リニアの日記 番外編

レイシャの追憶 第七話 受け継がれる想い・後編


<Novel-Room>



 キースの告白はレイシャに強い衝撃を与えていた。

 父とセイルとの付き合いがかなり昔からなのは知っていた。しかし、その舞台がこのジェチナであり、父達もまた弧扇亭という場所で時を過ごしていたというのは考えもしなかった。

 しかも父はジェシカがセイルの娘だと言った。ということは、必然的にジェイクもまたセイルの息子ということに――

「ならない、ってこと?」

 レイシャはそこでキースの言い回しが不自然だったことに気付く。もしジェイクがセイルの子供であれば、ジェシカを名指しで娘だと特定する必要はない。二人はセイルの子供だという言い方で十分なはずだ。

 キースは娘が自身の意図に気付いたのをその反応で確認して、言葉を続けた。

「レタは魔国の特権階級の家の出でな。政略結婚をしたものの、物のように扱われている様に見かねて、マリアがこの街へ連れてきたのだ」

「マリア? 女将さん?」

 違和感を覚えて、レイシャはすかさず尋ねる。弧扇亭の女将がマリアという聖名を賜っているというのは、降神祭の時に聞いた話だ。

 何でも輝神教の聖女の名だとかで、リニアとジェシカといった輝神教徒の二人が騒いでいたのを覚えている。

 キースは娘の反応に一瞬だけ不思議なものを見るような表情を見せたが、すぐに二人の認識の相違に気付き、自身の言葉を訂正した。

「すまない。先代のことだ。今はリーナが弧扇亭の女将なのだったな」

 今度の名前に聞き覚えは無かったが、きっとそれが女将の名前なのだろう。写真に写っていなかったことを考えると、もしかしたら当時は弧扇亭に関わる人間ではなかったのかもしれない。

 レイシャがそんなことを考えている間に、父は話を再開していた。

「ジェイクは彼女が魔国にいた頃に、当時の夫との間に産まれた子だ。レタは自分よりもジェイクの将来を心配してジェチナに来たのだと先代からは聞いている」

 魔国は大陸の中でも特に身分関係が厳しい国だ。先代の弧扇亭女将がコーレン兄妹の母親を連れだした状況は解らないが、おそらくはその辺りのことが原因だったのだろう。

「当時、私もセイルも、お互いの役目のためにこの街に来ていてな。私たちはそんな中で知り合い、時には反目し、そして、仲間になった」

 そう口にした時の父の瞳は、酷く懐かしげなものだった。もしかしたら、キースは自分たちに過去の自身らを投影していたのかもしれない。

「そんな中で、セイルとレタはお互いに惹かれあっていった。ジェイクもセイルを実の父のように慕っていてな。やがて二人は結ばれ、弧扇亭で私たちが見守る中で愛を誓いあった」

 ここまでを聞く中では、セイルとジェイクの確執の原因は全く見つからなかった。恐らくは、それはその後に起こる、あの出来事に起因しているのだろう。

「私は二人の結婚を見届けるのと同時に、ジェチナを離れた。私の役目ももう終わっていたし、国に待たせている相手もいた」

 レイシャの母のことだ。レイシャとジェシカの歳を考えると、そろそろ自分も生まれていないといけないはずだ。

 そして、あの出来事が起こるはずなのだから。

「全てを変えたのは、龍帝の反乱だった」

 かつて大陸全土を混乱に陥れた戦争の名だ。交易都市として栄えたジェチナは、なまじ大きな都市だったために戦いの拠点ともなり、そして戦後は被災者達が押し寄せ、混沌の場となった。

「その時、セイルはこの街にいなかった。あれは元は聖国のとある司祭の従者で、かつての主の招集にセイルは応えていたのだよ。そして、セイルがこの街を留守にしている間に、レタは戦争に巻き込まれて命を落とした」

「それが、ジェイクさんがマスターと反目した理由なの?」

 闇の契約人というのはジェイクの二つ名だ。

 アサシンギルドというジェチナの強大勢力を制したアサシンギルドに、風前の灯であったエピィデミックが代理人を挑んで交わした契約。あと少し力押しを行えば街を完全に掌握することができたアサシンギルドが受けいるとは誰も思ってはいなかった契約を成立させたことから、彼はそう呼ばれるようになった。

 だが、今までの話を聞く限りでは、ジェイクはセイルやキースと志を共にしていてもおかしくはないのだ。あの契約はエピィデミックというよりも、ジェイク個人を基盤とした民衆の支持によって成り立っている。

 つまり、仮にジェイクがアサシンギルドに入っていれば、完全なジェチナの治安維持機関を成立できたかもしれないのだ。

 その可能性を捨ててまで、ジェイクがエピィデミックに力を貸した理由が、レイシャには思いつかなかった。

「本人は、私怨だと言っていた。未だに母を守れなかったセイルを許せんのだと。だからセイルの作った組織を真っ向から否定してやるのだと」

 意外な一面だと思った。時々、妙に変わったところはあるが、決して私怨に染まるような人間だとは思ってもいなかった。だからこそ、アサシンギルドに対抗できるほどの人心を得ていたのだと。

 しかし――

「だがね、私はジェイクが私怨で戦っていたとは思っていないのだよ」

「え?」

「これはリーナから聞いた話だが、戦後、セイルがこの街に戻ってきたとき、ジェイクは彼を拒絶し、ジェシカを任せられないと言ったそうだ。それからセイルは変わった。この街の統一を全ての中心に置き、非情になるためにワームのような外道すら腹心に置いた」

 ワームの名が出て、レイシャの表情が強張る。前々から不思議には思っていたのだ。他人をゴミのようにしか思っていないあの男を、なぜセイルが腹心においているのかと。

「奴は自身の欲望のためにならどんな汚いことにでも手を染める。自分の甘さでは街の統一が果たせないと感じていたセイルには、魅力的に映ったのだろうな。確かにあれは最低ではあるが、生き方がぶれないという視点で見れば、ある意味において高い評価はできる」

 かなり遠回しな評価である。キースも彼に関しては快くは思っていないのだろう。しかしそんな人間を重用してまでも、セイルは自身を強く保とうと思ったのだろう。

「だが、ジェイクが慕っていたのはそんなセイルではないのだよ」

 父のその言葉を聞いて、レイシャは妙に納得した。ジェイクは恨んでいた。母や妹を置いてまでかつての主を優先したセイルを。だがそれでも、変わっていくセイルを見ていることができなかったのだ。

「ずっとコーレン兄妹を見てきたリーナが言うには、母親の事でセイルを拒絶したことは間違っていないと思っているが、自身の言葉によって変わってしまったセイルを見ることには後悔していたようだ」

 だからそれを否定するために、彼が進んできた道とは違う形で台頭勢力を作らなければならなかった――

「お父さんも、そう思っているの?」

 父はある時期を境に、ジェイクとジェチナの第三勢力を作る計画を進めていた。核となるのは弧扇亭だ。切っ掛けはルークを懐柔することに成功した時から。リニアがこの街に来たことで、一度は頓挫しそうになったが、結果的には加速度的に進んだといってもいい。

 もっとも、それは成功することはなかったが、レイシャは父がどういうつもりでそれを思い描いたのかずっと気になっていたのだ。

「私のは、未練だな」

「未練?」

 意外な言葉が返ってきた。

「奴が私を訪ねてきたとき、初めあまりの変わりように奴だと気づくことが出来なかった。本当ならばお前たちのことを考えねばならなかったのだろうが、そんな奴の頼みを断れず、私は国を捨てることを決意した。お前を巻き込んでまでな」

 もっとも、レイシャに関して言えば、自身がついてくることを望んだからだが。

「結果、私がずっとあってほしいと願っていた大切な時間を象徴化したものは跡形もなくなっていた」

 それはきっと弧扇亭のことだ。

「だから、きっともう一度あの光景を見たくて、ジェイクに力を貸したのだと思う」

 それは本人も理解していなかった感情だったに違いない。今思えばというやつだ。レイシャを弧扇亭に派遣したのも自分が関与できない代わりに自分の代わりとなる人間にそこにいてほしいと願ったのかもしれない。

 その結果は、こんなことになってしまったが。

(結果? 違うまだ終わってない)

 レイシャはそこで諦めかけていた自分を腹立たしく思っていることに気づいた。そして動かなければならないという強い欲求がわいていることにもだ。

「やはりお前は私の娘だよ。気づくのが遅いところも、諦めが悪いところも、昔の私にそっくりだ」

 今の父を見る限りでは全くそういった印象は受けないが、あまりに父が笑いをかみしめて笑うので、レイシャはどう対応していいのかわからず、何も言えなかった。

「だが、もう少し待ちなさい。私の同士が今、状況を調べている。時間が惜しい時だからこそ、闇雲に動いてはならない。そういった忍耐も必要だ」

 私はそれでよく失敗をした、とキースは付け加える。

「それに、なるべくお前は好きに動けるようにしてやりたいが、状況があまりに悪い場合は、全力でお前を止める。この街の被害を抑える。それが最低条件だ。理解してくれ」

「はい」

「もっとも、戦力の方もあてはあるのだがね」

 そういって父は不敵に笑った。

 侮っていたと思った。父はこんな事態すら想定して、事を進めていたのだ。今は、落ち着かなければならない。頭を整理して、自分ができることを考える。そう自身に命じ、レイシャは務めた。

「そういえば、一つ気になっていたことがあるのよね」

 少し落ち着いて、ふとレイシャは気になっていたことを思い出した。不思議そうに娘を見るキースに、当の娘は同じように不思議そうに言った。

「どうして弧扇亭の女将さんが、今の女将さんなの?」

 写真に写っていなかったということは、当時は弧扇亭のディープな関係者ではなかっただろうという事だ。その問いにキースは、レイシャの期待とは違った回答をしてくる。

「先代は私と同時期に魔国に戻ったと聞いているな。自分が正式に建てた弧扇亭を放っておくわけにもいかないという理由だったと思うが」

 言い切ってから、キースも自分が娘の望んでいる答えとは違うことを話していると気づいたらしい。きょとんとした表情を見せる。

「そうじゃなくて、今の女将さん、写真にも写ってないじゃない。だから、何でそういう人が弧扇亭を継いだのかなって」

「……ああ」

 ひどく不思議な反応だった。何か触れてはいけないものに触れたような。そしてそりゃあそうだろうな、と一人で納得したような素振りまで見せる。

「な、何か悪いことでも聞いた?」

 あまりの父の動揺ぶりに、レイシャの方も動揺してしまう。

「いや。別に大したことではないんだが……」

 じゃあなんだ。と心で突っ込む。

「写っているんだよ、それに、リーナも」

「え?」

 言われてもう一度写真を確認するが、それらしい人は……

「いた……」

 見つけたのは、セイルの横に立っている少女だ。確かに顔のパーツの一つ一つを見れば、女将の印象が浮かんでくる。納得もするだろう。しかし、気づけなかったのはある理由があったからだ。

「こ、骨格が違わない?」

 圧倒的に痩せているのだ。顔だちも可愛らしく、聖国の伝統的な美少女という感を受ける。また相当な良家の出だという事が伺え、写真からも独特の雰囲気が見て取れるのだ。

 今のふくよかな体型の、庶民に満ちた雰囲気を持つ女将からは全く想像もつかない容姿だった。

「私も再会したとき、全く誰なのか解らなかったよ。それこそ、セイルの変貌なんぞ吹き飛んでしまうくらいには」

 時が恐ろしいのか、状況が恐ろしいのか。取りあえず、レイシャは苦笑いを浮かべながら、父にその写真を返した。

 迷いを断ち切った訪問者が現れたのは、そんな中での出来事だった


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