1.看護婦になってからホスピスを知るまで
私は看護婦の新人として大学病院の小児病棟に勤めることになりました。小児病棟を選んだのは、子供が好きだったことが理由ですが、実情は子供が好きなだけでは勤まらない職場でした。幼児病室は10床中8床が白血病の患者でした。当時私は22〜23才でしたが、白血病の子供との関わりで最初の一年間は臨終の場に立ち会うことはありませんでした。ニ年目にある仲の良い子供の臨終に出会うことになりました。
40度の高熱の中で、子供が尋ねてきます。
「死んだらどこに行くの?」
「神様のところに行くのよ。」
「神様はどこにいるの?」
「神様は天国にいるのよ。そしてみんなの心の中にもいるの。私の心の中にも、お母さんの心の中にもね。」
「ぼくは死んだらお星様になるの?」
「さあ?」
「看護婦さんなのに知らないの?」
「ぼく早く知りたいの。ぼく、もう時間がないからね。」
そして「ねぇ、ねぇ。」と手を出す。
「看護婦さん、ありがとね。」 「ママ、ありがとね。ママ、泣かないでね。」
「○○君は、もう4才半だね。」
「うん。4才と5ケ月だよ。」ときちんと答えられるのです。
そしてそのあと亡くなってしまいましたが、私は臨終の場で泣いてしまいました。
私が先に泣いてしまったので、お母さんは泣く機会を失ってしまったようで、そのまま抱いて帰られました。その時、看護婦になったけど何もできないという思いが残りました。後悔とはちがう何かが。
27才の時、10ケ月の児が白血病で亡くなった臨終に立ち会いました。お母さんが、放心して「もう私、子供を産めないわ。」「こわくて産めない。」私はその時「次の児は大丈夫よ。」という言葉が言えなかったのです。
看護婦として役に立ったのかな? 看護婦として何ができるんだろう? と思いました。
2.ホスピスとの出会い
その後、市の病院で内科に勤務しました。その時上智大学で「死の哲学」の公開講座を受けました。その中にホスピスケアに関する講座があって、ホスピスケアというのは患者さんのケアとともに遺族のケアをするものだということを学びました。自分はもっと遺族のケアということで何かできるんじゃないかなと思いました。ホスピスにどっぷりつかってみて、一般
病棟でホスピスができるかどうか考えてみたいと思いました。
ある日桜町病院へ面接を受けに行きました。桜町病院の総婦長さんは、乳癌にかかって、しかも胸水、腹水がたまっていて、病室から白衣を着て出勤しているような状況でした。その婦長さんから面
接を受けました。 「今日は面接によく来てくれたわね。私はホスピスの婦長を決めないと死ねないのよね。」と肩呼吸をしながら話しました。「私は、あなたが面
接に来てくれることを楽しみにしていたわ。ここで働いてくれるわね。」と言われて、おもわず、「はい。」と返事をしてしまいました。当時の桜町病院はまだホスピスの計画は、下で働くスタッフには浸透してませんでした。総婦長はホスピスを作って自分が第1号の患者として死のうと思ってたのです。
当初、内科病棟の中に2床借りて居候してましたが、邪魔物扱いをされてました。次に居候先を外科に移したところ
「困るよ。」と外科の先生から言われました。「でも、外科が困ったら手伝いますよ。」「手伝ってもらわなくていいよ。」
そのうちホスピスの患者が増えてきて、7床わけてもらいましたが 「7床もいるの?」といった具合で、ホスピスという建物が最初からあったわけではなく、一般
病棟の中でホスピスケアをはじめていったのです。
3.望めばそういう死に方ができる
56才の松本さんという腹水がたまっている女性の患者さんがおられました。クリスチャンで枕元にいつも聖書がおいてありました。同室の人に人一倍気配りをされるやさしい性格の方でした。いつも心が平安そうにしておられるので次のように尋ねてみました。「どうしていつも平安そうにしておられるのですか?」「いや実は平安ではないのよ。痛い時には聖書も神様もどこかにいってしまうのよ。だから、あとの方達にも痛みだけはとってあげてね。」私はそれが松本さんの遺言だと思いました。「死ぬ
ことはこわくない?」「私は死ぬことはこわくないわ。だって死んだら神様のところに行けるからね。」その時、私は小児病棟で最後を見取ったあの児に「死んだら、お星様になってみんなを照らしてあげるのよ。」と言ってあげる気持ちがあればよかったなと思いました。「どういう死に方をしたいですか?」「腹水をぬ
いてもらってね、家に帰って、それからトイレに入って出てパタッと倒れて死んだらどんなにいいだろう。最高だね。家族にも話すことはいっぱい話したしね。でも同じ部屋に子供がいてもすごい孤独感に襲われることがあるのよね。でもそれはどうしようもないのよ。痛みだけをとってくれたらいいわ。」
11月のある日 「私はクリスマスが迎えられないかもしれない。」 「そうですか。」そして12月になって
「私はやはりクリスマスは無理みたいね。クリスマスパーティーしたいのよね。」「早くしましょうか? 12月15日に準備しますが、病院でしますか? それとも家でしますか?」「当然家にきまってるでしょう。」
ということで、院長、シスター、薬剤師さん(ケーキをやくのが上手)、看護助手さんとその友人とともに松本さんの家で1時間半くらいのクリスマスをしました。途中で嘔気があって目立たないように2回ほど席をたって吐きにいかれたようでした。
それからまた元気になられて年末に外泊されることになりました。「腹水ぬ
いて帰るわね。」夕方5時半頃娘さんの運転する車で家に帰ることになりました。私も病院の玄関まで見送りにいきましたが、いつもになく松本さんがいつまでも車の中から手を振っておられました。車の中では娘さんとおせち料理の作り方の話をして帰られたそうです。家について娘さんが松本さんを車からおろして、車を車庫に入れて家にもどったところ松本さんはトイレから出て倒れて亡くなられていたそうです。このように自分がこういうふうに死にたいと望めばそういう死に方ができるのかなと思いました。それからは患者さんから
「つらくないように死んでいきたいわ。」と言われたら「大丈夫よ。つらくないように死ねますよ。」と返事するようになりました。「婦長さん、その根拠は何ですか?」と尋ねられても
「別に根拠はないんですよ。」と答えてます。
4.痛みは全くないほうがいいのか?
平成2年にある75才の患者さんとの出会いがありました。私どもの病院に来られるまで5年間癌の痛みに苦しんでいた人でした。その方が
「1ケ月くらいお世話になります。」と言って入院してきました。「ここは1ケ月くらいで退院させてくれる病院と聞いてきました。病院というところは病人が入院したい、退院したいといっても自由にならんところですな。」
「そうかもしれませんけれども、私どものところでは、帰りたいとおっしゃれば帰らせてあげますよ。」
そうして1ケ月たちましたが、「入院の時は1ケ月と言いましたけれど、そちらが邪魔になるまでおらして下さい。」その患者さんは入院して痛みがとれてきて顔つきがかわってきました。モルヒネの水溶液をのんであったのですが、最初は好んで飲んでおられました。しかしやがてあまりモルヒネを好まないような態度をみせてこられました。「薬はおいしいですか?」「苦味があるんですよ。」「それが嫌なんですか?」「苦味はべつに嫌ではないんです。」
「最近はあまりうれしそうに飲まれないんですね。」「そうですか?」「薬が嫌なら減らすことができるんですよ。」「えーっ。病院は入院にしろ退院にしろ薬を飲むのにしろ、言われたら言われたようにするのが当然で逆らえないんじゃないですか? 薬の量
を減らしてもらえるのなら減らして欲しいですな。実は痛みは全くないんですよ。」痛みのないことが不安で看護婦には痛みの程度は10分の2と表現していたのだそうです。「痛みが全くないので、これを飲んで寝たら明日の朝目を覚ますことがないんじゃないかと心配していました。」看護婦を気遣っていやいや飲んでおられたようです。それから少しずつ薬の量
を減らしていきました。「ここまで減らしたらいいというところまできたら教えてくださいね。」「じっとしていると痛みはない。動くとあれ痛いなと感じた。この位
の痛みを感じないと生きている現実感がないんですよ。」痛みは必ずしも0がいいのではなくて、薬の量
は患者さんと相談して決めるものなのだと思いました。
5.入浴について
これは39才の女性で入院して八日で亡くなった患者さんのことです。入院してこられた時にはあまり呼吸の状態もよくなかったのですが、私どものところでは週に1回は器械浴ができます。「来週の火曜日に体の調子が良ければお風呂に入れますよ。」
「もう2ケ月も入ってないのですごくうれしいわ。来週絶対にお風呂に入れてくださいね。死んでも入れてくださいね。」ところが風呂の日の前の日から40度くらいの発熱あり。家族とは今度の入浴は無理ですねと話していたところでした。それで入浴の予定からはずしていました。当日朝少し気になったので部屋をのぞいてみると、「今日はお風呂の日ですね。私熱があるから入れないつもりね。今日入らないと最後のお風呂が入れないの。」「無理じゃないかと思います。」「うそつき。死んでも入れると言ってたじゃないですか。」困って夫に相談してみると、「入れてやって下さい。」と言われました。風呂場の前で主治医が待機している状態で入浴することになりました。入浴中に死んでしまうかもしれないということで万全の体制を整えておいたのです。主治医が中に入ろうとしたので、私が
「先生は男ですから入っちゃだめです。もし必要になったら呼びますから外で待ってて下さい。」と言ってるのを聞いて患者さんは笑っておられました。
入浴中、気持ちがいいものですから目をつむって、呼吸してないように見えました。「大丈夫ですか?」と声をかけると
「人がせっかく気持ちよく入っているのに邪魔しないでよ。」 無事入浴がすんで
「死ぬ前に風呂に入れて良かった。ありがとうね。」 「家族と缶コーヒーが飲みたい。」とコーヒーを飲まれた後、「疲れたから眠るわ。」もし眠ったらもう目が覚めないかもしれないので、「このまま目が覚めないことになるかもしれませんけれどいいですか?」
「大丈夫ですよ。」その後一度目を覚まされましたが、その翌日の朝方に亡くなられました。
6.ホスピスとは
「ホスピスは死ぬために行くところですね。」と聞かれることがありますが、「いや違います。死ぬ
ために行くところではなくて、たとえ短くても自分が生きたいように生き、自分がしたいことができるところなんです。」と答えてます。「ホスピスは治療しないところなんですね?」と聞かれることもあります。「そんなことはない。できるかぎり治療するところですよ。痛みをとったり吐きけをとったりと。」
だけど、ホスピスを希望されない患者さんにとってはホスピスは必ずしも最良のところではないと思います。ホスピスはたとえ一週間であっても自己実現するために来ていただくところです。 ホスピスという建物でしかホスピスケアが受けられないのではなくて、一般
の病院でもホスピスケアを提供したい医師と看護婦がいればホスピスケアを受けることができるんです。
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