レイシャの追憶 第三話 守りたいもの・前編
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ディーア=スノウが弧扇亭を去ったと告げられたとき、不思議と驚くということはなかった。 むしろ、はじめに頭に浮かんだのは、やっぱりかという想いだった。 決してディーアを仲間だと思っていなかったというわけではない。むしろ、そういった意味では、アサシンギルドの面々よりも、心を寄せていたと思っている。それは、弧扇亭が特殊な環境だったためだろうし、ディーアが独特の包容力を持っていたことにも理由があったのだろう。 何よりレイシャ自身が家族という求めていたのかもしれない。 だが仲間ということと、予感の原因とは全く違う次元の話だった。 わかるのだ。「自分たち」と「彼ら」に大きな差があることが。ディーアは確かに「弧扇亭の仲間」ではあったが、決して「ジェチナの住人」ではなかった。
声をかけられ、レイシャの意識は現実へと引き戻される。 彼女は今、半ば日課となっている修練の最中だった。もちろん相手はルークである。彼女の表情はすぐにしまったというものに変化した。 「ご、ごめん」 言い返す言葉もないと思いながら、レイシャは詫びの言葉を口にする。ルークは呆れたように息を吐くと、レイシャに背を向け言った。 「今日はもうやめにしよう。集中できていないのでは、怪我どころではすまなくなる」 「だ、大丈夫よ」 何に対しての「大丈夫」なのかは、レイシャ自身にも把握できていなかった。だが、彼との修練の時間を無駄にしたくはなかった。現状はあくまで特異な状態だ。いつ彼と修練ができなくなるかはわからない。 しかし、ルークはゆっくりと頭を振った。 「俺のほうが大丈夫じゃない。避けられると思って繰り出した攻撃に当たりでもしたら、どうなるかわかるだろう。俺にお前を殺させる気か?」 ルークのその言い分は、相手がレイシャだからだ。こうでも言わないと、引き下がらないと思ったのだろう。おそらくは、この後も突っかかってくるとルークは予想していたに違いない。だが、レイシャの方は彼が考えていた以上に重症だった。 「ごめん」 素直に謝ってきたレイシャに、ルークは目を丸くする。彼は小さくため息をつくと、言葉を続ける。 「本当に大丈夫か? 話し相手くらいにはなるぞ」 ルークの言葉に、今度はレイシャが苦笑をする番だった。それと同時に、レイシャは自分の精神が思っている以上に不安定になっていることを理解した。 「大丈夫だとは思ってたんだけれどね。思ったよりも引きずっているみたい」 別れなんていままでいくらでも経験してきた。計算違いだったのは、ディーアとの繋がりが思った以上に深くなっていたことだ。 「でも、吹っ切るわ。私には守るべきものがあるんだもの。ここで落ち込んでいても、ね」 レイシャはそう言って無理矢理に笑みを作った。しかし、ルークはその言葉を聞いて、何か考えるように口元に手をやる。 「前からひとつ、聞きたいと思っていたことがある」 「え?」 「お前は、何を守りたいんだ」 そういわれて、レイシャは呆気にとられる。何を言っているのだろうか。このジェチナという街に決まっているではないか。そう返そうと口を開きかける。 だが、その行為は最後まで続かなかった。レイシャは口を開いたまま、言葉を吐き出せずに固まった。 街を守りたい。そんなレイシャの想いを、ルークが知らないはずはない。それを理解した上での質問だとすると、彼が聞きたいことはそんな答えではない。 レイシャが言葉を発することができなかったのは、その先の解答が咄嗟に重い浮かなかったためである。 (大切な人を守るため?) 真っ先に出た答えを頭の中で反芻してみたが、その語尾には疑問符がついた。実ところ、そうであるはずだ。あくまで街を守るのは自身の仲間たちを守るために他ならないはずだった。しかし、何度自問しても、その答えは確定に至らなかった。 「急な質問で悪かったな」 レイシャの様子を見て、自分がした質問が彼女にとって意外に深い物であると感じ取ったのだろう。それ以上、追求はせずに、ルークは話題を変えようとする。 しかし、レイシャはそれを制した。ルークの右腕をつかむと、すがるように声を絞り出した。 「ちゃんと、答えは出すから」 それは、自分に向けての言葉だったのかもしれない。その日は修練は行うことなく、そのまま解散した。
月一回の定期連絡。それを行うためにアサシンギルドの本部に向かっていたのだ。曲がり角に差し掛かったとき、レイシャは腕をつかまれ、引き止められた。その前を、馬車が走り去っていく。 また考え事をしていたのだ。 「ねーちゃん。余所見してると危ないぜ」 「え? ああ。ありがとう」 不意に声をかけられ、レイシャは慌てて言葉を返した。声をかけてきたのは、鼻の頭に絆創膏をつけた少年だ。年はリニアと同じか、少し上くらいだろうとも思ったが、リニアが少し小さい方なので、もしかしたらこの少年の方が年下なのかもしれない。 そんなことを考えていると、大きく息を切らしながら、レイシャたちに近づいてくる少女の姿が目に映った。 「がーちゃん、待ってよぅ」 少女は少し釣りあがった目に涙を滲ませて駆け寄ってくる。がーちゃんというのは、おそらくこの少年なのだろう。それを見ると困ったような顔をして、少年は頭を掻いた。 「待ってろって言ったろ」 そう言いつつも、少年は少女に歩み寄って優しく手をとって引いてやる。レイシャは弧扇亭の男どもにも見習ってほしいものだと思ったが、期待するだけ無駄だろうとすぐに思い直した。 それにしても仲のよさそうな二人だ。 「ガールフレンド?」 初対面の子に何を言っているんだとも思ったが、時代と環境に恵まれなかったレイシャには幼少期の同世代とのやり取りが珍しくて、何となく口にしてしまっていた。自分が経験できなかった時間が羨ましかったのかもしれない。 何気に聞いた事だったが、少女は極端に顔を綻ばせると、少し恥ずかしそうに手を頬に当てた。 「えへへ。がーちゃんはゼラのお婿さんなのよ」 「お、お婿さん?」 返ってきたのは意外な答えだった。小さい子供の会話の中にはよくある会話だという話は聞いていたが、聞いているほうが恥ずかしくなるようなそういう受け答えをされると、レイシャもどういった表情をしていいのか戸惑ってしまう。 「こんなところにいたッスか」 対応に困りかけていたレイシャの耳に、聞きなれた男の声が入ってきた。バルクの部下の一人で、情報収集を担当しているハムスである。身体は小柄で、愛嬌のある顔をしているが、彼の諜報員としての技量が優れているのは同じように情報を扱っているカイラスから聞いている。 彼は自分ではなく、二人の子供を捜していたらしい。逆にレイシャの姿を見て、少し驚いていたくらいだ。 「レイシャ、うちの子らと面識があったっすか」 「ううん。ここで偶然。ハムスの身内って事は……」 「そうっすよ。うちの長のお嬢さんと、バルクさんの甥っ子っす」 長の娘という単語も気になったが、よりレイシャの興味を引いたのは、バルクの甥という少年だった。彼は真っ直ぐな目をレイシャに向けている。 「ねーちゃんがレイモンドさんとこのレイシャだったんだ」 「え?」 目を輝かせながらそう言った少年に、レイシャは再び戸惑う。 自分がジェチナの南側では、それなりに有名なのは知っている。だがそれは、アサシンギルドの幹部キース=レイモンドの娘としてだ。残念ながら子供たちの羨望を浴びるような立ち位置にはいない。 少なくとも本人はそう思っていた。 「氷の閃光のパートナーだろ。それに、最近は死神とも手合わせして、凄ぇ強くなってるって」 前者はアサシンギルドの機密事項で、後者は表立って言えない事情だった。一般の子供が知っていい情報ではない。レイシャは、鋭い視線をハムスに向けた。ハムスは慌てながら弁解する。 「いや、あれっすよ。こ、こう見えてもガラフは情報通っすからね。色々と南側の情報を集めてもらってるんっす。それの対価っすよ」 「南側の情報って、ランねぇに好きなやつがいるかとか、あれのことか?」 ハムスの表情が一瞬だけ固まる。が、すぐに愛想笑いを浮かべて、場をやり過ごそうとする。レイシャは呆れながら小さくため息をついた。 「あのねぇ」 教えていいことと悪いことがあるだろう。そう言おうとしたが、ふと、ハムスの雰囲気が多少変わっていることに気づいた。それが何の変化かはわからないが、ハムスのほうはレイシャがそれに気づいたことで満足したらしかった。 「俺は意地汚いっすからね。身内だからってほいほいと情報を流さないっすよ。流すときはそれなりの見返りを求めるか、流すことで俺にとって有利な何かを得られると思った時だけっす」 始めて見る貌だった。普段の彼とは全く違う、ぞっとするような冷たい笑みを浮かべている貌。先ほどの違和感の正体にレイシャは気づく。 見定められていたのだ。自身の情報屋としての貌を見せるに足る相手かどうか。 要は遊んでいるのである。 「でも、相手は子供よ。あなたにとって有益な何かを持っているのかしら」 レイシャはあえて彼の遊戯に乗ってみることにした。彼は暗にガラフという少年から得られるものが情報ではないと言ったのだ。まずそれが気になったし、自分に正体を見せるということは、彼が他に何かたくらんでいることに他ならない。 「見てみたいっすか? 彼の価値って奴を」 彼の言葉に、レイシャはゆっくりと頷く。 その後に告げられたのは、ガラフ少年(8歳)との手合わせだった。
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