第54回全日本合唱コンクール全国大会<高校の部>・雑感
H13.10.29
.;☆_☆;.

本当に久しぶりに<高校の部>全国大会を名古屋市民会館にて聴きました。
以前は高校・大学・職場・一般は11月の“勤労感謝の日”前後、連続3日間で開催されていたのですが
ここ数年、高校と中学が10月に別途開催されるようになりました。

思い起こせば21年前、同じ名古屋市民会館において、福島県立安積女子高校(現在は安積黎明)が
三善晃作曲「オデコのこいつ」を歌って見事、金賞&コンクール大賞を受賞。
この時の歌声は前年の会津高校の男声合唱とともに、鮮烈な思い出として今でも私の耳に残っています。
今回もそんな演奏との出逢いを期待して出かけました。

・・・・で、結果はどうだったのか・・・・
個々の団体の感想を書くつもりはありません。
あくまで 一聴衆が感じた一感想であり、自分達への提言でもあると思うので
適当に読み流してやってくださいませ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今回出場を果たしたのは各地方大会を勝ち抜いてきたAグループ(32名以下)13団体、
Bグループ(33名以上)19団体の合計32団体。
久しぶりに聴いたコンクールでもあり、各団体が渾身の演奏をするなか
正直言って、30団体も一度に聴くというのは肉体的にも精神的にも辛かった。
・・・ので、Bグループは後半の6団体を聴かずに帰ってしまいました。
全部聴かねばならない審査員の方々は本当にご苦労様だったと思います。

ということで、私が聴いた団体のなかで全体を通していうと・・・
技術的レベルはすっごく高くなったと思います。
一般の合唱団でさえ難しいと思う多声の難曲をみんな暗譜で歌っている。
ピッチが気になる団体もあったけれど、そんな大崩はしてなかったと思います。
ただね、ハーモニーの捉え方には疑問の余地ありでした。
というのは、シンフォニックな響きがした団体はなかったような気がするのです。
つまり長調系の三音がことごとく高い、若しくは五音が低くい・・・
中にはわざと高くとってるの?・・・と思える団体も。

32団体中、同声の団体は25団体。
同声で鳴らすとハモッているような感覚におちいりがちだけれど、それは違う。
音の世界ってとっても不思議でね。。。。倍音を重ねるだけで三音も五音も聞こえたりするの。
今回の演奏を聴いていると、そういう体験をしたことがあるのかな? と思ってしまう。
ピアノの平均律で音をとっているのでは?
できれば調性の中で音を捉えることを練習したほうが良いと思うのですが。
そういう体験の中で耳が鍛えられるし、和声の中で自分の出している音の役割がわかるのですから。
そうなれば自ずから和声の中での音のバランスもわかって、三音が一番大きくなったりはしないはずよ。

どうしてハーモニーにこだわるかというと、そういうシンフォニックな響きは
前述したように音が持っている自然な響きだと思うし、
そんな自然な響きが鳴った時、歌い手にも聴衆にも安らぎがもたらされると思うから。
それは短調の曲でも同様で、涙を誘う悲しい響き、辛い響きは和声の中にあるのです。
そういう響きを見つけて欲しいと思いました。

次に、これも技術的なことかもしれないけど・・・
ルネサンス時代のポリフォニーの歌い方ですが・・・いわゆる様式感というのかな
今回女声の選択曲でByrdの宗教曲を歌った団体が多かったけど
Byrdって現代の作曲家?・・・って思った演奏が多かった。
Why?

確かに今回の曲は音を鳴らしただけで美しい。
でも、その頃の宗教曲にはグレゴリオ聖歌からの流れで音にアルシスとテシスがあるのです。
平たく言えば動く音とそうでない音?・・・・重さのある音とそうでない音?
アルシスは次に向かっていく音といっても良いかも知れない。
そんな事ぐらい誰でも知ってる?
じゃあどうやってそれを表すか・・・そっ メッサ・ディ・ヴォーチェをかけるんです。
これがないと、のんべんだらりとしたメリハリのない曲になっちゃう。
それから上昇系の長い音符は最初に音を出したら次に向かって高まる気持ち・・
つまり響きをふくらませていかなくっちゃ・・・これはクレッシェンドとは言いたくない。
あの時代の曲には表情記号こそないけれど、歌詞にそって曲が作ってあるから。
今回の演奏にはこの音の動き、響きの膨らがみ感じられなかったから現代曲に聞こえたのでは・・・

次に発声・・・

これは凄いっ!と言っていいかもしれない。ヴィブラートのかかる団体はなかった。
だから音に濁りがなくて透明で、、、、、でね、ここで人間て欲が出るのよ。
発声講習会とかあるからなのか、どこも同じような声が多くて
曲によって音色を変えるということも殆どないのです。
(一部、混声でやっていたのは感心!)
そういう曲をず〜っと聴いていると疲れるし、飽きてくる。
特にヴィブラートのない高音が鳴り続けると内耳がビンビンして痛くなったりもする。

スコ〜ンと抜けるような声はたしかにハーモニーとして全体の響きに溶け込んで美しい。
やきものに例えるなら磁器の美しさかな?・・・ピーーンと張りつめた透明感のある声。
それはそれで好きなのですが、声そのものが聴衆のほうへ飛んでこないというか、
主張が伝わりにくい気がするのです。
わたし個人としては陶器のもつゴツゴツ感、厚み、暖かみ・・・
そういう声とか、響きはもっと好きなんです。(好き嫌いの問題だから・・笑)
女声が全部そういうわけではないけれど、声にもっと艶としなやかさも欲しかったな。

“音楽(心)を伝える”ということ・・・

最初に書いたように今回私が聴いた限り、金賞を取った団体は発声とか技術的な面で、
どの団体も差がなかったと思います。
それ以上に、一般の団体でも難しいとされる難曲に取り組み、ちゃんと音にしていた。
けれど、その中で突出した何かを持っていた団体、
言い換えれば、私の心をつかんで揺さぶるような演奏をした団体がなかったのは残念です。

ただ、部分的に「おおっ」と思った演奏はあって・・・
Aグループの某男声の第一声、これを聴いたときは、正直、涙が出そうでした。
あのベースの音色・・・・しかし惜しいかな、ああいう歌い方をされると聴いてる方としては
その上に重なるであろう理想的なバリトンとテナーの音色を頭の中で描いてしまうのです。
それと違う音色を出されると・・・ねっ、がっかりするんですよ。
それとハーモニーも少し歪(いびつ)だった。
でも、彼らが目指している音楽はわかるので 今後に期待・・・ということでしょうか。
やはりAグループの女声でも聴いた後に「ああ楽しかった」・・・って自然に言葉が出る演奏がありました。

“音楽(心)を伝える”という点での選曲について・・・

邦人作品が多いのは良いことなのかどうかわからないけれど、鈴木先生の曲が多かった。
初演したこともあるのであえて言わせてもらうと、先生の曲は音が多くてね・・・
そういう音を正しくとって、特徴的な4度重ねやクラスターを充分鳴らした上で
じゃあ、この曲が伝えるものは・・・・となるから、とっても難しい。
例えば5連符、6連符、7連符のリズムだって、それが意図する効果、
それがもたらす音響まで考える必要があるのではないか・・・
もちろん歌詞にも難しいものがあり、それは声の質とか量感にも関わるものだったりする。
同じく西村先生の某曲を歌っていた団体もいくつかあったけれど
あの題材は人生を重ね、死を目前にした人の和歌。

そういう曲を歌えないことはないでしょう。歌ってはいけないのではない。
でも、はたして彼らが歌ってその音楽(心)を聴衆に伝えることができるのかということ。
はからずも、Aグループの講評で作曲家の木下先生が同様のことをおっしゃっていました。
「詩を理解するのと それを表現するのはまた違う作業なのだ」と。
それは何も高校生に限ったことではないんです。
私達も日々悩んでいる演奏者にとって永遠の命題だと思う。

じゃあどれすれば“音楽(心)を伝える”ことができるのか・・・

現時点での私なりの答えは・・・・それはやっぱり『声』ではないか。
それは音色とか響きとか子音も含めたもので、歌い手がいろんな音楽を聴いたり、
本を読んだり、絵を見たり、映画を見たり、また人生経験を重ねることによって得たものを
エッセンスとして『声』に乗せて作品が持っている音楽(心)を伝える。
その時こそ、作品と演奏者と聴衆が同じ時間を共有できるのではないかと思うのです。

いわゆる難曲、多声部からなり楽譜面の難しい曲に挑戦したい気持ちはわかる。
でも、はたしてその題材が、その曲が自分達で表現しうるものかどうか、
まずよく考えてみることも大事なのでは?

な〜んて、こんな生意気なことを語っている私だけれど
どうすれば前述のエッセンスが『声』に乗るのかは、いまだにわかりません。
暗中模索の最中・・・・かな?(笑)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ダラダラと語ってしまって、纏まりがつかなくなってしまったけれど
発声も技術的にも進歩している高校合唱界の中で
心をつかんで揺さぶるような演奏とは何なのか、音楽を伝えるという基本的なことに
はたして進歩というものはあるのか・・・・ふと疑問に思ったので、語ってしまいました。
個人的で独断的な語り・・・ご容赦下さいね。

【追記】

久しぶりに21年前の安積女子校の「オデコのこいつ」をCDで聞きました。
蓬莱泰三さんの詩がまずスゴイ!


<大意>
子供が見た夢・・・そこはジャングルの中・・・そして戦場。
誰もいなくなってフト横を見ると母さんが死んでる。ボクは涙も出ない。
でも、みんなはお面のような知らん顔。
そしたら! そしたら! ・・・・


三善先生の曲も緊迫感と不安感に満ちていて、ピアノもどんどん不安を煽る。
安積女子校の演奏も、彼女のたちの声で彼女たちの想いとして
聞く者を惹きつけ、アッチェルランドによって一気に不安感を煽る。
♪そしたら! そしたら!♪ ・・・・・


この緊張感のあとのロング・パウゼ・・・・見事なまでの手法と演奏!
私はある風景を思い描いて涙が溢れてきました。
こんな今だからこそ、この曲を歌って欲しい!
そういう想いが熱いものとなったのでしょうか。


自分達の声で、自分達の想いを歌うべきなのでは?

.;☆_☆;.