レイシャの追憶 第八話 少女との別離
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「本当に、帰っちゃうのね」 「うん。それがきっと、一番いいと思うから」 少女はレイシャの言葉にそう返すと、全く陰りの無い笑顔を見せた。決意は固まっているのだろう。その表情に陰りはなく、その深く紅い瞳はレイシャの方をしっかりと見つめていた。 年相応でない少女の眼差しに、僅かに苦笑を浮かべ、これではどっちが子供なのだかわからないな、と思う。 「それにしても、良かったの? ジェチナ最後の夜のお供に、私たちを選んで」 何となく気恥しくなって、照れを隠すためにレイシャは少女に言い放った。もちろんその後に続く言葉は、「ルークを差し置いて」、だ。 顔を真っ赤にするかと思ったそんな牽制の言葉だったが、彼女はあっさりと返してくる。 「ルークとはもう色々と話したから。それに、明日、見送りに来てくれるって」 レイシャ達はそれに同行できない。明日はレイシャの父、キース=レイモンドのジェチナ魔物狩人組合の設立宣言があるからだ。 ギルドの時期要職候補であるレイシャやバルク。そしてジェイク=コーレンの後継者ともいうべきジェシカはその列に参加しなければならなかった。 結局、行くことが出来るのは、今後『死んだこと』にされるルークだけとなったのだ。 リニア=パーウェルこと、ミーシア=サハリン。一年半ほど前にこのジェチナに来たこの少女は、赤い瞳を特徴とする赤珠族の王国、ディレファールの王妹の娘だ。 しかし、娘といっても、王妹と直接的な血の繋がりがあるわけではなく、彼女は王妹の夫の連れ子として赤珠族王家の末席に名を連ねることとなった。 それが要因のどれくらいの割合を占めているのかは解らないが、彼女はその祖国に一度切り捨てられたという過去を持っている。リニアがこの街に来る原因となった事件の際にだ。 そんな彼女が、赤珠国に戻ることになったのは、その義母である赤珠国の王妹が、直接この街に訪れたためだ。ジェチナでは内乱が起き、危険であるにも関わらず、たった三人の共のみを連れての行動は、リニアに強い衝撃を与えたらしかった。 王妹がくる以前にも赤珠国に帰る機会はあった。だが、それよりもこの街で暮らすことを選んだのは彼女自身がジェチナが自分の居場所だと考えたからだ。その彼女が国に帰るという結論を出したのだ。 ジェシカにはその決断に反対することはできなかった。 「でもリニアとルークが一緒でなくなるのは心配よね。二人ともさみしがり屋なんだから。もっとも、私としてはどちらかといえばルークの方が、だけど」 (確かに) レイシャは心中でジェシカの言葉に同意した。ルークは普段こそ冷静な男だが、感情が揺さぶられると人一倍、極端に心を乱す節がある。 死霊使いとの戦いを経て、何やら精神的にも随分と落ち着いているような様子は感じられるが、半身とも言うべきリニアが居なくなってそれが保てるのかは懐疑的である。 「大丈夫だよ。こっちにはみんながいるし。私の方にもお母様や妹がいるから」 それに、とリニアは付け加える。 「別に今生の別れでもないんだし。その気になればいつだって会いにこれちゃうんだから」 (確かに) レイシャはそれにも同意する。 むしろジェチナはこの一件で赤珠国と強いパイプを持ったと言える。アサシンギルドは一度解体され、英雄カジバールが取りまとめる魔物狩人組合の支店として再編されるらしい。当面はその中核をなす人間として忙しい日々を送らねばならないのだろうが、それなりに落ち着けば何かしら名目を付けて会いに行くことくらいは出来るはずだ。 それを考えると、自分やジェシカの方が必要以上に心配しているだけなのかもしれない。 リニアは年相応の幼い、屈託のない笑顔を見せ、言葉を続けた。 「ジェシカのお腹の子にも会いたいしね。どちらかと言えば、心残りは出産に立ち会えないことかな」 そう言って少女は姉のように慕っているジェシカに抱きついた。そして、耳をジェシカのお腹にあて、目を閉じる。 「何か感じる?」 ジェシカが尋ねる。そこには、彼女と彼女が愛した男の想いの結晶がある。人よりも高い魔力を持つリニアならば彼の鼓動を感じることができると思ったのかもしれない。 「わかんない」 顔を起こして、リニアは小さく笑う。 「でもね、ジェシカの想いは感じることが出来たよ。カイラスと、この子への想い。だから私は、あそこに帰ることができるの」 そして、今度はレイシャの方を振り向いた。 「任せても、大丈夫だよね」 私の代わりに、という意味だろう。彼女にしては随分と傲慢な言い方は、自分に対して発破をかけているのだとわかっている。レイシャは生意気な少女の頭を荒っぽく撫でながら、「当然よ」と答えてやった。彼女が安心して戻れるように。 でも、だから行ってきなさい。なんてことは口に出すことはできなかった。言葉にすると、彼女がそれに満足して、もう戻ってこないのでは、などという予感がしたからだ。 もちろんそんなことはないのだろうけれど、それなりの間、パートナーとして付き合った『ヴァイス』の死は、レイシャにも衝撃を与えていたのだ。 「大丈夫。私は、ずっとみんなと一緒だから」 そんな不安を読み取ったように、小さな少女は大きな少女を安心させるように笑った。 『本当に、どっちが子供なんだか』 目に溜まってくる涙を隠すように、「当たり前じゃない」とリニアを強く抱きしめた。そのせいで泣きそうな顔をジェシカに見られてしまったが、オフレコよ、とでも言わんばかりに小さな笑みを浮かべて目を逸らしてくれた。 「あとね、もう一つ」 小さな声でリニアが囁く。 突然雰囲気が変わったので、驚いて彼女を確認しようと束縛を解こうとするが、逆にリニアの方がレイシャの背中に手を回し、身体が離れるのを遮る。 待って、と言っているように思えた。 「ルークのことも任せていいかな」 「なっ」 急激に顔が熱くなるのをレイシャは感じた。勘の良い彼女に知られていないなんてことは思っていなかった。だが、現状を心地よいと感じていたのは全員が同じだったろうし、レイシャもそれを崩してまで彼が欲しいとも思っていなかった。 だが、確かに、その状況は崩れるのだ。 「う、あ、あのね」 何かを言わねばと思うが、予想外の出来事に頭が回らない。一方でリニアの方はレイシャの腕から抜け出し、その深い宝石なような瞳を向けてくる。 「気持ちには結構前から気づいていたんだけれど、私にとっても、大切な場所だったから」 それはリニアだけではなく、他の人間にとってもだった。 二人がいる状況に、皆は希望を抱き、そしてレイシャもそんな二人の様を見ていて、彼に想いを抱くようになった。 「わ、私はあなたがいない間の当て馬なんて嫌よ」 ようやく出てきた言葉がそれだった。自分でも情けないと思ったが、ある意味ではレイシャの本心でもあった。二人の関係は超えられない。それがルークに想いを告げなかった理由の一つでもある。もっとも、それ以前にあの朴念仁が自分に振り向くとも思えないが。 しかし、リニアはゆっくりと首を振って言った。 「私とルークの関係は、きっとそうじゃないと思うの」 言っている意味は何となく分かった。二人の関係はもっと精神的な面だ。それこそ、二人が一つであることが正しいであるような、そんな錯覚を抱くような、そんな関係。 しかしだからといって、数年後、リニアが大人の女性として現れたときに、そういう感情を抱かないとは限らない。奇妙な話ではあるが、ルークの傍らにいるべきなのは、いつでも彼女でなければならない。そんな考えすらレイシャにはある。 でも―― 「これからルークと同じ時を生きるのは、皆なんだよ」 鈍器で殴られたような衝撃が脳内に走った。 「支えてくれるのがレイシャなら、私は嬉しい」 何の混じり気もない、純粋な言葉。恐らく、彼女は自分ではない人間が、彼の傍らにいることにさほど抵抗がないのだ。 ただし、それが自分が慕うものであれば、だ。 何故ならそれは、自分の傍らにいるという事と同じなのだから。 ジェシカを見ると、さすがに彼女も驚いていた。ルークとリニアがお互いを近しいモノと感じていることは周知だったが、まさかこれほど同一化ともいうべきものだという認識はなかった。 きっとそれはルークとリニアの力の覚醒がもたらしたものなのだろうし、もしかしたら二人で高位の魔術を構成したことも関係しているのかもしれない。 とにかく。その時のレイシャは、「考えてみるわ」と返すだけで精いっぱいだった。
翌日、レイシャはジェチナ中央街にある広場にいた。 近くに設置された壇上では、キースが魔物狩人組合結成の宣言を口にしている。 きっと、今頃あの二人は別れの言葉を交わしているのだろう。レイシャは、昨晩リニアから告げられた言葉を思い起こしてみる。 あの後、リニアは「まぁ、それを決めるのは結局二人の意志なんだけれどね」と付け加えていた。言いたかったことは、自分に気兼ねしなくてもよいという事だったらしい。 もしかしたら落とせるものなら落としてみろという挑戦だったのかとも思ったが、すぐに「ないな」と切り捨てた。 とは言っても、結局はなるようにしかならないのだ。ルークとそんな関係を築いてきたつもりもない。だから、その結果に進むことも一つの選択の一つと考えてみよう。 そんな結論に達したとき、壇上では父の演説が終わり、割れんばかりの喝采が沸き起こっていた。 それがまるで自分の結論に対してのような錯覚を覚えた後に、まさかねとレイシャは小さく笑った。
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