AREZZOってこんな街
 (アレッツォ)

 アレッツォはイタリア・トスカーナ地方、フィレンツェの南東に位置し、自動車及び急行列車を使うと、フィレンツェからは約1時間で到着します。イタリアの街としては中規模都市(?)で、その起源はローマ帝国時代以前のエトルリア時代にまで遡れます。アレッツォの駅のそばのキメラの噴水はエトルリア時代のブロンズ像のレプリカです。また、駅の南東には廃墟となったローマ時代の円形劇場も残ています。
 時代はずっと下りますが、ルネサンス時代のアレッツォには下記の3人の有名な人物がかかわっています。本文で詳しくふれます。

  Francesco Petrarca (フランチェスコ・ペトラルカ 1304〜1374年) 作家・詩人
  Piero della Francesca (ピエロ・デラ・フランチェスカ 1410〜1492年) 画家
  Giorgio Vasari (ジョルジョ・ヴァザーリ 1512〜1574年) 画家・建築家・美術史家

 アレッツォ駅を出て、真っ直ぐ北東に伸びた Guido Monaco 通りを行くと、ロータリーになっている Guido Monaco 広場に出ます。この広場にはネウマ譜を五線譜に初めて書き直したと伝えられている Guido Monaco の銅像があります。この広場をさらに北東に直進すると上り坂が始まります。左手に郵便局を見ながらこの坂を100mほど登った左にコンテスト会場(カテゴリーB及びグランプリ大会)である@「ペトラルカ劇場」(Teatro Petrarca)があります。

@劇場入口 @ステージ(1995年ヨーロッパGR大会)

 さらにこの坂を上って突き当たりを右に折れると、そこには13世紀ロマネスク様式の質素なA「サン・フランチェスコ教会」(Chiesa di San Francesco)があります。この教会こそ、上述したPiero della Francesca が描いたBフレスコ画<聖十字架伝説>が祭壇にある教会なのです。彼の描く人物は実に特徴的で、まるで水でもたまっているのではないかと思える重そうなまぶた、それに四白眼のびっくり眼で直ぐに彼の作品だとわかります。しかしこのフレスコ画は損傷が激しいため、その頃は修復中で一部しか見ることができませんでした。なお、祭壇の右手にポスターや十字架、日本語のガイドブックも売っている売店があります。

 教会を出て、さらに進行方向に歩いて行くと、アレッツォの目抜き通り(?) Corso Italia(イタリア通り) にぶつかります。この通りには夕方になると、どこからともなく若者達が湧いて出てきてきます。別に何をするわけでもなく、ただ喋っているだけ。原宿のように踊っているヤツも歌っているヤツもいません。ただしゃべっているだけ。若者達の情報交換の場所なのでしょうか。。。

 この Corso Italia を登っていくと、ロマネスク様式のファサードのあるCサンタ・マリア・デラ・ピエーヴェ教会(Santa Maria della Pieve)が右手に現れます。この教会がコンテスト/カテゴリーAの会場でした。入口は質素この上なく、中もしっくいは既に剥がれ落ちています。この教会の鐘楼は1330年代のもので、多数のアーチを持つことから「百穴の塔」(dalle e cento buche)と呼ばれているそうです。また、教会の内陣には@@@聖人のミイラが横たわっていました。棺を置いてある高さから私には顔を見ることができませんでしたが、ダンナは見たそうです。。。w。

B修復前 C C内陣

 この教会の後ろに位置するのがDグランデ広場(Piazza Grande)です。ここで毎月第1日曜日に開催される骨董市にはイタリアはもとよりヨーロッパ各地からお客さんがやってくるのだそうです。時々、日本の雑誌にも紹介されていますね。市で売られている品物は家具、装飾品からガラクタまで多種多様。街にもこういったアンティークショップがたくさんありますが、私は窓から覗くだけ。。。

 この広場ではまた、毎年9月の第1日曜日に Giostra del Saracino が開催されます。これはキリスト教世界が一丸となって北アフリカのサラセン人をヨーロッパから追い出すというもので、アレッツォの4地区を代表する8人の騎士がサラセン人をかたどった木像を馬上から槍で突くというもの。勝者には金の槍が贈られるとか。石畳の広場には桟敷が組まれ、土が盛られていました。ちなみにこの広場はけっこうな坂になっています。(映画「ライフ・イズ・ビューティフル」で主人公家族が自転車でこの坂の広場を走り抜けてましたね。)

 この広場の北側には見事なアーケードのEヴァザーリ回廊があります。この回廊こそ、画家で建築家、そしてミケランジェロやラファエロなどルネサンスの画家を描いた「美術家列伝」を現した ジョルジョ・ヴァザーリ(Giorgio Vazari)が1573年に設計したと言われる回廊なのです。この回廊にはアンティーク・ショップが軒を並べ、アレッツォで一番美味しいリストランテもあります。

D D

 回廊の真ん中あたりの階段を登ってさらに右に行くと、16世紀にアントニオ・ダ・サンガッロがトスカーナ大公国コジモ1世のために建造したというメディチ要塞(Fortezza Medicea)があります。コジモ1世は「黒隊のジョバンニ」と呼ばれたメディチ家きっての武将の息子で、彼の政治力と建築及び芸術へのパトロネージにより、フィレンツェを中心としたトスカーナ大公国が当時のヨーロッパで第一級の都市国家となったということです。この要塞からはのどかなアルノ渓谷が見渡せますが、一説によるとレオナルド・ダ・ヴィンチはここからの風景を「モナリザ」の背景に描いたのではないか・・・真偽のほどは定かではありません。

 ヴァザーリの回廊の階段を登って左手に行くと、街で一番大きい プラート公園(Parco il Prato)に出ます。この公園にはやはりこの街で生まれたルネサンス時代の大詩人フランチェスコ・ペトラルカ(Francesco Petrarca)のモニュメントがあり、公園の入口近くには彼の生家もあります。ペトラルカ・・・といえば・・・合唱人には「Zefiro torna」(西風が帰り)という詩をすぐに思い浮かべることができるでしょう。マレンツィオとモンテヴェルデの二人がこの詩を用いてマドリガルを作曲していますが、私はモンテヴェルディ派かな。。。そうそう、このプラート公園では気をつけて欲しいことが・・・・芝生がとても綺麗な公園なのですが、あちこちに犬の糞が干からびて落ちてます。この街の人達は犬の糞を持ち帰ることはしないようです。だから、思わぬ所に転がっていてビックリ。。。でもねえ、あっちの人って大らかですよね。そんな干からびた糞が落ちてる芝生のあちこちで、恋人達は寝転がってあつい抱擁を・・・ったく、目のやり場に困っちゃいます。。。

 公園の左手にはこの街で一番高い所に一番大きい教会Fドゥオーモ(Duomo)があります。この教会はゴシック様式で、その美しいGステンドグラスは16世紀のフランスの芸術家ギョーム・ド・マルチラ(Guillaume de Marcillat)作だということです。また15世紀の大祭壇の左側の壁面にはピエロ・デラ・フランチェスカのフレスコ画H「マグダラのマリア」がありますが、一目で彼の作品だとわかります。そそ、古色蒼然としたIオルガンもありました。ドゥオーモ内部は最初薄暗いのですが、徐々に目が慣れてくるし、何と言ってもステンドグラスが素晴らしい! 家庭用ビデオにも鮮やかに映しだされてました。特に真紅とも言えるほどの赤の艶やかさにはウットリするものがあります。夏でもヒンヤリとして静謐な教会内部。椅子に座っているだけで穏やかな気持ちになってきます。いいですよね、イタリアにはこうしていつでも心静かに時を過ごすことができる場所があって。

 私達は見ていませんが、教会の後ろ手には美術館があり、ベルナルド・ロッセリーニの「受胎告知」の浮彫り(1434年作)やヴァザーリの多数のフレスコ画などもあるようです。

F G H I

 以上、簡単にアレッツォの街を歴史的景観地区に重点を置きながら写真も添えて紹介しました。

←・・・・ アレッツォの地図です。左下にアレッツォの駅があります。緑のロータリーを越えて突き当たる手前、左にあるのがペトラルカ劇場(Teatro Petrarca)、右にあるのがサン・フランチェスコ教会(Chiesa di San Francesco)、左の一番上あたりにあるのが ドゥオーモ(Duomo) です。一番上の真ん中がプラート公園(Parco il Prato)、右がメディチ要塞(Fortezza Medicea)