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2005年9月14日(水) 

「行き詰まる」という表現が腑に落ちてしまうくらい過ごす事に対して辿り着けない毎日。
一人称複数形式で話す人が好きでない。背景を匂わすことでしか主張できないならそこに容量なんてないと思う。
というより正直ずるいなあと感じてしまう。何か傷を上手に避けることだけが器用な人間みたいで。
「それが知恵だよ」と世間は言わずとも教えようとする。空は果てしなく青を伸ばし続けている。
ソファーから逆さまに首を垂れて私の区切られた世界を見出そうとしてみる。 ああ、こういうことなのか。

「CRY FOR THE MOON」

手が届かない宝石。ラムネに入ったビー玉で触れることの出来ない月で他人の心だ。
あなたは跳ばなくては、とオーデンも言っている。険しくて短いのだ。きっときっときっと。

私に影響する全てのもの。響け強い芯に。

2005年9月15日(木) 

他人に少し変わってると言われる事よりも自分自身あまりにマニュアル通りだと感じる事の方が嫌になる。
現代はあまりにも豊かで便利なのでそれをフと忘れがちだけど、半生というものをグルリと一周見渡してみたら
強迫に押えられてしまっていたあんな小さな選択肢やそんな大きな岐路が木の枝の様に心の幹から命を伸ばして
まるで生活の栄養が行き渡る風に私はそれらの先をカタンカタンと切り落としながら生きてきた様にも思う。

そこまで理解出来ていても、私は根元から断ち切る鋏を持たない。捨てきれないものは年を追うごとに重なる一方。
なのに平凡と非現実は極端な程に私の中でどちらもまだ呼吸をしている。どちらもが響きあうのを待っている。
これが「方向性とか傾向が読めない」とリアルで言われてしまう私の欠点の所以なのだろう。
向き合った振りをしてどちらも拒絶する。吸収した綿を搾る場所がない。もしくは搾り出し方を知らない。
私にしか出せない私を活用してみたいはずなのに、私でなくても良いことが多すぎてみんな唇を噛んでいる。

なのに一番怖いのは水を吸えなくなってしまうことだなんて。 そして一度は溺れてみたいだなんて。

2005年9月19日(月) 

中学3年生の時、クラス委員を持っていた男の子がいた。
背が高くてバスケ部で誰よりも勉強が出来る彼はいつしかクラスの人気者になっていた。
真面目で優しい藤くんは眼鏡がとても似合っていた。「将来、親父の跡を継ぐんだ」と照れて下を向いてた。
授業なんて出ない私をいつもあの購買裏へ迎えに来ては耳を真っ赤にしながら手を引いて教室へ連れて行った。
「耳が赤いね」と私が言うと「女に免疫がないから岡本で練習ってことで」と謙虚な笑顔を見せていた。
「授業なんか別にいいのに」とまた言うと「お前のこと先生に頼まれてるから」ともう一度耳を赤くしてた。
優しくて素直な藤くん。グレて何の役目もない私に「卒アルのイラスト任せていいかな?」とわかりやすい
正義感なんかで何とか居場所を与えようとした。風邪っぽい私に誰より早く気がついた。私の親不孝を怒った。

で、簡単に死んだ。車に轢かれて1週間脳死状態でかろうじて生きたけど駄目だった。
地元のニュースで事故を偶然聞かされた私は、その自転車の潰れ具合に嫌なものを感じて病院に走ったけど
やはりそれは虫の知らせだった。「来てくれてありがとう、もう駄目らしい」と泣き崩れた彼の父親は
私の肩を痛いくらいに掴んでそう言った後、地面に突っ伏して呻いた。大人の号泣を初めて見た瞬間だった。
だるま落としを喰らったみたいに私の腰から下はズガンと一気に感覚を失くしたのを覚えている。
歩く足がカクカクした。誰にかけるでもないのに到着した公衆電話の前で「藤くん」とだけ呟いていた。

集中治療室5日目、毎日訪れる級友40人に彼の父親が3人だけ中に入ってもいいと許可してくれた。
正直私は怖くて無理だった。見てしまったらその記憶から私は一生逃れられないかもしれない。
悲しみより、同情より、轢き逃げの憤りより、現実を目の当たりにする恐怖の方が何よりも勝っていた。
なのに彼の父親は私に言った。「岡本さん、君には是非見てやって欲しい」と。 そして負けた。
白衣に帽子にマスクをした後、消毒液で手を殺菌した私達は機械的に呼吸をする人達のベッドの間を通って
藤くんの元へ辿り着いた。規則的に風船を膨らしたり萎ませたりするような彼の胸を見た途端、違うと思った。
これは藤くんじゃない。彼の形をした機械だ。そう思わせるほど彼の肺は異常な上下運動をしていた。
そうして固まっている私の手を勝手に取り、彼の手の甲に当てた父親は優しく「熱いでしょう」と言った。

「すごく熱いです」
「この子は5日間、40度の熱の中頑張ってるんですよ岡本さん」
「こんな風船の呼吸で彼は苦しくないんですか」
「苦しいでしょう。50メートルを必死で走るような呼吸でこの子は5日間を生きてます」
「目がゼリーみたいになってる」
「目を開けたまま脳がヤラれてしまったから、ガーゼで毎日保護はしてるんだけど」
彼の目には薄い乳白色の膜が張っていて背筋が寒くなるほど無表情だった。魂がその体には無いと悟った。
「可哀想」
「可哀想だね」
「もう死なせてあげたいです」
父親はまた泣いた。うんうん、と大きく頷いて。自分のエゴを責めるみたいに。それを確認したかったみたいに。

その2日後に藤くんは死んだ。不思議と涙は出なかった。逆に「良かった」と思ってしまった程だ。
彼が事故をしてからは驚愕の連続で泣きそびれ続けていた私はやはりお通夜でもお葬式でも涙が出なかった。
納骨が済んでも泣けないまま悶々と彼の死を想っていた。泣けないことは精神的に苦しいのに日常的には楽だった。
なのに彼の父親はある日言った。
「あの子は岡本さんが好きだった、日記にたくさん君について書いてあった。年賀状をくれてありがとう」

知ってた。でも気づきたくなかった。残されたものが私にはあまりにも大きすぎた。
ごめんね藤くん。もう迎えに来てくれないの。そう思った時に初めて涙がたくさん出た。
体の深い所が痙攣し続けて息をするのを忘れてしまうくらいに悲しくて辛かった。
生まれて15年、悲しみで死んでしまうことは本当にあるのかもしれない、とさえ思った。
10代を思い出すと必ず藤くんがよぎる。いつか書かなくては、と思いながらこのかさぶたを避けていた。

でもだからこそ、私は一人ぼっちじゃなかった。そしてこんな思い出をどこかで書き残せたことを
私はいつか幸せに思うんだろう。誰でもない私達だったからこそ紡げたあの日の糸と針。
藤くん、きちんと克服できたので安心してください。お彼岸の近いこの世から今さら。
てんで違う世界を生きる君を実は私も好きだったのでした。遅くなってごめん。おやすみなさい。

2005年9月29日(木) 

私の世界は、広くもあり狭くもあり、それはそれは伸びることも縮むこともできる伸縮性に優れたゴムの玉。
空は青く雲は白い。未来は根拠なく果てしなく過去はどうやったって美しい。1度しか持たない命。全てで刹那だ。

愛する人がいて。どんなやり方で捨てようとしても解けてはくれない絆があって、少なからずともそうやって荷物を背負う。そんな煩わしい荷物をを持てたのは何故か。決して重くはなかったからだ。そこにただあった。必然としてこの人生に。だからいつも無防備に誰かと接することが出来る。消滅したスペースを想像できないまま、その空洞の暗さにただ愕然として。

そしてそれは何故か価値を思わせる。
生まれた町を見下ろすような。遠い学生時代を思い出すような。桜や紅葉に魅せられた時のような。
消滅した人間達は、それらを「愛しいものなのだ」と私の心に認識させる為の鍵をくれたわけだ。

私の鼓動の扉はそうして簡単に開いてしまった。そう単純に信じ込めるほど、この喪失は体の一部になっていて、
それを取り込んでは抱きしめる行為は否定されがちであるけど、重ねた日々の肯定へと繋がってゆくんだと信じている。

帰らない。陽の欠片を飲み込んだぬくもりの日々。
私は人を失って、初めてこの世界への本物の切符を手に入れたのかもしれない。
それが死に基づいていたとしても、この世界は弾けることなく広がってゆく。
極彩色を手に入れて。どんな他人も明日を染める糧で鍵なのだ。 信じている。

DARLIN' IF YOU WANT IT.

Akiary v.0.51