「VIVA ITALIA とっておきの美術四都物語」を見て・・・
(ローマ・フィレンツェ編)
H13.7.17
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平成13年5月28日〜5月31日にかけてNHKBS2で放送された番組の感想です。


第一夜【彫刻の都 ローマ】


・・・ローマにある彫刻の中で「これが最高!!」と思うのは何でしょうか?・・・

番組の冒頭でローマ市民に質問していました。
私だったら・・・ヴァチカン美術館にあるギリシャ時代の彫刻「ラオコーン」・・・と答えたでしょう。
大蛇に巻きつかれ処刑されるラオコーンとそ二人の息子達
死への恐怖と身体をよじるほどの苦悩の表情があまりにも写実的です。
その苦しむ姿、彼の右腕は発掘当初は肩から先がなかったとか。。
後日見つかった腕は なんと身体の後ろにねじ曲がっていた。
誰も想像だにしなかったものでした。
この彫刻が発掘されたのはちょうどルネサンス時代。
あのミケランジェロも発掘に立ち会ったということです。

そのミケランジェロの「モーゼ」像もとても力強いのですが、
私には手足の長さが身体に比べてアンバランスに見えるし、
彫刻自体が外側から手を加えた感じが強いのです。
(勿論、作る時は外から手を加えることに違いないれけど・・)
それにくらべて、ギリシャやローマ時代の作家の彫刻は
どれもこれも内側から外にむかって力がみなぎる感じで・・・
人間の肉体そのものに見えるのです。
それが何故なのか、どうしたらそんな彫刻が彫れるのか私にはわかりません。
もしかしたらミケランジェロもず〜っとそんな彫刻を目指していたのかもしれませんね。

ミケランジェロの彫刻でもう一つ思い出すのは
ヴァチカンのサン・ピエトロ寺院にある有名な「ピエタ」像。

膝に息子イエスの亡骸を抱えるマリア

その表情は何故か若く、悲愴感が全くありません。
純粋無垢で汚れがない。見る者のすべてを受け入れてくれるようなマリア。
悲しまなくてもいいんだよ、苦しまなくてもいいんだよ。
そう言ってくれてるように私には見えるのです。

「ピエタ」が心ない青年によってハンマーで傷つけられた時 
ローマ市民はたくさんの白い花をこの像に捧げたそうです。
まるで親しい人が亡くなった時のように
・・・・・わかるような気がします。

ローマ時代より前、紀元前5〜8世紀、
イタリア半島で文化を築いていたエトルリア人。
彼らの彫刻や食器などをたくさん陳列しているヴィラ・ジュリア博物館
・・・ここにも行ったことがあります。
彼らの言語はギリシャ文字に近いもので まだ完全には解読されていないそうです。
しかし彼らが残したテラコッタやブロンズ像を見れば
その技術力の高さと精神性に驚かされます。
チェルベテリの遺跡から出土した「夫婦の陶棺」・・・仲むつまじく寄り添う夫婦の彫像には
穏やかなアルカイック・スマイルが浮かんでいます。
そしてもっと小さなブロンズ像・・・狩りをしてる人間のブロンズ像の手足は
細く、長く、デフォルメされており 
現代作家の作品だと言っても通用するような作品です。
これらの美術品が発掘された20世紀初頭
著名なイタリア人彫刻家がこれらの作品の影響を受けたのも頷けます。

そしてローマの町で忘れてはいけないのが「噴水!」

なんと大小合わせて1500個もあるとか。。。。
その中でも有名なのはベルニーニの噴水
ナヴォーナ広場にある「四大河の噴水」とバルベリーニ広場の「トリトーネの噴水」。
建築家(ヴァチカン広場を設計)としても有名なベルニーニの見事なまでの彫刻
それだけではありません、噴水の水の音がローマ市民の心を和ませてきました。
水の音のある空間・・・そんな街に住んでみたいですね。

案内人である彫刻家・安田侃さんの言葉にも頷くものがありました。
・・・イタリア人はアートに携わるものに優しい・・・
アートだけでなく芸術一般においてそうなのかもしれません。
過去に偉大なる芸術家を輩出した民族の誇りなのでしょうね

ローマ編の最後に フィレンツェと教皇庁間の政治に翻弄されながらも
ローマにルネサンスの花を咲かせたミケランジェロの詩を・・・

眠りは こよなく良きもの
石になることは さらによきもの
罪と恥におおわれる限り
何も見ず 何も聞かぬことこそ わが喜び
わが眠りを覚ますことなかれ
ああ 語るなら 声ひくく


(by Buonarroti Michelangelo 1475-1564)


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第2夜【フィレンツェ・・・ルネサンス絵画の輝き】


フィレンツェでは主要な教会を巡るとルネサンス時代の名画に出会うことができます。
サンタ・マリア・ノヴェッラ教会
サンタ・クローチェ教会
サンタ・マリア・デラ・カルミネ聖堂
サン・ロレンツォ教会
サン・マルコ修道院


教会以外で多くの美術品を収蔵してるのは
ウフィツィ美術館
ピッティ宮殿
アカデミア美術館
メディチ・リッカルディ宮殿


ジョット、マザッチオ、リッピ、ボッティチェルリ、ギルランダイオ、マンテーニャ、
ゴッツォーリ、フラ・アンジェリコ、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、・・
数え上げたらきりがありません。
それら主な名画や彫刻を見るだけでも1週間はかかるでしょう。(もっとかな?)
今回の放送で取り上げられたルネサンス時代の絵画は
実際に生で見たり、画集で見たりして私には新鮮味に欠けていました。
しかし、もう一度番組の録画を見なおしたときに 案内人の詩人・高橋陸郎さんの言葉が
いくつかス〜ッと心に入り込んできました。

まず高橋さんもおっしゃっていましたが
サン・マルコ修道院のフラ・アンジェリコ「受胎告知」は本当に素晴らしい。
その色彩といい大天使ガブリエルとマリアの優しい表情といい・・・
戒律の厳しいドメニコ派の修道院にどうして?
と思いたくなるような絵画です。

ボッティチェルリの「ヴィーナスの誕生」「春」も勿論 素晴らしいのですが
それらは美術館に置いてあるので絵の環境としては・・・・
「受胎告知」は修道院の壁を飾るフレスコ画なのです。
サン・マルコ修道院内の薄暗く細い階段を登り、右に折れた瞬間に目に飛び込んできます。
最初にこの絵を見た時のことは今でもハッキリと覚えています。
最後の数段をこの「受胎告知」に目を奪われながら登る・・・まさに至福の時
ああいう場所に置いて、こうやって見る・・・シチュエーションも大事な要素
高橋さんがおっしゃっているように
『森の中で深い泉を見つけたような喜びがある』
予想以上に大きくて・・・でも心休まる優しい絵です。。。

ルネサンス絵画の先駆者とも言われるジョット「玉座の聖母子」
・・・これもウフィツィ美術館でみました。
この絵をご覧になった高橋さんのコメント
「神の母であり、神の子である。・・と同時に、人間の母であり、人間の子である。」
私はダンテの神曲をテキストにした
ヴェルディの「Laudi alla vergine Maria」を思い出していました。
(詩は当サイト「ルネサンのス薫り」を参照方)

フィレンツェのルネサンスはメディチ家抜きで語れません。
メディチ家のカレッジの山荘では、詩人、哲学者、歴史学者、画家によって
プラトン・アカデミーなるものが催されていたとか。
ボッティチェルリもアカデミーの一員であり、
彼が描く「春」の元となったらしいポリティアーノの詩も紹介されていました。
そして、やはり例のロレンツォ・イル・マニーフィコの詩
『青春はなんと麗しきもの されど またたくまに過ぎゆくもの
     楽しみたいものは 楽しむがいい 明日は知れないのだから』
も紹介されていました。
「春」にもこの詩にも“はかなさ”の感覚が底に流れているのですね。

アカデミア美術館・・・・
ここには若きミケランジェロの傑作「ダビデ」の彫像があります。
この美術館はそれだけを見にいけば良い・・・私の勝手な持論です。
「ダビデ」は想像以上に大きかった。
しかし、これも高橋さんがおっしゃるように
『若さが美しさであり 美しさがそのまま力である。
それを彫刻家も信じていたし、見る市民も信じていた』
まさにそのとおり。見る者を圧倒し、「おお!!」という感嘆の声のみで
・・・言葉を失わせる彫像です。
高橋さんはさらに続けてこうおっしゃっていました。
『それがルネサンスという時代であったと思う。』

フィレンツェの街は幾度となく行きたくなる街です。
異国の旅行者をも両手を広げて迎え入れ、
数々の絵画や彫刻、建造物がルネサンス時代のままでそこにある。
そこにあることだけで見る者にエネルギーを与えてくれる。
それはルネサンスが人間の生活や社会と密接に繋がっていたからで
時代をも超越したものだからなのではないか
案内人・高橋さんの言葉から私はそう感じました。

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「ラオコーン」 ミケランジェロ「ピエタ」
フラ・アンジェリコの「受胎告知」 ミケランジェロ「ダビデ」