1922年3月5日、北イタリアのボローニャで生まれる。
  父のカルロ・アルベルトはラヴァンナの旧家の出で職業軍人。母のスザン
 ナはフリウリ地方のカザルサ・デッラ・デリツィアの裕福な農家の生まれで
 小学校の教師。
  1942年、20歳の時フリウリ地方の方言で書いた詩集『カザルサ詩集』を自
 費出版。翌年、第2次大戦の戦局が次第に悪化したため、パゾリーニの一家 
 はカザルサに疎開する。この時の体験がパゾリーニに大きなインスピレーシ
 ョンを与え、文学作品を育んだ。
  終戦後の1947年、カザルサから12キロ離れたヴァルヴァソーネの中学教師
 となる。この時実質的処女作『不純行為』と『愛しいひと』が書かれる。そ
 の一方でイタリア共産党へ入党し、政治活動にも情熱を傾ける。
  1948年10月、未成年者を堕落させた罪、及び公共の場での猥褻行為によっ
 て告発される。このスキャンダルによって学校から停職とされ、共産党から
 除名された。
  その後、母親と共にローマのスラム街へ移り住んだパゾリーニは"ラガッ
 ツィ・ディ・ヴィータ"と呼ばれる不良少年達と出会う。さらに多くの作家
 と交流し、『ラスト・エンペラー』で知られるベルナルド・ベルトルッチの
 父親で、詩人のアッティリオ・ベルトルッチとも出会う。また彼の紹介で、
 長編小説『生命ある若者』を刊行させる。
  新進気鋭の作家として脚光を浴びたパゾリーニは、次々と詩集を刊行させ
 たが、確実な収入を得る為、映画の脚本を手がけるようになる。
  そして1960年、パゾリーニはフェリーニらが共同で設立したプロダクショ
 ンで監督第一作『アッカトーネ』の製作に入ったが、わずか2シーンを撮っ
 たのみで、製作中止。
  だが翌年の1961年『アッカトーネ』は完成する。この作品はイタリア映画
 界に新風を巻き起こし、パゾリーニは映画監督としての道を歩み始める。ま
 たこの映画には助監督としてベルナルド・ベルトルッチが付いている。
  その後、映画を中心に創作活動を続けたパゾリーニだが、1975年11月2日、
 17歳の青年に棒切れで叩かれ、最後は車で轢き殺された。
  同性愛者でもあり、常に社会に問題提示をしていたパゾリーニは生涯に33
 の訴訟を受けている。


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