伸べてあげたい。でも彼らはそれがなぜできないのでしょう? かっこつけているのです。かっこつけが今の若者をそういうふうにしているのです。私の両親くらいの年代がお爺ちゃん、お婆ちゃんくらいの年代を介護している。そういった姿をみて私であれば「あー、私も結婚したら両親のめんどうをこんなふうにみないといけないんだな。あー、抱え方はこうなんだ。こういう拭き方をしてあげればいいんだ。下着をつける時はこういうふうにして着けさせてあげればいいんだ。」と気づきます。しかし現在介護するのが面 倒くさいという人が増えています。  
 今の世の中は、当然が当然でないから当然でないことをやらなければならない社会なんです。「じゃボランティアは何をすればいいのか?」それは皆さんが子供だったときにやってた当然のことを当然としてやればそれでよいのです。それをずっと下の代まで受け継いで下さればそれでよいのです。昔ながらのコミュニケーションのとりかたを教えて下されば、今の社会からボランティアというのはなくなると思います。 追加しますが「生と死を考える会」の活動においては行政と手を組んで市とか県に接触するとよいと思います。