〜講演会から〜

「生と死を考える」
上智大学 教授
アルフォンス・デーケン さん
1994年5月28日(土)コンパルホール 文化ホール

 今ご紹介にあずかりましたデーケンです。生まれた時はドイツ人でした。あとでフランス・イギリス・アメリカなど12カ国で生活して国際人になりました。日本に骨を埋めるつもりですから、やはり心の中は日本人です。現在は上智大学で主に「死の哲学」を教えています。ですから上智の学生が私について話しますと大体「死の哲学のデーケン」、あるいは最近は何でも省略しますから「死哲(してつ)のデーケン」っていってるんですね。私はもともと国鉄の方が好きでしたけれども・・・。デーケンという名前も示すように「ほんとに何もでーけん」。今日は皆さんと一緒に「生と死を考える」というテーマで考えたいと思います。そしてその前に、私は東京の「生と死を考える会」の会長として、今大分にも「大分・生と死を考える会」が生まれたことをとってもうれしく感じます。そして一年間で運営委員会の皆さんがこういうように準備をしたということは皆すごく熱心であり、またこういうことを考えて努力したというのはとってもうれしいことです。  
 今日の講演は「生と死を考える」というテーマですけれども、今日は医師と看護婦さんも多いと聞きました。やはりそれは当然医療のテーマでもあります。けれども「生と死」は医療のテーマだけではないんです。私の解釈では社会と文化全体に関わるテーマだと思います。と言いますのは、私たちが死に直面 している患者さんをどれほど温かく見守るかは、ある意味で私たちの社会、私たちの文化の尺度にもなると思います。そういう意味でこの「生と死を考える会」も一つの市民運動です。小野会長さんも看護婦さんであり、たくさんの医療従事者が全国で活発に参加してますけれどもあくまでも「生と死を考える会」は市民運動です。みんなより温かい社会を作るためにこういう全国のネットワークを作り、今25ケ所に「生と死を考える会」が生まれました。13年前に東京で「生と死を考える会」が生まれたときは、ただ「死」を考えることではなくて、あくまでも「生と死」を考えたんです。「死」を考えれば考えるほど私たちは生きる時間は限られているということを意識して、それによって時間の尊さをもっと意識して、時間をもっと大切にする、もっと精一杯生きるようになるんじゃないかと思います。私は上智大学で「死の哲学」を教えていますけれども、いつも最初の授業で「死の哲学」は同時に「生の哲学」でもある、あるいは「死への準備教育」は同時に「生への準備教育」でもあると強調します。  
 私は今日の講義のためにレジュメ(概説)を作りました。その中の9つの主なポイントを見てみましょう。第1のポイントは「死への準備教育の意義」ですね。第2は「死の4つの側面 、生命の量と質」、そこで私はよりよいターミナル・ケアあるいは末期患者の生命の質を改善するために音楽療法、読書療法、芸術療法をちょっと紹介したいと思います。第3は「死の過程の6段階、死のプロセス」について、そして第4は「死への恐怖と不安を和らげること」、第5は「自分自身の死を、まっとうするということ」、そして第6は「癌告知と末期患者とのコミュニケーション」、第7は「癌は挑戦である」、第8は「悲嘆教育」、患者の家族と遺族へのケアです。最後に第9は「人生におけるユーモアの役割」、以上が今日の講義の9つのポイントになります。  
 第1「死への準備教育の意義」
  私たち日本人はもともと教育を重視する国民であるといわれています。確かに日本よりも教育ママの多い国はまず無いと思います。私も毎年上智大学の入学試験で涙を流す教育ママの姿をいつも見てますが、みんなやはり「自分の子供はもっと頭いい」と思っているらしいですけれども、今年は2万8千人が入学試験を受けて、入るのは2千人だけですね。大変教育熱心な国民ですね。長い人生において私たちは当然試験の前に勉強しますし、あるいは新しい責任を受けとる前はまた新しい困難があるでしょう。ところが長い人生において一番むつかしい試験、一番苦しい試練は何でしょうか? これは身近な人の死を体験することと、自分自身の死に直面 することの二つでしょう。遅かれ早かれ私たちは皆それを体験するようになるでしょう。私はわざわざ今日の講義のために昨日、厚生省で一番新しい日本の統計を調べました。それによりますと日本人の死亡率は現在は100%だそうです。これは一番新しい統計ですね。みんな死ぬ んですね。遅かれ早かれ私たちはみんな身近な人の、愛する相手の死と自分自身の死を体験するようになるんですね。そうしますと死のための教育が一切無いということは不思議なことです。私はいつもびっくりします。小学校から大学まで死についての教育は全然無いでしょう。しかもみんな体験する、しかもみんなにとって一番苦しい難しい試験が死なんでしょう。なのに全然心の準備が無いとは不思議なことですね。私は20年前にそういう教育が必要じゃないかということで3冊の本を出しました。「死への準備教育」、しかしこれは決してただ「死」について学ぶんじゃないんですね。いかに人間らしく死を迎えるかということ、それはいかに最後まで人間らしく生きるかという意味ですね。  
 私はレジュメにもいくつかの専門用語を英語で書きました。ちょっと語学の勉強にもなりますから、今日の特別 サービスですけれども、できるだけきれいな英語の発音で覚えましょうね。第一のキーワードはデス・エデュケーション( death education )です。 death というと同時にライフ・エデュケーション( life education )でもあるということ。death education は同時に life education でもあるともう一度強調したいですね。私たちは death education によって一生涯を通 して少しずつ「死ぬとはどういう意味を持っているか? 死ぬとは何であるか?」を学びます。お父さん、お母さんもいつか死を迎えますから、「どういうふうにもっと助けることができるか?」ということもです。積極的に生と死について学ぶことはこの「大分・生と死を考える会」の一つの大きな目標であると思います。death education は4つのレベルで行なうべきだと思います。  
 1つは「知識のレベル」ですね。しっかりした知識を身に付けることは非常に大切です。どの教育もそうです。その点で私たちは非常に恵まれています。知識の面 で今たくさんの本が出ています。実は私は英語・フランス語・ドイツ語・日本語の本を全部集めますけれども平均毎日一冊の本が出ます。私は日本語で「死への準備教育」に関して120冊の本を出しました。  
 第2のレベルは「価値観のレベル」ですね。例えば延命、昨日の新聞にも大きく出ました。安楽死、消極的安楽死、積極的安楽死、尊厳死です。あるいは臓器移植もですが、これはただ技術の問題じゃないですね。そこには価値観が入ってきますね。昨日の新聞にもいろいろな意見がでてました。価値観の違いを私は二年前にオーストラリアで感じました。オーストラリアのシドニーでいろいろな病院とホスピスを調べた時、ある一つの病院で心臓移植は240例成功しました。一つの病院で240例。日本は今まで心臓移植はどれくらいでしたか? ノーコメント? 政治家ですか? どうですか? 一つでしょう? 和田先生の札幌での一つだけですね。オーストラリアでは心臓移植によって生きていけるんですね。しかし日本では心臓移植して生きないで死んだでしょう。医療ということはただ技術だけではないんですね。そのシドニーの病院はカトリックのシスターが経営してるんですね。ですからカトリックの考えでずっと前に脳死を死として認めたから、例えば交通 事故の脳死状態ではすぐにどんどん心臓移植をしますね。医療ということはただ学問とか技術の問題だけではないんです。価値観も入ってきます。心臓移植はやるかやらないかということも、技術的には日本でもできるんですけれども、やらないですね。私たちはこれからももう一度生と死に関する価値観を考え直さなければなりません。  
 第3のレベルは「感情のレベル」ですね。例えばみなさんは歴史の話、経済の話は頭のレベルだけで勉強しますが、「死」というテーマがでますとすぐ感情的な反応がありますね。今日来ておられる皆さんの中で何人かは、現在お父さん、お母さんがおそらく治らない癌で苦しんでいると思いますけれども、「死」という言葉を聞きますと、お父さん、お母さんを思い出しますね。そして死に対する過剰な恐怖と不安を感じますね。私はさっき飛行機の中で一つの手紙を読みました。今朝速達で届いた手紙ですが、23才の女性が癌にかかって、医者から「あと1ケ月しかない」とはっきり癌告知を受けました。「早く連絡してほしい」という内容でした。飛行機の中で読んだので、まだ連絡できないけれども、ものすごく感情的な手紙でした。「自分は23才であと1ケ月しかない」。「死」ということは自分自身や身近な死である場合には私たちの感情的、情緒的な反応も非常に強いんです。そこで私は後で過剰な恐怖と不安について「どういうふうに、もう少し和らげるか?」を話します。  
 第4のレベルは「技術のレベル」ですね。末期患者さん、死にゆく患者さんにニーズがあればそれをできるだけよく理解してどういうふうに和らげること、対応できるかというスキル・トレーニング( skill training )ですね。なぜ今、日本で全然死の準備教育がないんでしょうか? それは簡単ですね。死はタブーになったんですね。中世紀のヨーロッパでは「死の芸術」というタイトルの文献がいっぱいありましたね。「死の芸術」とは面 白いですね。「死の芸術」、それは学ぶべき芸術である。ヨーロッパでも死はだんだんタブーになったんですね。イギリスではよくいわれています。19世紀にはセックスはタブーですが、死については公に話ができました。20世紀になって逆になったということです。例えば日本でも死はどれほどタブーになったか、私は時々ユーモラスな体験でわかってますね。最近は平均月に2回ぐらいは上智大の卒業生の披露宴でスピーチをやらなければならないですね。みんなに「どれほど優秀な学生であったか」伝えなきゃならないんですね。たまにつらいですよ。大体いいこと言ってますけれども。私の研究室の先生二人から「披露宴のスピーチに関してお願いがあります。」「何でしょうか?」「田舎のばあちゃん、いっぱい来ますから、できるだけ私たちが上智大学で死の哲学を勉強していることを触れないでほしい。」と言いました。私は常識的にわかっているつもりです。披露宴で一番「死」ということがふさわしいテーマじゃないということは。二人が一番心配したのは田舎のばあちゃんの前で変な外人が「花婿さんも花嫁さんも上智大学で死の哲学を勉強しました。」気持ち悪いでしょう。死はタブーですね。  
 あるいは毎年秋になりますと「死の臨床研究会」があるでしょう。そして大体1000人くらいの医者と看護婦が集まります。7年前は私が会長でしたが、上智大学は四谷駅前にあるでしょう。そして上智大学は四谷駅前に大きな立て看板を出しました。「死の臨床研究会」ね。同じ土曜日・日曜日、上智大学のチャペルでたくさんの結婚式もあったんですね。そして結婚式に東京へ来て四谷駅を出た田舎者いや田舎からいらした方は右も左も「死の臨床研究会」の看板を見て皆文句を言いました。「結婚式のためには変な場所じゃないか」ってね。「早くはずしてください。」そこで私は日曜日の夜の会長挨拶で皆に言いました。「もう一度上智大学で死の臨床研究会を開きたいなら是非仏滅の日を選んでほしい。」と。  
 とにかく私の解釈では日本では1986年まで死はタブーでしたね。日本における死の準備教育にとって1986年は一つのターニング・ポイントであり、その年から突然全国であっちもこっちも死について学びたいという日本の新しい死の文化の時代が始まったと思います。今はNHKも毎週「死とどう向き合う」というテーマで番組を持っていますので、私もびっくりしています。3年前にNHKが私に「あと3年すれば毎週テレビで先生が話せる」と言った時に私は笑いました。そんなことはありえないと思ったんですね。けれどもそういうふうに変わりました。今新しい時代が始まりました。今日は看護婦さんも多いと思いますけれども、看護婦さんはもうずっと一生懸命ターミナル・ケアを勉強してるでしょう。私も時々地方で講演をしますが、このあいだも地方の看護協会でターミナル・ケアについて講義してほしいと依頼がありました。そしてむこうは「電話でもうホテルもとりましたよ。」と言いました。私が「どのホテルですか?」と尋ねるとやはり「ターミナル・ホテル」でしたね。日本の看護婦さんはすごく親切でそこまでも考えていましたから。とにかく看護婦さんも医者も最近はものすごく勉強してるんですけれども、実は一週間前も土曜日と日曜日の二日間、東京でセミナーがあって、土曜日の日は全国から300人集まって、「死にゆく患者とのコミュニケーション」についてでしたが、それを二日間も勉強すればたいしたもんだと思います。時間だけでなく全国から九州からもたくさん来ました。ところが私が思うのは医療従事者は今一生懸命勉強してるんですけれども問題は一般 市民ですね。一般市民は死をタブー化します。医師と看護婦がいくら末期医療、ターミナル・ケアを勉強しても、理想的なターミナル・ケアはありえないですね。つまり患者さんの協力と家族の協力も必要ですね。そういう意味で今「大分・生と死を考える会」は一つの市民運動として医療従事者も一般 市民も一緒にこういうことを勉強するということが、これからの大きい課題だと思います。
 
 第2「死の4つの側面、そして生命や生活の量と質」
 そこでちょっと音楽療法・読書療法・芸術療法を紹介します。まず「死」という言葉を使いますと私たちはだいたいきまって肉体的な死を考えること多いでしょう。レジュメには4つの死の概念を載せました。第1は「心理的な死」、サイコロジカル・デス( psychological death )、一緒に psychological death 。第2は「社会的な死」、ソーシャル・デス( social death )。 death の場合はちゃんと舌を出さなきゃならないんですね。何人かの舌が見えなかったんですね。淋しかった。第3は「文化的な死 」、カルチュラル・デス( cultural death )、第4は「肉体的な死 」、バイオロジカル・デス( biological death )。まず第1の「心理的な死」の意味ですが、患者さんは最後になっても一切生きる意欲が無かったら、肉体的に死ぬ 以前にすでに心理的な死を体験しますね。第2の「社会的な死」は、人間は本質的には社会的な生物ですけれども、最後になっても子供が来なくなれば、そのお父さん、そのお母さんは肉体的に死ぬ 以前に既に社会的な死を体験しますね。最近はずいぶん増えてます。少なくとも東京でね。最後になって子供は来なくなる。子供は何を言ってるでしょうか? 「仕事で忙しい」、これは建前です。本音は、本当の理由はやはり、今死に直面 すること、お父さんお母さんの側に坐るのは怖いんです。「いつか私もこうなる」と考えさせられるでしょう。それが怖いんです。お父さん、お母さんは、20年間苦労して努力して子供を育てるでしょう。今最後になって一番希望してるのは子供が側にいることです。来なくなればそれは「社会的な死」です。 ですから肉体的に死ぬ以前に既に「社会的な死」を体験しますね。第3は「文化的な死」、みなさんは病院の中の文化的な状況をよくご存じでしょうね。例えばもし一切文化的な潤いがなければ「文化的な死」になります。私は上智大学の管弦楽団の顧問であり、それは140人のメンバーですけれども、最近はよくホスピス、聖ヨハネホスピスにも行っています。病院にも行ってます。そのクィンテット・カルテットは死にゆく患者さんのためにも演奏するんですね。これは文化的生命の延命だと思います。  
 今私たち日本人は平均寿命は世界一になったでしょう。肉体的な生命の延命はすばらしいですね。日本人は世界一、日本の男性はドイツの男性より長く生きるようになったんです。ですから私は日本に来ました。賢いですね。私は最近いろんな医学会で講演するよう頼まれていますけれども、何で人間は長く生きるようになったかという発表はいっぱいあるでしょう。私はいつも興味深く聞きました。例えばある発表によりますと毎日泳ぐ人はプラス5年半だそうです。今朝も羽田空港へ行く前は5時に上智大のプールで泳ぎました。毎朝泳ぎますね。ですからプラス5年半ですね。そして毎日歌を歌う人はプラス4年半だそうですね。私は毎朝泳いでからシャワーを浴びながら3つの歌を歌いますね。そしてユーモアのある人はプラス5年半だそうですね。こないだ全部計算したところ今のところ137才になるそうですね。やあ日本に来て良かったですね。長く生きるということは素晴らしいことですね。  
 けれどもこれからの課題は肉体的生命の延命と同時に、やはり心理的生命の延命、社会的生命の延命、そして文化的な延命、言い換えれば相対的生命の延命ですね。肉体的生命もいいですけれどもあと3日間、あと3時間、あと30分、それだけじゃないんですね。これからのテーマはやはりクォリティ・オブ・ライフ( Quality of life )生命や生活の質をも改善するということで、そのために最近は音楽療法、そして読書療法( bibliotherapy )、あるいは芸術療法( art therapy )があります。
 その中でまず読書療法 bibliotherapy 。biblio はバイブル、本ですね。読書による療法です。それは末期患者の生命や生活の質を改善するための新しいアプローチです。例えば死に直面 している患者さんはもちろんそれは初めての体験でしょ。死ぬということは何であるかわからないし、その最後の段階でも、場合によってはまだいろんな過去の人生の問題は残ってますね。それを読書によっていろんな自分の問題がわかってそれを解決することです。例えばボランティアが患者さんとゆっくり話して、文学にどういう興味を持っているか尋ねますが、長い小説を読む時間はないでしょう。もしあと3週間で死ねば、「アンナ・カレーニナ」はもう長すぎるんですね。俳句とか短い詩・短編小説が適当です。私はアメリカでよくこういうことをやったんですけれども、例えば短編小説であるトルストイの「イワン・イリッチの死」をよく使いましたね。全部じゃないです。その一部分を使いましたが、その読書療法の一つの機能はドイツのシュピーゲル・フンクチォン( Spiegelfunktion )つまり鏡の機能と言われています。鏡といいますとつまり患者さんはその文学作品を読んで、あるいは聞いてそれについて論じ合うことで、その主人公と自分自身が鏡のように見えるようになって、主人公の生死のプロセスが今の自分に対する刺激あるいは人格形成の刺激にもなります。例えば「イワン・イリッチの死」はドイツでもアメリカでも非常にポピュラーな本ですけれども、皆さん御存じですか? トルストイは50才前後で自殺しようと思ったんですね。そうして自分の自存的な危機を解決しながらこの「イワン・イリッチの死」という小説を書きました。その中でこのイワン・イリッチという人は最後になって死に直面 して、一つのコペルニクス的な転回を体験しますね。コペルニクス的転回といいますと、今まで考えてるのと正反対になるということですね。今までの自分に対して「私はいつも自己中心的で人から何かを期待するばかりだ」と気がついたんですね。最後になって突然悟りが開いたのです。自分が死ぬ 時は妻も苦しむ。子供も死ぬ。まわりも死ぬ。私が相手から期待するのじゃなくて相手が私から期待する。そういうように考え方が正反対になるのがコペルニクス的転回です。ところが、私は時々死にゆく患者と「イワン・イリッチの死」を一緒に読んで論じ合ったことありますけれども大勢の患者さんは突然「イワン・イリッチ、これは私です」と悟りますね。「これは私の問題です」と答えます。ですから私たちが読書療法によって間接的に患者さんに自分の問題を悟らせることできますね。直接は言えないでしょ。今日は医療従事者も多いですが、みなさんもそういう患者さんはよく我がままになっているでしょ。自分の悩み苦しみばかりしゃべる患者さんが多いでしょ。ですが私たちは医療従事者として「あー、もう少ししっかりして下さい」とか「もう少し人間らしく」とか「あまり我がままにならず」という説教はできないでしょう。失礼でしょう。けれど間接的にその読書療法によって自分の問題を悟らせて「なるほど死ぬ 前もまだいろんなことができる」とか、あるいは「ただ相手から何かを期待するのじゃなくて、私は最後になっても妻のため、子供のため、看護婦のため、医者のためにいろんなことがまだできるんだ。」ということに気づき、それによって貴重な人格成長のきっかけにもなれるわけですね。ですから死ぬ ということはただだめになるんじゃないんですね。死には運命的な面があるんです。他方では私たちは自分自身の死をまっとうしなきゃいけないと思います。
 読書療法は一つの積極的な面もあるんですね。実は「生と死を考える会」は東京で5年間毎年ホスピス・ボランティア教育を開きました。今年の登録者は136人で、今は金曜日の夕方、上智大学の中でやってますね。それは「生と死を考える会」と上智大学の共同でやってます。「将来は皆ホスピスで働こう」じゃなくて例えば「病院や老人ホームの中でも音楽療法士や読書療法士として働こう」という動きもあります。そして2週間前は神戸で、「兵庫県・生と死を考える会」がターミナル・ケア・ボランティア講座を聞き、そこで私は最初の講義をしました。今では毎回違う先生が講義をしてます。これも将来は大分でもできるんですね。老人ホームや病院の中でもそういうような読書療法や音楽療法などはできるようになるんですね。それによってターミナル・ケア、末期医療全体を改善できるんじゃないかと思います。  
 もう一つの代表的なアプローチは音楽療法ですね。最近いわれる末期患者のクォリティ・オブ・ライフ、生命や生活の質の改善のための音楽療法ですね。手元のレジュメには音楽療法が果 たすことができる役割を8つを書きました。その中に今全部説明するのに時間はないんですけれども、ただその一部をちょっと見てみましょう。人間というものは歴史の中で生きてるでしょう。歴史といいますといつも過去・現在・未来があるんですが、過去はただ過ぎ去ったことじゃなくて今でも思い出を再体験できるんですね。私たちはみんな過去で体験した美しい日々や、幸せな体験をただ過ぎ去ったことじゃなくて、戻ることができる思い出として今、再体験できるんですね。これは人間は時間の中、歴史の中に生きるという意味ですね。過去はただ過ぎ去ったことではなくて今でも再体験できるんです。私たち大部分の人間は美しい日々や幸せの時を音楽と結ぶこと多いでしょ。みなさんもそうでしょ。ある子守歌聞くとお母さんを思い出しますし、あるいは自分がいつも自信たっぷり歌ったカラオケであるとか、あるいは好きな人と一緒に映画を見たら後でその映画曲を聞きますとその好きな人を思い出すこと多いでしょ。  
 私は、さっき言いましたように管弦楽の顧問でございますね。ある日フォン・カラヤンが来まして我々の140人のメンバーを指揮してくれました。結構高く評価してくれて、百人がドイツに招待されたので、一緒にベルリンへ行って有名なフィル・ハーモニーで演奏しました。日本の大学では上智大学は初めてでしたね。東大と早稲田はずっと後でしたけれども、初めて行ってそしてそのベルリン・フィルハーモニーのフォン・カラヤンの指揮のもとで演奏した曲は上智大学の管弦楽のメンバーにとって一生涯の特別 な意味を持てるでしょ。聞けば聞くほどその過去の人生、その学生時代のハイポイントを今また再体験できるわけですね。私たちは死にゆく患者に向かって一方ではものすごい無力感を感じます。救うことができないでしょ。死ぬ でしょ。でも私たちは音楽療法によって患者さんにとって貴重な宝物である過去の人生の美しい日々の思い出を今また提供できるんです。  
 同じように未来は単なる未来ではなくて、私たちが希望すれば、それを今日でも味わうことができますね。皆さんは今年の夏休みにいろんなところに行くでしょうけれども、外国についてのビデオ・映画・テレビを見ますと、今晩にも外国を味わうことができます。私は来月は国際学会でスウェーデンのストック・ホルムに行かなきゃなりません。今でもスウェーデンについての番組を見ると来月行く予定のスウェーデンの体験を味わうことができるでしょう。そういう意味で私たちは音楽療法によって患者さんの視野を広めたり、深めたりすることができるんじゃないかと思います。  
 今という瞬間は苦しいでしょ。もうすぐ死ぬでしょ。けれどもこの患者さんには過去もあり、未来もあり、いくらどん底に落ちても音楽を聞けばまだ少し希望を味わうのです。例えば私はモーツァルトのファンですけれども「アマデウス」という映画をご覧になった方は覚えてますね。彼は35才で死ななきゃならないでしょ。ところが最後は必死でレクイエムを作曲したでしょう。レクイエムはカトリックのミサですね。亡くなった人のためのミサ。それを聞きますと一方ではモーツァルトの悲しみ、苦しみがものすごく深くでています。「35才でもうすぐ死ななければならない。」他方でモーツァルトはカトリックですから、「死はすべての終わりじゃなくて永遠の生命の門で、天国に行って好きな人との再会の希望がある」ということもきれいにでてますね。根源的希望、永遠に対する希望ということですね。別 にモーツァルトだけでなく音楽は一般にみんなに希望を与えるエネルギーを持っていると思いますね。  
 今私は主にその音楽を聞くという実例を挙げましけれども、音楽療法のもう一つの美しい効果 についてちょっと一つの実例を挙げたいと思います。実はオーストラリアのシドニーのホスピスに入った若いお母さんで、あと3週間しかない。そして彼女には4人の小さな子供がいたんですね。もちろんお母さんの一番大きい心配は「子供はどうなるか?」という子供に対する心配でしょ。音楽療法士が4人の子供に「お母さんは大体どういう趣味を持っていましたか?」と聞きました。子供たちは「お母さんはやはり歌が好きですね。いつもよく歌を歌った。」と答えました。そこで音楽療法士はお母さんのベッドに小さなテープレコーダーを置いて「もしよければ死ぬ 前に子供のためにちょっとでも音楽を録音したらいかがでしょう?」と言いました。そのお母さんはもう夢中になって8時間のテープを録音しましたね。まずいくつかの歌とか自分の人生を子供のために述べて、そしていろんなハイポイント、例えば初めておとうさんに会った夜ベッドの中で情熱的に歌った歌や、初めておとうさんと一緒に聞いた有名なシドニーのオペラハウスのオペラの一部を別 のテープに録音しました。3週間で一生懸命に子供のために録音しましたが、それは子供に対する思いやりになったでしょう。亡くなる日は子供たちはベッドを囲んで皆涙しましたけれど、お母さんは最後にその8時間のテープを渡して死にましたね。これを後で私考えたんですが、このお母さんの人生の最後の3週間は生きる時間は限られていました。しかしあれほど創造的に生きたっていうことは何と素晴らしい。これは本当に子供に対する思いやりの表現にもなったんですね。一方では自分の中にある創造力を開発したと同時に、お母さんが亡くなっても子供は何回も何回もお母さんのテープを聞いて、お母さんの愛を体験できるんですね。最高の子供の教育にもなったんですね。そしてそのテープの中で自分の悩み苦しみについてでなく、自分の人生の美しい日々について話しました。つまりお母さんは最後は自分の悩み苦しみじゃなくて子供に対する思いやりで最後の3週間を過ごしたという、これは最高の教育だと私は思いますね。これがその音楽療法によってあるいは音楽療法士のボランティアによってこういうことができたということは何と素晴らしいターミナル・ケアだったでしょうね。しかし逆に言いますとこのお母さんが総合病院で癌告知を受けないでただ空しい希望でその最後の3週間を過ごしたとしたら子供にもさよならを告げることはできなかった。何も残せなかった。子供にとっても空しいし、夫にとっても空しいし、しかもお母さん自身はこの貴重な人生の最後の3週間を、どれほど無駄 にしただろうと思いますね。今日のテーマは「生と死」ということですが、あくまで人間らしい死に方を学ぶべきだと、教育を受けて考えるべきだと思いますね。私はこれまで音楽療法と読書療法をちょっと紹介しましたが、芸術療法について話す時間ないんですけれども、いろんな新しいアプローチがあり、それらの共通 のポイントは末期患者のクォリティ・オブ・ライフを改善するためですね。
 
 第3「死の過程の6段階」
 もちろんそれは段階といってもただ1、2、3、4、5、6と一つずつ順番になるということではなく、大体こういうことを体験するということです。キューブラー=ロスの有名な5段階の本「死ぬ 瞬間」があります。人間は生まれてしばらく生きてある段階で治らない状態になり、そこで死ぬ までに1「否認」、2「怒り」、3「取引」、4「抑うつ」、5「受容」の段階があると、彼女は200人の患者を研究してそういう5段階を設けました。私は6段階として「期待と希望」をつけ加えました。1から5までキューブラー=ロスで、6はデーケン段階です。けれどもそれらは時間的な順序じゃないんですね。例えば一時的な「受容」はまた「否認」に戻る、あるいはまだ半分は「怒り」で半分は「取引」、つまり「もう少し生きたい」と医者や、あるいは神様との取引をしていることがあります。私は特にターミナル・ケアにおけるそのタイミング、死のプロセスの中でのタイミングの重大さをちょっと指摘したいんです。例えば二段階は「怒り」の段階ですが、「あー、なぜ死なななきゃならない、まだ生きたい」と怒りがありますとその時期は、あまりコミュニケーションできませんけれども、第3段階の「取引」になると、「あと半年は生きたい」ということで、医者と話をしたいということで、コミュニケーションが可能になります。私は何百人もの患者の死をみとったんですけれどもけっこう問題があったんです。過去の人生にまだ未解決なものがあれば、「取引」の時期は問題解決の時期ですね。英語でいうライフ・レビュー・セラピー( life review therapy )ね。人生の見直しと再評価、という言葉もよく使われますけれどもやはりいろんな人生を解決する段階ですね。患者さんの精神的な状態、心の状態がよくわかればその段階に応じて、時期に応じて、私たちは医療従事者としてあるいは家族として助けることができますね。そして何よりもやはり死ぬ 前にはみんな問題を解決したいんです。特に人間関係のトラブルね。ですがこれは2段階ではまだ早く、4段階では遅いというタイミングも大切ですね。  
 私は6段階として「期待と希望」をつけ加えたんですけれども、私がみた患者さんはモーツァルトもそうですけれども、けっこう最後になって永遠に対する期待と希望を真っ先に持ちます。欧米の病院にあるホスピスで私がみた患者さんは最後になって天国での再会の希望を抱きながら死を迎えた人が多かったのです。もちろん日本は様々ですね。例えば死ですべて終わると思う人もいますし、あるいは輪廻(りんね)の思想とか浄土真宗の浄土とかあるいはキリスト教では天国とか、様々ですが私たちは医療従事者として患者さんに私たちの死生観を押しつけてはいけないんですね。やはり患者さんの死生観を尊重しなきゃ。もし患者さんが未来に対する再会の希望を抱けばそれを励ましてもいいと思いますね。もちろん日本では必ずしもその死後に対する期待があるとはいえないですね。このあいだちょっとユーモラスな体験でわかったんです。私は月に一回ぐらい午前中に上智大学で、一般 市民のための講義をしますね。午前中ですから参加するのはほとんど主婦でしょう。キリスト教の一つの魅力は主人の死後に天国でまた会うという再会の希望があると言ったんですけれども、一人の奥さんがとっても心配そうな顔で後で私に聞きました。「もし私がカトリックならば主人にまた天国で会わなきゃならないんですか?」ってやはり私の大失敗でした。もう二度とそういう実例はあげません。死後に対してはいろいろな考え方があります。またこないだ私は講義でこういう話をしました。後でちょうど定年退職した一人の男の人が手を挙げて「先生、私の考えではね、人間は死後にゴミになる。」って言ったんですね。私は「あー、そうですね、そういう考え方もあるんですね」と思いました。後で懇親会がありましたが、一人の女性が私に近づいてきて「先生、さっきね死後にゴミになりたいと言った人は私の主人ですね。けれどもね、うちの主人は死後にゴミになるという問題じゃないんです。すでに粗大ゴミになっちゃったんです。」と言いました。やはりいろんな考え方があるんですね。
 
 第4「死の恐怖を和らげる」
 私たちはみんな死を怖いと恐れるんですね。私はレジュメで9つの代表的な死に対する恐怖と不安のタイプを指摘したんですけれども、まず「苦痛の恐怖」ですね。苦痛の中でみんな恐れているのは、やはり痛みですが、肉体的な痛みだけではなくて、社会的な苦痛とか精神的な苦痛とか、いろいろあるんですね。まず私たちは痛みを和らげる努力しなきゃならないと思います。第2は「孤独への恐怖」です。孤独といいますとある患者では一番恐れているのは「最後になって家族は来なくなる、孤独になる、自分はもう動けない、電話もできない。」という孤独への恐怖です。孤独ってことは面 白いですね。健康な人の時間体験と今死に直面している患者さんの時間体験とは、主観的体験が全然違いますね。いいかえれば客観的な時間つまり時計の時間は、主観的な時間と全然違いますね。例えば好きな人と一緒に2時間ゆっくりコーヒーを飲みながらまあキリンビールでもいいですけれども、ゆっくり飲む。客観的には長いでしょ。2時間でしょ。しかし主観的には全然時間を意識しないです。楽しいから、時間を意識しないですね。ところが今30分間、大雨の中で傘無しで、バスを待つのは客観的には短いでしょ。30分くらいね。しかし主観的にはものすごく長いね。「まだ来ない、まだ来ない」。私は実はロンドンで体験したんですね。体験者でございますよ。日曜日の夜ホスピスから戻って、大雨になった時傘を忘れて大雨の中で30分バスを待ったんですね。「まだ来ない、まだか。」30分たってから一体このバスは何時に来る予定かを調べたら、小さな文字で書いてありました。「日曜日はここはバスは通 りません」とね。これは私にとって一番長い30分でしたね。ところで死に直面 している患者さんが、痛くて痛くて薬を飲みたいとします。15分は看護婦さんにとってはたいした時間じゃない、けれどもその患者さんにとっては15分はすごく長い時間ですね。孤独ですね。  
 私はいろんな国のホスピスの医者に聞きましたね。「ホスピスに入る時は患者さんに、最初の面 会でだいたい何を言いますか?」医者が言いました。「最初に私は患者さんにこういうこと言いますね。『今日は私は二つの約束をします。一つの約束は最後まで痛みなしで生きることができる。モルヒネによって十分疼痛緩和、ペイン・コントロールができる。第二の約束は最後まで独りぼっちにならない。必ずだれか側にいる。希望すれば何時間でも坐っています。』」すごいでしょ。ホスピスに入る段階で患者さんが一番心配しているのはこの二つね。痛みと孤独。医者が「それはもう心配しなくていいです。私はちゃんとやります。」ということであれば、患者さんはいろんな問題解決、過去の人生の人間関係のトラブル解決ができるのです。いろんなことをして家族にさよならを告げる。いろんな人に感謝する。あるいは問題解決できる。もし朝から晩まで痛みとか孤独のこと心配すればほかのことできなくなるでしょ。ですから人間らしい死のために私たち医療従事者として、あるいは病院としてホスピスとして大事なのはまず疼痛緩和がしっかりできる自信があるということです。
 第二の孤独は、例えば東京でちょうど1ケ月前に聖ヨハネ・ホスピスがオープンしましたね。20ベッドですね。でも100人ぐらいのボランティアがいます。20人の患者のために100人のボランティアですよ。希望すればいつでもだれかが側にいることができるのです。上智大学では今年だけでホスピス・ボランティア講座で163人を登録しました。ちょうど昨日の夜もやったんですね。ですからそういう意味で「大分・生と死を考える会」の一つの大きい使命、一つの可能性はボランティアだと思います。別 にホスピス・ボランティアとは言わなくてもいいんですね。神戸でターミナル・ケア・ボランティアと言ってますね。「大分・生と死を考える会」でスポンサーしていろんな医療従事者やいろんな専門家に頼んで、大分のいろんな病院のために協力できるんじゃないかと思いますし、これは一つの素晴らしい新しい市民運動になれると思います。神戸でも私は第一回目だけ話しましたが、後は毎回違う医者・看護婦・カウンセラー・心理学者とかいろんな人が話しています。
 私はずっとホスピスという言葉を使ってきました。みなさんよく御存じですけれどもホスピスは治らない患者さんのためのものですね。病院(ホスピトール)は治る患者さんのため、ホスピスは治らない患者のためね。治る患者さんと、治らない患者さんのニーズは全然違いますね。治る患者さんには先端医療ね。治らない患者さんには家庭的な雰囲気やしっかりした疼痛緩和があり、そしてみんなが側にいる、だれかが側にいることが要求されます。病院は「する医療」、手術するとか化学療法とかなんでもする。ホスピスでは「側にいる看護」がもっとも大切になるんですね。まあ今、日本人もホスピスはよく知ってますけれども、こないだあるタクシーの運転手さんに「運転手さんはホスピスとは御存じですか?」と聞いたところ「さあ、ホスピスってハイクラスのホステスじゃない?」と答えましたね。  
 死の恐怖についてもう少し読みたいならレジュメをあけますと「老いと死を見つめて」という本がありますね。その中で私は「死への恐怖と不安」の9つの一つずつを詳しく説明しました。それは非常にわかりやすい、Q&A(質問と答)というかたちで出した本です。そして「第3の人生」これはもともとアメリカのニューヨークで英語で書いたんですけれども今既に12ケ国語に翻訳されたんですね。昨日はある韓国人が東京に来ました。「韓国・生と死を考える会」もできたんですね。私は一週間そこで集中講義しました。来年また5つの市(ソウル、プサンなど)でこういう講義を予定してますけれども、韓国語の本もちゃんとでました。「第3の人生」ね。そして「日本のホスピスと終末期医療」、これは今日のテーマであり、もっと詳しく説明しましょう。「死への準備教育」、これは3冊の本で既に1986年にでてますが、ちょうど昨日18版がでました。そして「旅立ちの朝に」という本は曽野綾子さんと小生の往復書簡ですけれども、新潮文庫ですね。新潮文庫はどの本屋にでもあるし、曽野綾子さんの本はだいたい並んでいると思うので、それが一番手に入れやすい本です。そして「生と死を考える」、特に遺族へのケア、患者が亡くなってからのその遺族の悲嘆のプロセスを詳しくそこに書きました。
 
 第5「自分自身をまっとうするということ」
  死ぬってことは運命的なことであり、私たちは何もできない。さっき飛行機の中で読んだ一つの手紙について話しましたが、相手の方は私がもちろん全然知らない方ですけれども彼女は23才であと1ケ月しか命がないんです。運命的な時ですね。医学的には何もできない。1ケ月で死ぬ んです。彼女は「この1ケ月をどう過ごしたらいいか?」と手紙で知りたいんですね。しかし、そう簡単な返事がないんです。「どう過ごしたらいいか?」ただ私が今言えるのは、私は何百人もの患者さんをみたんですが、様々の死に方があるんですね。ただだめになる人もいます。あるいはやはりシドニーのお母さんのように8時間のテープを作る人もいます。私の母国語はドイツ語ですけれども、動物の死ぬ のと人間の死ぬのとは二つの違う動詞があります。動物はフェアエンデン( verenden ) 動物は年をとって弱くなってそして死ぬんです。一方的にだめになるっていうことです。それから人間が死ぬ のはシュテルベン( sterben )て言われてます。人間の肉体の衰弱のプロセスは動物と同じですね。やはり人間も終わりです。だんだん年とって弱くなって場合によってはさっきのように23才で癌になって24才になる前に死ぬ こともあります。肉体の衰弱のプロセスは運命的で、コントロールできないですね。しかし、「いかにこの1ケ月を過ごすか?」、これは自分でコントロールができます。今現在日本で4人に一人は癌で死ぬ でしょ。ですから1、2、3、4、別に怖い顔しなくていいですが、4人中1人という意味ですね。きょう集まった人の4分の1は癌で死にますね。みな嫌な顔しますね。これは運命的なことですね。27%は癌で死ぬ んです。癌になるとそこで絶望するか、あるいは空しい希望で「あー、もしかしたら、新しい薬とか新しい治療があるかもしれない」という空しい希望でただ退院することだけ考える人もいますね。しかしあと3週間、あと4週間でも、別 に8時間のテープを作らなくていいんですけれども、いろんなことできるんですね。  
 私はあの上本君のこと思い出します。上本君は東京大学法学部大学院生、そして初めて会ったときは24才でしたね。そしてその時はあと半年しかなかったんですけれども、東京の「生と死を考える会」の主催で上智大学で毎年生と死を考えるセミナーを開きます。「もしよろしければそこであなたの体験について話したらどうですか?」とお願いしたら、彼は情熱的に話してくれて、たくさんの医者と看護婦が涙出しましたね。そして翌年の1月15日死にました。みんなただ医療の対象になりたくないんですね。彼が喜んだのは「また、役に立つことができる」ということです。医者と看護婦に対して、「若い東大生が何を体験するのか聞きたいんですか?」と尋ねたので「あー、そうです。私たちはみんな学びたいんです。」と答えました。彼の最高の喜びでしたね。  
 また2〜3年前にも一人の鈴木さんという34才の死にゆく患者さんに頼みました。彼女は上智大学のセミナーで話しました。そして彼女は死ぬ 前に言いました。「一番大きい喜びはやはり800人の医者と看護婦のために話すことができたことです。」そして彼女はその6週間あとに死にましたね。私が思うのは、死にゆく患者さんをただ医療の対象にすると、相手はすごく嫌がるんですね。つまり彼らは最後までまだ生きてるんですね。この死にゆく患者さんたちは元気な人にたくさんのことを教えることができます。生と死について教えることができるんですね。それは自分なりの死をまっとうするということになります。  
 私が一番感激したのは、ニューヨークの私の友達のお母さんの死に方でした。91才で11人の子供を立派に育て、恐らく亡くなるだろうという晩に医者や家族、11人の子供とたくさんの孫が病室にいっぱい集まりました。長男はカトリックの神父ですけれどもみんなに言いました。「残念ながら母はもう昏睡状態で、もう話すことができないけれども祈りましょう。ミサを捧げましょう。」ミサが終わった時、お母さんは起き上がって突然ベッドの中で「あー、私のために祈ってくれてありがとう。ウィスキーを飲みたい。」って言いました。みんなショックでしたね。今あと2時間半くらいのお母さんなので、一人が慌ててサントリー探しましたけれどもサントリーのリザーブであったかどうかちょっと覚えてません。そしてお母さんは少し飲むと「あー、ぬ るいから少し氷を入れてちょうだい。」って言ったんです。そしてまたみんながっかり、あと2時間で死ぬ っていったのに。今、氷の心配なんかさせて、だれか慌てて氷をさがして入れたらお母さん「おいしい、おいしい」って全部飲んでしまいました。次にお母さんは「今度は煙草吸いたい。」って。みなまたがっかりして、あと1時間とみな時計を見ている。長男は「お母さん、医者は今煙草は吸ってはいけないって言ってますよ。」と言いました。お母さんの返事は「死ぬ のは医者じゃなくて私なのです。煙草ちょうだい。」って言って煙草吸い終わって、みんなに感謝して「天国でまた会いましょう。バイバイ。」って言って横になって息をひきとりました。その時は悲しんだ子供はいなかったね。お母さんの死に際のユーモラスな明るさに対してあとで皆笑いましたね。お母さんらしい死に方でした。実はこのお母さんは一生涯あまり煙草吸わなかったし、それほどサントリーも飲まなかった。死ぬ 前は飲みたいということではなかったのです。91才になるまでに、何回も何回も友達、知りあいや親戚 のお葬式に出たでしょ。みんなの涙を思い出して、自分の死によって子供や孫たちに悲しみや苦しみを与えるのではなくて、その悲しみを取り払って明るい雰囲気を作ったのです。なんと美しい思いやりでしょう。ユーモアによる思いやりでしたね。私は思うんですね。彼女はシュテルベン( sterben )ね。肉体の死はあと3時間でこれはやむをえないこと、運命的なことです。けれども彼女はこの最後の3時間は子供と孫たちに貴重なこと教えてくれましたね。他に何もできなくても笑い話を残すことができました。大切なことはただ一つ、思いやりと愛ですね。実はNHKから来週出る予定のビデオも11のテープは「死」についてですが、今日もあとの最後のポイントでちょっとそのユーモアについて話したいですね。人間にとって最高の愛の表現はこういうユーモアだったと思いますね。  
 これから私たちは「大分・生と死を考える会」という市民運動を通して、「死への準備教育」によって、もう少し最後まで思いやりを示すことができるような教育を受ければそれは何と素晴らしい教育でしょうね。上智大学は人間学が今必修科目ですね。一年生はみな一年間で人間学を学びますが、私は専門は哲学ですけれども人間学も教えています。私が思うのは人間の偉大さは次の3つのポイントにあると思います。第1は人間は考えることができる、第2は人間は自由に選択できる、第3は人間は愛することができるね。人間らしい死に方は、同時に人間らしい生き方ですけれども、できるだけ最後まで考えた上に自由に選択する、どういうふうに最後の日を過ごすか選択して、そして何よりもわがままにならないで最後まで思いやりと愛を示す、これは人間らしい生き方と人間らしい死に方ですね。さっきの上本君のことは、「身近な死の経験に学ぶ」という本の中にあります。そこに編集することによって彼は今も教え続けていますね。死ぬ っていうことは一方では運命的なやむをえないことで、さっき言いましたように今の日本人の死亡率は100%です。けれどもどういうふうに死ぬ か、最後までどういうふうに生きるか、それは「死への準備教育」として「生と死を考える会」がめざしている大きな課題であると思います。
 
 第6「癌告知と末期患者とのコミュニケーション」
 今、「癌告知するかしないか」は非常に大きい話題になっています。私はゴールデン・ウィークは中国で教えました。上海から飛行機で一時間の武漢大学の小さな大学で、学生の数はただ10万人だけでした。10万人の大学ね。すごいですね。そこで私は中国のいろんなこと調べたんですけれども、たくさんの中国人に「癌告知するかしないか?」聞きました。「いっさい癌告知しない」とか「死は長年のタブーだったから、もちろんそういうふうにして話すことができない」とか「家族に言って、本人には言わない」という答でした。ところがアメリカでは癌告知に関して医師に対する二つの大きな調査があったんです。1961年はアメリカの医師の90%は「癌告知をしません、ノー」と答えたんですね。ところが1977年はアメリカの医師の97%は「癌告知します。イエス」と答えたのです。アメリカの医師は完全に変わったんですね。なぜ癌告知するかいろんな理由があるんですけれども、一つはやはりコミュニケーションということですね。癌告知はただ病名を告げるか告げないかというテーマじゃないんですね。コミュニケーションがあるかどうかっていうテーマですね。  
 一つの実例、これはロンドンの私の友達で精神科医の体験ですね。彼がロンドンの病院の廊下である患者さんのところに行く途中で、その奥さんに会った。そして奥さんは「先生、実はうちの主人が治らない癌であるっていうことは私もよくわかってますけれども、うちの主人はとっても弱い人でそういうことに耐えしのぶことができないタイプですから癌だと、絶対言わないでください。」「あー、そうですか」そして奥さんは家へ帰りました。今度はその精神科の医者は、患者さんのところへ行きました。患者さんは「先生、あの実は私自身はもちろん治らない癌であるとよくわかってますけれども、うちの家内はとっても弱い人です。そういうこと耐えしのぶことができないタイプです。私が癌であることを絶対言わないで下さい。」「あー、そうですか」と答えました。次の日に奥さんが来て、医者は二人に言いました。「二人ともよく知ってますので、ご主人が癌であることについて話をしてください。」その患者さんはあと3日間しかなかったんですね。彼は奥さんが後で困らないように会社のことや、大切な鍵はどこにあるか、誰にお葬式の知らせを送ったほうがいいかとか、全部奥さんに一生懸命に教えました。もう最高の夫婦愛でした。医者の判断でこの夫婦は一生涯で一番コミュニケーションの深い、その最後の3日間を過ごしました。皆さん、後のこと想像してごらんなさい。そのご主人は3日後に亡くなったんですね。奥さんには最後の3日間の美しい思い出が、心の貴重な贈り物でしょ。「うちの主人は最後の3日間あれほど私に対する思いやりを示して、そして最後にありがとうを言い、アイ・ラブ・ユーを言って死にました。」ところがその医者が二人とも知らせたくないということでもし癌告知がなかったら空しいし、まず孤独でしょ。二人は知ってるけれども話せない。一番大きな孤独は誰もいないという孤独感じゃなく、誰かと一緒にいるけれどもコミュニケーションできないことです。これは最高の孤独だと私は思うんです。まず主人と奥さんの最後の3日間の孤独を考えましょう。ご主人が亡くなってからの奥さんの悩みは、「はー、こういうことも言いたかった。こういうことも聞きたかった。はー、最後にアイ・ラブ・ユーを言わなかった。主人は最後の一時間はどれほど淋しかったでしょ。」とかいろんな後悔があるんですね。癌告知のおかげであれほど最高の夫婦愛の美しい3日間を過ごせたことが奥さんにとっても貴重な思い出になるんですね。ですからそういう意味で癌告知するか、しないかよりも私たちは末期患者さんとのコミュニケーションという枠の中で癌告知を考えた方がいいんじゃないかと思います。あの私の母国ドイツでこういう美しいことわざがあります。「ともに喜ぶのは二倍の喜び、ともに苦しむのは半分の苦しみ」特に後半を癌告知にあてはめましょう。ご主人が癌で死ぬ ことについて、二人が話すことができれば、半分の苦しみにならなくとも、少しは楽になると思いますね。ともに苦しむのは半分の苦しみね、そういう意味で最後の段階のコミュニケーションの重大さは今癌告知のポイントで強調したいと思います。  
 ところが癌告知すればもちろんアフター・ケアも大切です。誰がどういうふうにアフター・ケアやるかっていうこともです。私の妹はドイツで主人を癌で失いました。医者はうちの妹に言いました。「私はカウンセリングを勉強しなかったし、後でそれほど主人に会うこともできない。長い時間ではないですけれどもカトリックの神父に頼んで一緒に行きましょう。」そして医者は医学的な面 を説明しました。「残念ながらやはり胃癌でした。もう治る可能性はないです。」けれども医者が戻ってからカトリックの神父は残りました。そして妹の手紙によりますと、夫が死ぬ までにそのカトリックの神父は毎日少なくとも20分、側に坐って励ましたということです。いわゆるアフター・ケア、後の支えで精神的に支えていくことはもちろん医学的に重大です。日本ではいわゆるチャプレンね。ドイツだったらカトリックの神父あるいはプロテスタントの牧師が毎日、病院に行って患者さんと話すことは当然ですけれども、大きい病院ではフルタイムで働いてますね。日本ではふつうチャプレンのようなシステムはありません。私はホスピス・ボランティアでの最初の講義でいつも言いますね。「まず第1のルールは聴くこと、第2のルールは聴くこと、第3のルールは聴くこと。」しゃべるボランティアはだめですってことね。「しゃべりたい人はすぐ帰っていいです。」と言いますけれども、聞く相手は大切ですね。しゃべる人じゃないですね。側にいるっていうことは非常に重大だと思います。さっき言いましたように、ある段階で治らない状態になったら「する医療」から「側にいる看護」へ移さなきゃならないんじゃないかと思います。
 
 第7「癌は挑戦である」
 挑戦はチャレンジですね。癌になるかどうか私たちは自分で選ぶことはできないんです。実は今さっき言いましたように日本で27%は癌で死ぬ んですね。ところが癌になってからどうなるか。やはり私たちは自分で癌を挑戦として受けとめるか、あるいはだめになるかです。さっきのシドニーのお母さん、あるいはニューヨークの私の友達のお母さん、上本君とかは自分の癌を一つの挑戦として受け取って挑戦に対する応戦をして、ものすごく成長したんですね。人間はものすごい、いわゆるヒューマン・ポテンシャルを持ってますね。最近のある専門家は「普通 の人間は自分の潜在的能力の可能性は5%しか開発しない。後の95%は使わずにおきっぱなしにしている。」と言ってますね。これからでも死に直面 すれば、挑戦に対する応戦で自分の中にあるヒューマン・ポテンシャルを開発するんです。  
 例えば私のとても好きな映画で黒沢明監督の「生きる」って映画があります。主人公が癌になって、そして気がついたら一生涯本当の意味で生きた瞬間は1分もなかったんですね。生きがいはなかったんですけれども、死ぬ 前に一生懸命子供のため遊園地を作ろうと努力します。最後の場面もすごく印象的ですね。ブランコに乗って雪が降って、そしてそこで死ぬ んです。自分は癌になったけれど、それを挑戦として受けとめて、一生懸命人のために生きるようになる。これは生きがいのある人生ですね。実は私は来月でる予定のNHKのビデオの中でもその一場面 を入れました。  
 私は「生と死を考える会」も今みんなに対する一つの挑戦だと思います。「これからもっと温かい大分の社会を作る」っていう一つの挑戦と解釈してもよろしいんですね。私の考えでは日本の文化はこれからボランティアの時代ですから、「私たちはみなボランティアの精神で、本当に自分の利益ではなくて本当により素晴らしい、より温かい社会を作る」っていう大きい挑戦ですが、挑戦に対する応戦として、今まで開発しなかった思いやりのエネルギー、愛のエネルギーを開発できるんですね。例えば私は欧米のホスピスでいろんな若い患者さんに「死ぬ 前にもし今アイバンクで登録されれば今は見えない人が見えるようになる。アイバンクで登録すれば、あなたの死によって誰かが見えるようになる。」と言いましたら「あー、また何かできる」と、とても喜びましたね。あるいは腎臓バンクで登録することもできる。腎臓病者は人工透析を毎週3回3時間ずつしなきゃならないでしょ。しかし腎臓移植を受けると普通 の人生になります。私の姪はドイツで腎臓移植を受けました。以前は週3回小学校から人工透析にいきました。今では腎臓移植に成功して普通 の人生を過ごしています。この前結婚しましたね。素晴らしいです。今では年に2回くらしか病院に行きません。そういう意味で私も実は慶応病院でアイバンクに登録しました。慶応病院は普通 だともちろん上智大学のライバルですから、あまりすすめることできないですけれども、慶応病院は上智大学に近いんです。四谷駅の次は信濃町でしょう。私は死ぬ 時に美しいこの目を火葬してはもったいないと思います。もし誰か欲しければ差し上げますけれども、死ぬ まで待って下さい。腎臓バンクも虎の門病院で登録しましたね。私が死ぬ時に誰か助かれば非常にありがたいことでしょ。こないだ大変な誤解になったらしいですね。私もアイバンクと腎臓バンクで登録して、一人の耳の遠いお爺さんが誤解したんですね。デーケン先生はアイバンクと腎臓バンク、デーケン先生は愛人バンクで登録したという大変な誤解になったですね。
 
 第8「悲嘆教育」
 グリーフ・エデュケーションね。実は私が13年前に東京で「生と死を考える会」を作った時に主に考えたのは一つは市民運動として、これからよりよいターミナル・ケア、よりよい末期医療、死にゆく患者への援助を研究すること、第二はグリーフ・カウンセリングとグリーフ・サポート、死別 体験者がお互いを支えあうこと、この二つを大きいテーマとしました。身近な人が亡くなったら、私たちはそのグリーフ・ワーク、つまり悲嘆の仕事をやらなきゃと思いました。グリーフ・ワークという英語の仕事はドイツ語のトラウエル・アルバイト( Trauerarbeit )ね。仕事ですね。ではどういうトラウエル・アルバイトであるか?一番お互いを理解できるのは同じ体験、死別 の体験、それは主人を失った人同士が集まって、講演会じゃなくて、ただお互いが話すということね。例えば今東京の「生と死を考える会」は毎月2回、第2月曜日の夜と第4日曜日の午後に上智大学で、大勢の死別 体験者が集まってお互いを支えあってます。では「大分・生と死を考える会」はどうなるか? もちろんここの運営委員会が決めると思いますけれども、皆さんには今日はアンケートもあります。是非「大分・生と死を考える会」に何をやってほしいか、どういう希望があるか、遠慮なく書いて下さいね。一つはターミナル・ケアの研究で、二つは死別 体験者がお互いを支えることが中心で、あとはもちろんいろいろメモリアル・サービス、亡くなった人のメモリーを大切にすることもあります。私はホスピス研究、そしてグリーフ研究会も作ったんですが、それは専門家ばかりです。上智大学では定期的に悲嘆の研究をするグループなどいろいろあるんです。  
 イギリスの有名な調査があったんです。5千人の男やもめに対する調査ね。奥さんが亡くなってから、残った主人の死亡率はある時期は40%以上もあがったんですね。恐ろしいでしょ。患者が亡くなったら遺族も病気になること多いんですね。ですから、イギリスで特に男やもめ、男は特に危険ですね。奥さんが先に亡くなれば、男はつらいよ。奥さんはそれほど危険ではなかったんですけれども、奥さんも大変です。私は今13年間上智大学で毎月2回、そういう人に会うでしょ。ご主人を亡くした奥さんも大変ですよ。一番ストレスの多い体験は配偶者を失うことですね。そして「大分・生と死を考える会」もそういう場を作る、例えば定期的にご主人を失った奥さんとか、あるいは奥さんを失ったご主人とか、子供を失ったお母さんたちが会ってお互い同士分かち合いできる。これは本当に大きな助けになるんじゃないかと思いますね。今私は悲嘆について12段階のモデルを作りましたけれども、詳しく説明する時間はないので、もし興味があれば来月でる予定のテープとビデオを聞いたり、見たりしてください。NHKのビデオのプログラムは「死とどう向かいあうか?」というテーマです。また悲嘆の12段階のプロセス、つまりあらゆる喪失体験、例えば失恋の後でも、あるいは身近な死の後でも、12段階のモデルがあり、だいたい立ち直るまで1年間かかると思います。平均年令だけ考えますと、日本の女性は結婚すれば90%はいつかは主人の死を体験するでしょ。そうしますと英語でプレウィドウフッド・エデュケーション( pre-widowhood education )、つまり独りぼっちになる前からの教育が望ましいですね。大勢の女性にとってはご主人が亡くなったあとも場合によっては20年とか30年あるんですね。そういう伴侶を失う前の心の準備以外にもいろんなテーマがありますが、そのテープは毎回30分ずつで、テキストも付いてます。ですから小さなグループででも、一つのビデオを見て、あとで研究するっていうことで、ちょっと役に立てばいいと思います。私は今日の「生と死を考える」っていうテーマの一つはやはりこういうような悲嘆の教育、あるいは悲嘆のサポートだと思います。
 
 第9「人生におけるユーモアの役割」
 結局私が一番初めにも言いました。「生と死を考える会」はやはり死について考えることによってもっと深く生きること、命のこと、命の尊さ、生きることの重大さ、生きる時間の尊さ、生きる道につながると思いますね。そして豊かに生きるためにどうしても望ましいのは、あのユーモアの感覚のすすめですが、ユーモアっていう言葉はもともと医学的な表現ですね。医学的っていいますと、人体の中の液体や体液はもともとユーモアの意味です。先ほど小野会長さんもおっしゃいました。私たちはやはりいろんな死に方もある、いろんな苦しい体験もあるけれども、あくまでも私たちは生きることをもっと深く考えたいんです。「どういうふうに人間らしく生きるか?」そして一つの大切な道はその思いやりと愛としてのユーモアです。ですから私は手元に配ってあります朝日新聞の副題を「原点は周囲の人々を思いやる心」と書きました。日本語でよくジョークとかユーモアは同じ意味で使われてますけれども私はジョークとユーモアは違うと思います。ジョークは頭のレベルの技術ですね。言葉の上手な使い方です。きついジョークにより相手を傷つけることもできます。これはユーモアじゃないですね。ユーモアは相手に対する思いやりで、これがユーモアの原点ですね。つまり愛の表現です。もちろん緊張した雰囲気の中で誰かが面 白いジョークを言って皆が笑えば、このジョークも美しいユーモアの表現になれるんですけれども、きついジョークはユーモアではないですね。何よりもユーモアは愛の表現であると思います。  
 最近は中学校の問題があった場合、いじめ問題とか学校内の暴力問題とか非常に多いでしょ。そこでも例えば「先生の生徒に対する思いやりとして、もう少し明るい雰囲気を作ったらいいのじゃないか」とテレビで時々言いましたけれども、いじめ問題と学校内暴力問題の一つの原因は全体の雰囲気がまじめすぎることと私は思います。そしていろんな中学校の校長先生から「じゃそれについて中学校の教科書に書いて下さい。」と頼まれましたが、「私のような外国人が国語の教科書を書くのは冗談じゃねえか。」と答えたんですけれども、まあとにかく一応書きました。光村図書の中学校2年生の教科書でしたが、文部省の認可が必要でしたね。文部省は非常に真面 目にわたしのユーモアを分析しました。で問題になったのは最後のページで「アルフォンス・デーケン、上智大学教授」と書きましたけれども、どうも文部省は大変心配したのは、中学生がこれを読んでから後、みんな上智大学に入りたくなるんじゃないかっていうことね。結果 として慶応も早稲田もつぶれますし、もちろん東大も困りますし、ですから安全第一で上智大学教授を消しましたね。そして「アルフォンス・デーケン、ドイツに生まれ現在は日本で生活している」と書いてます。それで慶応と早稲田も安心しましたね。  
 ユーモアは愛の表現です。例えば私たちの誰かに思いやり、愛を示したいなら出発点は相手が何を期待しているかでしょ。みんな期待しているのは病院の中でも学校の中でも家庭の中でもストレスの少ないあたたかい環境でしょ。私たちは微笑みによって笑顔によってユーモアによって相手のためにそういうあたたかい雰囲気を作ることできると思いますね。例えば誰か一人が腹をたてます。すぐ緊張した雰囲気になりますね。笑いながら同時に腹を立てることは、まず不可能でしょ。一度やって下さい。できないですね。デーケンもでけん。ですからそういう意味でユーモアは決してジョークじゃないんですね。それは愛の表現だと思いますね。ですからそういう意味で豊かに生きる、人間らしく生きるためにはユーモアはとっても重大です。そしてコミュニケーションのためにも重大です。もしかしたら私たちの日常生活の80%のコミュニケーションは無言のコミュニケーション、顔の表現とかジェスチュアとかボディ・ランゲージ( body language )とかで、言葉なしです。例えば今私は非常に近くに立っているんですね。けれどもこういうきつい顔したらいっさいコミュニケーションないでしょう。でちょっとニコニコしましたら気持ちいいね。すぐ無言のコミュニケーションなりますね。  
 上智大学は四谷駅の前でしょ。四谷怪談のすぐ側ですけれども、そこで中央線に乗ります。今朝羽田空港に行く途中では未だラッシュはなかったのですが、普通 はラッシュがあってプッシュしないと入れないでしょ。入ってからお互いにみなものすごく近いでしょ。私は初め、「あー、これは理想的な出会いの場じゃないか」と思ったんですね。しかし全然コミュニケーションないでしょ。不思議なパラドックス。肉体的にはお互いにみな近くて、けれども人間として遠いんですね。ですから微笑みとか笑顔が人を結ぶんですね。右と左の人、全然知らない人でも一緒に笑うことで一体感を感じるでしょ。  
 くそまじめな人はだいたいコミュニケーションは下手ですね。今日はちゃんと会長とか副会長が迎えに来てくれましたんですけれども、最近あっちこっちの地方で講義しますと、たまに一人で駅から文化会館に行かなきゃならないです。私はいつも中年期のくそまじめな男の人の心理学をいっぱい勉強してますね。反応がおもしろいですもん。定年退職したら本を書くつもりですけれども。こないだね私は駅を出て、こうしました。一番くそまじめな男の人に「すみませんが、文化会館はどこですか?」と聞いたんですね。彼の答えはどうだったでしょう。「ノー、スピーク、イングリッシュ」。逃げました。今、日本語だったでしょ。ゆっくり話したでしょ。彼は私の言葉を全然聞かなかったと思いますね。くそまじめね。自分の問題でいっぱいね。私だけいい人、みんな悪い人、こういうタイプでしょ。「今外人、今英語を話さなきゃならない」という恐怖をいだいて、それは死に対する恐怖よりも強そうですね。恐怖感から全然言葉を聞かないでただどう逃げようかと考えているばかりですね。生きる、豊かに生きる、生を考えるために、微笑みとか笑顔とかユーモアによるコミュニケーションはすごいでしょ。  
 人間が笑うことができる唯一の生物であるとよく言われてますね。私は子供時代にドイツで初めて聞いて、さっそく私のネコが笑うことができるか実験をしましたね。その時12匹のネコを飼ってました。吾輩はネコが好きでした。そのネコたちの前でいろんな変な顔をしましたが、1匹も笑ってくれなかった。みんなドイツのネコであったから、ドイツ人と同じであまり頭良くなくて私の実験の目的が十分わかってくれなかったと思いますけれども。こないだ四国の大学の医学部でね、こういう実例をあげます。一人の医学生が手を挙げて「先生、私のネコは笑うことができる。」と言ったんですね。やはり四国ネコはたいしたもんだと思います。まあイヌもネコもいろんなこと表現できると思いますけれども、人間は顔の表現だけでも「アイ・ラブ・ユー」と伝えることができますね。ですからそういう意味で豊かに生きる姿勢を考えるためにやはりユーモアを開発しなきゃなりません。  
 
最後になりますけれども私の母国語ドイツ語でユーモアの一番有名な定義は、「ユーモアとは、にもかかわらず笑うことである」です。「にもかかわらず」の意味は、今私は苦しんでますけれどもそれにもかかわらず、相手に対する思いやりとして微笑みを示す、笑顔を示すということですね。私もユーモアの重大さを特に発見したのはやはり私の人生の苦しい時でしたね。私は日本に来てから最初の二年間はものすごく苦しかったんですね。日本語全然できなかったね。日本語の知識はただ二つの単語だけです。「さよなら」と「ふじやま」だけでしたね。誰か「ふじやま」を間違いと指摘した時はすごくがっかりしました。自分の日本語の50%も誤っているということでしたね。その当時ある親切な日本の家庭に招待されました。ドイツ語は全然できない家庭です。英語も少し。だから心配でしたね。アメリカの友達に「どうしたらいいか?」聞いたら「あまり心配しなくていいです、3つのルールを守って下さい。1つはよくにこにこして下さい。第2はよくうなずいて下さい。第3は『ソウデスネ』って言って下さい。」私はこの3つのルールを守っておいしい御馳走を食べ、よくうなずいてそして5分ずつ「ソウデスネ」って言った時はその奥さんの顔はとてもうれしい顔でしたね。わりあいうまくやったんですけれども、最後に大きい危機がありました。奥さんが「おそまつさま」って言った時に私もうなずいて、そしてちょうど5分でしたから心から「ソウデスネ」と言いました。その時奥さんの顔、ちょっと危なかったんです。けれども家にもどって字引を引いてね。そしてアメリカ人に「『おそまつ』はどういう意味ですか?」と聞きました。彼が「君はその時は『ソウデスネ』って言わんかった?」と聞いたので、私は「いや心から『ソウデスネ』って言いました。」と答えました。これはまずかったね。まずそれわかった時に、ものすごく私は自分に対する怒りを感じましたね。次の瞬間悟りが開いたね。つまりいくら努力してもまだ何回も何回も失敗あるでしょ。「また失敗」ということでストレスが多すぎる。癌になるでしょ。ですから、「にもかかわらず笑う」っていう能力を身に付けなきゃならないんです。  
 今日私たちは「大分・生と死を考える会」の発足会で一緒に1時間半で「生と死」について考えましたけれども、もし皆さんの中で、それに興味のある人がいれば、もし入会の希望があれば、今日でも入会申込書を書くことができます。手元に持ってなかったら出口に置いてあります。全国で25ケ所、岡山、広島、来月は熊本もその大きい全国のネットワークに入りますけれども、大きいファミリーのようになってます。そして私もまた大分に来るつもりですけれども、年に一回東京では全国の大会もあります。「生と死を考える会」の懇談会は毎年ありますし、あるいは全国の大きいネットワークもあります。やはりあくまでも一つの共通 点はみなボランティアですね。地方で例えば岡山とか神戸も運営委員に弁護士も入っていますし、もちろんいろんな医者も入ってますし、看護婦とかあるいは、いろんな大学の先生、そして主婦とか、いろんな人が運営委員やってますよね。「生と死を考える会」は全国で末期医療の改善のためとか、よりよい社会を作るための素晴らしいボランティア運動だと思います。ですからそういう意味でこういうアイデアでネットワークが広がって、この大分でもっと温かい社会作るのも、素晴らしいボランティア活動だと思います。最後ですけれども、この運営委員会も一年間苦労して努力してこれだけを準備したんですけれども、これから定期的に集まりがありますから、皆さんの手元にあるアンケートは是非書いてください。自分はどういうことを希望する、希望するとしたらどういう活動か、それによって運営委員はこれからも計画できるんじゃないかと思います。さあもう時間になりました。これで終わりたいと思います。どうもご静聴ありがとうございました。