2003年 アメリカ映画 ワーナーブラザーズ配給
監督:リドリー・スコット
製作:ジャック・ラプキ、リドリー・スコット、スティーブ・ターキー、テッド・グリフォン
脚本:ニコラス・グリフォン、テッド・グリフォン
原作:エリック・ガルシア
製作総指揮:ロバート・ゼメキス
撮影:ジョン・マシスン、B,S,C
音楽:ハンス・ジマー
出演:ニコラス・ケイジ、サム・ロックウェル、アリソン・ローマン、ブルース・アルトマン
上映時間:116分



思わず笑いが込み上げてくるほどの騙されよう

 まさかスピルバーグが詐欺師の映画を撮ったそのすぐ後に、リドリー・スコット までもが詐欺師の映画を撮るとは思わなかった。また『キャッチ・ミー・イフ・ユ ー・キャン』と同じことを書かねばならないか。゙映画監督は映画に対して誠実かつよりよい詐欺師でなくてはならない。 フェリーニやスピルバーグの映画はそのことを実に多く語ってくれる。そして彼等同様、よりよい詐欺師であり続けよう とするリドリー・スコットの新作は、正にその詐欺師の映画なのである!゛と。
 実際、フェリーニを意識したのかどうか、この映画のオリジナル・スコアを聞いていると、あのニーノ・ロータのフレ ーズを思い起こさせてくれる。ロータが担当した映画ではないが『寄席の脚光』のスコアまでもカフェのBGMとして流 れている。まさかニコラ・ピオヴァーニ?
 フェリーニの晩年の作品はピオヴァーニがロータのフレーズをそこはかとなく匂 わせる感じでスコアを書いていた。だから彼の最近担当した映画のスコア、ロベル ト・ベニーニやナンニ・モレッティの映画を観ながら、どこかでロータの音楽を想 い、そしてフェリーニの映画を必ずと言っていいほど思い起こさずにはいられなか った。
 まさかスコットの新作はそのピオヴァーニが担当したのでは?と思わせたが、し かしピオヴァーニではなく『グラディエーター』以降、もはやスコット作品の常連 となったハンス・ジマーのスコアであった。
 スコットの音楽というと『ブレード・ランナー』のヴァンゲリスが一番印象深い 所だが、今までのスコットと作曲家との関係を見ると(ヴァンゲリスほどの強烈さ はないにしても)やはりハンス・ジマーがスコットのファンとしては一番安心して 見られる人であろうか。というのは過去にスコット作品は、非常に音楽のトラブル が多かったからだ。
 最近知ったことだが『ブレード・ランナー』の正式オリジナルサントラが発売さ れたのは映画公開から十二年経ってからのことであっという。しかもどういう経路 でそういうことになったのかは解らないが、この正式盤より以前に発売された海賊 版の方がより完全に『ブレードランナー』の音楽を網羅しているということである。
 勿論それはサントラ盤のことだから、直接映画には関係はない訳だが、有名なの がジェリー・ゴールドスミスとの確執である。
 初めてゴールドスミスと組んだ『エイリアン』の時、スコットはゴールドスミス に無断で音楽のすげ替えを行ないスミスの機嫌を損ねたが、二回目に組んだ『レジ ェント』においてそれが決定的なものになる。試写会での様子を見た上層部が、ス コットに音楽を全て変えろと要求、その結果アメリカで公開された『レジェント』 はタンジェリン・ドリームのスコアに全て取り替えられてしまったのである。
 こういった裏話を知ると、やはりハンス・ジマーとの関係は比較的うまくいって いるのだろうと思える。ジマーはスコット映画の中で素材に合った無難なアレンジ を見せながら、繊細で追憶感の漂うムードを醸し出してきた。しかし今回は前記し たように、ロータかピオヴァーニかを彷彿されるメロディにあまりジマー・カラー は感じられない。
 そんな自分のカラーを押し殺したジマーの音楽と、オープニングの水の映像と音、 それに合わせて流れるかのように出てくるクレジット・タイトル、さらにニコラス ・ケイジの南欧洲風のルックスからイメージしたのは地中海だった。アメリカで言 えばカリフォルニア辺りの街並であろうか。南国調のムードである。
 そういった爽やかさで押し通すのかなと思いきや、詐欺をかけに行った家の窓が 開け放たれた途端、画面は一変し、ケイジの調子にも異変が起こる。
 彼は極度の潔癖症なのだ。誤って薬を切らしてしまった彼は一日かけて家中の大 掃除を始める。その神経質な姿は、リドリー・スコットの裏側の面を見せつけられ たようで、非常に面白かった。
 スコットのプライベートな面というのは、彼のイギリス宅での家政婦をしていた 高尾慶子さんのエッセイ『イギリス人はおかしい』で垣間見られる。
 スコットは家の中は隅から隅まで完璧にいつも整っていなければならず、屋敷、 門、木戸、庭のベンチのペンキが一片でも剥げていようなものならもう少しも我慢 がならない。その剥げた部分のみならず、家中の全てを塗り直させるので、ペンキ 屋は一年のうち八カ月も通ってくる。彼女に言わせるとスコットは、家の造作やイ ンテリアに命をかけているのではないかと思ったほどこだわるのだそうである。勿 論そんな性格は、スコットの代表作と見なされる諸々の映画からも想像出来よう。
 ケイジの潔癖症はそんなスコット自身をある意味自らパロッているかのようであ り(パンフレットに記載されている高尾さんの解説を読むと実際のスコットはもっ とすごいらしい)、彼がドアを開ける時「1、2、3」と英語、イタリア語、日本 語で話すつぶやきは、近年、大作続きであったスコットの肩を力を抜こうとするつ ぶやきにさえ聞こえ、この映画で軽やかさを求めるスコット演出の意思を感じた。  だがそんな軽やかさも序盤は少々退屈だ。アリソン・ローマン扮する垢抜けない 田舎のイモ姉ちゃん風のケイジの娘が現れ生活を共に始めると、あたかも『ペーパ ームーン』のような父娘物語と化していく。
 人間ドラマが弱いと言われるスコットであるが、この父娘物語はなかなか見せて くれる。だけれどもスコットがこういうスタイルの映画でいいのだろうか?とは思 う。彼の映画であまりそういう人間ドラマを見たいとは思わないのである。
 いやそうではなく、描き方の問題である。スコットは人間ドラマが弱いと言われ てるけれども、果たして本当にそうであろうか?スコットのドラマの描き方という のは、直接に情感に訴えていくものではなく、登場人物の置かれた状況から自然と 叙情感漂っていくものではないだろうか?
 だから緻密なディテールの背景に囲まれた時、初めてスコットの映画は魅惑的な ものになっていく。逆にそれを排除して、一般的な映画にあるように、直接に物語 を説明しようとすると、悲惨な結果になってしまうことが多い。
 だから今回は無難に父娘物語という人間ドラマを進めているけども、こんな直接 的に情感に訴えるドラマにしていいのかという危惧と、逆にあえてそういうスタイ ルを試みようとしているのだろうか?という思い。臭うようなオールデイズの多用 や、いつもと違うジマーの音楽はそこから来てるのかと考える。
 だけれども娘に詐欺のテクニックを教えていく辺りから、徐々に映画が弾けてい く。ケイジの軽快な詐欺のテクニックの説明を聞いていくと、そういえば似たよう なキャラが以前に『テルマ&ルイーズ』のブラット・ピットのエセ強盗師があった と思った。
 ブラピを一躍スターダムへと押し上げるキッカケを作ったあのキャラクター。テ ルマにベットで銀行強盗の仕事を教え込むシーンの強烈な印象。それ故、その後切 羽詰ったテルマが彼に教わったそのままに銀行強盗をやらかすシーンは痛快そのも のであった。
 そういった犯罪の香りを漂わせるとスコットの映画は生き生きしてくる。そして そんな危険の象徴としてエイリアンがいたり、レプリカント、『ブラックレイン』 の松田優作、レクター博士、勿論、ブラピも―存在するのである。彼等はスコット の映画に刃物のようなキレ味を与える。
 だからローマンも、テルマ同様犯罪の香りを羽織り始めると、最初のイモ姉ちゃ んのイメージから徐々に生き生きしたキャラクターへと変貌していく。
 とは言え今一つ序盤のムードを払い切れないまま盛り上がりに欠けている気がす る。確かに詐欺の取り引きのシーン等それなりに引きつけられたりはする。しかし 映画全体が盛り上がるにはもう一つひねりが欲しい感じである。ひねりが足りない から、その後無理矢理泥仕合的なシーンへと展開していくように見える。
 『誰かに見られてる』が失敗したのは、正にサスペンスとしてのひねりが全く見 られなかったことである。犯人は初めから誰だか解ってしまって、それ以外の謎解 きも意外性もない。スコットは演出で強引にドラマの抑揚感を作り出していたにす ぎない。
 『ハンニバル』の弱点もまたそういったサスペンスの要素に欠けるという点が大 きい。『羊たちの沈黙』では物語が進めば進むほど、全く検討のつかない犯人と逆 にその犯人の謎をいともたやすく解いてしまうレクターの奇怪さが連動していくと いう構造になっていた。
 『ハンニバル』はレクターとクラリスの関係に絞り込んだ為、ジョディ・フォス ターに比べてジュリアン・ムーアのキャラクター不足という要因が特に目立ち、結 局、単にサイコな見世物映画で終わってしまった。もし原作に前作以上のサスペン ス的要素がふんだんに織り込まれていれば、クラリスの女優交替というマイナス面 もカバー出来たはずなのである。結局この映画でもスコットは物語に欠けるひねり を補う為、力技とも言える演出を披露するしかなかったのである。
 『マッチスティック・メン』もまたクライマックスのシーンを迎え、そういった スコット映画にありがちな、ひねりがない分演出で強引に話を展開させていくとい う所に落ち着くのではないか―そういった結末へひた走っていることを予感した。
 が、しかし―違ったのである。
 自分は見事に騙されたのである。
 思わず笑いが込み上げるほどの感触であった。
 これは脚本のグリフィン兄弟のうまさであろう。振り返るとあらゆる所に詐欺の 伏線が張られていた。そしてディテールを信条とするスコット演出は、この脚本に 正にうってつけだったと言える。
 リドリー・スコットがこんなひねりの効いた快作を発表してくれるなんて‥‥。 ひねりが足らなくて演出ばかりが空回りしていた作品が多いだけに、スコット・フ ァンとしては嬉しい限りである。続けて撮った大作映画が、皆ある程度の評価を受 けた余裕みたいなものもあったのだろうか?
 後は唯、こういう軽快な映画もいいけれども、願うくば一度商業性を完全に無視 した、彼の作家性を全面に押し出したリドリー・スコットの映像美集大成というよ うな映画を是非観たいとは思っている。



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