レイシャの追憶 第十話 巣立ちの時・中編/I>
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正直な話、レイシャにはヴァイスが何を言っているのか解らなかった。 女将との手合せ。それが彼が口にした言葉だが、意味を理解するのにしばらくの時間を要したくらいだ。 ヴァイスは紛れもなくジェチナ魔物狩人組合最強の戦士である。彼がルーク=ライナスと名乗っていた頃は、特出はしていたものの、あくまでジェチナの三強の一角だという認識がレイシャにはあった。 事実、彼は先代のヴァイスに一度敗北しているし、バルクもまた半獣化という切り札を持ち、発動時はルークを超える能力を持っていた。 だが先の死霊使いとの戦いで覚醒したという彼の力は、それらとは全く異質なものだった。 レイシャもこの一か月の間に何度か手合せを行った。突如として能力の質が変わったためだろう。初めの頃こそ何度かヴァイスの顔色を変えることはできたが、数時間後にはまるで初めからそうであったかのように、彼はその能力を調整してしまっていた。 そんな彼と、これまで戦いに全く関与してこなかった女将が戦う。それが意味するところが、レイシャには全く分からなかった。 「女将さんって強いの?」 弧扇亭の庭に出て数分。レイシャにそう尋ねてきたのはジェシカだった。一番付き合いの長い彼女が知らないものを、自分たちが知っているわけがないと思ったが、それは戦士として感じるものはあるのか、という意味なのだとすぐに気付く。 「強いぜ。とはいっても、ヴァイスの相手になる程じゃない思うがな」 それがバルクの評価だった。 「ど素人にさすがにあれだけぽんぽん殴られねぇよ。だが、よく見積もっても今のレイシャと互角か、それよりもちょっとばかり上ってくらいだと思うぜ」 つまりは高位の戦士には通じないということだろう。レイシャ自身、悔しいと思いつつも自分がそういう立場の能力者であることはちゃんと認識している。 「妥当な評価だな」 不意に声をかけられたのは、そんな時だった。その声には聞き覚えがある。驚きながら振り向くと、そこには金髪の二人の男が立っていた。 「お父さん。セイル様」 現れたのはレイシャの父、キースと、アサシンギルドのかつての長、セイルだった。 「で、どうして二人が?」 これはバルクだ。まさかかつての上司と今の上司が揃ってこの場所に来るとは思っていなかったのだろう。その表情には驚きが見られる。 「ヴァイスに遅れてくるように頼まれていてな。弧扇亭が閉まるだろうから、私達にもそれを見届けろということだそうだ」 バルクにとってそれは初耳だったようで、意外そうな表情を浮かべていたが、それに関しては特に追及はしなかった。 「それで、話は纏まったのかね」 「あ、一応」 父親に尋ねられ、レイシャは今までの経緯を説明した。もちろんヴァイスと女将が戦うことを含めてだ。 「ジーナが、彼と?」 やはりキースにとってもそれは意外なことだったらしい。しかし、逆にセイルの方は落ち着いた様子で、傷だらけの右手を顎に当て、何かを考えているようだった。 何か心当たりでもあるのだろうか。そうレイシャが尋ねようとした丁度その時、弧扇亭から女将が出てきた。 彼女は軽装の胸当てと、身軽そうな白い服を着ていた。それはどちらとも聖国の神殿兵僧の装備で、闘気を操る僧兵の間では好んで使われているものだ。 レイシャは女将が聖国の高僧の娘だという話を思い出す。 「キース。それに、セイル……」 女将にとっても二人の来訪は意外だったらしい。しかもかつての自分に近い姿を見られることに抵抗があったのか、少し気恥ずかしそうに頬を掻いていた。 「店を閉じるそうだな」 最初に口を開いたのはセイルだった。 「ええ」 先ほどまでの迷っていた様子ではない、意志のこもった声で女将が答える。セイルは「そうか」と小さく呟くと、彼女に背を向けた。 「ならば、私たちも見届けさせてもらおう。そして、このままでは十分にそれを振るえんだろうからな。それの支援はさせてもらう」 そう言うと、セイルは庭の中央辺りに移動し、先の失った左腕を、地面につける。そして、小さく何かを呟いていく。 現象が起きたのはそのすぐ後だった。突然、地面に無数の文字が浮かび上がり、その文字は地面を離れ、弧扇亭を覆っていく。 「拠点防衛用守護結界ッスか」 信じられないという様子で呟いたのはハムスだった。意味が解らず、目でどういうことか尋ねると、彼は苦笑しながらそれに答えた。 「戦争時に城や街なんかを外敵から守るために使われる立体型守護魔術ッスよ。範囲が小さいとはいえ、相当の設備と能力者が必要になるんッスけどね。まさかこんなものを仕込んでるとは」 セイルが弧扇亭を訪れるのは、近年ではそうなかったはずだ。レイシャに思いつくのも死霊使いとの戦いの後、赤珠国の要人と会談したあの日くらいだ。それはこの結界が十数年前から既にここにあったことを予測させた。 「未練を残していたのは、女将だけではないということだ」 ハムスの解説に、ヴァイスがそう付け加えた。恐らく彼はこれを発動させるための設備に気付いていたのだろう。 元よりヴァイスは鋭い感覚の持ち主だった。だが、最近の彼はそれが明確に向上している。そしてその傾向が顕著になったのは、やはり死霊使いとの戦いの後だ。ジェシカが言うには、あの時に開放されたヴァイスの魔導能力が原因なのではということだった。 魔術の媒体となる精気は人の感情に感化されやすいという性質を持つ。元々、精気を感じることはできたということだが、魔導能力の覚醒によってそれが向上したのかもしれない。 ふとレイシャの頭に何かが引っ掛かる。 もし、ジェシカの仮説が正しいのならば、彼が感じうるものは覚醒の前と後とで変わってしまったのではないかと。 女将はヴァイスにどこまで見えているのか、と尋ねた。もしもだ。ヴァイスに見えているものが、それこそ人の域を超えているのだとしたら……。 「準備も整ったようだな」 ヴァイスの声がレイシャの思考を打ち消した。周りを見ると、セイルの魔術は完成したようで、弧扇亭全体が光の幕に覆われている。 「それじゃ、始めましょうか」 庭の中央に、ヴァイスと女将が躍り出る。一方、レイシャ達観戦者はその場から数歩退き、二人に戦いの場を提供する。 女将は鞘から剣を抜き、正眼の構えに。ヴァイスは銀色の杖を手に持ち、大きく横に一度だけ振った。 そして―― 「特設第九弧扇亭女将代理、ジーナ=マリア=エストラ。参ります」 女将のその名乗りが、二人の戦いの始まりとなった。
しかし、ヴァイスはずっと闘気能力者として数々の敵と戦ってきた接近戦の技巧者だ。その彼に接近戦で挑もうというのは無謀なことだといえる。少なくともレイシャはそう思っていた。 「え?」 その考えが誤っていることには、すぐに気付かされた。切っ掛けとなったのは、女将の姿がその場から消えたことだ。刹那、激しい金属音が周囲に響き渡る。 訳が分からず、音がした方を見ると、そこでは女将の剣とヴァイスの杖が交差していた。 状況を理解しようと頭を高速で回転させるように努めるが、その間に女将は三度の斬撃を打ち込み、最後の一撃の反動を利用してヴァイスとの距離をとっていた。 「な、何が起こったの?」 驚きの声をあげたのはジェシカだった。戦士ではない彼女には今の一連の攻防が全く理解できなかったのだ。もっともそれはレイシャも大差はなく、特に初動に関しては何が起こったのかすら掴めていない。 「闘気を放出した瞬発から、闘気を込めた攻撃を叩き込みやがったんだよ」 忌々しげにバルクが呻く。瞬時にレイシャもそれが意味をしていることに気付いた。 闘気の放出というのは、闘気を体外に一気に解き放つことによって絶大な威力を持った攻撃や、尋常でない加速度の動きをすることである。 しかし効果は大きいという長所がある反面、練り上げた闘気そのものを手放してしまうことになるため、多用はできないという欠点を持つ。 一方で闘気を込めるというのは、身体や筋肉、物質に闘気を付帯させ、そのものの強化を図るという技法である。闘気は使用者から離れると途端に拡散するという性質を持つため、それを維持するために開発された技術だということだ。 こちらは比較的長い間、闘気を維持できるが、放出程の威力はないということになる。 これらはどちらとも闘気使いにとっては、それなりに標準的な技術である。もちろん、闘気そのものが使用者が少ない技術であるため、容易であるわけではないのだが、それでも女将がそれを使用できたからと言ってさほど驚くようなことでもない。 それぞれが単体ならば、だ。 「相当な闘気を放出したのに、闘気が持続できてるってこと?」 まず、女将が放出した闘気は尋常ではなかった。 生粋ではないといえ、レイシャも戦士の端くれだ。彼女が追えなかったということは、卓越した身体能力を持つか、かなりの量の闘気放出したことになる。バルクたちの反応を見る限り、恐らくそれは後者だろう。 そしてもう一つ。女将は闘気を放出した後に、闘気が込めた攻撃を放ったということである。 物質に込めた闘気は、それを解放することで放出と同様の効果を示すが、放出をした闘気は再度収束させることはできない。 更に言えば、闘気は一度放出すると、放出した闘気が僅かに残留し、次に練り上げた闘気を纏ったり放出するのに僅かな時間を要する。元々が自身のみの力であるため、融和するのにそう時間はかからないのだが、それでも接近戦で用いられるものであるために、その時間差は致命的になりうる。 女将の一連の攻撃は、それらを無視したものだった。 初動の瞬発に闘気を放出させたのはほぼ間違いない。しかし続けて放った女将の攻撃には闘気が込められていた。ジェシカがそういった違和感にたどり着くのは、容易に想像できるものだ。 だが、問題はそこではないのだ。 「それ自体は、おそらく女将さんが蓄えていたという闘気によるものッスね。単純に闘気化しているわけではなく、順次、適量ずつ開放されているって感じがするッスね」 「信じがたい発想だけどな。でも現に目の当たりにすると納得せざるを得ないな」 というのはハムスとジェフの意見だ。彼らには女将の瞬発も、攻撃も追えていたのだろう。さすがは戦士の血統といったところだ。 「問題は、そんな猛り狂ったような闘気を、女将が制御できてるってことだ」 バルクの渋面の正体はそれだったらしい。バルクは灰熊という獣人の希少種だ。その特性は、発動させると自身が狂気に染まるほどの力を手にすることができるというものである。バルクは狂気に染まること自体は制御できているとのことだが、その溢れんばかりの力に対しては、未だ抑制できないという弱点を持つ。 つまり、バルクが気に入らないのは、女将が自分ができないそれを、難なくやりこなしているからなのだ。 一同がそんな話をしている間に、女将とヴァイスの戦いは次の展開を見せていた。 攻撃を受け終えた後、二人の間には多少の緊張状態が生まれていた。お互いに自身と相手の力量とその差を判断し、次の攻撃に備えるためだろう。もしかしたら単純に攻める切っ掛けが見つからなかっただけなのかもしれない。 しかし、僅かな時間の後、突然ヴァイスを中心に、周囲の精気が流動を始めたのだ。しかもその流れはひどく違和感があるもので、奇妙な感覚に、それまで話をしていた一同はその会話を中断させざるを得なかった。 「何だ?」 皆が場の変化に取り乱していた。そしてそんな中、レイシャは妙に落ち着いた様子で、それでも何かあり得ないものを見るような眼差しで、その光景を見ていた。 精気の流動の違和感を感じるということは、発現しようとしている魔術が既知のものではないということを意味する。 しかし、レイシャだけにはそれが何であるかを理解することができたのだ。、
「邪眼 少女の口からこぼれ落ちた単語に、一同が驚きの表情を浮かべる。 先代のヴァイスは、可能な限り他の人間に自身の能力を見せることはなかった。その中で、唯一パートナーであるレイシャだけが、何度も繰り返し、そう呼ばれる能力を目にしてきた。 「刻め」 ヴァイスは銀色の杖を女将の方へ向け、小さく呟いていた。瞬時に、杖の周囲には乾いた音とともに、無数の氷柱が出現していく。 「アイシクルランス」 ヴァイスとレイシャが魔術の名を呼ぶのはほぼ同時だった。
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