王都青嵐伝 〜第二章 『 祭 宴 』〜 第一話 |
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”家”そして”血のつながり”を権力の礎として築かれた、王家とその周辺の貴族達の間には、この暗いパワーゲームが常につきまとう。 この、尚武の気質を代々伝える王国・バームンクにおいても、それは全く同様であった。 「……そういえば、ケン、イツキ。聞いた?」 「うん?」 イツキが、その少々物騒な噂を聞いたのは、王都に秋が訪れた頃。ミラから。「山鳩亭」でケンと共に昼食を取っているときであった。 ことの発端は、王妃が病で倒れた、という噂からだった。そこに、王家の姫達が絡んでくるのである。 国王には、三人の姫がいる。長女・アノー王女、次女・セレナ王女、末女・エルスタリア王女である。歳はそれぞれ、十八、十五、九歳であるが、長女と他の二人には、大きな違いがあった。 母親が違うのである。 長女アノーは、前王妃が生んだ娘である。その王妃が死に、代わって翌々年に現王妃がその席に着いた。セレナ・イザベラ両王女は、その現王妃の娘である。 「……で、王妃陛下の不調には、アノー様が関わってるって訳か?」 何故だか不機嫌そうに、イツキが言う。 ミラは、”しまった”と思った。 この友人が、アノー王女のこととなると、少し話の対応の仕方が変わることを、すっかり失念していた。 「別に、王女様が直接関わってる、って言った訳じゃないわよ。 それに、あくまで噂じゃない」 だがこの噂は、国民にとっては十分に現実感を感じさせるものでもあった。 ……王妃の病は、実は病気などではなく、何者かに毒でも盛られたのではないか? 現在、第一王位継承権は、現国王の第一王女アノー・バームンクが所持している。現国王には息子がおらず、そのことからもこれは当然のことであった。 しかし、これが意外と微妙なものでもあるのだ。 先にも述べた通り、彼女は現王妃の娘ではない。 しかも、アノー王女の母親は、こう言っては何だが、あまり有力な家の出身ではなかった。 対して、現王妃は、バームンクの貴族の中でも大きな勢力を持つカーグブルク家の血を引く女性である。 ここに、貴族達の勢力争いが反映される。 カーグブルク家にとっては、第一王女であるアノーは自らの権力を伸ばす上で邪魔な存在であり、対して反カーグブルクの姿勢をとる者達にとっては、アノーこそがその旗印となる存在であった。 さらに……、 「まあ、でも、お姫様ってのも、大変よねえ。いっそ早いとこ、しっかりとした後ろ盾のある頼りがいのある人と、結婚しちゃえばいいのに。 アノー様ももう十八歳だし、あれだけ綺麗なんだもの。よりどりみどりなはずなのに」 「……まあ、な」 それを横耳で聞きながら、ケンは黙って、匙(さじ)を口に運んでいる。 ……そう、”王女しかいない”ということが、ことに複雑さを加えている。 この国でも当然のこと、男尊女卑の風潮が、当たり前として存在する。 そんなことから、”だれが、どの王女の婿として王家に入り込むか?”ということが、極めて大きな、この国の権力構造に影響を及ぼす鍵となる。 つまり王家周囲の貴族達、あるいは近国の王族達にとっては、介入のしようが明らかに存在する、そんな状況なのである。 現在、バームンク王家は、城壁の外からは、全てを伺い知ることなどとても出来ない、暗く複雑な抗争のまっただ中にあった。 「ごちそうさま。 それじゃあ、俺は行くよ」 「え? もう?」 席を立つイツキに、ミラが慌てて声をかける。 それに対し、 「ああ、今日、これから組合の方に行かなくちゃならないんだ」 イツキは答えた。 「ああ、例の、新しい仕事ね」 イツキは、河岸の桟橋での仕事を辞め、新しい職場に移った。 例の”闘技場”での、ガムダスとの試合のすぐ後のことであった。 彼の選んだ新しい職場は、警備業務の組合であった。 そこは王都バームンクでも大手のひとつで、あらゆる警備関係の仕事がそこによせられる。これを組合が請け負い、そこに団員が派遣されるわけである。 当然、荒事も多い。 しかしその代わりに、職に就きながら、鍛錬の時間を十分にとれる。 ”より武術に打ち込みたい” そう望んで選んだ職場であった。 「気をつけてね」 そう言うミラに軽く笑いかけながら、 「大丈夫だよ。 俺もまだ新人だからね。まだ、研修も終わったばかりだし」 イツキは軽くそう答えた。 「それより今は、その後の”建国祭”の試合かな?」 「おまえ、今年は出るつもりなのか?」 それまで聞き役に徹していたケンが、顔を上げる。 「それは、楽しみだな」 無骨な顔に、素朴な笑みが浮かぶ。 ”建国祭” 秋も深まったころに開かれる、バームンクにおける最大の祭りである。 建国王バームンクを讃える祭り。そして同時にそれは、その年の収穫を神に感謝する”収穫祭”としての役割も果たす、大陸西部最大の祭りだ。 そして大陸西部の武術家にとってそれ以上に重要なのは、この祭りのときに開催される”武術大会”である。 この大会の優勝者は、事実上大陸西部最強を名乗ることができる。それほどの権威を持つ試合だ。 「俺も、それなりに剣術の練習を積んだつもりだからな」 イツキは少し照れたように笑った。 「それに、いつまでもお前や姉さんに負けていたくもないしな」 ケンは、昨年の大会に出場している。まだ年若く、また実績もないことから本戦への出場ではなかったが、それでも予選で新人離れした成績を残した。 そして今年の活躍次第では、本戦出場も間違いなし、と言われている。 更に、サラに関して言えば、すでに本戦女子の部にて数度の優勝の実績を持つ。 この大会のレベルの高さを考えれば、まさに”天才”の名を冠されるにふさわしい、ほとんど現実離れした成績である。 「大丈夫だ。お前なら、十分な成績が出せる」 そう言うケンに軽く頷き、 「それじゃ、行ってみるよ」 イツキは代金をミラに手渡すと、食堂を後にした。 街は祭りに向け、喧噪で満たされていた。 路肩に並んだ露店商の、威勢の良いかけ声。荷物を満載した荷車の駆け抜ける音。やぐらが組まれる工事の音。祭りの日の為だろうか、店先に並べられたアクセサリーを、ああでもない、こうでもないと楽しげに話す娘達。 普段はあまり享楽を良しとしない気風をもつ国だが、この祭りの時だけは別である。 祭りの一月も前から、街の人々は祭りの準備に励み出す。 そしてその一週間にわたる祭りの期間じゅう、人々は歌い、飲み、食べ、踊り騒ぎ、そうやって浮かれ過ごす。それはまるで、それまでの日々が、この祭りを楽しむためだけに存在したかという程である。 街の住民だけではない。この大きな祭りには、多くの人間達が集まる。 周囲の街からだけでなく、遠くは隣国から訪れる観光客達。 そして人が集まれば、そこには多くの商人達も訪れる。 彼等の中には遙か遠くの国から訪れるものもあり、その珍しい品々、普段は目にかかれない珍しい装束も、この祭りの楽しみのひとつである。 そんな賑わいの中から少し離れたところに、イツキの目指す建物はあった。組合の本部である。 出入り口で門番に軽く挨拶し、敷地内へとはいる。 壁の中にはちょっとした訓練所があり、そこでは一〇人ほどの団員達が、訓練に励んでいた。 建物に入り、いつものように訓練のために着替えようとしたイツキに、後ろから声がかかった。 「イツキ」 声の主はイツキが親しくしてもらっている、サムという名の中年の男性であった。 「レオルドのオッサンが呼んでる。 部屋に来いとさ」 「あ、はい」 レオルドはこの組合のうち、団員達をとりまとめる立場にいる人間だ。 実働メンバーの実質的にトップになる。 急いで彼の事務室へと向かう。 ノックをして、声をかける。 「イツキです」 「おう、入れ」 中からの返事を確認し、ドアを開け中に入った。 ほとんど、殺風景といって良い部屋。中央の机と、その上に積み上げられた書類、壁際の書類入れの棚以外、ほとんど何もない。 その中央にある机の向こうに、上司の姿を確認する。 レオルド・パッソー。年の頃はもうすぐ初老、といったところだろうか。砂色の髪には、白いものが混ざりはじめている。だがその体つきは服の上からもはっきり判るほどに鍛えられており、事実いまだ現役として活躍している。 書類から顔を上げる。 そして髪の毛と同じ色のひげで被われた口元をニヤリッと歪ませると、イツキに言った。 「よろこべ、初仕事だぞ」 イツキの体が、僅かに緊張する。 「どんな仕事ですか?」 訊ねる。 「まあ、そんなに硬くなるなよ。 明日王都から、北のヘブルの街まで商隊(キャラバン)が出る。祭りのための商品の買い出しが目的だな。 その警護の仕事だ。」 「となると、山越えですか?」 王都とヘブルの街の間には、ちょっとした山が存在し、直通のルートではその山を越えることになる。 しかし…… 「まあ、山越えといっても、きちんと整備された道があるしな。なんといっても王都の近くだ。治安も良い。 山賊を警戒しての警護、というよりは、泥棒よけだな」 とりあえず、そんなものだろう。 入団してすぐの新入りだ。まだ組織的な戦闘を行った経験もない。初仕事としてはこの辺りが妥当、という判断だろう。 「まあ、急な話ですまんがな。 片道三日。向こうでの仕入れの時間も含めて、往復で八日から九日程度の仕事になる予定だ。 今日は訓練は適当なところで切り上げて、明日の準備を整えておいてくれ」 「分かりました。すぐに準備します」 そう言うイツキを何故か笑顔で見やりながら、レオルドは書類を広げ直しながら言った。 「そんなに緊張しなくとも良いさ。 準備する荷物については、サムにでも聞くといい。ヤツも一緒の任務につくことになってる」 イツキは一礼して、彼の事務室を後にした。 「おう、イツキ。聞いたぞ? 一緒の任務だとな」 廊下で出会ったサムが声をかけてきた。 イツキも笑いながら、答える。 「足手まといになるかも知れませんが、宜しくお願いします」 「はっ、大丈夫だって。 そんときゃ、見殺しにするからよお」 物騒なことを言いつつも、声は笑っている。 「ところでお前、王都から出るのは初めてか?」 「そうですね……。俺はもともとは、ここの生まれじゃあないもので。 でも、こっちに来てから一〇年より経ちますが、遠出するのはこれが初めてですね」 それが一般的な感覚である。 この時代、商人、軍人、芸人等の特殊な職業の人間を除き、大抵の人間はその生まれた土地から出ること無しに一生を過ごす。 イツキも祖父に引き取られてからこちら、せいぜい片道半日程度の場所にしか足を延ばしたことは無い。 それゆえ、今回のこの任務は楽しみなものでもあった。 「まあ、締めるトコだけきっちり締めて、あとは気楽に行こうや。 あっちに行けば、気を使わなきゃならないような知り合いも、あんまりいないだろうしな。 色々楽しい所に連れてってやるよ」 そう言って大声で笑うサムに対しちょっと困った顔を向けながらも、イツキは初めて行く街に、なにかうきうきした期待を感じていた。 翌日の早朝は、澄み渡った秋晴れの天気だった。 商隊の規模は、護衛五名を含む総勢二〇数名。五台の馬車と、数頭の馬に分乗し、彼等は王都の門をくぐった。 ……そしてこの二日後、彼等のうちのほとんどが帰らぬ人となる…………。 |