リニアの日記 番外編

レイシャの追憶 第六話 受け継がれる想い・前編


<Novel-Room>



 その知らせを聞いたとき、知らせに来たカイラスに対して、何て悪趣味な冗談を言う男だろうと思ったのを覚えている。

 よくもまあ仕事と私事でこうも態度を変えられるものだと思っていたのは常で、一方で確かにこれならば彼の本当の姿に気づくものはいないだろうとも思っていた。

 だがそれでも、言っていい冗談と悪い冗談がある。それを咎めるため、口を開こうとした瞬間、レイシャは自分こそが愚かなのだということを思い知った。

 ジェイク=コーレンの死。あってはならないその知らせに対して、何を馬鹿なことをと笑っていたのは自分一人だったからだ。

 この時間がずっと続くわけがない。それは分かっていたつもりだった。けれども、そんな甘い幻想に、一番どっぷりとつかっていたのは自分だったのだと、レイシャは強く思い知らされることになった。


 それから数時間後。レイシャはアサシンギルドの本部にいた。

 レイシャは苛立っていた。弧扇亭ではジェイクの夜伽が始まっているはずだ。しかし、レイシャにはそれに参加することができなかった。彼女は本部の小さな会議室に軟禁されていたからだ。

 アサシンギルド本部の小会議室は、本来ギルドマスター、セイル=フィガロを長とするギルドの幹部たちの集会に使われている場所だ。レイシャはそんな場所には縁がないのだが、彼女と彼女の父、キース=レイモンドはセイルにこの部屋に留まることを命ぜられていた。

 主な理由は二つある。一つは死神と呼ばれる能力者、ルーク=ライナスを監視するために弧扇亭に派遣されたレイシャが、彼らと強い仲間意識を持ってしまったと判断されたこと。もう一つは、キースがジェイクとともに、弧扇亭を中心にジェチナに新勢力を作ろうと画策していたことを知られたためだ。

 それはどちらともが事実だ。つまりレイシャ達はこうして軟禁されるのに十分な理由があり、むしろこの程度で済んでいることには感謝しなければならないのだろう。

「だけど――」

 仲間の葬儀に立ち会えないこと。そして街全体を巻き込む争乱に対し、自分が何もできないことに酷く焦燥していた。

 今動けば、自分たちは確実にアサシンギルドに敵対することになる。

 ジェイクとキースが目指した新勢力は、アサシンギルドと敵対するものではなく、自分たちが中心となって、アサシンギルドと対抗勢力であるエピィデミックを吸収するというものだった。避けなければいけないのは、この街を再び暗黒街と呼ばれたころのように戻さないことだ。

 そうなるとジェイクを失ったエピィデミックには街を平定する力はなく、ジェチナの命運はアサシンギルドが如何に素早く街を掌握するかにかかってくることになる。そしてその時にアサシンギルドに亀裂が入っている状態であってはならないのだ。

 それはレイシャが望むところではないし、ジェイクとて望んでいなかったはずだ。

 また、セイルは元より配下であったバルクだけでなく、キースの切り札であったヴァイスも従えてしまった。それは単純にキース側の戦力を決定に消失させてしまったし、何よりも彼自身が行き着いた結論が、レイシャが思うところと同じだったことを意味する。

 何もかもが、レイシャの想いに逆らっているようにすら思えた。

「私が思った以上に、弧扇亭に入れ込んだ」

 苛立つレイシャに声をかけてきたのはキースだった。父の言葉に、レイシャははっとする。

「ごめんなさい。お父さん」

 確かにのめりこんでいたのだろう。自身の目的を見失うほどに。あくまでレイシャの役目はルークないし、弧扇亭を監視し、その動向を報告するためだ。今の自分はそれ以上に、彼らを仲間として認識している。キースの目的上、それは悪いことではないのだが、気持ちを切り替えられないところまでその仲間たちに心を許してしまっていたのだ。

 だが、キースはすまなそうに謝る娘に、苦笑いを浮かべた。

「咎めているわけではないよ。むしろ私はよかったと思っている」

「え?」

 父の言葉の意味が解らず、レイシャは疑問の声をあげた。キースは優しげな眼差しのまま言葉を続ける。

「私の勝手でこんな血生臭い環境に連れてきたのだ。お前に感謝することはあっても、咎めることなどできるはずもない。それに、今まで何も娘らしいことはさせてやれなかったからな。それだけ大切に思える仲間と出会えたというならば、私はそれを嬉しく思うよ」

 キースは元は虎国の騎士だった男だ。その彼がこのジェチナに身を寄せるようになったのは、セイルからの要望があったためだと聞いてている。レイシャはその時に父についてくる道を選んだのだ。

 虎国に残ることはできた。最終的に父に付き従う道を選んだのはレイシャだ。しかし父がそれをずっと苦に思っていたのだ。もちろんそれはレイシャも知っていたが、こうして言葉で口にされるとは思っていなかった。

 ふと、そこでレイシャは小さな違和感に気づく。

「娘らしいこと?」

 弧扇亭で過ごすことと娘らしいこと。それが全く逆の内容だとは思わない。だが、何か引っかかる。何気なく口にした言葉に、キースはきょとんとした様子で答えた。

「違うのかね? てっきりルーク=ライナスに恋でもしているのかと思ったのだが」

「にゃ」

 出てきたあまりの一言に、レイシャは思わず奇声を発した。

 最近、ルークのことを意識し始めたのは事実だ。しかしできる限りそれが悟られないようにしてきたはずだ。しかも何故それを離れて生活している父に悟られているのか理由が解らなかった。

 その様子を見て、キースは自分の予測が間違っていなかったことを確信したらしい。彼は言葉を続けた。

「以前から報告書の内容がルーク中心ではあったが、最近になって内容の傾向が微妙に変わったものだから、何となくそう感じていたのだよ」

「む、むぅ」

 自分の心を見透かされているような気恥しさに、レイシャは顔を真っ赤にして唸る。そして、それを紛らわすかのように、彼女は父に尋ねた。

「それは置いておいて。お父さん、これからどうするの?」

 レイシャの質問に、キースは表情を真顔に戻す。彼も決めかねているのだろう。確かにアサシンギルドに従うのが、今後については最良の策だと思われる。だが、ジェイクを殺した以上、弧扇亭はギルドにつかないはずだ。そもそも何故セイルはジェイクを殺したのか。それがレイシャにはわからなかった。

「どうして、マスターはジェイクさんを……」

 父はその理由を知っているのだろうか。そう思って呟いた言葉を、キースは即座に否定した。

「セイルは、ジェイクを殺してなどいないよ。奴にそんなことが出来たならば、そもそも現時点でエピィデミックなど残ってはいない」

 返ってきた言葉に、レイシャは目を丸くする。先程セイルに対して、殺したのかと尋ねたのは父であり、それに対してはっきりと殺したのだと返答したのはセイルだ。

 わけがわからない。そういった様子のレイシャに、キースは自身の荷物から、一枚の写真を取り出して見せた。

 それは古い写真だった。少なくとも十年以上は前の写真だろう。だが、レイシャはその写真に強い既視感を覚えた。

 似ていたのだ。自分たちが降神祭の日に写したあの写真に。それに映っている人間は、当然のことながら自分たちではなかったが、その場所はおそらくは弧扇亭であったし、一人の少年を中心に写されたその写真は、リニアを中心に撮ったあの写真を彷彿とさせた。その中にレイシャは見覚えのある人間の姿を見つける。

「お父さんと、マスター」

 歳は今よりもずっと若い。おそらくは二十代の頃の写真なのだろう。父からは今よりもずっと鋭い印象を受け、一方でセイルからは今からは全く想像できないような温和な印象を受けた。

 そして――

「え? ジェシカ?」

 写真の中央で、セイルの横に立つ女性はジェシカに似ていた。もちろんそれが彼女でないことはすぐに解った。この時代に彼女がいるはずはないし、写真の女性は彼女よりもずっと大人びている。

「もしかして、ジェシカの……」

「母親だよ。そして、その少年はジェイク=コーレンだ」

 キースが指したのは、写真の中心に写っている少年だった。

 訳が解らなかった。三人はまるで家族のように、寄り添うようにして立っている。いや、もっと正確に言えば、この空間にいる全員が、家族のような関係で、その中でもその三人は特別な関係だと感じられる。

 レイシャの予測を、決定的にしたのは、父の次の言葉だった。

「私たちは、かつて弧扇亭で同じ時を過ごした仲間だった。そして、セイル=フィガロとレタ=コーレンは、その中で愛を誓い合った仲だった」

 父から告げられた衝撃の事実に、レイシャは混乱し、ただ絶句することしかできなかった。


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