読売新聞 昭和20年4月8日
体当り見事生還 軒昂の制空部隊、八機を撃墜破 【某基地にて沢本記者発】


 七日の敵機空襲に待機中の某制空部隊は勇躍砂塵を蹴って次々に飛立ち、敵大編隊を捕捉し四機撃墜、四機撃破の大戦果をあげた。愛機から降りたった勇士は頗る朗か「君は撃墜組だが俺は残念ながら撃破組だ」とお互いに肩を叩き台ひ「この次はもう容赦しないぞ」と腕を撫し全くあの戦闘後の人とは思へぬ元気さだ。以下その邀撃戦を聞く

 古波津少尉は九時五十五分ごろ都下北多摩郡調布町四、五〇〇米の上空で十八機編隊を捕捉し左側二番機の左翼に体当りしこれを空中分解せしめて撃墜し、愛機は錐揉みとなり多摩川に墜落したが、○○米の上空で古波津少尉は落下傘により世田谷区成城町へ降下、無事生還した。顔面に僅かの火傷を負ったのみだった。

古波津少尉談
「小癪にも敵さん盛んに機銃掃射を浴びせて来たので自分も負けずに射ちつゞけたが体当りに持ってこいの高度と距離を見計らって左翼に突込んだ。間もなく両眼を開いた時は○○米の上空で落下傘も見事に開いて生還したわけです」

 同少尉は特別操縦見習士官出身、いま激闘の沖縄の産である。更に白井大尉、生野大尉の各一機、佐藤准尉と太田軍曹は太平洋上まで追撃一機を撃墜、また生野大尉、小原、小川各少尉、新藤伍長も各一機を撃破している。


調布町にも一機 【墜落現場にて沢本記者発】
 七日午前十時ごろわが高射砲の一撃を食った敵B29一機は三千米の上空で分解、主翼は都下北多摩郡調布町国領河栗吉次さん方へ、三間離れた?沢源三郎さん方の作業場へ燃料タンクが墜落、ともに火災を生じたが一部を焼いただけで消止めた。

 またTO42と書いた尾翼が同町下布田八六九の麦畑に七、八尺も突きさゝりその南西方に推進機と燃料タンクおよび発動機が落ちた。撃墜目撃者名古屋昌作さんは語る。
 敵機の撃墜を見たときには思はず万歳を叫びました。落ちた瞬間には随分大きな音がしましたので爆弾かと思ひました。


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