読売新聞 昭和20年6月21日 木曜日
神鷲と人形 B29遊撃から沖縄へ 体当りのお供幾度 敵畏怖の日本戦闘機に「緑さん」
【前線某基地にて宮本報道班員】 07.3.10


 雨の日の三角兵舎は暗くてしめっぽい。頭の閊(つか)えさうな天井は一枚板で、その板一枚がまた屋根の役目も果たしているから、松林の梢にたまった雨がバラバラッと大きな音を立てゝ耳もとに落ちて来るときなど、住み慣れた人でもひやりと首をすくめてしまふ。枕元から三寸下の土間はじめじめと水気を呼び、雨に追ひ込まれて来た蝿が重さうな羽で毛布の周りにうるさくつきまとふ。

 部隊長の部屋も三角兵舎の一角にあった。しかしこの部屋だけ入った時から何か明るい感じがした。ぐるっと周りを見ると机の後ろの吊棚に大きな人形が腰をかけていた。ふさふさしたオカッパ髪に立派な赤い振袖がよく似合った。ちょっと笑ひかけた口許に人形とはいへ見覚えがあったので聴くと、やはりこれは記者が敵B29邀撃基地でお目にかゝったことのあるお人形さんであった。

 あれはまだその基地から見える山々に一ぱい雪が光っていたころ、杉山元帥夫人をはじめ数名の有名な婦人会の幹部が訪ねて来て、このお人形さんを基地の体当りの勇士に贈ったのである。B29邀撃の空はそのまゝ真直に特攻攻撃の沖縄の海に続いていた。

 B29遊撃に畏くも感状上聞に達する偉勲をたてたあの基地からも沖縄の敵艦船を砕く振武特別攻撃隊が何時も飛び立ち、B29の醜翼を屠った同じ翼で沖の海に揺めく黒船の胴腹を抉っている。
 片翼生還の四宮中尉も、その先頭を切った神鷲の一人だ。沖縄の戦局が重大化を伝へられる或日見慣れた飛燕を駆って後方からこの基地に着いた隊−高島少尉、豊島少尉、ョ田少尉、佐々木少尉、西野伍長、中川伍長、磯部伍長の面々は、飛行場に降りると直ぐ前の邀撃基地で手を取って指導を受けた部隊長が来ているのを発見して「ワーッ」と歓声を挙げた。

 「此所にいらっしゃったのですか」「待っていたぞ」特攻機直衛グラマン邀撃の外に部隊長はこの基地で特攻隊指導の大任を仰せ付かったところであった。
 自らB29に体当りを敢行した部隊長の、あの激しい熱意が此所でまたもう一つ上の部隊長の心を打って、その大役に任ぜられたのである。「必ず死ぬと決った人達であるから、必ず勝つやうにしてやらなければならない」これが部隊長が特攻指導についた日隊長に云った言葉だった。

 高島少尉、豊島少尉らの特攻隊が着いた次の日、記者がもう一つ上の部隊長と話をしている所ヘ部隊長が高島少尉を連れて来て
「部隊長殿、お示しになった航路は高島少尉らの飛行機の脚からいふと出来ないことは勿論ありませんが、ちょっとギリギリだと思ふのです。技倆のふも考慮して、この辺からかういう角度で目的(沖縄南部)へ廻り込んだらと考へるのですが…」

 地図を開き、青鉛筆で引いた航法計画を指しながら部隊長が熱心にいふ。上の部隊長も定規を取り寄せて、先に下令した航路と部隊長の航路を比較し更に敵状や気象を判断した上で「よし変へて良からう」とキッパリ即断した。コ部隊長はホッとして高島隊長を振り返った。その瞬間、高島特攻隊長の眼の閃き…また翌日部隊長から回天、敬天の名を貰って出撃した二特攻隊はそのまま全機突入の戦果を挙げてB29体当り戦隊の伝統を辱めなかった。

 前の基地から「敵艦にぶっつかる時は一緒に…」と佐々木、ョ田両少尉が供ふて来たさっきのお人形さん(これには今は大尉に特進したかつての高山少尉や丹下少尉の魂もこもっている)は特攻機に積み込まれた。出撃の寸前、佐々木、ョ田両少尉の遺言で「これは部隊長の許へ記念に残して行かう。部隊長殿の三角兵舎があまり殺風景だから」
と、今雨に濡れそぽる三角兵舎の低い屋根の下で可愛がってくれた振武特攻隊の神鷲たちのなきあとを守ることになったのである。しかも青葉の攻勢にちなんで「緑さん」といふ名前をつけ、淋しいこのお人形さんを慰めている。

 この部隊長以下新鋭戦闘機隊もその精神において危険において特攻隊の神鷲と殆ど変りはない。しかし、かつて自分の乗った飛行機で自分と同じ隊に育った戦友を特攻隊として送り、それを直掩して沖縄の空まで飛ぶ、この友達の苦衷は測り難い。あるひは「緑さん」が一番よく知っているかもしれない。別れるときは身を切られるやうだといふ言葉も、未だその人たちの心をよく知っているとは思へない。
 最後に、この戦闘機隊こそ「日本に恐るべき戦闘機現はる」と敵に告白させている「日本の希望」であるが、その報道は他日を期そう。


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