3月3日に手術!?(腰椎椎間板ヘルニア闘病記−その2)
H13.3.18
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(入院編)

入院の日が来ました・・・入院と言っても港区の本院ではなく、梶ヶ谷にある分院です。(今はないのかな?)
小金井の家からだとJR中央線、井の頭線、田園都市線と乗り継ぎ、乗り継ぎでやっと辿り着きました。
あまり記憶はないのですが、たぶん、その頃一緒に住んでいた弟が付いてきてくれたような。それとも母だったか?

梶ヶ谷の分院は窓から国道246号線を走る車は見えるものの、のんびりとした田園地帯にありました。
部屋は4人部屋です。整形外科だけでなく、内科の患者さんも同室。

さあ、腰椎椎間板ヘルニアの定番治療が始まりました。
ベッドの下半身側を山形に折り曲げ、腰にベルトをして足の方へ重りを吊す骨盤牽引、
脊髄に注射器でステロイド剤を注入して神経根の炎症を抑える硬膜外ブロック(この注射が痛い!)。
このまま入院加療が続くのか手術になるのか?・・・看護婦さんに聞いたら
・・・大抵の患者さんは手術しますよ・・・うっ、やっぱり。。。

ベッドで寝ているだけだから退屈。小型のラジオカセットを持ってきて頭もとに吊して
その頃のユーミンのアルバム「リ・インカネーション」のテープを聞いたり、
当時、所属していた合唱団の演奏会で歌う曲R.Whiteの「エレミア哀歌」を小声で歌ったりしてました。
毎朝6時に起床してまず体温を測り、回ってくる看護婦さんに前日の様子と共に報告。
部屋で顔を洗ってから給湯室に行って自分のポットにお湯を注いできます。
給湯室へは同室で杖をついているY沢さん(60代のお婆ちゃん)と毎朝一緒に行くようになりました。
朝食は7時に自分のベッドの横で・・・だったような気がします。

内臓はどこも悪くないので食べ物の制限はありません。
会社の先輩や後輩、合唱団の仲間が・・・病院の食事は美味しくないだろうから・・・
と、新潟の@嶋屋のシャケの瓶詰めやら、金松@というふりかけやら沢山見舞に持ってきてくれました。
お陰で初めて@嶋屋のシャケを食べることができて嬉しかった。
(美味しいのよね〜、でも高いのよね〜。・・・食欲もすすんで退院する時には3s太っちゃった。ヤバッ!)
上司の方々も見舞ってくれて、中でも一番覚えているのは当時40代そこそこ?
テニスが上手くてジャズの大好きなO課長が、キース・ジャレットのテープを見舞に持ってきてくださったこと。
タイトルは覚えてないけど、「ケルンコンサート」だったかな〜?
・・・キース・ジャレットとの初めての出会いでした。・・・いいよね、彼のピアノって。。。。。
当時、所属していた合唱団O団の指揮者K山先生も「旧約の風景」という写真集を持って見舞に。。
たぶん、演奏会で「エレミア哀歌」を歌うから勉強しておけ!だったのか? 先生、ありがとねっ♪ 
女ばっかりの病室で恥ずかしかった?

おっと、そんな見舞のことはさておいて治療の話を・・・
最近はいろんな検査にMRI(Magnetic Resonance Imaging )/磁気共鳴診断が使われ、
人体の断層写真をとることによって正確な診断をすることができますが
当時はまだまだ、そんなハイカラなものがありませんでした。
よって椎間板内に造影剤を注入してレントゲン写真を撮ることによってヘルニアの部位と大きさを見ることに。
例によって横向きで膝を抱えて海老さんポーズをとって注射器で脊髄に造影剤を注入。
その後レントゲンを撮ったのですが、ベッドに戻ってからまる半日は
ベッドの上半分を起こし気味にしておかねばなりません。造影剤が頭に行ったら大変だから・・・w。
レントゲンの結果を先生が教えて下さいました。
・・・・・結構大きいから、やっぱり手術しましょう・・・・・
ガーーーーーーン!! やっぱり・・・・

手術の日は追って連絡します・・・・で、最初に戻ります。
手術日は3月3日の木曜日。ご家族の方に同意書にサインを貰わないといけないからお願いしますね。
島根の実家に、やっぱり手術だって・・・と電話で連絡。
ダンナの両親にも知らせたのですが電話口の声は・・・当たり前よね、結婚前に傷物になるんだから。。。
実家からは母が飛行機で東京まで来てくれました。そして三角形の2辺を通るような経路で電車で病院へ。

手術は傷痕が小さくなるように顕微鏡下でやってくださることになりました。
詳しいことはわかりませんが、全身麻酔をし、まず腰の筋肉を切断して背骨を少し削ってから神経の束をよけ
飛び出た髄核をとる・・・・・背中の盲腸手術のようなものです・・・と言われました。
ただし、本を読んだりすると、神経の束をよける際に誤って神経を傷つけると下半身不随になる場合も。。。
万一の場合を考えていてもしょうがありません。
私は昔から思い切りがイイというか、諦めが早いところがあるのでお医者様を全面的に信じることにしました。

手術日の前日には背中の剃毛。
ところが私は皮膚が弱いので剃刀負けでかき傷を背中に作ってしまいました。
皮膚が弱い・・・・・実はこのことが・・・また後で語りますね。



(手術編)へ

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(手術編)

手術日の朝・・・・・
執刀するときにわかりやすくするためなのか、看護婦さんがやってきて「杭打ちするね!」
・・・・??? な〜にそれ? 何だか腰に打ち込まれました? その状態でレントゲンを撮って・・・
手術の時間が近くなると麻酔を効きやすくする為の(?)前投薬を注射。イテテ・・・・
いよいよストレッチャーに乗せられて手術室へ・・・
行って来ま〜す!(←同室の方々へ挨拶)・・・頑張ってね!(←同室の方々)

・・・ほほぉ、これが手術室か・・・・・あっ、患者名・・・私の名前だ、合ってる合ってる・・・
う、レントゲン写真もある。ふ〜む、杭が映ってるわ!・・・手術台・・・何だか馬の鞍を逆さにしたみたいな形。
・・・・・そっか、私はここでうつ伏せになるんだ・・・手術台の上には・・・
おお、テレビドラマでよく見かけるいっぱいお目々のついた丸いライトだ!
・・・なんて興味津々で眺めていたら・・・「はい、麻酔をうちますよ〜」・・・と腕に注射・・・
と思ったら・・・フーーーッと意識が遠のいて・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

次に気がついた時には何だか身体がだるくて・・・でも誰かが私の名前を呼んでいる・・・
答えなきゃ・・・でも、声が出ない。目もあかない・・・あ、また呼んでる。今度はお母さんも・・・
「は〜〜い」と言ってるつもりなのに声が・・・・・ああ、でもやっと目があいた・・・
気がつかれましたね。手術終わりましたよ・・・と看護婦さん。
あんたアホみたいな顔してたよ・・・母。(うっ、お母さん、シドイわ!)
そっか〜、全身麻酔の時の私は人様に見せられない顔なのね。ショックのピーーッ!!
よく見ると鼻から管が出てるし・・・ベッドの横には小水の袋が吊されている・・・ゲーーッ!
それにナ〜〜ニ? この私の隣にいるのは・・・
実は腰を手術したので上半身を捻らないように添い寝してくれてる人、いや物が・・・
・・・なんと毛布をクルクルッと巻いた丸太ん棒君が横に・・・看護婦さんに「彼氏」と名付けられました。
そそ、手術で取り出してホルマリンにつけてある私の髄核を見せてもらいました。
・・・・・うっ、まるでシーチキンじゃん・・・・・

手術後は回復室で1人で過ごします。母も小金井のアパートに帰ってしまったので夜は本当に1人。
しかし、麻酔が切れたあとは痛いんですよ。。。メチャクチャ痛い。二度と手術なんてするものかと思う。
でも痛み止めの注射は、しょっちゅううつわけにいかないのです。
夜中も1時間ごとに目が覚めて、その度にナースコールで看護婦さん呼んで
寝返りをうちたいんですけど・・・添い寝している「彼氏」を移動させて、看護婦さんに手伝って貰って
上半身を曲げないように「せーのっ!」で向きを変えなければいけないのです。
ごめんね、看護婦さん。我が儘な患者だったよね。。。

翌日は前にいた病室へベッドごと移動・・・ただいま〜!
お帰り〜〜! どうしたのそのほっぺ?・・・Y沢さんに言われてしまいました。
実は、私は皮膚がとても弱くて、顔の皮膚が薄いのです。
せっかく腰に傷痕が残らないように手術は顕微鏡下でやって下さったのに・・・・
酸素(?)を送る管を固定するプラスチックの管を口にいれ、それをさらにテープで顔に固定。
なんと、そのテープを剥がすときに私の頬の皮膚まで剥いでしまったのです。
私の両方のほっぺはジクジクして“おてもやん”のように赤くなっていました。
Y沢さんはカンカンに怒って・・・ダメじゃない嫁入り前の娘に傷つけちゃ!
・・・と、先生方に言って下さったのです。今なら医療ミスかなんかで訴えるのでしょうが、
その頃の私はそんな事、考えもしなかったし、先生方も悪い方ではなかったので・・・
それに、化膿しないようにクロマイ軟膏(抗生物質)を塗ってくださったしね・・・
まっ、なんとか消えるでしょう・・・と鷹をくくっていました。実際には今でも化粧を落とすと微かにわかりますけどね。

そそ、全身麻酔をすると喉がやられるんです。なんで?
・・・で、私の声はガラガラ声。暫くネブライザーをやることに(←全身麻酔の人はみんな)・・・
でも何回か繰り返すと、元に戻るのでご心配なく。
それから翌日はバーーーッと熱が出ます。38度は軽く超えたかな?・・術後熱だそうです。
抗生物質の点滴でスーーーッと下がりますからこれも心配いりません。

手術後1週間はベッドに寝たきりです。勿論、お風呂にも入れません。熱いタオルで身体を拭くだけ。
・・・・うぉぉぉぉ!!! お風呂に入りたい! 髪を洗いたい!・・・
6日目くらいだったか、ストレッチャーに乗ったままの状態で、看護婦さんが頭を洗ってくれました。
気持ちよか〜〜!・・・・・人に頭を洗ってもらうのって気持ちいいですよね〜♪
サンキュー! ミス・バレリーナ!(←同室だった7歳の女の子が名付けました。)

抜糸っていつやったんだろう?・・・・記憶が落ちてる。。。。。w。
1週間の寝たきりが終わると・・・さあ、今日からはベッドから起きていいですよ!・・・
勿論、以前作った自分専用のコルセットをした状態で・・・です。
ベッドからヒラリッと降りた私は、まず足を上げてみました・・・おぉ、痛くないよ!・・・
同室のみんなも・・・大丈夫? 良かったね〜!・・・心も身体もウキウキ♪♪
早速その足でナース・ステーションまで歩いて行って、同じように足を上げて見せました。
ホラッ! こんなに上がるの!・・・・・良かったね〜。でも調子に乗っちゃダメよ。
・・・・ハ〜イ! ありがとうございました。・・・うっ、釘をさされてしまった。
この時の私は羽根が生えていたかもしれません。廊下を宇宙遊泳でもするように歩いていたような・・・。

それからさらに1週間はリハビリ。結局、病院には1ヶ月と1週間入院していました。
これだけ入院していると看護婦さんの顔と名前はバッチリ覚えましたね。
同室の女の子(交通事故で足を骨折し、再度手術をした子。父:ドイツ人 母:日本人)がつけた
看護婦さん達のニックネームも全部覚えました。(今はほとんど覚えてないけどね。)
ホント、仕事とはいえ看護婦さん達には大変お世話になりました。ここには書けないことも。。。ありがとう♪

退院後も1週間は自宅療養。会社は2ヶ月近く休んだことに。。。うっ、席があるのか?
コルセットは手術後3ヶ月間はつけて通勤。初夏の時期は蒸れて暑かったですね。
それにウェストはゴムのスカートかパンツ、ストンとしたワンピースしか着れなかったし・・・。

片手で重い物を持って腰をひねるようなスポーツは禁止されました。ボーリングとかテニスね。
それから水泳も平泳ぎは腰への負担が大きいから禁止。
なるべく重い物を持たないように・・・最近は気にしなくなってきた。気をつけなきゃ!
そそ、退院後、検診に病院へ行ったら・・・こんなに若くて腰を痛めて・・・赤ちゃんを産むとにき大変ですよ。
・・・と先生に言われましたが、幸い(?)赤ちゃんをまだ産んだことがないので。。。。。w。

あれから1@年経ちます。
お陰様で腰の調子は良くて殆ど問題はありません。
本人が気をつけているというのもあるかもしれませんけどね。
たまにちょっと筋を痛めて家族に心配をかけたこともあります。(幻の大阪大会!)

もうひとつお話したいことが・・・
同室にはもう1人、「膠原病」を患ってステロイド剤が欠かせず、血管のバイパス手術をしたり
腎臓の透析をやっている10代の女の子がいました。血圧が時に200を越えることも。
学校へもずいぶん行ってなくて、3歳年下の妹さんに学年を越されそうでした。
私が入院した頃は車椅子の生活だったのですが、それでもがんばってリハビリして
何とか横バーを掴みながら歩けるようになり、ひとまず退院することになりました。
学校へも復帰したかったので、家庭教師を紹介して欲しいと頼まれ
当時大学生だった弟の同級生の女性を紹介しましたが、長続きはしなかったようです。
彼女はあれからどうしたのでしょうか・・・・。

入院して手術・・・私にとっては辛い事だけど、世の中にはそれ以上に辛い病を患っても
明るく頑張っている人がいる・・・・入院したからわかったことです。
自分が小さく思えました。

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