| 廣済堂「海のルアー完全攻略」コラム −青森シーバスの開拓− シーバスは唯一無二のターゲットであり、東京湾奥から木更津・富津周辺にかけて1年中シーバスを追い回していた僕にとって、青森転勤は大事件だった。東京湾を諦めきれない気持ちと、三方を海に囲まれた青森に対する「シーバス爆釣」の期待がぐちゃぐちゃに入り乱れ気が狂いそうな日々が続いた。 ようやく気持ちを整理し、青森に赴いた僕を待っていたのは「爆釣」という期待を裏切る信じられない現実だったことを昨日の様に思い出します。 陸奥湾内の堤川、田名部川、太平洋側の高瀬川河口サーフ、日本海側の十三湖水戸口、赤石川河口サーフ、追良瀬川河口サーフ等々、3つの海全てにポイントが点在しているにもかかわらず、信じられない事にシーバスをターゲットにしているアングラーは皆無だったのである。 他人はどうあれ、「やれば何とかなるだろう」という思いで最初の1年間は青森県内の主要なポイント全てを廻ってみたが、結果はノーバイトという厳しいものだった。しかし、無からの挑戦で得られるモノは多く、青森シーバスへの思いが消え失せる事はなかった。各ポイント周辺に住むアングラーはシーバスをメインターゲットにしていたし、シビアながら条件を狙って釣行すれば可能性は高く、着実に釣果を得ているアングラーが居る事実が勇気の源になり、2年目以降の新たな展開に繋がった。 取り敢えず青森県内のポイントに見切りをつけた僕が向かったのは秋田県米代川。地元アングラーが群がる河口域は捨てて、自分なりのゲームを自由に展開出来る河川内で念願の初シーバスをゲットしたことから第一次シーバスブームが巻き起こった。青森市内の仲間にとってシーバスは釣りたいターゲットだったらしく、誰もが毎週末毎に米代川に通い、釣果データは瞬く間に50尾に達したと記憶している。翌97年は田澤氏と共に米代川から秋田港へとステージを広げ、確実に釣果を得る事を目指していった。そして98年、再び青森県内に目を向け、秋田でシーバスにハマッていった仲間と岩崎村周辺のシーバスポイント開拓に心血を注ぎ、着実に釣果を重ねる事が出来た。 ホームページで情報を公開していたこともあり、ネット上で知り合った「面識の無い」アングラー諸兄と一緒にキャストする機会にも恵まれた。岩崎はたった1年で青森県随一のシーバスのメッカと言っても良いほどアングラーに定着したし、シーバス自体が青森のメジャーターゲットとして確固たる地位を確立したと実感できるまでになった。 そこで兼ねてから考えていた、アングラーの更なる技術向上とアングラー間の親睦を深める事を目的に「シーバスパーティーin岩崎」を田澤氏と企画し、多数のアングラーの賛同を得た。このシーバスパーティーは参加者全員が開催責任者、というスタンスでその後毎年開催され、第3回目の2000年は青森のみならず、秋田、岩手、宮城、山形からも参加を得て、東北のシーバスイベントに成長しつつある。 僕は一生懸命な人が大好きで、常々、そういう仲間の応援団でありたいと願っている。だから、自分が得た情報は惜しみなく提供したし、教えを請われれば稚拙な知識と経験で恐縮だったが自分なりの考えを示してきた。シーバスフィッシングは楽しい、多くのアングラーにその事を分かって欲しかった。 最初は自分の欲求を満たすために、孤独で辛い釣行ばかりであったが、一滴の水がやがて大河を成すように、楽しさを理解してくれた仲間が徐々に増えた事がとても嬉しかった。 ここ数年、僕の釣果は芳しくない。仲間が米代川に通い始めた頃には十三湖の本湖内を狙っていたし、岩崎にアングラーが集まれば高瀬川河口サーフや深浦周辺の小場所を巡る事が多くなった。アングラーがたくさん集まれば情報はそれなりに流通するから、僕はより刺激的な新たなポイントを求めて自分のスタイルで楽しんでいれば良かったのである。 シーバスフィッシングの一番の楽しみは、ポイントを探し、時合を読み、集めた情報を分析して実釣にフィードバックする事であると僕は信じて疑わない。確かに数を釣ることでしか見えてこない事実もあるから、初級者にとっては情報を信じて釣行することは大事であるが、ある程度シーバスをゲットできるようになった中級者は、自分で考えてシーバスを追い求める事で更なる成長が期待できるものと思います。 21世紀の幕開けとなった今年、愛する青森を後にする事になり非常に残念ですが、かつて僕が期待していた「シーバスが爆釣する青森」を、これからシーバスフィッシングの入り口に立とうとするアングラー達に残す手助けが出来た事をとても嬉しく思います。 シーバスが居る限り、僕は海に通います。またどこかの海で会いましょう。 2001年3月22日 |