炎を維持する過程

子供の頃、火の係が好きだった。
小学校の恒例行事だった3泊4日の林間学習で、私は「包丁の係」でも「食器の係」でも「飯ごうの係」でもなく
「火の係」に真っ先に手を挙げた。火の係を担当した女子は、確か自分一人だけだったと記憶している。
支給された軍手に手を通して、釜戸の中で空気が入りやすい様、薪木をテント状に組んでゆく。
まず新聞紙に着火して、その火を木に移す。しかし、この作業が実に難しい。
分厚い薪木は焦げるものの、なかなか炎を上げてくれない。その上、新聞紙はすぐに燃え尽きてしまう。
他の係が賑やかに下準備や調理をしている間、そうして火の係は釜戸相手に悪戦苦闘する。
そのうち誰かの「ついた!」と言う声が聞こえて、勢いよく燃え上がる木の一部を分けてもらうのだけど
その炎を維持するのがまた大変難しい。落ち葉や枯れ枝や新聞紙をくべてみても1分と持たない。
開けた空気穴からバタバタと空気を流し入れ、消えてしまわないよう服をススだらけにして維持する。
顔は熱を持ち、軍手は既に黒コゲて、煙に咳き込みながらも、何とか維持しようとする。
真っ黒に煤けた炭を火鋏みでゴリゴリと退けて、新しい薪をくべながら生まれたばかりの新鮮な炎を見守る。
そんな私をクスクス笑いながら「大変そうだね〜」と心にもない言葉を投げかける女子達もいたが別段、何も感じなかった。
男子の視線を意識しながらキャアキャアと野菜の皮むきをするなんて、真っ平ごめんだ。
面取りもされていない、雑に剥いて刻まれただけの大きな大根や人参達を見て、ただそう思った。
誰にも褒められない、過酷で地味な火の係だったからこそ、私はそれが好きだった。

そうして自分のやりたい事を自分のやり方で淡々とこなす毎日が続き、次第に協調性を失くした私は
いつしか問題児と呼ばれるようになった。同級生達は腫れ物に触るようにしか接しなくなり、教師達は
これ見よがしに大きな溜め息をついて私の存在を面倒がった。でもやはり別段、何も感じなかった。
私は常に自分の周囲を取り囲むたくさんのことについて考えていて、そちらに気を配る余裕がなかっただけで、
誰かの手を煩わせたかったわけでも、優しくして欲しかったわけでも決してなかった。
私の頭の中には1冊のノートがあって。
そこには甘い愛の言葉や罵詈雑言、七色の夢物語、感動的な場面のスケッチなど、
それはもうたくさんのことが書かれていた。そこに書かれたものだけが、私の本物だった。
大人達はそのノートを何とか覗き見ようとしたが、私は固く固くそれに鎖を巻いた。
これは誰に見せる必要もない物だ。私の中だけにあれば、それでいい物なのだ。
「何を馬鹿なことを」「現実を見ろ」「そんなことより大事な事がある」「将来、将来、将来」
そんな言葉を聞かされる状況さえ回避すれば、私は自分のやりたい事を自分のやり方でこなしていける。
ある日、読書をしている私に向かって教師が「すごいね!そんな本読むの?」とわざとらしいほどの大声で言った。
好奇の視線が手元に集中した。 私は立ち上がり、その教師の前で持っていた本をビリビリに破いた。
三島由紀夫は紙屑になって足元に落ちた。
蝉の声が静寂をかき消した、14歳の夏の日だった。

流行り物を見ては「最近の子はみんな同じで個性がない」と悪態をつく大人達が、舌の根も乾かぬうちに
「完璧に制服を着ろ、みんなやってることだろう」と必死で怒る矛盾が私は嫌いではなかった。
彼らの枠というものは全てが立方体の形をしていて、積み木を片付けるようにきちんと収まるようになっているらしい。
そして私は「18歳」という彼らの立方体の中に、少しの狂いもなく入ってやる必要があった。
「お前達のためだ」と熱弁する傍らで、無個性を批判するその心理は、単純な若さへの嫉妬なのだろうと知っていた。
その証拠に彼らは自分達の若い時代について誇りを持っていた。それはそれで正しい大人だと思った。
その中に冴えない一人の国語講師がいた。私はこの講師の言葉が大好きだった。
「人間とはどんなに満たされていても何かが欠けていると感じるものなんですよ。それを『欠如』と呼ぶわけですが、
欲求とは自分に『欠如』したものを満たしたいということであって、欲求はそのまま人間の生きる力となるわけです。
『欠如』しているからこそ岡本さんは生きてゆけるというわけなんですよ。僕の言いたいことがわかりますか?」
遅刻した電車の中で偶然会った彼の些細な一言を、私は一生忘れることはないだろうと思った。
彼は最後に「岡本さんは理解出来る子だと思ったから」と言った。以前、彼に提出した作文の内容を思い出そうとしたけれど
結局何も思い出せなかった。私はあの頃、何を書いたのだろう。きっとそれはもう永遠にわからないのだけれど。
数ヵ月後、同じクラスの女子が彼を「ジジイ」と罵った。私は誰も擁護する必要がなかった。
ただ、彼から何一つ学ぶきっかけを得られなかった彼女を少しだけ不憫に思った。
弱い者にしか逆らえなかった彼女も『欠如』した何かにに生かされてるのだろうか、とぼんやり考えた。

思うに私はたくさんのことに絶望していたんだろうと思う。
あの頃、確かに私の可能性や未来は、学校の中には存在しなかった。
何かに備えて「あれもこれも」とたくさんの余計な荷物を持たされて将来へと出発するマニュアル旅行者。
そっちよりも、豊富な知識と経験を兼ね備えた身軽で生きるセンスに富んだバックパッカーの方が魅力的に見えた。
そして、そのヒントはいつも本の中にぎっしりと詰まっていた。私の頭の中にあるノートはどんどん分厚くなってゆく。
では、自分は一体何のために頭の中のノートを書き溜めているのかというと、わからない。
大人になって少しは緩んだとはいっても、そこに鎖はまだ巻かれているし、やはり勉強は必要だと思う。
私は子供の頃から今も変わらず、ずっと可哀想なひねくれ者のままなのだと思う。
ただ「常識」という手のひらが何かを植える事も摘む事もできるのだ、ということは知った。
釜戸に手を入れて炎を維持する。その作業をすることで「自分は人と違う」と主張したかったわけじゃない。
ただ単純にその作業が好きだった。ただ単純に本が好きだった。たったそれだけのことだった。
だけど物事はいつも器用に捻じれて誰かに映る。私の物語には全く筋違いな解説がつけられる。

「それをする目的は何だ」と聞かれ「目的なんて必要あるんですか」と答えた。
私は目的の為に生かされているのではないし、生きる目的を見つける為に生きることができない。

今日もノートの一部はこうしてweb上に書き写される。そして、やはり目的なんてない。
ただこれは、黙々と炎を熾して維持することに夢中だった、あの「火の係」の続きのようなものなんだろうと私は思う。
消えなければいいな、と思う。


戻る